クラゲ☆ワンダーランド




ねぇさん。
そう声をかけてきたのは、午後の授業をずっと寝ていた仙道くんだった。

「いつもはカーテン閉めて寝るんだけど、きのうは閉めないで寝たから部屋が明るくてさ。眩しくて起きて、時計見たら6時で、いや早いだろって朝一でつっこんじゃったよ」
「はぁ・・・」

授業が終わってもしばらくはチョコチョコ残っていたクラスメイト達も気がつけばもう誰もいない。みんな部活に行ったり帰っていったりそれぞれに放課後を楽しんでいるんだ。となりのクラスの子たちだって明るく楽しそうにおしゃべりしながらうちのクラスの前を通り過ぎていく。トーンの高い声でかわいくペチャクチャ、アイスが食べたいからコンビニに行くんだそうだ。

さんはアイスだとなにが好き?」
「え?えーと、チョコかな」
「俺は最近抹茶にハマってたんだよ」
「渋いっすね」
「それでこの間抹茶味のアイスを3つくらい買ったんだ、ハマってるからね。そしたらふたつめくらいであの渋さが口から離れなくなっちゃってね、今じゃ抹茶が嫌になっちゃったんだよ」
「たまにならいいけど、そればっかりだとキツイよね」
「そう、そうなんだよ。いくら好きでもそればっかりだとダメなんだよ。さんはチョコばっかりでも平気?」
「私はハマってるっていうかチョコレート中毒な域なので、そればっかりでも割と平気です」
「はは、チョコレートジャンキー?」
「うん。・・・で、さっきの話の続きは?」
「あ、そうそう。それでね」

仙道くんは思いだして、元の話に戻ってまた話しだす。
いったいこれが何なのかよく分からないが、仙道くんは今日の授業が終わるなり私を「ねぇさん」と呼びとめ、ちょっと話したいんだと私を元の席に座らせた。仙道くんは長い足でラクラク私の前の席のイスをまたぎうしろ向きに座って、机を挟んで対面しつらつらと話しだしたのだ。

「結局目が覚めて、そのまま起きて外を見たら空が真っ青でさ、テレビつけたらちょうど天気予報やってて、今日は1日いい天気で雨の心配もなく風も穏やかでしょうって言ってたんだ。絶好の釣り日和だよね」
「釣り、するの?仙道くん」
「うん、好きだよ」
「へぇ、知りませんでした」
さんは釣りしたことある?」
「うーん、子どものころに小さな釣り堀みたいなところに行って釣った魚を食べた記憶はあるけど」
「釣り堀か、じゃあアユかな、マスかな」
「あ、マス釣りだった気がする」
「うまいんだよね、刺身だとコリコリしてて」
「うんうん、おいしかった気がする。塩焼きとかもあった」

突然ぽっとよみがえった私の思い出話を、仙道くんはそうそうと笑って聞いていた。
仙道くんはだいたいいつもニコニコしてるイメージがあるけど、こうして面と向かって座ったことも、一対一で話したことも初めてだったから、本当にニコニコしてるんだなぁと今さら思った。

なんでもとてもバスケがうまいらしく、その上カッコいいしやさしいし気さくだしと、1年生の時から女子にとても人気のある人だった。けど私は廊下で見かけるたび大きいなぁとか髪下ろしたらどんな風になるのかなぁとか思ってたくらいで、同じクラスになったのは今年が初めてだった。

「あれ、で、何の話でしたっけ」
「何の話だっけ。あ、そうそう、それで、今日はすごく天気が良かったから釣りに行こうと思って、釣り竿持って近くの波止場に行ったんだよ」
「・・・え、今日?」
「うん、今朝」
「そういえば仙道くん、今日遅刻してきたね」
「うん、ずっと釣りしながらボーっと海見てたら、気が付いたら太陽がやけに高く昇っててさ、あれーと思って時計見たら10時で、ビックリしたよ、はは」
「ははって・・・、先生に怒られなかったの?」
「怒られたよ、職員室に呼ばれて遅刻の理由聞かれてさ、釣りしてましたって言ったらバカにしてんのかって」
「うん、すごくバカにしてるように聞こえるよ」
「そうかな。そのまま答えただけなんだけど」

・・・こうして改めて見ると、仙道くんってなにか・・・ヘンだ。
ヘンなんて言ったら悪いけど、ズレてるっていうか、天然さん・・・?
たぶん先生に怒られててもこんな風にニコニコしてたんだろうな。
怒られてる姿が目に浮かぶ。

それからも仙道くんは、海の様子や釣りの好きなところなんかをつらつらと語った。
見えない海の底を想像するのが楽しいとか、雲が流れてくのはずっと見てても飽きないとか、釣れたと思ったらワカメだったとか、その見た目とは裏腹にハズレみたいな話を冗談交じりにつらつらと。

いったい仙道くんは、なにがしたいんだろう?
人の気配が少なくなっていく校舎の中で、時々廊下を歩いていく生徒が窓の外から私たちに気づいて、なにしてんだろーとちょっと好奇な目で覗いて去っていく。これはこれは、もしかしたらよからぬ噂が立ってしまうんじゃないか?仙道くんは自分がこんな放課後の教室に、女と二人きりでいちゃいけない人間なんだと、自覚してないんだろうか?

「あのー、仙道くん」
「ん?」
「けっきょくのところ・・・、この面談の真意は、なんなんでしょうか」
「面談?」

誰もいない広い教室で、ひとつの机を間に挟んで相対している。
これで仙道くんが先生だったらこれはもう立派な面談だ。
でも仙道くんはまたハハと声を上げて、面白いこと言うねと笑った。

「うん、それで、けっきょくのところ、釣りをしてて思ったんだ。太陽が高く昇ってて、あーそういや学校行かなきゃなーって思って、でももうけっこう時間経ってたし、もういっかって」
「うん」
「そしたらさ、ふっと、さんのことを思い出して」
「え、私?」
「うん、さん」
「え?なんで、私・・・?」
「なんでだろ。とにかく、さんに会わなきゃって思って、そしたら俺学校に向かってたんだよね」
「・・・」

仙道くんは、まるで雲の行方を目で追うみたいに話す。
まるで海の中をふよふよ漂う、クラゲのような雰囲気で。

突然、キーンコーンカーンコーンとチャイムが教室になり響いた。
仙道くんの独白をどう受け止めればいいかわからず、あごを突き出して仙道君を見ていた私はその音にビクリと飛び跳ねた。
そんな私を、仙道くんはハハと笑って。

「オレ、さん好きだなぁ」
「・・・」

ふよふよ掴めない透き通ったクラゲが、ニコニコほがらかに笑う。
私は、まだ鳴り響いてるチャイムの中でぽかんと口を開けたまま。

さんてマンボウみたいだね」
「・・・」

分からない。つかめない。理解のしようがない。
でも目の前で仙道くんは、変わらずニコニコ私を見ている。
これは、なんだ。告白か?日記か?遅刻反省文か?

なんだか、ユラユラ穏やかな波間を漂っていたらいつの間にか陸も見えない沖まで流されてたみたいな。
突然激流に呑まれ右も左も上も下も分からない海の底に引きずり込まれ、もがいていたらなんとまさかの竜宮城が現れ、色とりどりの魚や海藻が入り乱れてダンスを踊りだし・・・、みたいな、とってもワンダーランドな世界に引きずり込まれていくかのようだった。

そして、そこではまるでクラゲみたいな王子と、マンボウな姫が。
手と手をとって今後の物語を作っていく、らしい。



クラゲ☆ワンダーランド





(コイツ、私じゃなくてマンボウを思い出したんじゃないか・・・?)