365日の恋人




ねぇ、ユン。
今年もまた、この季節がきたよ。

プルルル、プルルル、かわいい呼び出し音が、彼を呼んでいる。
きっと布団の中でぐだぐだと寝返りを打って、覚めない頭で煩い電話を手探ってる。
おきたかな。ぷつり、音が途切れる。

『・・・もしもし』

あ、意外と頭は冴てるみたい。

「おはよう」
『んー、だれ?』
「あ、そういうこと言うんだ」

くすくす。眠たげな声でユンが笑う。
日本語で出ておいて誰なんて、とんだいたずらっ子だ。

「まだ寝てていいの?時間は?」
『ん、だいじょうぶ。まだあと2時間ある』
「2時間?間に合うの?ちゃんと空港いく時間も考えてる?」
『んー・・・、あ、そっか』

ごそごそ、会話の合間にユンの世界の音が聞こえる。ようやくベッドから抜け出たようだ。
うー寒い寒い。震える声で呟いて、韓国の冷え込みの厳しさを知らせる。

『ねぇ、そっちも寒い?』
「うーん、寒いけど、昼間はそうでもないかな。あったかいんだ、最近」
『へぇ、いいね』
「そう?やっぱり冬は冬らしく冷え込んで欲しいな」
『じゃあがこっちにくればいいんじゃないの?』

はたと気づいたようにユンがいうから、電話口で惜しみなく笑ってやった。
たしかに韓国のクリスマスも味わってみたいけど、ユンがこっちにくれば英士君の家に挨拶にいったり友達に会ったりとすることがたくさんあるのだ。年に1回日本に来ればいいほうなのに、なんでこっちにそんなに知り合いがいるのか。ユンの行動範囲と顔の広さにはほとほと関心してしまうよ。

『てゆか、べつに手ぶらでもいーよね。要るものはそっちで買えばいーんだし』
「そう長くいるわけでもないしね」
『そんな言い方しなくていいんじゃない?』
「だって年末には帰るんでしょ?」
『そーだけどさ、』

そんな寂しい言い方しなくても・・・。
服を着てるのか、拗ねたような口ぶりが篭って届く。
私たちの電話も随分と自然になったものだね。
最初は、何を話そうか考えてからかけたり、日頃から話したいことを手帳に書きとめたりして、こうして繋がったときに一気に話してた。
それが今じゃ、まるで同じ場所にいて傍で話してるみたい。電話だけ繋げて何も話さない時だってある。でもそれが、結構しあわせ。

『もう出るから切るよ』
「何か食べたの?」
『機内で食べるよ。俺結構好きなの、機内食』
「そうなの?」
『うん。機内食を食べるときはもうすぐに会えるときだからね。だから俺帰りの飛行機じゃ絶対食べないんだよ』
「へぇ・・・。そんなの知らなかった」

この人は、わざとこういうことを私に言うんだろか。
私が喜びそうな言葉を、わざわざ選んで贈るのだろうか。
今まで何度もそう思った。どうしてこの人はこうも私を喜ばせるのがうまいんだろう。思わず言葉を止めてしまう、それでも何とか平静を装って感情を隠した言葉を続ける私を、悟って受話器の向こうでにんまりしてるユンの顔が浮かんだ。

「じゃ、気をつけてね」
『うん、また後でね』

ぷつり。
なんとも簡単に、あっけなくあっという間に、ユンが電話を切った。

「早・・・」

繋がっていた遠いユンのいる場所と、私の今いるこの場所が突然引き離された感じがして、ふわふわと浮いてるような夢から雑踏騒がしい現実に引き戻されて、途端に、この耳に当てている魔法の機械ですら冷たく感じた。
そりゃ、あと数時間もすればユンは、声だけじゃなくその顔も私に見せてくれる。あたたかい笑顔を、大きな腕を私にくれるだろう。

神経じゃなく肌でユンを感じられるようになる。
そのためにユンも急いでくれてる。
そう思えば、寂しく思うことなんて何もないのだけど。
途端に、私の心の中は冷たくなってしまった。
ユンらしくない。無神経に私を悲しみに陥れるなんて。

「もう顔見たって喜んでやんない」

そう、照明まで消えてしまった携帯電話の画面を見つめ下ろしたとき、またその画面が明るくなって、ユンの名前を映した。ブルル、ブルル、着信の振動が手に伝わる。あれ、なんでだ?

「も、もしもし?」
『今タクシー乗った。ちょっと時間ギリギリかも。もう、もっと早く起こしてよ』
「・・・」
?』

私は平静を装って、感情を隠した言葉を、・・・

、どーしたの』

すべて計画犯。心の中で笑ってるユンの顔が浮かんだ。
くやしいな。

「・・・飛行機、墜落しないように願っとくよ」
『うわ、縁起わるっ』

なんとか喉を締め付けて、揺らぐ声を押さえたけど、きっとユンには判ってしまってるんだろう。ちっぽけなことで私をしあわせにするのも、くだらないことで私を奈落の底に叩き落すのも、ユンの得意技だもんね。

ユンの乗るタクシーが空港へ近づく。ユンの乗る飛行機が日本に近づく。
ユンが私に近づく。
その存在ひとつで、私の心は春から褪めないようだ。

『空港ついたー。ほんと時間ヤッバーイ』
「急げー。あと13分で飛行機出ちゃうよ」
『そっち着くの何時かな。は今家?』
「ううん」

電話口から、空港らしい雑踏。搭乗のアナウンス。
私のいる場所も同じ。

「もう空港にいるよ」
『・・・』

ぴたり、走ってたらしい息遣いも弾む声も、聞こえなくなった。

『うっわ、ほんとに?ごめん、すぐ行くから!もうちょっとだけ待っててね!』
「ユンが急いだって到着時間は変わんないよ」
『ううんもうあっという間に行くから!すぐ行くから!』
「わかったから、走りなさーい」
『うん!』

なんて無邪気に、うれしそうに笑うユンが胸いっぱいに広がる。
一番簡単に想像つく、その顔。一番すきな潤慶。
私がまっすぐに君に気持ちを投げれば、ユンもまっすぐに私に返してくれるんだよね。

「早くきて、ユン」

こんな遠い距離で、離れた場所で、毀れる私の本音は小さくささやかだけど、この小さな魔法の機械は海を越え、国境を越え、君の耳へと届く。

『アイシテルよ、
「うん」
『じゃ、乗るから切るね』
「ん」

最後の私の声は、涙で揺れに揺れたけど、視界は水没してたけど、
隠す必要なんてもう、どこにもない。

ツー、ツー、ツー、・・・

電話が切れて、電波が途絶えて、ユンのいる世界とはまだ離れてしまったけど、ちっとも寂しさなんて残らなかった。

ユンが来る。
海を越えて、国境を越えて、私の元へ。
今日この日まで1年も待ち耐え続けたのに、たった1時間半が、長くて堪らなかった。





365日の恋人

クリスマス企画2006