冬が深まろうとした11月。深夜の1時。
チャイムの音で目が覚めて、その後何度もドアを叩く行儀の悪いノック音で体を起こした。
深夜の来訪者なんて非常識というより恐怖に近くて、冷えた部屋の中、上着を羽織って恐る恐るモニターを覗いた。画面に映った映像も薄暗くてよく見えなかったけど、男のようだ。堂々と映っているから強盗の類でもなさそうだ。受話器を取って「誰?」と声を通すと、映っている誰かが私の声に反応してモニターに顔を上げた。
『、俺、マット』
その声と名前を頭の中で認識して、初めて画面に映る誰かがはっきりした。
まさか、強盗より訪れるはずのない子だ。
ガチャリと受話器を戻して急いで玄関に向かいドアを開けると、その向こうにやっぱりはっきりと、マットがいた。
「マット、なんで、どうして?」
「ごめん、他に思いつかなくて、それよりこいつ・・」
「・・・」
焦ってうまく思考が回っていないようなマットのゴーグルの奥の目に気を取られていて、マットが肩に回していたもうひとつの腕に気づかなかった。その腕に目を留めてさらにドアを開けると、マットに担がれてようやく立っている、灰と黒に塗れた金色の髪がゆらり揺れた。
「メ・・」
メロだった。
随分背も伸びて体格もよくなって一見別人のようだけど、それは確かにメロだった。
目の前にいるだけで焦げ臭いような匂いが漂ってくる。
髪の先も焼けて肌も赤く腫れ、意識のないメロはぐったりとその目を閉じていた。
「酷い火傷・・・、どうしたの?」
「ちょっと、あの・・・」
「・・・いい、入って」
「悪い」
自分より大きなメロを担いでこんなところまでどうやってきたのか、マットは疲れた足取りでそれでも力を振り絞ってメロを運び込んだ。浴室まで連れて行ってタイルの上にメロを下ろすと、その振動で意識のないはずのメロは痛みに呻く。顔から体まで、本当に酷い火傷を負っていた。
「服脱がせて、そっとね」
「ああ」
邪魔な髪を結い上げて、メロの体にシャワーの水をかけ続けた。
服の下から現れた上半身の火傷はさらに酷くて、赤く腫れあがった皮膚についた水泡が破け、傷口から見える肉と血が生々しく爛れている。ケガや傷なんて見慣れているけど、それがメロで、それも数年ぶりに見た姿なのだから、とても直視できなかった。
「、メロ平気だよな、死なないよな?」
「火傷の範囲が広すぎるよ、出血も酷いし」
「頼むよ、何とかしてよ」
痛みか、熱さか、うめき声を上げてもがくように皮膚を掻き毟ろうとするメロの手を押さえつけて、ただひたすらに治療を続けた。動きにくい狭い浴室の中で、疲れてるだろうマットも隣で水をかけ続ける。そうして少しずつ治まっていくメロの呻き声が静かな寝息に変わる頃には、夜が明けていた。
私とマットは二人してシャワーの水とそれに溶けた薄い血でびしょ濡れだ。
メロの様子を見て私が「もう大丈夫かな」と呟くと、マットはようやくタイルの上に腰を下ろしてはぁと長い息を吐き出す。昔からいつもつけてたゴーグルをぐいと取って、久しぶりにその素顔を見せた。
「あー焦った。病院なんてまさか行けないし、当ての医者も連絡つかなくってさ」
「そう」
「がいてよかった。ありがと」
「ううん」
浴室の小さな窓から電気より明るい日差しが差し込んでいた。
そこは鳥の声すら聞こえるほどに静かな場所だったと、ようやく思い出す。
ぐるぐるに包帯を巻いたメロを見下ろして、まるでミイラだなと膝に頬杖つくマットが笑った。私もやっと少し笑って、メロの顔に張り付いた髪を傷に触れないようにそっと離していると、マットがぽつりと、ごめんな、と呟いた。
「なにが?」
「メロ、連れてきたりなんかして」
「ううん」
「まぁ、怒るのはよりメロだろーけどな」
狭い浴室で、静かなマットの声が反響する。
ぼんやり生まれて、解けて、最初からなかったみたいに消えていく。
「、一応だけど、俺らが出てったらどっかに引っ越したほうがいいぞ」
「うん」
「悪いな」
「うん」
私は、ニアにもアメリカから離れろと言われていたけど、ニアがいるならきっとメロもアメリカにいるんだろうと思ってここから離れなかった。どんな経緯と事情かは知らないけど、私はもちろん施設にいた誰もがニアのこともメロのことも人に話すことはないし、ここにいるためなら何度引越しをするも名前を変えるも素性を偽るのも厭わなかった。
少しでもメロの近くにいたかった。
そんなのメロは、嫌がったけど。
寝室に移動させたメロをじっと見ていると、そのケガは痛々しいまでだけど、メロ自身はそう変わっていないように見えてどこかほっとした。変わっていないことが安心なようで、不安でもあったのだけど、その髪色や睫、指先や肌の白があの頃を思い出させた。
眠っていてもメロは、昔のように穏やかな空気を出さない。
起きてもきっと、あの頃のようには笑わないのだろう。
寝入るメロの口からふと漏れる息が熱そうで、何度も包帯を替えて肌を冷やした。
きっと髪の毛の先が触れても痛むだろう、あまりに酷い火傷だった。
また、無茶なやり方ばかりしてるんだろう。
頭いいクセに、後先考えずに突っ走ってしまうんだ。
メロは。
腫れの引かない肌を見ていると、涙がきゅうと鼻に上り詰めた。
ぐすりと鼻をすすって、毀れる前に涙を拭った。
「・・・また泣いてるのか、おまえは」
「・・・」
静かに聞こえた声に気づいてメロを見ると、傷を負ってないほうの目がうっすらと開いて、私を見ていた。
メロの目に、映った。
「メロ」
ガタンと椅子から立ち上がってメロの顔を覗き込むと、メロはふぅと小さな息をついてまた目を閉じた。
「メロ、大丈夫?痛む?」
「・・・窓から落ちたくらいで、死なねぇよ」
「窓?」
「もうどこも痛くない。大丈夫だから、ずっとついてなくていい」
「・・・」
窓・・・
昔、施設にいた頃、メロが2階の窓から落ちたことがあった。
風に飛ばされた私の帽子を取ろうとして、窓から木に飛び移って取ってくれて、中に戻ろうとした時だった。
あの時もこうして、寝ているメロの隣で朝までずっとついてた。
私はひくひくと涙を引きずったまま、そんな私を横にしてメロまで眠れず起きたまま。
夜中、ずっと。
あの頃よりずっと低くなった声。ずっと大人びた顔つき。
「嫌なもんだぞ。おまえが泣いてる夢しか見ない」
「・・・」
私は昔からそうそう、泣いたことなんてなかった。
メロの前で泣いたのだって、きっとあの時だけだ。
きっとメロの中でその時のことが大きくて、ずっと心に残って、だから今メロの目に映ってる私は昔の私で、夢の中でだけ現われる肖像なんだろう。でなきゃきっと、こんなに穏やかな顔で笑わない。
泣くな
重い右手をぎこちなく上げて、メロは私の涙に触れた。
熱いような、冷たいようなメロの指先が、私の涙をさらう。
「・・・・・・」
「うん?」
「・・・」
涙に触れたメロの手が止まって、メロの目がじっと私を見つめた。
目の色が次第にはっきりとしていって、夢と現と、記憶と現在との間で彷徨ってるように。
「・・・、?」
メロの骨ばった指が頬に触れていた。
メロの大人びた目が私を映していた。
大人になったメロがそこにいた。
「もう、眠ろう、メロ」
「・・・」
「おやすみ」
小さくそう呟くと、メロの目がぼんやりと私を映したまま次第にその力を弱めて、
手も引いて、ぱたりとシーツに落ちて、メロは目を閉じた。
メロの手がいなくなったところにまた涙が流れて、でももう、メロを起こしてしまわないよに、息を止めて泣いた。
「メロ、起きたのか?」
後ろのドアから覗いたマットに気づかれないように、こくり、息をのんだ。
喉をきゅと締め付けて、涙声なんて、出ないよう。
「マット」
「ん?」
「メロが起きる前に、連れて帰って」
「・・・いいの?」
うん。
がんばったけど、最後の最後の言葉だけやっぱりぬれてしまって。
ぎゅうぎゅう痛いほど口の中を噛み締めてこらえたんだけど溢れてしまって。
死ぬほど、息を止めた。
今度メロの夢の中へ行くときは、ちゃんと笑ってでかけるんだ。
メロも、夢の中でくらい笑えばいいよ。
幻の世界の中でしかその心を解放せないなら、私はこの世界を全部、偽物に作り変えてしまってもいいんだ。
メロが痛い思いをしなくていいような、傷ついてしまわないような夢の世界を作り上げてあげる。
ずっと夢見た今日だって、夢にしてしまってもいいよ。
そうしてもっと、安らかに眠ってしまえばいい。
ゆっくりと歩いて、穏やかに微笑んで、醒めない夢に包まれればいいよ。
私はひとりぼっち、現実世界でひたすらそう、祈った。
クリスマス企画2006