今まで、学校が嫌になることは何度もあった。
人に会うのが怖くて、笑われるのが怖くて、無視されるのが怖くて。
心の形が変わっていった。自分の存在が消えてくみたいだった。
「・・・」
安仁屋君が言った、明日の朝早く来いという言葉が気になって、次の日私はいつもより早めに学校へ行った。いつも溢れかえるほどにいる生徒は、この時間じゃ数えるほどしかいない。
そんな、開いたばかりの校門の柱にもたれて・・・湯舟君が寝ていた。
「あ、あの・・・、湯舟君・・・」
「・・・んー」
恐る恐る近づき声をかけると、ボサボサの髪の前髪をチョンマゲに結った湯舟君が、切っ先をユラユラ揺らしながら大きな目を開けた。ボーっとした顔で目の前にいる私を見上げ、その目がはっきりと意思を持つと湯舟君はバッと立ち上がった。
「にゃっ、ちゃん!?あれ、もーそんな時間っ?」
「湯舟君こそ、なんでこんなとこで寝てるの・・・?」
「あー、早く来すぎて、つい寝ちゃってー・・・」
「でも、今日から謹慎だって・・・」
「あー、そうそう、オレってば謹慎ちゅーだった・・・にゃあ」
「・・・」
湯舟君はなんだかバツが悪そうに、目線をそらし口をもごもごしながら。
もしかして湯舟君も、安仁屋君に言われて早く来たのかな。
「あのー、ちゃん」
「はい」
「そのー・・・、きのうは、ごめんなさい・・・」
「え?」
「ちゃんの友だちを、オレ蹴ってしまって・・・。そのー・・・、ついカッとなってしまってー、気がつけばエイヤーっと・・・」
「・・・なんで、カッとなったの?」
「え?えーっと、そのー・・・」
普段おちゃらけてふわふわしてる湯舟君が、恥ずかしさと、真剣に答えなきゃという思いが交差して、上手に言葉を吐きだせないでいる。なんとなく頬を赤らめてるような顔は、初めて見る。
「オレはー、ちゃんの友だちになりたいけど、あいつらと友だちになりたいとは、思えなかった」
「・・・」
「あいつらからちゃんのこと、取ろうって思った・・・。ごめん・・・」
ごめんなさい。
反省顔の湯舟君はとても丁寧に、ぺこりと頭を下げた。
「あの、違うの。同じクラスだけど、そんなに仲良くしてた人たちじゃなくて、きのうあの人たちが湯舟君にああ言ったのもべつに私のためとかじゃなくて、その・・・、あの子たちは私で遊んでただけっていうか、からかわれてただけっていうか・・・」
「・・・え?」
「だから、飛び蹴りは・・・どうかと思うけど、私は、そこまで・・・その・・・怒ってないっていうか・・・」
「・・・なんっだそりゃ!じゃーボコってよかったんじゃん!てゆーかちゃんで遊んでただとぉ!?ちょっともっかい蹴りくらわしてやるっ」
「あーあーあー!だから蹴っちゃダメだってば!」
「なんだよクッソー、謝んじゃなかった!」
また憤慨して学校に向かっていこうとする湯舟君のシャツを捕まえ引き止めた。
ていうかこんな時間に学校の中に入ったって誰もいない。
「あの、それより私も、湯舟君に謝らなきゃいけなくて」
「あやまるって、なにを?」
「あの・・・、私・・・」
今までずっと、湯舟君のことを見た目や雰囲気で決めつけていた。
そうされること、誰よりも哀しかったのは、私なのに。
「私、湯舟君みたいな人に、気に入られるほど・・・その・・・自分に自信がなかったっていうか、気に入られる意味が分からなくて・・・、湯舟君はずっとからかってるんだと思ってて・・・」
「からかってた・・・、オレが?」
「ゴメン・・・私、こんなだから、クラスの子たちにいろいろ言われても言い返せなくて、私のせいで湯舟君まであんな風に、笑われちゃったのに・・・私・・・」
ぐ、と、またこみ上げた。
こぼれそうで、息を止めた。
「ええっと・・・ゴメン、オレあんま頭よくないからわかんなかったんだけど、オレみたいな人ってどーゆー人?」
「その、湯舟君は、みんなに好かれてるし、いいなって言ってる子だっているし・・・、そういう、派手なタイプの人っていうか・・・」
「や、オレべつにみんなに好かれてないし。だってオレなんてついこないだまでゴミみたいな目で見られてたんだよ?オレが一緒にいて迷惑なのはむしろちゃんのほうでしょ。オレはちゃんがこーやってしゃべってくれてイヤなことなんていっこもない」
「・・・でも私、べつに、かわいくないし・・・、きれいでもないし・・・、その・・・」
「そこがぜんっぜんわかんない。ちゃんはかわいーよ」
「は・・・?」
「だってオレ、早くちゃんと仲良くなんないとぜったい他のヤツに取られるって思って、だから最近けっこうがんばって・・・、ってオレ、何言っちゃってんだにゃー・・・」
目の前の質問にただ素直に答えてました、な湯舟君は、突然自分の言動に恥ずかしがってまたあさって向いた。いや、恥ずかしくなるのは、むしろ私のほうなんだけど・・・。
「えーっとぉ、じゃーもう、ハッキリゆっちゃうけどー」
「は・・・はい・・・」
長袖のシャツとジャージにサンダルで、起きたばっかりみたいな恰好の湯舟君は、袖に隠れた手でゴシゴシ顔をこすって、緊張してるみたいだ。今までずっと湯舟君としゃべってたのに、今になってどんどん、胸の音が大きくなっていく。
「そのー、だにゃあ・・・」
「・・・」
「ちゃんが世界で一番大好きだにゃー!!」
生涯聞いたことのないようなセリフを、言ってきたのは目の前の悩ましい湯舟君、ではなく。
「あ!お前らぁ!」
校門から続く柵の向こうから顔を出している、関川君だった。
他にも岡田君に、桧山君に若菜くんに、安仁屋君や八木さんまで・・・(いつから!)
「てゆーかいま大事なとこだにゃー!」
「オメーがいつまでもうだうだしてっからだろ」
「ちゃーん、湯舟クンはチャラいけどマジだよー」
「ニャーニャーうるせーから早く引き取ってくんねーかなぁ」
「心配すんなよ、湯舟のシュミがワリーのは今に始まったことじゃ・・」
「若菜ッ!」
「もう問題起こさないよーにしっかり首輪つけといてよね!」
柵の向こうから声を張り上げてくる野球部の人たちに向かって、湯舟君はニャー!と叫びながら突っ走っていった。逃げ出すみんなを追いかけて、柵をぴょんと軽く飛び越えて。
みんな、こんな早くに学校に来て、湯舟君のこと心配してたのかな。
からかって、笑いあって、でも私が感じてきたような嫌な空気はぜんぜんない。
だってあの人たちはきっと、ほんとに湯舟君のために。
「つか湯舟、お前謹慎中だろ、うち帰れよ」
「そーだ帰れ帰れ!お前のせーで部活禁止になったら殴るぞ」
「帰るよー、朝メシ食ってないしー。ハラ減ったにゃあ」
だんだん全校生徒が登校してくる時間になって、めずらしくこんな時間から学校に来ている野球部の人達を見ながらみんな昇降口へと入っていく。みんなと一緒に学校へ行けない湯舟君は、眠そうにあくびを放ちながら散らばる髪をぐしゃぐしゃ掻いて。
「湯舟君、ここんとこずっと朝早く来てここでさんのこと待ってたんだってさ。遅刻常習犯なクセしてさ、毎日早起きしてたんだって」
「・・・」
「そんなこと、冗談じゃしないよ」
安仁屋君が言ってたのは、そのことだったんだ。
朝ごはんも食べないで。だからお腹が空きすぎて3時間目で学校抜け出しちゃうんだ。
「ちゃーん、一緒にメシ食いに行こーにゃー」
ああやって、私の心を囲う壁も、軽く飛び越えてきてくれるのかな。
この人は、信じて大丈夫なのかな。
「・・・えっ?や、私は、学校行かなきゃだし」
「ええー、いーじゃん学校なんてー。一緒に自宅謹慎しよーにゃー」
「えッ、し、しませんっ」
「ぎゃははっ、湯舟フーラーれーたー!」
「そんにゃあ〜」
小さく怖がりな心は、なかなか開放的になってはくれないけど。
男の子のとなりを歩くのも、名前を呼ばれるのも、好きといわれるのも、まだまだ慣れないけど。
私にだってその価値があると、思いたい。信じたい。
「じゃー学校終わったらまた来るから、一緒にかえろ?」
うつむいてたら、流れ星にも気付けない。
「うん」
不安げに覗き込む湯舟君をまっすぐ見て。
うれしいならうれしいとちゃんと笑って。
今日から私は、ちゃんと前を向く。
キラキラ笑顔の湯舟君に、手を伸ばそう。