足跡に咲く花




俺の目には、何年後のビジョンも見えてる。
俺の頭には、何年後の自分もリアルに想像できてる。
それは、俺が俺であれば揺らぐことのないものだからだ。
変わらずこの気持ちを抱き続けることができる。

俺は強い人間だと思ってた。

「もうここでいいよ、翼」
「うん」
「ありがとね、送ってくれて」
「うん」

ここ数ヶ月の俺が考えてることはもっぱら自分の将来のことで、でも海外でサッカーすることは不安以上に期待があるから、日ごと胸は膨らむばかりだった。
思い悩むことといえば、のことだけ。
は詰まった思いをすべてその小さな胸に押し込んで、それでも平気だ大丈夫だと笑って返す。そんな顔を見るたび俺はどこか、申し訳なくなって、でもだからってどうしようもなく。だから俺は、が大丈夫だっていうならそれを信じていくしかないんだと、残り少ない時間を惜しむより楽しもうとした。

それが、どうしたことか。
が地方の大学を受け、は俺が日本を離れるより先に東京を離れることになった。

「着いたら連絡しろよ」
「うん」
「電車乗り間違えんなよ」

うん。 は離れる間際まで笑って返した。
でも俺、たぶん笑えてない。 わかったんだ。離れていく側と残される側じゃ、残される側のほうが数段寂しさが深いってこと。こんな思いで、お前は笑ってたんだってこと。

「春には一度帰ってくるんだろ?」
「うん、翼が行くときにはまた戻ってくるよ」
「じゃあ、これが最後じゃないわけだ」
「うん」

なぜだかがくすくすと笑ってた。
なにって聞いたら、翼らしくないって言われた。
なにがって言い返したら、なんか素直でかわいいってが言った。
かわいいとか、言うなっつーの。

俺も、なんだか不思議なくらいポロポロと普段なら絶対言わないだろう言葉が溢れてくると思う。だって今は、無駄なおしゃべりをしてる場合じゃなくてさ、無駄な意地を張ってる場合でもなくてさ、だってもう次ベルがなれば、お前、行っちゃうんだよ。

「あっちのが寒いんだろーな」
「スペインのほうが寒そうだよ」
「そうなの?」
「冬はすっごい寒いらしいよ」
「らしいよって、調べたのかよ」

俺は今朝、普段なら見ない場所の天気予報を見た。
晴れてようが雲ってようが、どうでもいいんだけどな。

切羽詰ってるはずなのに、どうでもいいことばっか思いついて、今でなくてもいいことばっか話した。あたりに視線を散らばせて、何か話すことはないかと探してた。
秒針がたった1ミリ動く時間を惜しんでるのに、なんでこんな意味のないことばかりするのかな。でも何か、確信めいた話すをするのは、いよいよ本当に離れてしまうんだという気にさせられて、寂しいと口にすると本当に引き止めてしまいそうで、知らず知らずのうちに避けてるんだろうな。

「もう電車きちゃうな」

それでもお前はしっかりと現実を見るから、ありのままを受け止めるから、実はお前がどんなに強いかを、今更思い知らされる。
今まで俺がなんでもひっぱって、繋ぎとめて、導いてきた気でいたのに。
俺がそう思い込んでしまうくらいお前は、すんなりとそんな俺を受け止めてたんだ。

俺が予定通り先に離れていくんだったら、たぶんそれに気づかなかった。
だからきっとこれは、離れ離れになる俺たちに与えられたプレゼントだったのかもな。

っくしゅ、 会話に間が空いたとき、俺の口からくしゃみが飛び出る。
は自分で巻いてたあったかそうな赤いマフラーを解いて俺に差し出して、代わりに俺が首に巻いてた黒い羽のマフラーをにあげた。

「これって普段絶対使えないよね」
「なんで?」
「これ使うの結構勇気いるよ。どこのアイドル?って感じ」
「じゃあ俺はなんなんだよ」
「だからアイドルだよ」

慣れた雑踏が広がる駅に、俺たちの小さな笑いが起こる。
周りの音が大きすぎて、そんな小さな声なんてかき消されるばかりだけど。

俺たちなんて、簡単にかき消される。
ささいで、ちっぽけな存在で、世界に紛れてしまえば何も見えないくらい。
何十万何十億といる人に押されて、流されて、離れてしまうのなんて簡単で。

だから、その冷たい細い指を取った。
俺も冷たい指先じゃちっともぬくまりやしないけど、じわり体温は混ざった。

改札の向こうで電車が着たり去ったり、人が出たり入ったり。
何人も俺たちの周りを通りすぎて、立ち尽くす俺たちは世界から落とされたみたいで。

そんな俺たちをちゃんと、現実は迎えにくる。
アナウンスがを連れ去ろうとする。

「行かなきゃ」

の雑踏に紛れる小さな声が俺の耳にはしっかりと届いて、俺はぐっとの赤いマフラーに顔をうずめる。
何か言いたかったけど、さよならの言葉は嫌で、何かいい言葉はないかと必死に探した。

「ごめんね翼」

伏せてた目に、に映す。

ごめんね?

「あたしは、見送る側でいたかったな」
「・・・」

こんな思いをするのは、自分であればよかったと?
何も知らず判らず、意気揚々と飛び立ってく俺をそれでも、見送りたかったと?

俺の指先から離れるの指先がカバンを取る。
俺の匂いのする、ちっともあったかくないだろう黒い羽を巻いてが歩き出す。


「ん?」

俺はずっと探してた。 が遠く離れてしまっても俺を忘れないような。
不安を抱かないような、泣き出してしまわないような、を守る言葉を。

「俺絶対、と別れないよ」
「・・・」
「絶対離れないから」

振り返るは少し、少し、泣きそうな目をして、
でも落とす前に飲み込んで、

「離れてっちゃうクセに」

笑った。

もっと、押さえきれない思いをそのまま吐き出せばよかった?
何も厭わずに抱きしめればよかった?
誰の目も気にせずにキスすればよかった?

でも俺、わかったんだよ。
これからの俺たちを守っていくのは俺じゃなく、お前でもない。
今まで一緒に過ごしてきた俺たちが、守ってくれる。
そしてそんな俺たちから出る言葉たちが、俺たちを守ってくれる。

「あっちも晴れてるといいな」

今日は、寒いけど、綺麗な青空だ。

「ううん。スペインが晴れてるほうがいい」

ふと、笑った。
ああ。きっと、いい天気だろう。
たとえスペインの空が曇ってても、お前の見上げる空が晴れてればきっと、俺の目に映る空も青いんだ。

が去っていく。四角い箱に連れ去られる。
お前を見送るのはやっぱり慣れないけど、今日の俺たちはきっと、未来の俺たちを守ってくれるんだろう。

俺は祈る。 お前も祈る。

ふたりの上に広がる空がまばゆい青であればいいと、きのうのぼくらがみてる。




足跡に咲く花

クリスマス企画2006