マーガレット




一日の始まりだというのに日差しすら入り込まないいつもの部屋で、レスター指揮官はニアに「おはよう」と声をかけ、ニアもぼそりと「おはようございます」と返した。朝だろうが昼だろうが夜だろうが変わらないニアのそのテンポと声色にいつもどおりだなと軽い確認事項のように頷いたレスター指揮官は、今日の朝一番に部屋に届けられた真っ白い封筒をニアに差し出した。

「ニア、手紙がきているぞ」
「どうも」

さっそくオモチャの真ん中に座り込んだニアの後ろからそれを差し出すと、ニアはその封筒を受け取り裏面の糊付けを丁寧に剥がし始めた。いつものニアならビリビリと中の手紙が破れない程度に破ってあけそうなところを、この見慣れた真っ白い封筒の手紙だけはやけにそっと封を切ることをレスター指揮官は知っていた。

月に一度ほどのペースで届く真っ白な封筒の手紙。誰からなのだろうと前々からの密かな疑問を抱きながらレスター指揮官はメールのチェックをしていた。ニアは小さく丸めた背中の向こうで封筒から手紙を取り出して読んでいる。そしてその手紙を読む手を下げると封筒の口を開いて逆さまに振ってみせた。その真っ白い封筒の口から、また真っ白い花びらが数枚、ニアの白い掌の上に舞い降りたのを見た。

「なんだ、花びらか?」
「ええ」
「それは洒落てるな、何の花だ?」
「マーガレットです」
「春の花だな、外はもう春か」

その手紙が誰からかは知らないが、こうしてニアに季節を知らせてる人がいるのだと思うと和んだ気持ちにもなる。
まだ朝一なせいか、緊迫した仕事ムードでもない二人の会話。いや、ニアがその手紙と花びらのおかげでいつになく穏やかな空気をかもし出しているのをレスター指揮官も感じたからこそだ。ニアの周囲への無関心さ自分以外を信用しない用心深さは共に過ごした時間で十分よく分かっている。そのニアがふと堅い空気を解くのがこの真っ白い手紙の訪れとリンクしていることもレスター指揮官は感じていた。現に今ニアが表情こそ変えないにしろ、いつも重くまっすぐなその目が少し穏やかになっているのをニアのクセのある前髪の下に見えたのだ。

「ん、どうかしたか?」

花びらを膝の上に降らせ、ニアが2枚目の手紙に目を通した時、ふとその目が僅かに見開いた。
その目は手紙の文字を追いながら、だんだんニアの表情がしかめ面になっていくのも見た。

「レスター指揮官、結婚祝いとは何がいいんでしょう」
「は?」
「私のいた施設の人間が今春結婚するらしく、その祝いを私とこの手紙の主との二人からのお祝いにするから何がいいか考えろと言ってきました」
「ああ、それはおめでとう」
「私に言われましても」

さして興味なさそうなニアは小首をかしげていた。きっと人にお祝い事なんてしたことがないのだろう。「私に考えろなんて、何でも好きなもの買えばいいのに・・・」とブツブツつぶやいている辺りが妙に幼く見えておかしかった。
そうして、レスター指揮官に疑問を投げかけておきながら返答を待つ様子もなく手紙の続きを読み出すニアは、今度は少し驚きを混ぜた風に目を大きくさせた。

「今度はどうした?」
「・・・」
「ニア?」
「今日は、7日ですよね」
「ああそうだが?」
「7日の土曜日」
「ああ」
「・・・」
「なんだ?」

それ以上口を開かなくなってしまったニアは、言葉で言う代わりにピラッと手中の手紙を見せた。読んでもいいのか?と一度確認した後書かれている文章に目を通すと、その手紙は綺麗な文字と文章で女性らしさを感じさせた。しかしニアの雰囲気からして「やっぱりか」といった感じだ。そのまま文字を読み進めていくと手紙の最後、文末に 「7日の土曜日に用事でそちらの方へ行くのでその時までに何がいいか決めておいてください」と書かれていた。
7日の土曜日。まさしく今日だ。

「だったら何もニアが決めなくても一緒に考えてこればいいのでは?」
「何を言ってるんですか、私はここから出ません」
「たまには外へ出てみたらどうだ、ゆっくりしてくるといい」
「・・・」

捜査を始めてから一歩たりともここから出ないレスター指揮官のほんの心遣いだった。こんなことでもない限りニアは外へ出る気も用事もないだろう。捜査の中心人物という立場でありその観察力推理力考察力どれをとっても適わないと思うほど大人びているが、普段のニアを見ているとまるで子供にも見えて、レスター指揮官はたまには休息を取ればいいと案じていたところだった。

「何かあればすぐに連絡を入れるし、ここは構わないぞ」
「・・・いえ、結構です」
「久しぶりなようだし、会いたいだろう」
「・・・彼女は、私の状況をよく理解しているので」
「ニアのことを言ってるんだよ私は」
「・・・」

いつもならガチャガチャとオモチャを握っているその手が数枚の手紙だけを握り締めていて、抱えた膝に口を押し付けている白銀の頭がその年以上に子供っぽく見えた。不機嫌なようで戸惑っているようにも、適当な理由を言っているようで言い訳のようにも聞こえる。
ほのかに、その真っ白な頬に赤みが色づいているようにも見えた。
これはめずらしい、と微笑まずにはいられない。

「・・・なんですか」
「いや、すまない」

その後結局「私はいきませんよ」とニアは繰り返し、その空気を紛らわすようにブロックの城をロボットで壊し始める。それでも時計をちらりちらりと見ているところを何度か見かけた。そのたびにレスター指揮官は隠れて微笑み、それを目ざとく見つけるニアはじとっとした目で「なんですか」と低い声で言い放つのだ。

「そろそろ着く時間じゃないか?電話しなくてもいいのか?」
「構わないでください」
「外へ行くのが億劫なら隣の部屋にでも呼べばいい」
「・・・結構です」
「連絡してやったら喜ぶと思うが」
「放っておいてください」

これは頑なだ。とレスター指揮官は呆れるような仕方ないというようなため息をついてみせた。

「しかし祝いの品を決めなくてはならないんだろう?折角二人からの祝いにしようと言ってるんだからそれは決めてやらないと」
「・・・」

ようするに、手紙の彼女に会いに行く自分、という事実がニアの気持ちを引き止めているのだから、その焦点を別のものに摩り替えてしまえばいいのだ。行きたい、のではなく、仕方なく赴く理由がある、ということにすればニアもその責任を背負って重い腰を上げざるを得ない。いや、そんな責任など軽く跳ね除けることは容易だが、本当は会いたいのであれば、些細な理由でいいのだ。体裁を整える理由になればいいのだ。

「・・・では、しばらく席を外します」
「ああ」

口唇を尖らすようにつぶやくニア。
レスター指揮官が真意を隠した言い回しをしたことも理解しているだろうが、それにあえて乗ったのだろう。
ニアにこんな表情や態度をさせる、その真っ白な手紙と花びらの主を是非見てみたいものだ、とレスター指揮官はまた小さく笑みをかみ殺した。

「・・・なんですか」
「いや、なんでもない」

やはり目ざといニアは、それを鋭く察知してはじとりと目を細めるのだけど。






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