その日は寒いのに、雪までは降らない。
北風は強いのに、おかげで雲が流れて綺麗な青空の覗く、冬の日だった。
もみの木に飾り付けた綿やおもちゃをひとつずつとって、来年また綺麗にお目見えできるよう大切にしまう。飾り付けるときはみんなあんなに賑やかに集まるのに、クリスマスが去った翌日はもうすっかり忘れてしまったような扱いだ。ぶら下がる発泡スチロールのサンタクロースに「お疲れ様」と思わずねぎらってしまった。
窓から見える庭に積もってる白い雪は、やけに大きな太陽に照らされて少しずつ溶けていく。白い雪が透明の水滴に形を変えて、キラキラ、キラキラ、反射して素っ気無い冬に光を差した。暖炉の中の薪が部屋を暖めて外との気温差を広げていくから窓にも結露がぽつぽつ生まれて流れ、暖かい部屋から見える雪は、その冷たさもウソみたく、この綿の雪のようにふわふわ暖かそうに見えた。
「ー」
がちゃり、ノックなんて知らない子たちが勢いよくドアを開けて、赤くなったほっぺで駆け込んでくる。寒さなんてものともしない元気さでどしんと抱きついてきた。
「何してんの、あそぼー」
「後でね。今ツリー片付けてるの」
「そんなの後でいいじゃん。外であそぼーよ」
「もう終わるから」
ぶーぶーと口先を尖らせて拗ねた顔で部屋を出て行く子達はなんてかわいくて、すぐ来てね、絶対だよ、と何度も振り返りながら嵐のように出ていく姿が愛しくてたまらない。血のつながりなんてなくてもこんなに愛しく大事だというのに。人間て、わからない。
「」
「はい」
今度はコンコンと丁寧にノックされて、その後開いたドアの向こうからロジャーが静かに顔を見せた。
「あとは私がやるから、みんなと遊んできたらいい」
「ううん、いいのよ。毎年のことだもの」
にこり笑って言うと、ロジャーもうなづいて返した。
そう、ツリーの後片付けは毎年私の仕事だったのだ。飾り付けるのが大好きなみんなからはヘンだヘンだといわれ続けたけど、みんなが彩ったツリーがその役目を終えたとき、ひとつひとつ箱に戻す作業のほうが私には断然楽しい作業に思えた。
だって、わかるのよ。低いところにいっぱいリボンが集まってると、マリーがつけたのねとか、落ちそうなほど雪がたくさんついてると、ソフィの仕業ねとか、飛行機や戦車の玩具が並んでると、今年もダニエルは車の玩具をねだってるのねとか。私はもうプレゼントを貰う年じゃないけど、小さい子たちが年に一度のこの日を楽しみにしてるところを見ると、私も楽しくなる。
今じゃ一番年長の私は、幼い子たちとはどうしても思い出が少ないんだもの。
みんなのこと、よく覚えておきたいじゃない。
「もう準備は出来てるのかい?」
「ええ」
緑の木にひっかかった最後の雪を取って箱に入れ、溢れる綿を押し込むように蓋を閉めた。
今年もお疲れ様。来年もみんなを、楽しませてあげて。
窓の外からきゃあきゃあと聞こえる騒ぎ声が、光る銀世界をさらにきらめかせるようだ。せっかくの楽しい声を、悲しい涙にしたくないじゃない。見えないところにどんな傷や闇を持ってるかもしれないあの子達に、飽き足りない幸せが宿ればいい。サンタクロースにだって神様にだって祈るよ。
物をねだらない子だったね、は。
薪の崩れる音に倣うように静かに、ロジャーは呟いた。
「じゃあ行くかね」
「・・・ごめんなさい。先に行ってて、ロジャー」
「ん?ああ」
部屋を出たところで、玄関のほうにロジャーが先に歩いていった。
私はくるり、歩いていくロジャーに背を向けて、じゅうたんの上を歩き出す。
みんな自由時間で誰がどこにいるかわからないときでも、ただひとりだけ、すぐに見つけられる子がいる。いつも変わらない、いつもそこにいる。
「ニア」
ノックして開けたドアの向こうで、じゅうたんの上にべたり座り込むニアが重い髪の下でこちらに振り向いた。
「みんな外で遊んでるよ。遊ばないの?」
「行きません」
「たまには気が変わったり・・」
「しません」
ほんと変わらない、いこじな子だ。
まっすぐなのか、曲がっているのか。素直なのか、偏屈なのか。
彼らしくてなんとも、面白いのだけど。
「今年は何買って貰ったの?」
ニアを囲む無数のおもちゃ。
細かな部品が散らばっていて、白く細い指先で起用に何かを作り上げているようだ。
ニアが持っているおもちゃの量はハンパなくて、それを他の子たちはズルイと文句を言うのだけど、ニアにとっておもちゃは単なる遊ぶ道具じゃなくて、育つための栄養のような、まっすぐ伸びるための添え木のような役割を果たすからロジャーも買い与えずにはいられないのだ。
説明書なんて開かれてもない。部品を切り離したり組み立てるニアは仕組みを熟知しているのか、考え込む様子もなく次々と、あっという間に完成に近づけていく。ニアの手にかかればあまりに簡単に見えるその作業。一体この子は、製作の何を楽しんでいるのだろう。
「これはどこにつくの?」
「それは最後、プロペラに貼ります」
「去年はロボットだったじゃない、今年は乗り物が多いのね」
「趣向は変わるものです」
そうだろうか。ニアは小さい頃からあまりに自分というものをはっきりと主張しすぎていて、傍から見れば何一つ問題などなくまっすぐここまで来たように思ってしまう。ただ同じものをひたすら愛でて、普通の子なら誰しも躊躇う暗いトンネルすら、迷わずまっすぐ出口に向かってしまうような。
「ねぇ、そうやって出来てるものを組み立てるだけじゃなくてさ、ゼロから組み立ててみたいと思わないの?」
「どういうことですか?」
「たとえばさ、雪で何か創るとか」
「冷たいので嫌です」
あらら。ニアの中の遊び心をつついてみようと思ったのに、あえなく撃沈してしまった。
一度でいいからニアが庭で駆け回ってる姿を見てみたかった。
ほら、メロはあんなに楽しそうに走り回ってるのに。
「Lだって昔はよく雪合戦とかしてたのよ」
「だからなんですか」
「ほら、Lの後継ぎになるならLの出来ることくらい出来なきゃね」
「関係ありません」
こちらも見ずに容赦なくメッたぎられてしまう。
ほんと、かわいくない子に育ってしまったものだ。
いや、ここの子たちはむしろ、幼いときのほうが素直じゃなかったりする。
私だって昔は散々誰かを困らせて、どうしたって反対のことしか口から出なくて、素敵なほどに180度ひねくれてた。ニアはひねくれてるというより、綺麗に曲がってるといったほうが正しいか。
優秀で大人びているこの子は、他の誰よりもLに近くて、誰もがうらやむものを持ってる。
あまりにしっかりしてるから誰にも迷惑も心配もかけなくて。
「」
「ん?」
そんなニアが私は、他の誰よりも気がかりでしょうがなかった。
「ここを持っててください」
「ここ?」
「固まるまで動かさないでください」
「はい」
ニアには助けなんて要らないし、協力も要らないし、おせっかいも要らない。
そんな意固地なニアに話しかけて、話し続けて、ニアに「ここを持ってて」といわれるようになるまで、どれだけ時間がかかったことか。
「もう固まったみたいだよニア」
「まだ持っててください」
「はい」
説明書も見ず、考え込みもせず、迷いもせず、
まっすぐ、正しい答えに、まっすぐ。
「貸して下さい」
そんな君が心配だよ、ニア。
でも誰の助けも要らないんだよね、ニア。
「出来ました」
「すご、早」
「普通です」
「でもすぐ壊しちゃうんだよねーニアは」
ケラケラ笑ってやるとニアは、前髪の下からちらり、よくない目つきで盗み見るように目をよこした。
「じゃああげます」
「え?」
どうぞ。ニアは完成したばかりのジェット機を私に差し出した。
こんなことは、過去一度もない。
「いいの?遊ばないの?」
「どうせすぐ壊れるので」
「ニアが壊すのよ」
「だからあげます」
ぽい、とまるでごみを捨てるようにニアは私にそれをよこした。
なんでだろう。気に入らなかったのかな。それとも作る道程を楽しんだだけで元々完成品に興味はなかったのかな。
「ありがとう」
どちらにしろ、初体験だ。貴重な餞別だ。
「・・・そんなにうれしいですか」
「ん」
「泣くほど?」
「うん」
わからない、といった顔でニアは、涙ぐむ私を変な顔で見ていた。
ああ、うれしいな。鼻水をすすりながら目の端の雫を拭いながら、笑った。
「さて、みんなと遊んでこようかな」
「はい」
「ニアも行く?」
「何度も言わせないでください」
「ふふ」
また新しい箱に手を伸ばし、ニアは説明書を放り出して部品に着手する。
そんな工程を繰り返して、ニアは、大きくなっていく。
君がここを出る日は、晴れているかな。
「あと少しで晩ごはんよ、ニア」
「はい」
やっぱり、こちらをまったく見ずにニアはおもちゃに熱中する。
これまでもこれからも変わらないんだろう、くるりと跳ねる髪先を、白く器用な指を、猫背な姿勢を、甘く香りそうな柔らかさを、圧倒的は存在感を、その部屋に置いて、私は出ていく。
「じゃあねニア」
「はい」
いつもどおりに軽く、笑って言って、ドアを閉めた。
じゃあね。
そんないつもの言葉に、いつもと違う意味を込めたのは私だけ。
もうこの部屋を訪れることもないよ。
「もういいのかい」
「うん、待たせてごめんなさい」
「じゃあ行こうか」
「うん」
玄関で待っててくれたロジャーと、門の前に止まってる車まで歩いていった。
遠くの庭からみんながどこ行くのー?と声を張り上げて、笑顔だけ返した。
ふと、1階の端の部屋の窓に目をやる。
あの窓の向こう側はあったかいんだろう、たくさんの水滴が生まれて流れて、重なって落ちていく。
冷たい冬の空気の中、車に乗って、眩しい空を見上げる。
雲はみんな逃げていって、冬らしくなく青々とした空が覗いていた。
飛行機雲が飛んでいた。
持ってたジェット機をそれに重ねてみた。
君がここを出て行くときも、こんな晴れやかな空ならいい。
クリスマス企画2006