12月も終わろうとしている、寒い寒い日曜日。
その日は、1年の中でもいちばん好きな、心躍る日。
「なー、今日クリスマスだぜー?なんで練習あんのー?」
「クリスマスは明日だよ」
「イブだって大事だよなー」
「なに、彼女でもいんの?」
「・・・いないけど」
空は白くて、落ちてくる空気も冷たくて、とてもジッとなんてしてられない真冬。
だからってフィールドを何十周も走るのはつらそうだ。
「つか誰も彼女いねーのかよ!むなしー」
「誰かいるだろ誰か。藤代、お前いないの?」
「いなーい。若菜は?」
「いなーい」
「うははっ」
冬休みに入った最初の日曜日。世間のクリスマスムードなんてお構いなしに、東京都選抜チームは今年最後の練習に集まっていた。
都選抜だなんて、すごいなぁ。少し前まで、サッカー部もない学校で時間ばかり持て余してたのに。
翼先輩が転校してきたおかげでサッカー部ができて、毎日サッカーができるようになって楽しそうで。どんどん没頭していって、今じゃ、あんなに一生懸命なんだから、すごいなぁ。
「つかさ、こんなに寒いんだから雪降れ!って感じしない?」
「やだよ。雪なんか降ったら電車止まるじゃん」
「一馬電車止まったら家帰れねーもんなぁー」
「うるせーな」
「いーじゃん、帰れなかったらみんなで武蔵森泊まりにいこーぜ」
「お、いーねそれ。キャプテーン、寮泊めてくださいよ〜」
「いや、駄目だろ」
「ぶー。藤代ー、お前んとこのキャプテンノリ悪いぞー」
「キャプテン、めっ」
げらげらっ
グラウンドを走り回る団体から大きな笑い声が湧き起こる。なんだか、楽しそうだ。でもそれが監督の耳にも入ったらしく、西園寺監督のぴしゃりとした声が澄んだ冬の空気に響くと、笑ってた団体はそそくさと真面目に走り出した。
その一番後ろで、引っかかるようについて走ってた柾輝は、急にペースが上がったみんなからどんどん離されていく。それでも柾輝は急ごうとしないのだ。まったく、周りの何が変わってもちっとも動じないんだから。
フェンスに頬杖ついた手の下で、くすくすと笑いをかみ殺した。
もう日が暮れそうで、白けた空がさらにどんどんと明るさを失せていった。ハードな練習が終わった後の外周だ、少しずつみんなの速度にもばらつきが出る。
そうして小さく纏まっていた団体がどんどん間延びしていく中でも、一番後ろを走ってた柾輝は最初からまったく変わらない速度。ひとり、またひとり抜かして気がつけば、一番うしろではあるけど先頭集団で走ってる。
柾輝は昔から長距離走が得意だ。
そういう、自分の力とペースを維持する力が妙にあるのだ。
そのくせあまり競争意識はなく、小学校のときのマラソン大会で、どんどん抜かされていく遅い私の隣を、余裕な顔で一緒に走ってたのだ。
先に行っていいよ、と私は何度も言ったのに、喋ると余計疲れるぞって、ずっと隣を走るんだから、きっと一番にだってなれる柾輝が毎年マラソン大会の成績だけ悪かったのは、私のせいだといえよう。
「なー椎名、このへんってイルミネーションとかないの?」
「さぁ。駅前の噴水がライトアップされてたのは見たけど、しょっぼいよ。あれならうちの近所の家のほうがよっぽど豪勢な飾りつけしてるよ」
「あーあるよな、庭とか家に電球つけまくってる家。誰かんちしてないの?水野、お前んち金持ちっぽいからしてるだろ」
「・・・」
「あーこの顔はしてる!水野ってば意外とクリスマス楽しんでる〜」
「俺がしてるわけじゃないっ」
もうあたりが暗く、さらに空気が冷えていった頃、ようやく走り終わってみんなが土の上に座り込む。こんなに寒いのにジャージを脱ぐ人もいて、やっぱり動いてる人は違うなぁと思った。冷えた空気の中に火照った体から発される熱がもくもくと見えたりするのだ。立ってるだけの凍えそうな私とは正反対。
柾輝もさすがに疲れた様子で汗を拭って、ちらり、こっちを見た。
にこりと笑い返すと柾輝は少しだけ手を上げる。
もう少しだから、といったような気がした。
「つかさー、練習終わったらみんなでパーッとやらねー?」
「お、いーね!パーティーしよパーティー!」
「えー?男ばっかでパーティー?むなしー」
「いーじゃーん!みんなヒマだろー?なー郭、行くよな?」
「いかない」
「若菜ー。おまえんとこの郭ノリ悪いぞー」
「英士、めっ」
「ぎゃははっ」
監督の話も終わって、練習が終わり解散になったようでぞろぞろとみんながカバンを持って歩いてくる。
やっと終わったーと救われた気分になる私は、寒くてたまらない体を揺すりながら歩いてくる柾輝を待った。
「どこいくー?この人数だからなぁ。何人だ?えーと・・」
「じゃ、おつかれ」
「なに。こら黒川、おまえも帰る気か」
「べつにいーだろ?」
「よくねーよ、つきあえ!まさか約束とかないだろ」
「いや、あるし」
学校の門のところで、こっちに向かってきてた柾輝がみんなのほうに振り返った。なんだか、こっちを指差してるみたいで、周りのみんなの目が一斉にこっちに集まった気がした。
「な、なにぃ!?実は練習中からずっとこっち見てるあの子は誰待ちなんだろーとか思ってたけど、まさかおまえだったのか!」
「黒川に女!黒川に女!!」
「落ち着け藤代、あれはマサキの双子のいもーとだ」
「ふ、ふたごのいもーとっ?」
柾輝との距離が少しずつ近づいてくと、突然、柾輝より他の周りの人たちがどっと走って押し寄せてきた。
「わっ・・」
「ふたご?うそだ!似てない!黒くない!」
「そこ基準かよ。でも同意見だ。似てない!かわいい!」
「黒川が双子だったとはなぁ。名前なんてーのー?」
「え、あ、・・」
いきなり取り囲まれて、いくつもの口から言葉が応酬して、どの言葉を聞けばいいのか、どの質問に答えればいいのかわからず私はただ、何も言えずにおろおろしてしまって。そうしてると目の前の人が後ろにぐいとひっぱられ、その向こうに柾輝が見えた。
「おまえら無駄に近寄るな。意味があっても近寄るな」
「うわ、黒川が怒ってる。めずらしー」
「じゃー妹もいっしょにくればいーじゃん。早くどっかいこーぜ、寒いっ」
「いかねーよ。、行くぞ」
「椎名ー、黒川がノリ悪いぞー」
「いや、あればっかりは俺が何言っても無理」
何か、約束でもあったのか、みんなが柾輝を誘ってるようだ。
今日はクリスマスだし、どこか遊びに行くのかもしれない。
「柾輝、いいよ、行ってきても」
「いかねーって。ケーキ買って帰るんだろ?」
「そんなの私ひとりでいけるし」
「じゃーおまえ何のために待ってたんだよ。こんな冷たくなって、あー手ぇつめてーな、てぶくろ持って来いよ」
「ごめん」
「ほら、帰んぞ」
柾輝はまだ熱を帯びた手で私の冷たい指先を握りこむ。
柾輝の熱が移って、氷みたいな私の手は溶けていくように緩んで、寒さで痛かった指も鼻もどこかへいってしまったみたいだった。
そのまま柾輝は私の手と一緒に手をポケットにぐいと押し込んで、後ろにみんなにじゃーなと言い置きして歩き出し、私がみんなに頭を下げてるのにお構いなしにぐいと引っ張り歩いていった。
「あれ、ほんとに兄妹か?」
「てか黒川キャラ違・・・」
「だから言っただろ。何言っても無駄だって」
「・・・なるほど」
すたすたすたすた、柾輝の歩く速度は速くて、歩幅も大きくて、引きずられるみたいだった。そもそも柾輝は男の子だし、私は女だし。変わってくのは仕方ないんだ。
柾輝はどんどん、先へ行ってしまうし。
遠いところへ行ってしまうし。
「ねぇ柾輝」
「んあ?」
「チームの人と一緒に行ったほうがいいんじゃないの?」
「なんで。お前との約束のほーが先だったじゃん」
「私は、いつでもいいじゃん。うちでなんていつでもできるし、毎年してるんだからさ」
柾輝には柾輝の世界がある。柾輝には柾輝の道が待ってる。
柾輝はもっと、先へ、前へ、行ける人。
「柾輝・・・」
いつまでも、私なんか待ってないで、先に行ってしまえばいいんだよ。
本当は柾輝は、一番にだってなれるんだから。
「あのなぁ、」
柾輝の足がピタリ止まって、私も柾輝にぶつかる直前で止まった。
「俺はいつだって好きなほーとってるだけだって。わかってんだろ」
「・・・ん」
よし。そう一度うなづいて、柾輝はまた歩き出した。
すたすた、すたすた。さっきよりずっと、ゆっくり歩いた。
「なんのケーキ買おっか」
「イチゴだろ?」
「うん」
「2段になってるやつだろ?」
「うん」
遅い私に合わせて、本当はもっと早い柾輝はいつだって。
私と一緒にゴールテープを切ってくれる。
クリスマス企画2006