Time as Yellow




廊下の角を曲がると、キャアアッと折り重なる女の声がざわめきたった。
起きたばかりの頭にはキンと響いて、バチッと目を開ける。
冴えてきた視界には女が何人か見えて、その奥には体育館への入口があって、目的はそこだからそのまままっすぐ歩いていった。

「流川くん、がんばってね!」
「応援してるわ流川くん!」
「流川くーん!」

コートに入って挨拶して、一度キュッとシューズをならす。

「どーした流川、今日はなんか”ウス”の声が元気じゃない?」
「そースか」
「なんかいいことでもあったのー?だったらあの子たちにもちょっとくらい応えてあげなさいよー」
「べつになんもねーし」

持ってたタオルとペットボトルを壁際に置き、カゴからボールをひとつ取ると腕の筋肉を伸ばしながらゴールの前へと歩いていった。ダムダムとボールをつくと床は音に合わせて振動し、腕を上げて構え放ったボールは天井からぶら下がるゴールの網をくぐる。

「ルカワァッ!テメェいつもいつも、あのうるせぇ女どもさっさと黙らせやがれぇ!」
「こら!コートに入ったらまず挨拶よ桜木花道!」
「そーだぞ花道!アヤちゃんの言うことはぜったいだ!」
「アンタもよ!」
「いでっ!」

入口でキャアキャアけたたましかった声は、重い扉が閉められると同時に遠いものとなった。けど、そのあと響いたドアホウな声も、2度ほど弾いたハリセンの音も、同じくらい騒がしい。
その後、ぞろぞろと部員が全部集まってくるとキャプテンの号令がかかり、暗くなるまで汗だくでコートを走りたくる。大会が目前に迫り日に日に熱が上がっていく部員たちとマネージャー。たまにカントク。

「流川くん、調子いいようだね」
「ウス」
「ホッホッホ」

自分ではいつも通りのつもりだけど、マネージャーやカントクには力が入ってるように見えたらしい。たしかに走りこみはいつもよりテンポ早く、試合形式の練習もゴールの数は増えている。予選が始まるから意気込んでるんだろうと周りは思ってるようだけど、今日は少し、違った。

陽が暮れていくと、高い天井の白熱灯に明かりがついた。
ガチンと大きな音をたてて針を動かす体育館のデカイ時計は夜の8時を指し示し、最後にゆっくりクールダウンして、今日もハードな練習が終わる。汗を吸い過ぎたシャツが重く感じた。

「あら流川、今日は早いじゃない。もう帰るの?」
「ウス」
「ケケケ、さすがのルカワさんもとうとう音を上げたか」
「さーて、アンタはまだまだパスの練習よ桜木花道」
「うげっ」

マネージャーに首根っこを掴まれて、赤い髪がコートの奥へと引っ張られていく。
他にも数人残ってそれぞれ足りないところを練習する部員がいる中、俺は床からタオルとペットボトルを拾い上げ体育館を後にした。
汗を拭いて、制服に着替えて部室を出る。入れ違いに会った副キャプテンが「お疲れ」と声をかけてきたから返事して、チャリに乗って学校を出た。

真っ暗で、なのにチラッと出ている星は街明かりにかき消されてよく見えない。
踏切に行く手を阻まれると、ガタガタと電車の音が静かな夜を切り裂いて、明るい窓から見えた車内の人たちが素知らぬ顔で通り過ぎていくと、夜は暗さと静けさを取り戻しバーが上がると同時にペダルを踏み込んだ。
さらに暗い団地に入ったところで、なんだかいつも以上に静かなことに気がついた。
そういえば、イヤホンを付けるのを忘れていた。
いつも学校の行き帰りには耳元でシャカシャカ音楽が鳴り響いていたのに、今は静かにカバンの中だ。それすら付けるのを忘れるくらいには、急いでいたらしい。
長く緩やかなカーブを曲がり、家にほど近い大通りに差しかかる。
すっかり暗い団地の道に、ポツンと明かりを広げる家があり、間に合ったとホッとした。

「あ、楓くん。おかえり」

明かりがもれてるところでキッとチャリを止めると、その音に気付いた中の人が、俺に目を留め店から出てきた。

「練習どお?がんばってる?」
「あー」

そこはこの団地に唯一ある小さな花屋。
家の庭を改築して建てた店舗に、埋め尽くすほどの花が所狭しと並んでいる。
その中でエプロンを付け袖をまくり表の花を片づけてる女は、昔からの顔見知り。
もう短大も卒業して就職したというのに、店じまいはいつも手伝っているらしい。

「あそうだ。ねぇ、湘北ってバスケ部強いの?」
「は?」
「今日職場の人と話してたらさ、翔陽?っていう学校の卒業生の人がいて、そこはけっこうバスケ部強いんだって。知ってる?」
「しらん」
「あれ、そーなんだ。でね、私も近所の子が湘北でバスケ部してるんだーって言ったら、湘北ってバスケ部強いの?って聞かれて。どうなの?」
「・・・」

俺がハテナを浮かべあさってのほうを見上げてると、そいつは俺の腕をバシッと叩いて、よそはともかく自分の学校のことは知っておきなさいよと説教くさく言った。

「よそを知らんから自分のとこがどんな位置なのかも知らん」
「楓くんそういうとこ考えなさそうだもんねぇ。ま、どんなとこでも楓くんがいれば大丈夫だよ。中学の時みたいにさ、楓くんがみんな引っ張って優勝しちゃえばいいんだもんね」

そう言いながら、そいつは暗い店先から明るい店内の、レジ奥の棚に振り返った。
そこには予約のブーケや店がオープンした時の写真と同じように、鈍く金色に光るメダルが飾られていた。俺が中3のときに県大会で優勝した時のメダル。

「どう?今年も優勝できそう?」
「ああ」

俺がさも当たり前のように言うと、そいつは高い声で笑って、がんばってねと付け加えた。
そう俺たちが店先で話していると、店の奥から店主のおじさんが先に片づけちゃえよと声かけてきて、そいつはハーイと返事をした。いつも店が閉まる8時半はとっくに過ぎていて、店の入り口に並べてある花を店の中へ片づけなければいけない。



俺は、ハンドルから手を離してカバンの中で財布をまさぐった。
そして、手に取ったサイフから千円札を一枚取って、そいつに渡した。
はその手を見下ろし、全部分かってる顔でまた俺に目を合わせる。

「楓くん、もういいんだよ」
「いらねーのか」
「そうじゃないけど・・・」

は毎年・・・、いや、年をくり返すごとにだんだん渋るようになってきたけど、俺が差し出した手を引かないものだから、うなづいて周りの花々を見回した。 その中から1本の黄色い花を抜き取り、別の色の花を組み合わせて小さく緑も散らして簡単な花の束を作った。たった千円じゃそのくらいのものなんだろう。それを店の奥で包みリボンを付けて、また俺の元まで出てくる。

「こんな感じでどうですかいお客さん」
「いんじゃねー」
「お客さん、去年のブーケ覚えてます?」
「赤かった」
「あ、覚えてるんだ。意外と記憶力はいいんだね、ボーっとしてるけど」
「うるせぇ」

今年は黄色い花の束を作ったは俺にそれを渡し、代わりに俺の手から千円札を受け取って「毎度ありがとうございます」なんて丁寧に頭を下げた。

でもまさか、俺がこんなものを買って帰るはずもなく。
俺は一度手にしたそれを、またそいつに差し出した。

「なんか・・・、毎年のことながらちょっと味気なくない?」
「オメーが作ったんだろ」
「そりゃこのブーケはかわいいよ?私が作ったんだし?でもやっぱさぁ」
「早く取れ」
「ハイ、ありがとうございまーす」

またペコリ、頭を下げ、は俺から自分で作ったブーケを受け取る。

「これでもう何回目かな」
「知らん」
「6回目だよ」
「知ってんじゃねーか」
「ふふ」

が花の束を持って笑っていると、また店の奥からおじさんの「早く明かり消せー」という声が飛んできたから、俺は足を地面から離しペダルを踏み込んだ。

「こらこら、大事な一言はどーした」

暗がりに走りだす俺の背中に、がそう声を投げかける。
それも毎度のことで、今さら味気ないけど。

「誕生日おめでとう」

静かな団地の町中、さして響きもしない声で発される、毎度の言葉。
それを受け止め、は手に持った花の束を振って「ありがとー」と答えた。

あいつの誕生日にあいつの作った花を買って渡すのは、これで6度目になるらしい。
これを始めたのは俺が小学生のころ、親から小遣いをもらい始めた時からだった気がする。それがはっきりといくつだったか、今年で何度目なのかなんてわざわざ数えたりしてないけど、ただ、これを始めたのはあいつが今の俺と同じ、高1になった時だったから、もうそれだけ経つのかと今さら噛みしめた。

あの時のあいつにやっと追いついて、でもあいつはまた先へ行っている。
どれだけ回数を重ねたところで、追いつくことはないと毎年思い知らされる。
これのほかにあげられるものなんて、いつまでたっても思いつかねぇまま。

シャカシャカ、暗い道をチャリで駆け抜けていく。
いつも耳の中でなってる音楽はなく、風を切る音を久々に聞いた。
ついこないだまで冷たかった空気は生ぬるく、次の季節を感じさせ。

「チキショウ・・・」

想い、想い、くり返し。

6度目の季節がくる。





Time as Yellow