イスとりゲーム




あの日は外の風が強くて、次第に雨まで降り付けて、窓がガタガタと揺れて外のおもちゃもコロコロ転がって。まるで嵐みたいだなんてわくわくしてたんだけど、夜になると怖くも感じた。暗い世界と大きな音がどうしようもない不安を運んできた。こんな日は早く寝てしまおう。嵐が過ぎればきっと雲ひとつない、いい天気になるはず。そう思って、いつもよりほんの少し早めにベッドに入って明かりを消した。

「・・・」

そして時間も経った夜更けだった。
すっかり寝入っている夜半過ぎ、体の上にふわりというかずしりというか、重みを感じた。夢の世界にいたはゆっくりと現実へフィードバックしてきて、ゆっくりと目を開けた。
それでも真っ暗な部屋、その上夢か現実かの境を移ろう意識の中。聞こえるのは風が窓を叩く音。目に見えるのはくるんと巻いた毛先の影。徐々にはっきりとする視界と意識の中で、柔らかくて生暖かい感触を口唇に感じた。

「・・・」

これはなんだ?
目を覚ますために数回瞬きを繰り返していると、ふ、と口元で吐息を感じた。暗い部屋の中でほんの少しだけ外から滲む明かりが、目の前の何かをきらりと反射させた。重い前髪に隠れた、大きな瞳。

「ニ、ニアっ?」

ビックリして起き上がろうとしたところを、「し、」と口に指を当てられた。広い部屋を半分に仕切るアコーディオンカーテンの向こう側では、同じ部屋の女の子が寝息を立てて寝入っている。それにも気がついて、ドキドキ鳴っている心臓と一緒に音を抑えて、小さく小さく口を開いた。

「ニア、何してるの?」
「眠れないんです」
「そう・・・。で、ここで何してるの?」
「眠くなるまで相手してもらおうと」
「・・・あたしは、眠いんだけど」
「起きてください」
「ひゃ、」

目の前でまるでいつもの調子で話すニアは、一瞬体を起こすと自分ととの間にあるふとんを剥ぎ取った。ふとんのぬくもりから追い出され、ヒヤッとした外気に晒されたは寒さに体をすくめる。その上からまたのしっと、ニアの体が覆い被さってくる。厚手のふとん一枚向こうで感じていたニアの体の重みが、その体温と共にずっと近くに張り付いた。

「ニア、どーしたの、」
「別にどうもしません。ただ眠れないんです」
「だったら、ミルクでも入れようか。ここにいたって眠くなるわけでもないでしょ?」
「だから眠くまるまで相手してください」
「・・・っ」

ぺロリ、ニアの生暖かい舌が首筋を逆撫でする。腰を据えていただけのニアの体がベッドの上に乗りあがってきて、ギシッとその重みを伝えた。ニアの跳ねた毛先が首回りにチクチクと当たるのをくすぐったく感じている間に、なんとも流れるような動作でプチプチとボタンが外されていった。

「待ってよニア、なんなの急に」
「何がですか?」
「眠れないからってなんでこーなるのっ」
「夜に突然会いたくなるのは不思議なことですか?」
「はぁ?何をニアらしくもないことをさらっと、・・」

片や邪魔な服など取り払ってしまいたいニア。片やこれを取られたらおしまいだと必死に服を握り締める。暗い中でもみ合う二人の声は小さな小さなものだけど、お互いの間に流れる空気は決して穏やかではない。それはそう、バケツが転がっていくほどの風が吹き荒れている外と同じくらいに。

「何が駄目なんですか。私が嫌いですか」
「そーゆーことじゃなくて、なんで急にこーなるのって話で・・」
「好きだからですよ」
「だ、だからって、・・」
「好きですよ
「ほだすなっ」

まったく調子の変わらないニアの言葉に信憑性なんてものは欠片もない。それでも止まらないニアの冷たい指が柔らかな胸を弄んで、その柔らかい肌に口唇がきつく吸い付いて痕を残す。

「ニアっ」
「イスとりゲームみたいなものです」
「え?」

胸の中で熱い吐息がかかって、肌に舌を這わせながらニアの口唇が動いた。

腕を伸ばしての目の前まで顔を持ってきたニアがの目を見下ろす。その目は光を含まず、夜の空気のように暗くて冷たくて、でも何かを押さえつけるような、まさに嵐の前の静けさ。

「この場所はひとつしかない。この場所にいられるのは一人だけ。うかうかしてたら誰に先越されても文句は言えないんです」
「・・・なにそれ、早い者勝ちってこと?」
「この場所をとるためなら多少無理もしますよ。先越されたら負けです」
「・・・」

ニアは、目先の勝ち負けに拘るような子ではない。自分の欲求には貪欲なほどに素直で、自分で信じたことは何に妨げられても曲げない。柔らかな見た目ほどにはわからない芯の強さが言葉の端々から滲み出る。成績だけじゃなくなんて頭のいい子だろう、と何度思ったことだろう。

確かな言葉を降らすニアが、降ってくる。
暗がりで肌寒い部屋と窓を叩く雨の音。
ニアの独特な世界が現実を侵食してまでも、襲い掛かってくる。

パチンッ・・・

小さな小さな、でも大きかっただろう音が、の掌とニアの頬が合わさった瞬間に響いた。赤くなることもないほど力のない衝撃だったけど、ニアの瞳を揺らすには十分だった。

「私はイスじゃないし、ましてや賞品でもない。勝ち負けでこんなことするなら、私は誰よりも貴方を軽蔑する」
「・・・」
「どうしたのニア。どうしてそんな目をするの?何かあったの?」
「・・・・・・、」

重い前髪に隠れて見えないニアの顔。
いや、きっとニアは隠しているんだ。誰にも見られたくないその表情を。
その感情を。

の顔の隣に頭を沈めて、ニアはきゅっとの体に抱きついた。ニアの毛先が揺れている。肩が揺れている。震えるほど強くを抱きしめている。の髪を握り締める手も、首に当たる頬も、外気に晒された背中も、ヒヤッと冷たい。骨がしなるほど、ニアの力は強かった。

「・・・・・・Lが、死にました」

なのにその喉を通る声は、風の音が消し去ってしまいそうなほどに弱かった。

「・・・うそ」
「本当です」

そう、つぶやいてみたけれど、真実を確かめる必要などなかった。
ニアがそんな、嘘をつくはずがなかった。

「次のLを決める前に死んでしまったのでロジャーは私とメロの二人で継げといいましたが、メロがそれを承諾するはずもなかったので、メロもさっき出て行きました」
「メロが?」
「私はLを継ぎます。これからはその方向で動いていきます」
「・・・ニア・・・」
「・・・」

ニアはそれ以上、何も話さなかった。
これからどうなるのか、どうするのか、にどうしてほしいのか、何も。

小刻みに震えるニアの体はまだ痛いほどにを抱きしめる。まだ冷たい嵐が吹き荒れる中、不思議との胸に宿っていた不安や恐怖はなかった。それよりも、力をこめるニアが震えるのをどうにかして止めたくて、も精一杯にぎゅっとニアを抱きしめた。

確実に変わっていく時の中で、今だけはじっと佇みたくて
時間さえ止めてしまうほど強く、二人は力をこめた。

たった一つのイスが空けられた。
唯一尊敬できた人。

そのイスを奪い合う事もなくなった。
ずっと競い合ってきた人。

そのイスに腰掛けて、ニアの歯車も急激に加速していく。
でも今は、今だけは、ほんの少し考えることを止めさせて欲しい。
慌しい時と時の境で刹那にぽかりと空いた間に、ただ強く求めた。

ただただ、愛しい人。





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