クリスマスの約束




今日という日ほど、怖い日はない。


「あれ、三上どっか行くの?」
「おお」
「まさかクリスマスだからってデート?!俺たちがこの寒い中練習に駆り出されるというのに?!」
「ガンバッテネ」
「むっかつく!」


練習着で玄関に現れたチームメイトたちは、コートにマフラーと、外出着な俺に集まってきた。高校選手権も真っ最中。いつもなら俺もこいつらと一緒に、雪も降りそうな寒さの中、グラウンドに向かってるはずだ。


「お、なんだよプレゼント?」
「腐ってるけどな」
「なんだそりゃ」


毎日のハードな練習、しかも今はこんなクソ寒いグラウンド。今年こそ全国制覇しようって言ってる最中にレギュラーが練習を抜けては、あんまりいい気はしないだろう。
それでも文句言ったり蹴ったりするだけで誰も引き止めはしないあたり、みんな事情を知っていて、それはありがたくもあり、申し訳なくもありって感じだ。


「三上」


みんなと別れて校門へ歩いていってる途中、うしろから渋沢が追いかけてきた。振り返った俺の前で止まって「忘れ物」と俺に掌サイズの小箱を差し出す。


「・・忘れモンじゃねーよ。置いてったの」
「せっかくだから持っていけよ」


笑みを口元に携えて、まるでこっちの気持ちなど見透かしたように見てくる。手を出さない俺にほらと促がして、手に持たせる。掌サイズの小箱。


「俺からもってよろしく言っといてくれよ」
「聞こえねーよ」


俺の憎まれ口なんてものともしないような顔で微笑んでくるコイツを前に、仕方なくその小箱をポケットに突っ込み、歩いていった。


今がクリスマスなんだなぁと改めて思う。
道路に並ぶ木々には赤いリボンが飾られていて、どこの店もサンタやリースやらリースやらが彩られて、この寒いのに男女は寄り添って練り歩いて、一年に一度の今日を無意味に祝う。普段学校の敷地からロクに出られないせいで世間とはある種隔離された世界にいるものだから、まるで浦島太郎な気分だ。

バカくせ。

寒さに肩をすくめたら思わず口をついた。こんなこと言うなんて、俺が寒い証拠?あまりに自然にこぼしてしまった言葉に自嘲した。と言っても、去年はこの世間と同じように、バカみたく浮かれてたっけなぁ。なんか遠い昔みたいで思い出せないけど。


電車とバスを乗り継いで行き着いた先は病院。そう頻繁に来てるわけじゃないけど、来る必要がなかったころに比べれば断然増えた。病院の中はさすがに外の気温も忘れるほどに暖かい。去年も同じこと思った気がするけど、年の瀬は質素な病院も大賑わいだな。

そんなロビーを抜けてエレベーターにのって病室に向かって、『』と書かれた札のドアを開ける。

部屋の中は、もっとあったかかった。誰もいなくて、真ん中にあるベッドにいつものようにが寝てるだけ。いつ来ても変わらない景色。ああ、枕元に小さなリースが置いてあるあたり、こいつも世間から隔離されていながらも世間同様クリスマスを味わっているようだ。
マフラーを解いてベッドに近づいて、を見下ろした。


「よぉ」


目を閉じて眠っているに声を降らしたけど、返事どころか笑いもしない。
まぁ、分かってたことだけど。

俺とだけの静かな部屋は、暖房の音だけがうるさかった。でもそのおかげで、黙っていても苦痛はなかった。あまりに静かだとお前がしゃべらないことが、痛いじゃん。昔から二人でいても、お前ばっかしゃべってたしな。


「・・・」


お前、いつもいつも俺に、何しゃべってたっけ。飽きもせずゲラゲラ何に笑ってたっけ。なんでお前、あんな楽しそうだったんだっけ。俺は、なんも思いつかねーっつーのに


に背を向けてベッドに腰掛けて、持っていた紙袋をの枕の横に置いた。真っ黒な、ちょっと上等な紙袋。中には、さらにちょっと上等そうな、箱。


「知ってるか?今日はクリスマスだってよ」


もう、というか、まだ、というか、あれから一年が経ったんだな。


とは、高等部にあがってから付き合いだした。って言っても付き合うなんて感じじゃまるでなくて、付き合おうなんて話になるまで1年かかったっけ。付き合ってみても大して変わりなくて、初めて付き合ってるらしいことしようとして約束したのが、クリスマスで。あの年は全国行く前に負けて、ひそかにクリスマスを楽しみにしてたお前の前で俺ずっといらいらしてたっけなぁ。

約束した当日も、お前が待ち合わせ場所に全然来ないもんだからいらいらして、でも、あまりに何時間も来ないもんだから、だんだん落ち着かなくなってきて。だって、そもそもお前が俺を待たすこと自体、それまでなかったし。

ましてや、お前がひそかに楽しみにしていたクリスマス。渋沢やほかの連中に俺のこと聞きまくってプレゼント考えてたクリスマス。バレバレだっつーの。俺に隠し事なんて100年はえーって。


の事を聞いたのは、時間が迫って仕方なく寮に戻った後だった。何十回、ひょっとしたら百回してたかもしれない電話がようやくつながって、開口一番文句言ってやろうとしたけど聞こえたのはの声じゃなく、俺は口を閉じた。

その時の電話は、あまり覚えていない。


紙袋から箱を取り出して、開けた。


「腐ってねーな。ちゃんと生きてら」


箱の中では、静かに時を刻む秒針がこの一年間、箱の中でちゃんと動いてた。俺たちの時間はあの日に止まった気でいたけど、ちゃんと動いてた。


「これいくらしたと思ってんだよ。一年お蔵入りにしやがって、もうやんねーぞ」


の上で見せびらかすように掲げて言ってやる。
それはもうあたしのものだ。
が言いそうで、少し笑った。


でも目すら開けない。時計を持った手を下げて、箱の中にしまって枕元に置いた。


「最近、いろいろ考えるんだよ。サッカーしてても学校行ってても誰かとしゃべってても、すぐお前が頭ん中戻ってきて、笑っててもすぐさめる。お前が寝てる間にもう学校も終わりだし、寮も終わりだし、周りはどんどん変わってくけど、お前はずっと変わんなくて」


が学校に来なくなって、最初はみんな心配したり会いに行ったりしてたけど、今でもを気にかけるのはよっぽど仲がいいやつだけで、当たり前だけど。


「ずっと寮にいて、ずっと今のままだったら何も考えなくてすむんだろうな」


でも時間は止まりやしないし、当たり前に毎日は過ぎていくし、気がつけば最後の3年でもう冬で、もうすぐで卒業で。そしたら、その先どーなるんだ?

お前のことを考えると、体の奥が重くてしょうがない。
あの日約束しなけりゃお前はこんな目に遭わなかったかとか、おれが迎えに行けば良かったかとか、付き合わなきゃ良かったかとか、そもそも出会わなきゃ良かったんだとか。そしたらお前、今でもバカみたいにゲラゲラ笑ってたんじゃないかとか。
約束なんか、しなきゃよかったかな、とか。

お前は指先ひとつ動けなくなって、俺はどんどんお前に向き合えなくなってく。俺のせいじゃないなんて、きっと誰もが言うだろうけど、でも俺はお前に笑い飛ばしてもらわないと、気が晴れる日なんて来ない気がする。

正直、マジちょっと、つらい。


ガチャ、と俺とだけの静かな部屋のドアが開いた。ドアの向こうから入ってきたのはの母親で、それを見て俺はベッドから立ち上がった。軽く頭を下げるとその人はにこりと笑って、その顔がまた似てるんだ。


「亮君、来てくれてたの?」


あの日、やっとつながった電話に出たのはこの人だった。皮肉にもそれが俺とこの人の初対面となったわけだけど。(電話じゃ、対面とは言わないか)


「寒いのに来てくれて、ありがとうね。今日は練習はないの?」
「休みです」
「そう。でも勝ち進んでるでしょ?大変な時期なのに、ありがとう」
「いえ」


ベッドのほうまで入ってきたの母さんは、ベッドの中のを見て、その隣に置いてあった時計の箱を見た。


「これ、亮君が?」
「一応、クリスマスなんで」
「そうね、ありがとう」
「去年の、なんすけど」
「ああ、貰えなかった物なのね。喜ぶわ」


この人は、最初の対面こそやっぱり落ち込んで泣きじゃくっていたが、それ以来まったく沈んだ顔を見たことがない。ああ、の母親なんだなと思った。


「あの、じゃあ、失礼します」
「あ、もう?」


二人になってしまうと居づらくて、マフラーを巻きなおした。ポケットに手を入れて、少し考えたけど、そのまま部屋を出ていった。


「亮君」


歩き出すとすぐに呼び止められて、近づいてくるの母さんはやたら真面目な表情をしてた。


「あのね、もう、無理しなくていいのよ?」
「・・・」
「もう十分よ。この一年、亮君がいてくれてよかったわ。本当はもっと早く言ってあげたかったんだけど、亮君が声かけてくれればが目を覚ますかと思ったから、なかなか言えなくて、ごめんね」


無理しなくていい、というその意味が、わからなかったわけじゃない。
俺がサッカーで行き詰ったり凹んだりしてると、お前はそれを敏感に感じ取っては、よく励ました。背中を思いっきり殴って、バカじゃないのって罵って、こんな風に、やわらかく笑った。

あいつがバカがつくようなお人よしなのも、いつでも気丈に振舞うのも、人を恨めない体質なのも、やさしすぎるのも、この人の血なんだな。


「あとは私たちで見守っていくから、もう亮君は、自分の人生を歩いたほうがいいわ」
「・・・」
「亮君、いろいろ大変なのよね。毎年この時期はがいつも言ってたし、進路もあるしサッカーもあるし、あなたはこれからまだまだ人生あるからいつまでもここにいちゃだめよ。あなたがこれだけしてくれて、もう十分よ」
「俺は、何も、」
「あなたをずっと縛り付けてるのは、も苦しいと思うの。だからもう、のことは気にしないでいいから」
「・・・」


酷く、罪悪感に駆られた。
この人が言ってくれていることは、俺が今、ついいま、に言いかけたことじゃないか?お前が寝続けて、俺は普通に生きてて、なんだか道は離れていって。自分の先にある道、お前の変わらない時間、俺たちの空白、痛い季節、後悔、不安、後悔。それらを全部、読み取られてたみたいで、・・・


「・・・俺は、義務でも、責任でもいいんです」


何を考えてたんだろう。お前はただ寝てるだけだというのに。


「約束してるんです」
「・・・」
「大会が終わったら、また来ます」




約束ね

頬を染めて、恥ずかしさを隠すようにそっぽ向いてるお前が言った。


『25日、6時。絶対よ?忘れないでよ?』


まるでガキに言い聞かすみたいに、初めてのおつかいじゃねーんだから。
約束、なんて、うれしそうに・・・。


一体何年越しの約束だ。目覚ましたら覚えてろよ。俺まだ、お前のクリスマスプレゼント何か知らないんだぞ。いつまでも勿体つけてんじゃねーよ。あの日の約束果たすまで、諦めることもできねーよ。


「ったく、世話の焼ける・・」


ポケットの中の、小さな箱を握りしめた。


今年のプレゼントは、まだあげない。今年がだめなら来年まで待ってやる。

だから、いい加減目を覚ませ。
ちゃんと目を開けて、ちゃんと俺を見て、ちゃんと笑って、言え。


「メリークリスマス」


・・・あ、渋沢がよろしくって言ってたの言うの忘れた。





クリスマスの約束

クリスマス企画2005作品