君が見えないのは雪のせい




冬です。12月です。といえばそう、クリスマスです。


「うふふふふ」
「・・・キモ」
「うっふふふふー!」


2学期最後の学校だった今日、朝からウフウフ笑い通しの私にみんなが冷めた顔で離れていった。でもそんなのだから何?って感じで、私は誰がどれだけ私の元から去っていこうとまったく気にならずウフウフと笑い続けているのです。

だってしあわせすぎるんだもん!


「でねでね、12月だけど英士には忙しい時期じゃない?忙しい時期なのね?」
「ねー英語の宿題ヤバすぎない?論文とか意味わかんないんだけど」
「でも英士もがんばってるんだからさ、私も我慢しなきゃいけないなって思ってもうすぐクリスマスだけど英士のプロが決まるまではサッカー最優先にしようって言ったのね?ものすごく大決意だったのこれ!高校最後のクリスマスだけど英士のために我慢するって決めたの!」
「それより数学だって。34ページとかありえないし」
「うっそそんなあんの?ないわー」
「でも英士がね、イヴは無理だけどクリスマスは早く終われるから駅で待ち合わせしようって言ったのー!ねーすごくない?すごくないっ?あの英士がだよ?クリスマスは一緒にいよーって言ったの!」


キャー!と教室の片隅で今日何度目かも分からない発狂をすると、向かいに座ってる友達にうるさい!と殴られた。でもそんなのまったく痛くない、ちっとも痛くない!そうしつこくウフウフ笑ってるとついには呆れられ目の前に誰もいなくなってしまった。

けどそんなの全然平気。
だって私は、


、ちょっといい?」


世界一カッコいい英士とクリスマスが過ごせるんだもん!


「ちょっとといわずいくらでも!今からクリスマスまでずっとでも!」
「・・・いや、ちょっとでいい」


なんてったって英士はこんな風にちょこっと私の教室に来ただけで女生徒の視線を一網打尽にしてしまう我が校ナンバーワンの王子様ですから!近い将来には世界中にその名をとどろかせ日本を代表するの王子様になる人ですから!


「これ忘れ物。なぜか俺のカバンに入ってた」
「あ、それは忘れ物じゃなくて英士へのプレゼント」
「・・・いらない」
「そー言わずに、これいろいろ載ってるんだから」


英士が私に渡したのは、イルミネーションの名所からおいしいレストラン、女の子にウケるクリスマスプレゼントランキングまで完全網羅されているいまどき!なクリスマス特集雑誌だ。もちろん私が買って英士のカバンにきのう入れたのだ。

だって英士と過ごす初めてのクリスマスだもん。今まで中学・高校と同じだったけどまさかただのクラスメートどまりの私に英士とクリスマスの約束なんて出来なくて、英士とクリスマスを過ごしたくていつもクラスでパーティーを計画するんだけどまさか英士はそんな自由参加のクラス行事に来てくれるはずがなくて、今まで何度英士のいないクリスマスを過ごしてきたことか!

でも、でも今はもうそんな遠まわしな誘いなんてしなくていいんだもん。
だって英士は、私の彼氏なんだもん!


「キャー!」
「だっから朝から何度も何度もうるさいっ!」


ばし!と後ろから頭を叩かれて、叫び開けた口を閉ざされて舌を噛んだ。頭と舌とダブルパンチを食らって痛みに悶え振り返ると、同じクラスのりっちゃんがそこにいた。


「あれ、英士は?」
「教室帰ってった。ものすっごい呆れた顔してた」
「あ、もー雑誌置いてったし・・。あ、アミちゃん、どうしたの?」


りっちゃんの後ろに隠れるように、小さなアミちゃんがいた。同じ部活の後輩なのだけど、女の子の後ろにさえすっぽり隠れてしまうかわいいサイズで、その上パッチリした目とくるくるの髪が揺れる天使みたいな子で、この子が入学してきたときはそれはもう男子生徒をはじめ大騒ぎだったのだ。


「アンタ浮かれすぎだから。そんな騒いでたら郭君また逃げちゃうよ」
「逃げるって、またって何!」
「今年の郭君の誕生日にプレゼント持って家の前で張り込んだの誰よ。その上郭君ちに上がりこんだんでしょ?郭君だけに止まらず家族ぐるみで嫌われたね」
「ちが、あれは、真剣に凍えそうだったから、郭君のお母さんがあったまっていきなさいって・・」
「3年のクラス替えで郭君とクラス離れて職員室で大騒ぎしたの誰よ。あのときの郭君は真っ剣に引いてた」
「ちが、あれは先生が、お前は郭と同じクラスにするといろんな面で郭の負担になるからなーなんてシャレにならないこと言ったからついカーッときちゃって・・」
「1学期末テストのときだって郭君が遠征でテスト受けれないからって自分も補習組に残ろうとして、結局郭君は1発合格でアンタ3次補習、夏休み返上。もう救いようないね」
「ちが、あれは、その、ちょっと夏バテ・・」
「アミちゃん、こんな人間になっちゃダメだよ。あー心配ないね、アミちゃんはこんな女捨てて追いかけなくても向こうから男が寄ってくるから」
「ちょ、女捨ててって何!捨ててないから!」


そりゃ、今までずっと遠くから見てきただけのあの人が彼氏なんて自分でも未だに信じられないけど・・・、あの容姿端麗・成績優秀、その上行く末はサッカー選手なあの人が、

なんで、こんなあたしを・・・?


「でもあの郭先輩と付き合ったのなんて先輩だけじゃないですか、すごいですよ」
「付き合ってるって言うのかねぇこれで」
「ちょっとりっちゃん!付き合ってますから、きのうも一緒に本屋行きましたから!」
「本屋で自慢するなよ・・」


まぁ、付き合ってるといっても彼は休みのほうこそ忙しい人で、学校帰りに寄り道するくらいでまともにデートもしたことなくて、キス・・・どころか、手も繋いだことないし。電話は嫌いだからって滅多に出来ないし、メールは私が打つばかりで一言二言返事が返ってくるだけだし、サッカーの練習とかも、見に行きたいけどあんまり来て欲しくないみたいだし。

あれ、あたしって、ほんとに彼女なのかな・・・?

ぐぐっと首をかしげていると、手に持っていた雑誌がすっと引き抜かれて、後ろに振り返ると英士がいた。


「英士・・」
「忘れ物」
「え?」
「借りとくよ、これ」


それだけ言い残して英士はまた教室へ歩いていった。

英士はあまり人と話さないし少し冷めたところがあるからいろいろと誤解されるけど、でもやっぱり、どうしたって優しい。一緒にいる時間が少しは増えた分そういうところがよくわかって、だから私は今までよりずっと、ものすごく、


「すきー!」


廊下の先から先まで響き渡るような声で叫んでしまうほど彼がすきなのだ。英士が小さく頭を抱え教室に入っても、りっちゃんが呆れてものも言えない顔でため息ついても、好きすぎるんだからしょうがない!

頭の中から彼がいなくなるときがない。何をしてるときでも彼の名前を呼ばないときはない。だって、ずっと見続けてきた人が今はすぐ隣にいるんだ。英士、と呼ぶだけで私はどうしようもなく幸せで、1秒1秒笑いが止まらないほど幸せだ。
私の人生、最初から最後まで彼一色でも何も損は無い。世界が芳醇に満たされすぎて溺れそうなほど、クリスマスのイルミネーションの比じゃないほど、私の世界はキラキラと輝き続けるのだ。


「あ、雪!りっちゃん見た?」
「うそぉ、どこに」
「ほんと見えたもん。チラチラって」


窓辺の席に着こうしたとき、窓の外に白く細かなものがふわりと見えて声を上げた。でも、りっちゃんとふたりで窓に張り付きジッと見てみたけどもうどこにも見えなくて、りっちゃんは見間違いじゃないの?とあっさり探すのをやめてしまった。
気温はクリスマスが近づくほどに落ちていって、朝方なんてほんとに雪が降ってもおかしくないくらい寒いんだ。いっそのこと雪が降ってくれたほうが気分が盛り上がって寒さも吹き飛ぶのに、温暖化の東京にはなかなか降ってはくれない。

どうせなら、クリスマスに降って欲しいな。
初めてのクリスマスがホワイトクリスマスだなんて最高だ。

でも世の中はそう上手くはいかなくて、雪が降るということは間違いなく世界が冷えていっているということ。浮かれて笑い続ける私の熱を一瞬にしてかっさらう、冷気が空から渦巻き近づいていたのだ。

それは、その日の学校が終わった放課後に直撃した。


「な、な、なんでー!!」
「だから、声大きいって」
「だだ、だって、クリ、クリスマスは、一緒にいるってっ」
「だからゴメンって。文句なら結人に言って」
「分かったゆうよ、ケータイ出して!結人君出して!」
「いや、やっぱやめて」


もう、冷気なんてものじゃない。大寒波だ。ツンドラだ。氷河期だ。
つい、ついさっきまでクリスマスの予定を立てようとしてくれていたのに、なのにこの数時間の間に私たちの初めてのクリスマスが、なんだってサッカーの友達に奪われるんだ!


「ひどいよ、初めてなのに、せっかくのクリスマスなのに!」
「べつにクリスマスじゃなくてもいいじゃん。急にクラブのほうで予定組まれちゃったから、25はごめんしてよ」
「クリスマスじゃなきゃ意味ないじゃん!クリスマスだよ?なんでサッカーの友達との約束優先なの?」


ぎゃあぎゃあとまくし立てる私に、英士はきっと心の中で耳を塞いでいる。いつもなら私の文句なんて聞くに値しなければ聞いてる素振りすら見せないけど、今は悪いと思っているのかちゃんと聞いてくれている。
放課後の下駄箱なんて人通りの多いところで、私の容赦ない声はよく響いた。多くの生徒が私たちを振り返りながら通り過ぎて、きっと英士はすごく嫌な気分になってるだろう。


「先輩たち、どうしたんですか?」
「・・・」


篭った耳の奥で聞き取った声は、きっとアミちゃんだった。私の頭の中はもう言いたいことだらけでいっぱいになっていたけど、でも少しは理性が残っていたのか、開きかけた口をぎゅっと紡いだ。その代わりに堪えきれなくなった涙が滲んできて、でも泣けなくて、喉を締め付けて精一杯我慢した。

分かってるんだ。高校を卒業すれば今の友達とはなかなか会えなくなることも、英士にとってサッカーの友達がどれだけ大事かも、ちゃんと、分かってる。

だけど、どうしたって、心がそれを許してあげられなかった。


「やっぱり英士は、私なんて要らないんだよ」
「は?」
「いつもサッカーと友達ばっかり先で、私のことなんてもう、・・・ううん、最初から英士は私なんて好きじゃなかったんだよ」
「何言ってんの」
「いっつも私が追いかけてばっかり、英士は私のことなんて好きじゃないから、だからどうでもいいんだよっ。一緒にいることもクリスマスも全部どうだっていいんでしょ、私のことなんてどうでもいいんでしょ、もういいよ!」


ひとつ言葉を漏らせば喉から次々と声が溢れ出て、すると涙も一緒に流れ出てどうにも止まらなくなってしまった。こんなこといったら英士は離れていってしまう。英士がいなくなってしまう。分かっているのに、

どうしてたったひとつの幸せだけで満たされていられないんだろう。
どうして、ただ思いだけで幸せだった頃のままでいられないんだろう。


がもういいって言うならそれまでだよ」
「・・・」


・・・やっぱり英士の中で、私は引き止めるどころか、繋ぎとめる価値も無い人間だったんだ。私ばかりが好きで、好きだ好きだと押し付けるばかりで、そんな私は英士には、必要なかった。

もう堪え切れなくて、私は英士から逃げ出した。
どんなに文句を言っても最後のギリギリ繋がった糸を切る勇気なんて、やっぱりなくて、それまでだという英士の続きの言葉も聞けなくて、私は廊下の奥へと走って逃げた。

怖かった。嫌だった。許せなかった。
私の思っていた幸せは、こんなにも簡単に崩れるものだったということを、思い知らされることが。


「先輩ヒドーイ」
「・・・」
「ふつう好きだったら、もういいとか言わないですよね。私もわかんないです。郭先輩が先輩と付き合ったわけが」


一番騒がしかった声が走り去る足音と共に消えて、下駄箱前では元のざわめきを取り戻していた。


「どうして先輩と付き合ったんですか?先輩にあんなふうに騒がれたらもう否定するのも疲れるかもしれないけど、何も付き合わなくてもいいのに。ショックだったな、郭先輩は誰とも付き合わない人だと思ってたから私、何度も告白しようと思っても出来なかったのに」
「・・・」
「あたし、先輩より先に告白すればよかった。そしたら先輩、」
「うるさい」


アミちゃんの声をさえぎって、英士は何の飾り気も無く言葉を吐いた。


「後とか先とかどうでもいいんだよ。ていうか、君だれ」
「え、」
「誰だか知らないけど、君が何を言ってきたって俺は何回でも無視するよ。と他の女を一緒にしないでくれる」


冷たい廊下に響きもしない英士の声は、ただひっそりと向かいに立っている彼女にだけ突き刺さって静かに消えた。かっこいい、やさしい、ものしずか、と噂ばかりが先走る英士の姿とは思えない言葉にきっと彼女は驚きを隠せなかっただろうけど、私は知っている。

冷たいことも、優しくないところも、甘やかさないところも。
でもどうしようもなくあたたかいところも、どうしようもなく優しいところも、どうしようもなく、



「っ、え、えーし・・」


ぐちゃぐちゃに泣きじゃくって廊下の隅で小さくなっていた私を、英士はどれだけ走り回って探してくれたのか、上がった息を飲みながら英士はそっと私を呼んだ。

私はすっかり頭が冷えていて、自分が口走った言葉がぐるぐると頭の中で回り巡って、どうしよう、嫌われた、別れちゃう、嫌だとボタボタ涙は止まらなかった。だけど、振り向き見た英士はいつも通り涼しげな顔色をしていて、なんだか悔しくてまたボロッと涙がこぼれた。


「ひどい顔」
「な、なんで、そんなこと言いに・・」
「まさか。明日から冬休みなのにケンカ別れなんかしちゃ面倒でしょ、ほら立って」
「うっ、めんどうって、めんどうならもう、ううっ・・」
「だから、」


ぐいと私の腕を引っ張る英士は、私のぐちゃぐちゃに濡れた顔を見下ろして涙を拭った。英士の手は冷たくて、私の熱い頬の熱をひやりと下げる。


「面倒でもいいよ。それが嫌ならとっくに俺のこと諦めさせてる」
「・・だって、えいし、もういいって言・・」
「先にそれ言ったの。ていうか今まで散々面倒かけといて、今更もういいなんて言わないでくれる」
「えいし・・」
「どんだけ好かれたって、俺が好きじゃなきゃ付き合わないから」


思いが溢れて涙が毀れて、英士がもたらす温かさに溺れていくようだった。目の前にいる英士はやっぱり涼しげに、でもとても穏やかな目をしていて、その目は私が英士を見つめる目と同じ、愛しさで溢れていたから、言葉を模る力もなく私はまた泣きじゃくるばかりだった。


「あ、ほら雪」


そう英士は目の前の窓を指差して言った。その指に促されて後ろに振り向くと、乾いた景色の中にチラチラと細かな雪が舞っていた。

涙を拭いながらほんとだ、と口を開こうとしたら、後ろの英士が私に腕を回してぎゅと抱きしめた。そんなことは初めてで、こんな近くにいる英士は初めてで、私は頭も体もフリーズしてしまったのだ。


「え、えいし、・・」


あわあわとひとり動揺する私の言葉なんてまるで聞いていないように、英士はずっと抱きしめて、すぐ後ろで笑っているようにふと息を感じた。足元には冷たい風が流れて、白く曇る窓はひやりと冷気を伝えて、日も当たらない木々は風で揺れるけど、私はひとり、背中のあたたかさに全部消し去られて、冬も12月もクリスマスも忘れてしまっていた。

じわり伝わる熱が心を解いて、細く強い腕にはらはらと落ちる。
細かな雪は踊るように舞い上がって、なんだか、笑っているように見えた。





君が見えないのは雪のせい

クリスマス企画2007作品