駅のホームで




今までクリスマスがどういう日かなんて一度も考えなかった。毎年国を挙げて無意味に騒ぐだけのただのお祭行事に過ぎず、そんな日に託けてやれプレゼントだやれ告白だと浮かれてる周囲に呆れてさえいた。
夏休み同様、大型連休の前になると呼び出される回数が増える。過去一度だって女の子からの申し出を受けたことなんてないのだから、いい加減俺が特定の人を作る気がないこと、判ってくれてもいいのに。

一馬とさんの背中が並んでいる。一馬も随分と背が伸びただろうに、こうして並んでみるとあまり身長差はない。さんがヒールを履いてるせいもあるけど、基準値より若干背が高めの彼女は長い波がかった髪も手伝って、俺らなんかじゃ到底手の届かない、大人に見えさせるんだ。

初めて会ったときから彼女はそうだった。いつも優しく俺たちを出迎えて、笑顔じゃないときなんて見たことが無い。色づいた唇から発せられる発言は知性の伴った深みがありながら屈託の無い愛嬌が織り交ざって、吸い込まれるように包み込まれるように胸を透くっていかれる。彼女は出会ったときから大人だった。

冷たい風が何本も走る電線を揺らして、大きな音を立てて電車が通り過ぎていく。電車が通らなくても、ホームの中にいる二人からはフェンス一枚隔てた死角にいるから、俺にまで二人の会話は聞こえてきやしないけど、何か明るく交わしている会話の中でくしゃりと頭を撫ぜられる一馬が恥ずかしそうに手を跳ね除けて、それでもどうしたって隠せない寂しい目を伏せ涙を鼻水で誤魔化す。いつも、いくつになっても子ども扱いだとボヤいてた一馬の気持ちはよく判る。俺も、いつまで経っても結局、かわいい弟の大事な友達、の、ままだった。

さんに会える機会は滅多と無かった。俺たちの中で一馬の家は少し遠かったから、集まるときは決まって俺の家か結人の家で一馬の家は泊りがけでもないと行かなかったから、一馬の家じゃないと、会うことはなかったから。

駅のホームに特急電車が来るアナウンスが流れた。一馬もさんも掲示板を見上げて、さんの足元の荷物を一馬が手にとって、電車が流れ込んでくるラインの手前まで詰める。彼女を連れ去る電車が駅のホームに流れ込むと、一馬の手からさんの荷物は彼女へと渡って、一馬の背中は一層寂しそうに風を受けた。

一馬に振り返るさんはやっぱり笑っている。お姉ちゃんがいなくなるのがそんなに寂しいの?なんて、からかうように覗き込むさんから顔を背けて、きっと一馬はそんなわけあるか、なんて強がりながらさっさと行けよと彼女の背中を押し出す。さんはくすくす笑って、開いた電車のドアをくぐりまた一馬に振り返る。いつも綺麗に模ってたさんの微笑みが少し消えて、また一馬の頭にそっと手を置く。今度の一馬はその手を振り払わなかった。もう最後だと判ったからだろう。

俺はポケットの中でぎゅっと手を握り締め、ちっとも温度の上がらない掌を力いっぱい締め付けた。一生消えることの無い縁を持つあの姉弟と違って、俺にはさよならを言う口もないんだ。この街から離れるあの人を呼び止めることも出来なければ見送ることも出来ない。だって俺はただの弟の友達に過ぎない。

おめでとう。
せめてそんな言葉を言う機会くらいあっても良かった。だってその言葉なら俺が言ってもおかしくない。結人だって煩いくらいに言ってた。おめでとー、ダンナどんなヤツ?さんのウエディングドレス見たいなぁ、ぜったい綺麗だって。結婚式呼んでよ!・・・俺はそんな結人の隣でただ黙って聞いてただけ。

祝うことなんて出来なくて、でも嘘をつくことも出来なくて。
自分を隠すことなんて簡単なはずなのに。それは決して苦手なことじゃなかったのに。

俺はきっと、判って欲しかったんだ。笑っておめでとうもいえず、かといって本音を曝け出すことも出来ず、ただ黙りこくって、それでも女々しくそんな俺に気づいてと。かっこ悪い、自分がこんなに何も出来ないとは思わなかった。今まで俺にそんな思いを抱いてくれてた子たちに俺は何の共感も同情もなく切り捨てて、馬鹿にすらして、思いを伝えることがどんなに勇気と行動力の要ることかも知らないで。

発車のベルが鳴ってホームに強い風が吹きぬける。電車の上の電線が激しく揺れて、寒さに煽られる一馬にさんは巻いていた白いマフラーを解いて一馬の首に巻き、またあの笑顔で何か言っていた。最後の言葉だから、きっと、サッカーがんばれとでも言ってるんだろう。

「行っちゃったなー」

大きな電車の音が小さくなっていって、どこまでも続いてるような線路の上を電車は遠ざかり消えていく。結人の声で俯いてた顔を少し上げて、殺風景な駅のホームにひとり立ってる一馬の背中を視界に入れた。

「一馬のヤツ、戻ってこないな。あれ絶対泣いてんぜ」
「ん」
「家出てったってべつにもう会えないわけじゃないのにな。シスコンだよなーあいつ。ま、俺もあんな姉ちゃんいたらあーなるかもだけど」

白んだ空から渦巻く音が降りてくる。季節は冷たい冬だから、世界は乾いた色で力なく静かにそっと次の季節を耐え忍ぶ。春になればきっと、あたたかい日の光と一緒に花の芽が息吹くはずと信じて。

「でもお前は最悪、最後かもしんないんだからさー、お別れくらいいったほーが良かったんじゃないのー」
「ううん」
「スキって思いはなー、叶わなくても言っちゃったほーがすっきりするんだよ。言わないと後でぜったい後悔するんだよ」
「ふぅん」

後悔なら、絶対に訪れると判ってた。元々手の届くはずの無かったあの人がいつかはいなくなることも、たとえ俺が何か、思いを伝えたところで、絶対に叶うはずが無いことも判ってて、俺は自分の満足より結果より、塞ぎこむだけの後悔を選んだんだ。

ポケットの中に力ずくで仕舞い込んだ。
ずっと気づかなかった、認められなかった、伝えられなかった、もの。

ずっとすきで、すきで、すきで、
でもやっぱり、結局、ぜんぶ、飲み込んだ。

「ま、お前らしいっちゃ、お前らしいのかなぁ」

重い空を仰ぎながら結人は白い息で遊ぶ。

「でもなー英士、本気で、次そーゆー人が出来たらちゃんと動けよな。まさかもーさんほど伝えづらい人はいないだろーからさ、次は、男見せろよ。そーゆー意味じゃ最初がさんでよかったかもなー。あの人だったらさ、絶対好きになったことは後悔しねーから」
「・・・」

好きになったことを後悔しない。

「うん」

自分の不出来に呆れることも、苦い後悔を背負っていくことも覚悟の上だけど、

「そうだね」

あの人に出逢い、こんな想いを抱いたことは、絶対に悔いは無い。
それだけは信じて言い切れる。

「お、来た。かーずまー!いつまで泣いてんだー!」
「泣いてねーよバカ」
「めちゃめちゃ泣いてたじゃんかよこのシスコン!」

フェンス越しに一馬と結人がいつも通りな顔で罵り合ってる間に俺はすぅと一度息を吐いて、溢れ出ていた想いに蓋をした。改札をぐるっと回って寒そうに、白いマフラーを巻いた一馬がこっちに駆け寄ってきて、やっぱり少し滲んでる目を鼻水と一緒にぐずっと吸い込んで。

「結人、一馬には言わないでよね」
「おー。約束だもんな、それだけは」
「ん」

俺、さんに笑顔を取り繕っておめでとうやさよならを言うことは出来なかったけど、寒い寒いと寂しさを誤魔化す一馬にはいつも通り笑ってやることが出来る。寒い冬の空の下、3人で歩き出して、流れては去っていく電車の音を聞きながら。

「なぁ、さん最後なんて言ってた?」
「ん?んー、なんて言ってたかな」
「とぼけんなよ!お姉ちゃんがいなくても泣いちゃダメよとか?」
「だっから泣いてないって!」
「サッカーがんばれとかでしょ。大体想像つくよ」

さん、一馬のサッカーの話を聞いてるときが一番嬉しそうで楽しそうだったから。

「あー、それもだけど、なんか、お前ら大事にしろって」
「俺ら?」
「うん。なんか、サッカーもだけど、俺にお前らみたいな友達が出来たことが一番うれしかったから、大事にしろってさ」
「へー、さんらしーなぁ。な、英士」
「・・・うん」

最後の最後の、ドアが閉まる直前の電車の中で、一馬に手を差し伸べながら、俺はどんな形であれ、彼女の頭にいて、彼女の口から名前が出たことを、そんな些細なことを、幸せに思った。

置き去りにされた駅のホームで、強い風に煽られて空気は冷える一方だけど、でもきっとあの電車は春の方向へと出発していっただろうから、いつかきっと、ここにも春はやってくるだろう。

今はまだ冷たい思いだけど。まだまだ、溶けてはくれないけれど。
この空が晴れる頃、この場所にもそっとあたたかい風は吹く。
おめでとうをいえる日は、きっとくる。





駅のホームで

クリスマス企画2007