君が持っている星屑




いつもこの部屋だけ、まったく別の世界のような気がしていた。 だからこのドアは、異世界に繋がる魔法のドアだ。このドアを開ける時はいつもドキドキして、そっと覗くとそこに広がるのは真っ白な空間。
そう、分かりやすくいうと病院のような。
でも病院みたく嫌煙する匂いや弱々しい空気はない。
穏やかに窓から注ぐ日差しは柔らかく、どこからか届く花の香りは心地よく、部屋中に広がるオモチャたちはまるで遊園地に行った気分になって夢のようだ。

「ニア、入ってもいい?」
「どうぞ」

ノックをしても返事が無かったからドアを開けて、白い世界に溶け込んでいたニアに目を留めた。ベッドの隅に腰掛けて、冬の弱い日差しを浴びながら窓の外を見ているニアがそっと振り返る。左膝を抱えて丸まっている背中はニアの身体をより小さく見せた。

「何、してるの?」
「何もしていませんよ」

見て分かりませんか?とニアは空いた両手を挙げて見せた。部屋の隅のオモチャ箱にブロックやロボットが積まれるように置かれているけど、ニアは何もしていない。ニアの後ろ、ベッドの上に置かれた真っ白なパズルだって8割がた完成しているのに、左上の2割が未完成のまま。
何もしていないニア、というのは何とも、見慣れない。

「じゃあさ、広間においでよ。今ね、ロジャーがクリスマスツリー出してくれたの。一緒に飾りつけしよ?」
「いえ、私は結構です」
「やろうよ、毎年してるじゃない」
「いいえ、結構です」

窓の外に目を戻すニアはとてもぼんやりして見えた。
ニアはここのところ、ずっとこんな感じ。勉強や普段の生活は特に変わっていないのだけど、いつも何かしら手を動かしていたニアが、何もしない。きっとニア自身もそれを分かっていて、だからみんなと離れて部屋に篭って、何もしてないことを隠してる。ニアは決して、一人が好きではない。

そして私は、そんなニアに気づいていて、それがどうしてかも、なんとなく分かっていた。
この真っ白なだけのパズルが完成しない理由も、なんとなく分かっている。
だからニアに、どうしたの、なんて聞けなかった。

「・・・じゃ、気が向いたらおいで」
「はい」
「もうすぐごはんだからね」
「はい」

返事の調子もいつもと変わらずしっかりしている。ただ何もしていないだけ。
たったそれだけのことで、でもそれがすべてだ。
ニアが何もしていないということがどんなに、おかしい、ことか。


外はかなり雪が降り積もって、それに見習ってもみの木に毀れそうなほどの白い綿を乗せた。ステッキとか星とかサンタクロースの人形とか、緑だけの木が賑やかに彩られていくにつれて、みんなも気分が盛り上がって、きっと明日にはプレゼントも置かれて気分も最高潮になるんだろう。
サンタなんていないよ、なんて言いながらもみんなわくわく心を躍らせて、賑やかに盛り上がって。クリスマスはみんな大好きだ。すぐに訪れる新年よりも大きなイベントだ。

明日のプレゼントを楽しみに、みんな部屋に戻って広間は静寂に包まれる。さっきまであんなに賑わっていたのに、騒がしい声がなくなるとやけにツリーが浮いて見えた。もうみんな寝静まってしまったのか、ハウスの中は真っ暗で、誰にも気づかれないように広間の電気を消して、その暗闇の中で電飾のスイッチをオンにすると、ぼんやりと赤や青や黄色の電球が代わり代わりに点滅して浮かぶ。それがツリーにつけた飾りや綿の雪を照らして幻想的。綺麗な星に囲まれている気分だ。ツリーのてっぺんにつけられたあの大きな星のように、外の雪雲の上には大きく輝く星たちが瞬いているに違いない。

そう、ツリーのてっぺんの星を見ていると、突然ガチャリとドアが開いて、驚いた心臓がビクリと飛び跳ねた。そっと振り返ると、ドアの向こうからぼんやり、人影が見えた。

「誰?」
「私です」
「・・・ニア?」

部屋の静寂を壊さないようにそっと、ニアの声が聞こえた。パタンとドアを閉めてヒタヒタ部屋に入ってくるとツリーの電飾に照らされてようやくニアの顔が見える。
その肌も髪も服も夜の闇に溶けそうなほど真っ白なニアは、電飾に照らされて色とりどりに染まる。それはそれで、見慣れないニアだ。

「どうかしたの?」
が、部屋にいなかったので」
「え?探してくれたの?ゴメン、何か用だった?」

用は無いです、と顔を背けてつぶやくニアの口から白い息が見えた。暖炉も消してしまったこの部屋は時間が経つにつれてどんどん冷えていくのだ。私も毛布に包まっている。上着を羽織っているけど寒そうなニアを手招いて、毛布を半分ニアに被せて隣りに座らせた。目の前で光る大きなツリーをぼんやりと見つめるニアの横顔はやっぱり力が無い。

「ニアはプレゼント何かお願いしたの?」
「してないです」
「じゃあ明日のお楽しみだ」
は何か頼んだんですか?」
「ううん。もうプレゼント貰う年でもないしね」

私もニアも、もうすぐ15だ。ここを出る日も近いだろう。
・・・メロは、クリスマスも待たずに出ていってしまったけれど。

は欲しいもの無いんですか?」
「欲しいもの?そうだなぁ、物はないけど、星が見たいかな」
「星、ですか」
「冬の方が星は綺麗なのにずっと雪降ってるから雲に隠れたままじゃない?」

隣でニアはちょっと考えた。まるで「星は私じゃどうしようもない」とでも言いたそうだ。
ニアが何かを考えているところなんて久しぶりに見た気がする。私はクスリと笑えた。

ニアがオモチャを組み立てるのも、パズルを組み立てるのも、物事を考えるための原動力のようなもの。それをやめてしまったということは、考える事もやめてしまったということだ。ロボットもまだ箱から出されてないまま。ブロックもバケツに入ったまま。パズルもまだ、未完成のまま。
でも私は、あの真っ白なパズルが完成しない理由を知っていた。

「ねぇニア」
「はい」
「今はちょっと、休んでるだけだよね?」
「・・・」

ほんの少しだけ、手付かずになってるだけだよね。
心がポッカリと空洞になってしまったから、それを埋めようと必死なだけだよね。

「・・・、手を出してください」
「手?」

ごそっと手を動かすニアに言われて私は意味も分からず手を出した。
ニアはポケットの中に手を入れて、その手を私の掌の上に持ってきてパッと開くと、その手から細かな何かが毀れた。ツリーの電球に照らされるそれはでこぼこしていて、その形から星のようにも見えた。でも手に当たった感触は意外に軽く、カラカラと音を立てて落ちてくる。

パズルの、未完成の部分のピースだった。

・・・私はあの真っ白なパズルが完成しない理由を知っていた。
あのニアの真っ白なパズル。ほとんど完成しているのに、左上だけどうしても完成しなかった。その未完成の部分に隠されていた、「L」の文字。

ニアの手から降ってくる、ちっぽけな星。
ニアはただ、Lの遺志を継ぐ前に、精一杯偲んで尊ぼうとしてるだけだ。

「分かってるよニア、ちゃんと待ってるから」
「・・・」
「雲が晴れたら一緒に星見に行こうよ」

きっとあの雲の上には眩しい星が輝いていて、
あの雪の下には春の芽が必死に耐え忍んでいて、
その間で私たちは、最初の一歩を踏み出せるはずだ。

ツリーの明かりでは照らしきれない部屋は真っ暗で、その中でニアはこて、と私の肩に頭を倒した。鼻を通る空気は刺すように冷たい。頬にチクチクと当たるニアの柔らかい髪先がくすぐったかった。するとニアは毛布を被りなおして、私を抱き包むとそのままじゅうたんの上にゴロリと転がった。

「ニア・・・?」
「・・・」

目の前できゅっと閉じたニアのまつげが揺れる。
ニアの鼻から通ってくる息は思いの外あたたかかった。
そのまま、口唇でも触れてしまいそうな距離で、ニアは寒さを凌ぐようにぎゅっと抱き包んでくれるから、外は重い雪に囲まれたこの部屋でも、寒さなんて、感じなかったよ。

私はニアとの身体の間で、無くさないようしっかりと両手を握り締めた。
きっとニアはすぐに、またこのピースを手にする日が来るはずだから。

大丈夫だよ、ニア。
私たちの星は、あのツリーの一番星のようにいつまでも大きく輝いている。

色褪せることなく。
闇に溶けることもなく。

そして貴方は絶対に、あの星を見失ったりしない。



(貴方の大事な星屑を、決して離さないよ)





君が持っている星屑