センチメンタルジャーニー




「あ、あの色も好き」

夕暮れの赤はだんだん色を落としていって、灰色に飲まれようとしている。日が沈んでいきそうなギリギリの赤を画面に映し、あの赤が消えてしまうまであと何分だろうと考えた。携帯電話を空に構え、カシャ、カシャ、と音を立てながら弱い太陽のほうに向かって歩く。日が暮れて少し風が冷たかった。上着を着てきて正解だった。

「あ、かわいい。好き」

歩き続けていると近所の小さなスーパーに行きついて、そのスーパーの入口近くに立っている赤いポストの上に乗っている猫を発見した。もう地面は影に覆われているけど、ポストの上はギリギリなけなしの日差しを被っている。暖かいところをよく知っているんだなぁと思ってまた写メを撮った。 そのままさらに、てくてくと町中を歩き続ける。
知らない家の花壇の花が綺麗でカシャリと撮って、近くの公園のブランコが懐かしくてまた撮って、小学校の通学路だった細い道の入り口もカシャリとおさめた。
携帯電話の中に1枚ずつ写真が増えていく。道を選んで歩くたびに何かを見つけて、それは新鮮だったり、懐かしかったり。ずっと住んできた町で、いつも歩いてる道なのに、改めてみると目新しいものばかりだった。

「好き」

かわいい花や、小さな虫を見つけるたびに、そう言いながら撮った。
コンビニの前に停まってるカッコいいマウンテンバイク。
歩行者用の縦の信号機。
小学生が横断歩道を渡るための旗。

「かわいい色。好き」

カシャ

「夕暮れの電線。好き」

カシャ

1枚ずつ「好き」と言いながら撮った。白んだ空に浮かんでる一番星に携帯を向け、また呟いてカシャリと撮る。だけどいくらなんでも写メで星までは撮れなくて、好きなのにとガッカリした。思わずそう呟いた自分がおかしくてなんだか笑えて、まぁしょうがない、他に何かないかな。とまたあたりを見渡した。

そうしていると、向かいから女の子たちが歩いてくるのが見えた。中学生だ、あの制服は少し前まで私も着てた。懐かしくて心の中で「好き」と呟いたけど、その後すぐにピタリと手は止まった。
笑い合う中学生たちが横を通り過ぎていった。
私は携帯電話を持ったまま、動かなくなって、頭の中も止まった。

「・・・」

しばらくしてゆっくりと意識を取り戻した私は、ふぅと小さな息を吐いて、体の中の空気を循環させた。そしてまた何かを探してあたりを見渡して、通り過ぎた駐車場に停まってた小さなバイクを携帯の画面に収めた。

「好き」
「何やってんの」

気持ち新たに撮ろうとしたものだったから、私の声は携帯が立てるシャッター音と同じくらいだっただろう。そんな私の背後から、そんな声が投げかけられた。振り返ってみると、そこには同じクラスの、

「・・・水戸、君」

が、いた。

「あ、や、べつに、何ってことは・・・」
「好きって何が?」
「いえ、その、ひとりごとです・・・」
「ひとりごと?にしてはでかいよ」

ははと水戸君が笑う。やばい。へんなとこ見られた。
帰宅途中なんだろう、学ランでカバンを持った水戸君が目の前にいると、なんだか急に現実に引き戻された私は変に汗をかいて、冷たい風がすっと背中を撫ぜた。

「てゆか元気そーだね。ビョーキって聞いたけど」
「え?あ、いや・・・」

しまった、さらに状況が悪い。
私はここ3日ほど学校を休んでいたのだ。面目上はカゼということになっているはずで、そんな私がフラフラと携帯電話片手に夕暮れの道を歩いていたら彼じゃなくとも不審がるだろう。

だけど私は思いもよらなかった。そりゃ同じクラスではあるけど、まさかこの人が、私が学校に来ていないことを知ってるとは思わなかったから。それを話題にしてくるとも。家は確かに同じ町内で小学校も同じだったけど、別段仲良くはなかったし・・・

「べスパ好きなの?」
「え?なに?」
「べスパ。そのバイク」
「あ、いや、ぜんぜん。ただかわいいなって撮ってただけで・・・」

ふーん。水戸君は少し首をかしげて間延びした返事をした。
だけど、さっさと立ち去るだろうと思っていた彼は、一向に歩きださない。私の前に立ったまま。そのヘンな間に先に耐えられなくなった私は帽子を深く被り直し、じゃあと言いかけた。だけどその「じゃあ」があまりに小さい発声だったために、彼に届く前に、水戸君のはっきりとした声が私に飛んできた。

「明日は?学校くるの?」
「あ、うん、たぶん行く・・・」
「ていうかやっぱサボりじゃん」
「いや、サボりっていうか、えと・・・、はい・・・」

ええ、サボりです。平たく言えばサボりですとも。
だって、とても学校なんて行ける気分じゃなかったもん。
ていうか、サボってばっかなのはそっちじゃん!そんなこと言われる筋合いないよ!
・・・なんて言えませんけど!

そんなことを顔には出さずに沸々と考えていると、突然目の前の水戸君が「あ」と口を開いた。私はその声に目をあげて彼を見ると、水戸君は私より空に目を向けて、指さした。

「飛行機雲」
「・・ほんとだ」

もう色が落ちた暗い空に、ほんのり伸びる飛行機雲。
それを見た私は思わず携帯電話を構え、カシャリとまたボタンを押した。

「なんでも写メ撮ってんの?」
「なんでもっていうか、好きなものだけ・・」
「見せて」
「え?」

近づいてくる水戸君は、私のすぐ目の前まで来ると私の手から携帯電話を取った。

「ちょっと待って、ヤダよ」
「もう家帰る?」
「え?帰るけど・・・」

あそ、と言って水戸君は、私の携帯をいじりながら私の家の方向へ歩きだす。
勝手に人の携帯をいじるなんて、人としてサイテイだろ!
・・・そうは思ってもやっぱり口には出せず、私はとにかく歩いていく水戸君の後をついて歩いた。

「ね、返して、何も面白くなんてないでしょ」
「写メしか見ないって」

だから、それが嫌なんだってば!

「じゃあ、あの、せめて今日の日付だけにして」
「ああ」

そう質素に答えて、水戸君はひとつひとつ保存された画面を見つめた。
旗、信号、チャリ、虫、花。
ひとつひとつ名前をあげながら、時々笑いも混ぜて、ひとつひとつ遡っていく。今日私が何回もボタンを押し続けた記録をひとつずつ遡って。

「なんかまとまりないなー、何が好きなんだよ」
「べつに、いいじゃん」
「ていうかさ、これ全部すきって言いながら撮ってたの?」
「・・・」

笑いたければ笑えばいいじゃないか。
ムッときて、私は黙ってしまった。
すると水戸君が私に振り返ったから、私はさっと不機嫌な顔を消した。
だけど水戸君はちゃんと気づいて、

「嘘だよ、怒んなって」

ゴメン、と簡単に謝った。
水戸君はそのまま私の携帯電話を見つめながら、もう日が暮れた道を歩き続けた。確か水戸君の家はあっちなのになぁ、そう思いながらも迷いなくスタスタ歩いて行く水戸君のうしろについて、私も歩いていた。

「空好きなんだな。空ばっかだ」
「・・・うん」

もう薄暗い近所の道を、学ランを着た水戸君の少し後ろを歩く。
彼のそんな背中を見ていると、また不意に、頭の中がストップして、水戸君の黒い背中から目を逸らした。

私は、中学の時から付き合ってた人がいて、つい3日前に別れた。
フラレタ、というほうが当たってる。他に好きな子ができたんだって。
私はやっぱりショックで、嫌だ別れたくないとがんばったんだけど、やっぱり無理で、悲しくて悲しくて泣き続けて、学校も行けなくて、ずっとふとんの中で過ごしてた。

だけど3日泣き続けて、今日、夕方、ふとんから顔を出したら、窓から見えた空が綺麗だった。
なんだか、私が悲しくても元気でも、世界は変わらず回ってるんだと気づいて、ほんのり赤い空を写メで撮った。そしたらもっと空を撮りたくなって、ふとんから出て部屋から出て家から出て、空を見ながら携帯片手に歩きだした。空も道もブランコも花も虫も、今までと変わらずそこにあって、あたりまえだけど、なんだか新鮮で、懐かしくて。

好きなもので、この携帯電話をいっぱいにしたくなった。
新しいものを、この携帯電話に詰め込みたかった。
付き合いだしたときを思い返してしまう中学の制服と、別れたときを思い出してしまう黒い学ランの背中は、まだ見てると辛いけど。

そう、電灯の下を歩く自分の影に目を落としていると、頭の上からカシャリと音がして、パッと顔を上げた。すると前の水戸君が、私のほうを向きながら後ろ歩きして、私の携帯電話を私に向けて、写メを撮ってた。

「ヤダ、やめてよ」
「だってこん中自分の写真一枚もないじゃん」
「・・・自分の写真でいっぱいの人のほうがどうかと思うけど」
「そりゃそーだ。でもこのアングルはけっこーいい。これとっとけよ」

薄暗い中で水戸君が笑いながら今撮った写メを見せた。
けっこーいい、って、うつむいてて暗くて、私だか誰だか分からないくらいじゃないか。

「もういいでしょ、ケータイ返して」
「てかさ、この中は好きなもんだけでいーんだろ」
「え?」
「じゃーもうこれはいらないんじゃない?」

そう言って、水戸君は携帯電話の画面を、私に見せた。
暗くて何が写ってるのか分からなかったけど、しばらく見ていると、わかった。
それは画像じゃない。写メじゃなくて、それは、ただの、 電話番号と、アドレス。

「・・・」
「な」

・・・なんで、知ってるの、この人。

「とっとく?」
「・・・」
「明日もがっこー休む?」

好きなもので、いっぱいにしたくなった。
新しいものを、詰め込みたかった。

「・・・いらない」

呟く私の前で、水戸君は「あっそ」って、それだけ言って
ピピッとボタンを押して、

「はい」

私にそれを返してくれた。
画面には「削除しました」の文字。
なんだかさっきまでよりずっと、ずっと軽い気がした。
それはこの携帯電話かな。私の心かな。



目の前から水戸君が私を呼ぶ。
これも、新しいこと。

「俺撮って」
「え?」
「俺、撮って」

いぇい、と水戸君はピースしてみせる。
私は言われるがままにカメラを起動させて画面を水戸君に向けて、四角い中に彼を収めた。
カシャ、また新しいものが詰め込まれる。

「なんだよ、好きっていってよ!」

もうすっかり日が暮れた中、スポットライトのような電灯の下、水戸君が笑った。





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