恋人たちのロードショー




昼間の喫茶店には、少し似つかわしくない情景。
周りは家族連れやカップル、学生のような若者でにぎわっているのに、あそこだけ空気が違って見える。私はそれに目が釘付けになってしまって、テーブルに頬杖着いてドキドキしながらこっそりとその方を見ていた。

ワクワク。我ながら毎日怒涛の展開を見せる連続ドラマを見ているような目の輝きを放っていたと思う。窓際の私たちの席からあの席は通路を挟んだ隣同士で、よぉく耳を済ませれば会話だって聞こえるのだ。

だから、誤解だよ。
説得する彼は前のめりになって必死にそれを繰り返す。
だったら何してたのよ、説明してちょうだいよ。
正面に座る彼女は彼から愛想を尽かしたような顔でそっぽ向く。

のどかを絵に描いたような喫茶店の中で唯一異色を放っているカップルは、さっきからずっとそんな会話を繰り返していた。
そしてあのカップルを注目しているのは私だけではない。奥の学生の集まりは私と同じようにチラチラ見て楽しそうだし、隣の隣のカップルは気まずそうにしているし、家族連れは子供に「見ちゃ駄目」なんて言ってるようだし。そんな周囲の雰囲気に気づかないのかそんな場合ではないのか、当のカップルは別の世界にいる。

「何度そう言ったら気が済むの?いつもいつもそればっかりじゃない」
「本当になんでもないんだよ、君の思い過ごしだよ」
「そうかしら」

一度疑い始めた女の執念はちょっとやそっとじゃ晴れやしない。必死に取り繕うとする彼はどこか薄情な感じもする。浮気疑惑の押し問答を繰り返すのはどうやら初めてではないようだし。
コクリとカップから喉を通った紅茶を飲みながら、されど私は隣の席に目を向けたまま。時々そのカップルのさらに奥にいる、同じくカップルを見ている人と目があってちょっと気まずいのだけど。


「・・・」

「え?」

耳をひたすらカップルに向けているものだから、目の前からかけられる小さな第一声を聞き逃してしまっていた。
振り向いた先ではなんだか立派な塔が建っていて、おお、いつの間に・・・と少々圧巻を感じる。店の備品であるマッチ箱からマッチを全部テーブルに出して、それを一本一本組み立ててひたすら積み上げられた塔。その塔の向こう側からニアが顔を覗かせて見つめていた。

「おかわりが欲しいです」
「ああ、はい」
「あとマッチも欲しいです」
「はいはい」

空のカップを見せるニアに「同じものでいいの?」と聞くと頷いたから、ウエイトレスのお姉さんを呼んでココアを注文した。私ももう一杯飲んでしまおう(きっとあのカップルの話はまだ続くだろうし)と今度はホットチョコレートを頼んで、隣のテーブルの籠からマッチ箱をこそっと取ってニアにあげた。

またマッチを積み出すニアの前で、私はカップに残った紅茶を飲み干しながら、また通路を挟んだ隣の席に目を戻す。話はだんだん核心に迫っているらしく、先週末の細かなスケジュール(アリバイ?)の話になっていた。
怒涛の展開のカップルの会話。どこからそうなったのかついていけなくて、私はまた聞き耳を立ててこれまでの経緯を探ろうとした。だって周囲の人はちゃんと会話の流れについていっているようだ。自分だけが乗り遅れたのでは悔しい。

一体彼女は幾つの物的証拠を隠し持っているのだろうか。職場の若い女の子と飲みにいったという情報を突きつける彼女は、落ち着き払った臆面で大層怒っているよう。理屈っぽい彼女はまるで実況中継のような怒り方をしてくれるから話の展開がよく見える。視聴者にありがたいヒロインだ。
ちょっとニアっぽいなぁなんて思いながら、私はすでに空になっているカップを口に付けて笑いを噛み殺した。

「お待たせしました」
「ありがとう」

ウエイトレスのお姉さんがココアとホットチョコレートを運んできて、私はココアを積み上がった塔の隣にそっと滑らせた。代わりに空になったカップをトレイに乗せるお姉さんは、ちらりと塔を積み上げているニアを見る。そうね、これは迷惑かもしれない。店のマッチを堂々と、しかもオモチャにしているのだから。
オマケに靴を脱いでソファに足を上げているニアはとても年不相応で、いつも見慣れている私だからこそ何とも思わないが、ニアの格好は一見寝巻きにも見える。まるでどこかの病院から抜け出してきた入院患者のようだ。ニアを不信がるお姉さんはその目のまま今度は私に視線を移してきて、私はヘラリと愛想笑いを浮かべた。「ごゆっくり」と戻っていくお姉さんの後姿を見送りながら、ニアと喫茶店に来るのも考え物だわと小さくため息を吐く。肝心のニアはそんなことにはまったく気を止めずに、まだ黙々と塔を作り上げているのだけど。

「もう貴方の言うことは信じられないわ、その女連れてきなさいよ」
「無理言うなよ、なんでもないって言ってるだろ?僕が愛してるのは君だけだよ」

隣から聞こえてきた会話に私はハッと思い出して隣に目をやった。
少し目を離した間にどうなってしまったんだろう。ついに痺れの切れた彼女は立ち上がり店を出て行こうとしている。それを引きとめようとする彼も立ち上がって、周りの私たちはおろか、店員まで首を伸ばして注目していた。しかしやはりそんなこと、二人の世界のあのカップルには届いていないようだ。
頼むよ、落ち着いてくれよ。
そう彼女を引き止める彼氏はとても優しそうな人だ。身体つきもしっかりとしていて包容力がありそうだし、彼女がどんなに嫌な証拠を突きつけて責めてきても逆に怒ったりしない。ずっと彼女の下手に「何でもないから」と弁解し続けている。でも彼女はそんな彼の対応に余計に怒りを募らせているようだけれど。ワクワクがだんだんハラハラに変わってきて、とうとうクライマックスか?と私も他の客たちもじっくりと目を寄せていた。


「・・・」

「え?何?」

また正面からニアの声。ちょっと待って、今大事なところなの。
そう言わんばかりに私はニアに一瞬目を合わせどすぐにカップルに気を取られ、適当な返事をした。

だってほら、もう彼女が我慢できずに帰ってしまいそうだわ。がんばってよ彼氏、この結末をここで見せてよ。こんなハラハラした展開を引きずったまま店を出て行くなんて許せない。もっと愛の言葉を説けばいいのよ、愛してるって言ってあげればいいのよ。
そんな風に、彼女を何とか留まらせようとしている彼を心の中で応援している時だった。

ガシャーン!・・・

突然近くで大きな音がして、私は驚いて目を正面に戻した。
店の客も店員も、あのカップルですらその音がしたほうに目を奪われた。
私たちのテーブルで、高く積みあがっていたマッチの塔が倒れて、テーブルの上一面にマッチが広がっていた。その向こうでニアが右手を差し出している。どうやらニアが自分で作った塔を倒したようだ。そしてニアはジッと、散らばったマッチの向こうで私を見据えている。

「ど、どうしたの、ニア」
「そんなに面白いですか?」
「え?」
「こっちを向いててください」
「え・・・?」
は私を見ていればいいんです」

ニアは不満そうに私を見上げて言った。なんだかよく、分からないけど、怒っているようだ。

「えと、ごめん」

分からないまま謝ってみてもニアのむくれた顔は戻らなかった。塔が倒れたせいでココアが入ったカップも倒れて中身がテーブルに広がって、ココアにマッチが浮かんでいる。ニアの袖が毀れたココアにつきそうで、私はまたごめんね?と謝りながら立ち上がってニアの周りのテーブルを拭いた。
するとウエイトレスのお姉さんが布巾を持ってきてくれて、綺麗にしてくれてマッチも片付けてくれた。店のマッチをオモチャにした上に駄目にして、でもまさか謝りやしないニアの代わりに私はお姉さんにも謝り続けたのだ。

「ニア、汚れなかった?」
「はい」
「そ、良かった。新しいの頼む?」
「もういいです」
「そう、他に何か欲しい?」
「マッチが欲しいです」
「え?それはー、えーっと・・・」

ニアのご機嫌をとってニアにたくさん話しかけて笑いかけて、それはもうあのカップルのことなんてすっかり忘れるほどだ。
でも気がつけば店内の注目を集めているのはあのカップルではなく私たちになっていて、でも私はそんなこと気づかずにニアに「マッチの代わりにナプキンで何か作ろう」と持ちかけて必死に取り繕っていた。たった2杯ずつの飲み物だけで喫茶店に居座り、また店の備品を使って遊ぶ私たちは、迷惑極まりない客だっただろう。


「もう日が暮れそう。帰ろうかニア」
「はい」

窓の外を見上げると空から光が引いていっていた。
一体何時間居座ってしまったのか、辺りを見渡してみれば一緒に店にいたはずの他の客は誰もいない。私はテーブルの上に出来上がったナプキンの動物園を片付けて、お金を払おうとウエイトレスのお姉さんを呼んだ。

「いくらですか?」
「お金はここに座ってらした方たちが支払っていきましたよ」

そうウエイトレスのお姉さんは、私たちの席から通路を挟んだ隣のテーブルを指差した。
そこはあの、ケンカをしていたカップルが座っていたテーブルだ。

「え?どうして?」
「さあ。でも、ありがとうと言っておいてくれって言ってましたよ」
「ありがとう?」

ますます意味がわからない。どうして私たちがお茶をご馳走になり、その上お礼まで言われたのだろうか。分からない。
でもニアはそんな私を置いてさっさと店を出ていってしまうから、私も急いでニアを追いかけていった。

「ねぇニア、どうしてあのカップルご馳走してくれたんだろうね」
「礼のつもりじゃないですか」
「お礼?なんの?」

日が暮れたコンクリートの上を、影を伸ばしてニアと歩く。
私はたまにこうして喫茶店にただ遊びに行くのだけど、ニアが付き合ってくれるのはとても珍しかった。

「あのカップルどうなったんだろ、仲直りしたのかな」
「さあ」
「でも美男美女だったし、絵になってたね」
「そうですか?」

ニアには分からないのね。
だってニアはずっとマッチの塔と紙ナプキンの動物ばかり作っていたし。
そもそもニアに恋愛事なんて5年早いのよ。

「あー楽しかった、まるで映画見てるみたいだったんだよ。彼氏はずっと愛してるよって言っててね?」
「他に言う言葉が見つからなかっただけでしょう」
「え?なんで?」
「・・・に恋愛は10年早いと思います」
「なにそれ!」

スタスタと歩いていくニアは身勝手だ。会話を合わせてくれなければ歩調を緩めてもくれない。そんなニアに恋愛は早いなんて言われるのは心外だ!

「ねぇ、また行こうねニア」
「ええ、結構楽しかったですし」
「でしょ?次はどんなカップルが見れるかな」
「・・・」

ねぇニア
あんな映画のワンシーンのような恋人同士って、素敵だよね。
私たちじゃこんな風に手をつないで歩いていても、まだまだだなぁと思うよ。





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