LONG STORY




空に広がる星空すらかすむ。この時期の街の眩しさには。
そんな季節を盛り上げるかのごとく、その夜、今年初めての雪が降った。
俗に言う、ホワイトクリスマス。

しかしそんな幻想的な気象に心を沸かせるのは、手を取り合う相手のいる男女だとか、ベッドに靴下を吊り下げる少年少女だとか、その靴下にプレゼントを押し込むパパやママだとか、とにかく、身も心も満たされてる人くらい、なのだろう。

そんなことを言うからには、自分はさぞかし寒いクリスマスを迎えるのだと思われるが、弁解の余地なく、まさにその通りなワケで。
てか、クリスマス直前にフラれるって、どーよ。私には恋人同士の3大イベントを一緒に過ごす程の未練もないのか。いや、恋人ではいられないから恋人同士のイベントも過ごせないというのなら、彼はさぞかし固い意思と理想を持った人だったのかもしれない。
ご立派だこと。・・・悪態をつくために吸い込んだ息も冷たい。
行きかう恋人たちの波の間を縫うように、多少遠慮するように道の端を歩く自分も寒い。歩道の脇に並ぶ木に飾り付けられたリボンも風に煽られて飛ばされてしまえと思うほど。ああ、重症だ。

でも、別れることはうすうす、というか確実に、わかっていたのだ。
私は昔から、自分は恋愛をするタイプではないんだと思っていた。人並みに誰かと付き合ったり手を繋いだりキスしたりはすれど、この人と一生一緒にいたいだとか、この人を失ったら私は生きていけないだとか、酒を飲み交わす友達がこぼす思いに共感はすれど、自分の口からそれが出たことはない。
それを人は、まだ本当の恋をしたことがないのだというけれど、私は本当に、そんな人と出会えるんだろうか。まず人を見て恋愛したいと思わないのだ。酷いときは誰を見ても同じにしか見えないのだ。そんな冷え切った心じゃイルミネーションもかすんで見えよう。そんな思いはおのずと態度に出て、相手にも伝わるんだろう。今日私がひとりなのは、自業自得だった。


「いらっしゃいませー」

暖かい店内に入って、こんな夜中まで働いてるのも大変だ、と思う。私はどうせひとりだからと残業のひとつでもしようと思ったが、悲しきかな何も残った仕事がなかった。クリスマス前に残ってた仕事をすっかり消化してしまっていたからだ。深く後悔した。
店内にはお客さんが絶えずレジに並んでいた。この時期、ケーキ屋さんは地獄だと、ケーキ屋で働く友達に聞いたことがあるけど、かわいい制服でレジを打つ女の子の化粧のはげ具合を見てるとひしひしと身にしみて可哀想でならない。
ショーケースにはもうめぼしいケーキは残っていない。そりゃそうだ。いくらなんでもクリスマスも過ぎようとしたこの時間帯にケーキが残っていたらそれはそれで店の死活問題だ。順番に並んでる間に残っている僅かなケーキですらどんどん消化されていく。これではひとりぼっちの自分を慰める小さなケーキすら買えなさそうだ。

店から人がひとり、またひとりと出ていって店の雰囲気も少しずつ閉店に向かっていく。最後に並んでた私に行き着いたときの店員さんの笑顔といったら、なかった。でももう、ショーケースにはマフィンとか詰め合わせのお菓子とかしかない。それはそれでもいいのだけど、どうせなら、少しくらいクリスマスっぽいのもがよかった。

「クリスマスケーキですか?」
「ええ、でもやっぱり予約もなしじゃ残らないわよね」
「どのくらいの大きさのものでしょうか。今予約をひとつキャンセルされたケーキがあるんですけど、よかったらそれいかがでしょう」
「ほんと?じゃあそれいただこうかな」

店員さんからすれば、不幸中の幸い。
私にとったら、とんだ皮肉。
店員さんが奥から持ってきたケーキは小さなホールケーキで、まさにカップルがふたりでつつくために作られたようなかわいさだ。砂糖で作られたサンタクロースもいる。メリークリスマスと書かれたチョコレートの板もついてる。それはそう、私が想像していた通りのものだけど、それを目の当たりにした瞬間、妙な寂しさに襲われた。
でも買わないわけにはいかない。こんな小さなホールケーキを買わないとはいえない。いえば、きっとこの店員さんの脳裏によぎるんだ。「ああ、この人は一人用のケーキを買いにきたんだ。ホールケーキじゃ大きすぎるんだ」

私はさほど甘いものは好きではないけど、なぜか事あるごとにケーキを買ってしまう。食べ切れずに残ってしまうことが大半だけど、なぜか毎度買ってしまう。だからこのケーキも、そのまま買って帰ることにした。


最後の客が帰って、それは清々しい声が私を見送った。
外に出るとうすらと雪が道に広がっていて、この道の人通りの少なさを物語る。こんな時間に外を出歩くカップルはもっときれいなイルミネーションがあるところとか暖かい場所を求めて歩いていくのだ。誰もこんな極寒の、照明も飾りつけもない並木道を歩きなんかしない。

でも私はここが好きだった。なぜだか昔から、この場所が好きだった。
私がいないときはここにいる、というくらい周知するほど私はこの場所が妙に気に入っていて、今までいろんな人とここにきた。でも、誰もここがそんなに特別なようには見えないようで、早くどっか行こうよ言われるのがオチだった。
それを言われるたび私は思ったのだ。
この人とは先がないな、と。

きっと今頃、世界中でシャンパンが開けられていて、クリスマスソングが厭きるほど繰り返し流れていて、ツリーが重い雪を支えていて、チカチカと家や道が光り輝いてる。
それに引き換え、ここは真っ暗だ。
遠くのイルミネーションすら見えない、真っ暗で寂しい場所だ。


「・・・」

それは、夜の帳を、まったく壊さない声だった。
でもそれは私の頭に酷く響いて、まるで何かで殴られた衝撃を感じるほどぐらりと揺れて、私の意識をかっさらった。

なんだろう、この感覚。

声がしたほうに振り返り、暗い中でぼやりと浮かぶ人影に目を留めた。
そこにはひとり、この寒い中なんて馬鹿馬鹿しいほど薄着の男が立っていた。
見覚えは、まったくない。絶対に・・・とはいえないが、知り合いでは、ない。
でも私は、この人が誰か、ということを考える余地もないほど、その姿を目に焼き付けるように見続けた。

その人も私を見つめていた。
深い目で、刺すように時折細めて、悲しいような、愛しいような、

その目は、どこかで

「おひさしぶりです」
「・・・・・・え、と、」

私はようやく、喋らなければいけないんだと意識を取り戻した。
どうやら私に覚えがないだけで知り合いらしいその人の顔を必死で頭の中に検索をかけ、取り繕うように笑顔だけ放ち、最初の言葉を捜した。

「ごめんなさい、どこかで?」
「いえ、初めてお会いします。たぶん」
「は・・・?」

一気にわからなくなった。
私のことを知ってるんだと思ったのに、この男は初めてだといったのだ。なのにさっきは久しぶりといったのだ。なのに初めてだというのだ。わからない。

「でも今、私の名前呼びましたよね」
「あたりましたか?」
「・・・」

勘か。勘だったのか。
一体どれだけすごい的中率なんだ、と、私はだんだんこの人に化かされてる気がしてきた。こんなクリスマスの夜中にひとりで真っ暗な道を歩く寒そうな女をからかって遊んでやれとでもいうような。なんて最低な、暇な男なんだ。

「クリスマスだというのにおひとりですか?」
「ええ、おひとりですよ。貴方も十分寒そうだわ」
「ええ、あまり着重ねる服を持ってないので」
「・・・(そーゆー意味じゃなくて)」

静寂で夜暗な並木道で、その人と対峙していると、いつもいる日常の世界からどんどんとずれておかしな世界に迷い込んでしまいそうな気がした。それはまるで鏡の迷路に入ったときのような、確かな現実でありながら非現実で、確信を持って大きく道を踏み外してしまいそうな。

「ええと、私と貴方は、初対面なのよね?」
「ええ、そうでしょうね」
「今、初めて会ったのよね」
「ええ、おそらく」
「さっきからたぶんとかそうでしょうねとかおそらくとか、すごく信じられないんですけど」
「仕方ありません。私にもわからないんですから」
「・・・」

だんだん、この人が危ない人に見えてきた。新手のナンパなのか?よく見ればその風貌だってなんだか怪しい。じとりと深い位置から見透かすような視線もなんだか怖い。

それでも、ほんと、ほんとうに変なのだけど、
この人を無視して先へ歩いていってしまおう、という気にならない。

「・・・貴方、本当に寒そうだわ」

私は言うことがなくなって、目の前の人も何も言わなくなって、お互いいろいろと考えてはいるんだろうけど、言葉にならず、向かい合ったまま。そうしてると、本当に薄着のその人が凍えてしまいそうな気がして、私はマフラーを解いて、差し出した。いつもなら絶対にこんな怪しい人にそんなことはしないし、ナンパかもと思った時点で嫌悪すら感じるのだけど、寒そうなその人を見過ごせなかった。
ありがとうございます。
差し出したマフラーを受け取るその丁寧な口調は、少し、柔らかくなった気がした。

「時に、相談なのですが、本当に凍えてしまいそうなんです」
「そうね、そんな格好じゃね」
「それはケーキですか?」
「え?」

そう、彼は私の手元を見下ろして指差した。
すっかりと忘れていた、軽いケーキの箱。

「ええ、そうよ。クリスマスケーキ」
「どなたかと召し上がるんですか?」
「いいえ、残念ながら」

ふわり、ほんの少しだけ、彼の目も柔らかくなる。

「あたたかい紅茶でもご一緒にいかがですか」
「・・・」
「無理にとは言いません。私もこの状況はすごくナンパな気がして嫌です」
「おかしな人ね」
「よく言われます」

その丁寧な口調のせいか、私は呆れるほど警戒心がなく、笑みすらこぼれた。二つ返事で行くとはなかなか言えずとも、嫌だとは思っていなかった。彼と向き合っていればいるほど、おかしな錯覚に襲われるのだ。

私もこの人を知ってる気がする。
この人とずっと一緒にいた気がする。
なぜだか本当にわからないし、こんなことは初めてなのだけど、今この人と離れることは、死んでしまうことと同意義のような気すらした。

「本当に、私と貴方は今日初めて会ったのよね」
「ええ。でも、いつか約束した気がします」
「約束?」
「またいつか会いましょうという約束を」

約束・・・

・・・あれ・・・?

「・・・」

会いましょう、という言葉を、この人から聞いた気がする。
あれはいつだったか。
いつのことだったか。
まったく思い出せない。夢の中の出来事な気もする。

でも確かにいつか、そんな約束を、・・・

「でも、どうでもいいと思いませんか」
「え?」

つい今までの幻想な世界を打ち壊すように、その人は言った。

「会う約束はしたかもしれませんが、それからどうするかまでは約束していないでしょう」
「・・・ええ」
「今私と貴方が決めればいいことです」
「・・・」

彼は振り返り、道の先へと一歩、足を踏み出す。

「とにかく、そのケーキをご一緒しませんか」

絶対にその背を、見送りたくはないと思った。

「ええ」

明かりも音もない、寒い寒い冬の夜。
何のためらいもなく、その人の歩く道を、私も歩いた。
いまだに、狐に包まれているような気がする。
時折、後ろの私を確認するように振り返るその人の心配そうな目と、その直後のふわりと緩む目が、全部夢のような気がした。
それすら私は、いつか見ていた気までするのだ。

今まで誰とどれだけの時間を過ごそうと、全部偽物のような気がしていた感覚は、間違いじゃなかったのかもしれない。だって今はこんなあやふやな思いでいても、この人についていきたいと心底思ってるんだ。

それは、いつの記憶かわからないけど。
いつの思いかわからないけど。
確かに私が、この人に抱いた思いな気がする。

「あなた、名前は?」
「Lです」
「L?」
「ああ、間違えました。エルです」
「・・・。さっきとどこが違うの?」
「気持ちの問題です」

絶えず頭に疑問符が浮かび続ける私は、やっぱり、狐に包まれてるような気がする。
それでも私は、私の心の中は、痛みを覚えるほど詰まったあたたかさに満ちていた。





LONG STORY

クリスマス企画2006