あの曲をカバンに詰めて




毎年お決まりの曲が流れるこんな時期に、男二人で居酒屋なんかに待ち合わせしてしまったことを今更ながらに後悔した。自分にゃ待ち遠しい日でも何でもないからすっかり忘れてしまってたんだ。今年も、この季節が来ていることに。


「よく厭きねーよなぁ。毎年おんなじじゃねーか、飾りつけも曲も盛り上げ方も」
「仕方ないだろ、クリスマスだからな」
「理由になってねぇっつーんだよ。あのクリスマスツリーがなんか去年と違うのか?今年発売のクリスマスソングがどこか去年と違うのか?」
「この曲は何年経っても流れててすごいよなぁ」
「そーゆーこと言いたいんじゃねぇよ」


わざとらしく舌打ちをして勢い良く飲んだビールは、温かい店の中で少しずつあったまった体の温度をまた下げた。しまった、熱燗にでもしときゃよかったかとぼそりというと隣の渋沢は優しく微笑みながら湯気の立つ日本酒を口にしてこれ見よがしにごくりと音をたてる。昔からこーゆーヤツだ、こいつは。


「大学はどうだ?」
「こっちが聞きたいね。どーやったら日本と海外を往復しながら前期試験でトップクラスに入れるんデスカー」
「99パーセントの努力と1パーセントの才能かな」
「シネ」


ガンと蹴った椅子の上で微動だにしない渋沢は小鉢の山菜をつまみながらまた軽く笑う。学校とプロを両立させてどっちも立派な業績を残してみせるヤツがどこにいるんだよ。ほんとこいつは天才かと何度思わせれば気が済むのやらだ。

店の奥からゲラゲラと大げさな笑い声が襲ってきて、カウンターでぼそぼそ話してる男二人の声なんて簡単に飲み込まれた。大学も近い夜の居酒屋なんてクリスマスじゃなくても煩いというのに、ほんと場所の選択を誤った。
ついこの間までテストやらレポートやらで家に篭りっきりだったせいで、もう季節が冬に入ってることにすら気づくのは遅かった。今日久々にコイツから連絡もらって待ち合わせ場所に来る途中でやっと今日がクリスマスなんだってことに気づいたくらいだ。街には特有の彩が施されて、眩しいまでのライトアップにお決まりの曲が流れて恋人たちが冬の夜を練り歩いて、この寒空の中、何がめでたいのか楽しそうに寄り添う。


「そーいやお前いーのか?せっかくクリスマスに間に合ったのに一緒にいんのが俺で」
「ああ、これから会うから」
「あっそ、俺ぁつなぎですか」
「まぁそうだな。こんな日に男ふたりで飲んで帰るのも寂しいしな」
「すいませんね、寂しいだけの男で」
「予定ないのか?」
「誰に聞いてんだよ」
「そうか、まだ待ってるのか」


あまりに感慨深くこいつが言うものだから、俺の寂しさは倍増しただろう。

まだ。
”まだ”、か。

そうだよな、もう3年だもんな。
毎日を目まぐるしく生きてるこいつにとっちゃ、まだって言いたくなるよな。


「藤代が言ってたよ。普通に付き合うことでさえ3年なんてただ事じゃないのにすごいよなって」
「あいつと何の話してんだよ」
「全然、目を覚ます気配もないのか?」
「ああ、ピクリとも動かねぇよ。奇跡的に目が覚めたところで、今度は日常生活取り戻すのにまた数年かかるだろうってさ」
「そうか」


あいつが眠ってもう、3年。一緒にいるうちにいろんなこと乗り越えて過ごしてきたとか言うのなら、それは深い絆とか思い出とかが出来て先に繋がるものがあるんだろうけど、俺たちの場合、ただ3年という月日が流れただけだから、一体何が残ってるんだろうな。
何度聞いても答えは同じ。明日目が覚めるかもしれないし、10年後かもしれない。一生覚めないままかもしれない。存在しないゴール目指して走るなんて、絶望的だろ、それ。


「でも、いつまで待つ気なんだ?」
「・・・」
「ずっとっていうわけにも、いかないだろ。俺には、お前が責任というか、そういうもので持ってる気がしてならないよ」
「ああ、自分でもそう思ってるよ。俺あいつの母親に、あいつを待つことは義務でも責任でもいいって言ったからな」
「・・・」
「最初の1年待って、でももう無理だって思って、もうやめよーって思って。そんなこと思ってたら、あいつの母親にもう待たなくていいって言われてさ。もう無理しなくていいから自分の道進めって言われたんだよ。それがすげぇ、心ん中見透かされてたみたいに思えてさ」


恥ずかしくなって、やるせなくなって。
だから俺、義務でいい、責任でもいい。あいつを待つことが俺の全てでいいって、言い切ったんだ。


「・・・バカだよな。あいつの親みたいに一生付き合う根性もねークセして」
「親とお前とじゃ立場が違うさ」
「ガキなんだよ、時間くらい簡単に乗り越えられるとか思ってた。明日目を覚ますかも一生覚まさないかもわかんねーって言われたのに、明日目ぇ覚ますってほうしか信じてなかった。世の中、ほんとに叶えたいことのほーが叶わねぇってのにな」


あいつを待ってる時間は、海を泳いでるみたいだった。対岸を目指して出発して、前へ前へと腕を動かして目指す先へともがいて、でもふと気づけば、どこから来たのか、どこへ向かっているのか、見失うような。

なんで俺だけって、何度も思った。なんで俺がこんな目に遭って、なんでお前がそんな目に遭って、なんで俺らだけこんな無意味な時間を強いられてるんだと。いつだって心に空白があって、それを埋めるのに必死で、でも、サッカーに明け暮れようが他の女と寝ようが何も埋まらず、空白は闇色になっていくばっかりで、・・・。


「でも、叶ったじゃないか、一番の夢は」
「・・・」
「おめでとう」


なんの皮肉かと思ったね。
毎日がむしゃらに明け暮れたせいか、プロから誘いを受けた。

渋沢や、ましてや藤代なんかからしたら一体何年遅れかってくらいだけど、俺はどうにも諦めの悪い性分みたいで、もがいた結果がこれかっていう。


「でも俺、お前みたく器用でも天才でもないからさ」
「うん?」
「大学、やめるわ」
「そうか」


それはつまり、長く住んだこの東京も、離れるということで。


「・・・どう思うかな、あいつ」
「驚いて目覚ますかもな」
「どーだか。末代までのろわれるかもしんねー」
「はは、プロ初試合でいきなり退場してバッシングされたりとか?」
「うわ、笑い事じゃねーよそれ」
「報告してこいよ。喜んでくれるさ、のことだから」
「いまから?」
「ヒマなんだろ?俺もそろそろ行かないと」
「あっそー」


残った酒を飲み干して伝票を取る渋沢の隣で、俺も残った泡を飲み込んだ。酒と流れるクリスマスソングで店中の若者たちは今日という日を大げさに祝う。そんな世界が浮かれるこの冬の日を、俺はきっと何年経っても苦しんでいくんだろう。


「なぁ、渋沢」
「ん?」
「俺は、酷いヤツかな」
「・・・そんなことないさ」


それでも幾つかの時間を過ごすうちに俺の中で苦しみは形を変えて、まるくなっていく。でもあいつには流れる時間がない。苦しみは形を変えることもなく、消えることも出来ず、居つくんだろう。未来の消えたあいつに未来の話をするのは酷なことだ。義務だろうと責任だろうといいと言った俺が、結局は離れていく。のろわれたって、文句もいえねー。

いつか、渡すはずだった指輪は、愚かにも失くしてしまった。
それを新しく買わなかったのも、俺の意思。


渋沢に会計を払わせて、駅で別れて通いなれた道を歩いていった。もう日が暮れて夜になろうという時間、過ぎ去る景色は浮かれっぱなしで寒さを感じる様子もない。毎年変わらないクリスマスの様相、それでもあいつならこんなありきたりな色や光に声を上げるんだろうけど。

プレゼントすら持ってないけど、酒の匂いと頭の中のクリスマスソングだけ土産に面会時間もギリギリ訪れた。普段は質素なまでに白い病院ですらところどころに赤や緑が配置されているところを見ると、毎年のことながら違和感を感じる。

エレベーターで慣れた浮遊感に気持ち悪さを感じながら、心臓は高鳴っていく。
やっぱり、怖いものだ。
別れ話なんかよりずっと痛い。

チンと鳴る音と共にエレベーターは開かれて、病院全体を包む暖房がもわりと流れてくる。いつもなら静かな廊下がクリスマスのせいかなんだか賑やかで。


「亮君!」


あいつの病室の前であいつの母親を見つけて俺は心臓を響かせた。あいつより先に母親に会うのかと相当ビビってしまったんだろう。

でもそんな俺の不安を跳ね除けての母親は涙目で俺に駆け寄ってくる。俺の腕を掴み、何かものすごく急いだ様子で俺を連れて行こうと、言葉にならない声で何かを必死に繰り返しながら、


「いま、がっ・・・」
「・・・」


頭の中から全てが抜け落ちて、急ぎ引っ張る腕より早く病室に駆け込んだ。部屋の中じゃ数人の医者や看護師がバタバタと急ぎひしめいていて、まるでは見えなかったのだけど、


ちゃん、聞こえる?もう1回目動かしてみて」


さっき以上に心臓は穏やかじゃなかった。
なのに息することも忘れてた。


「そう、もう一度まばたきして、もう1回!」


・・・奇跡って言葉の意味を、その時初めて知った。


、ほら、亮君よ、ずっと待っててくれたのっ・・・」
「・・・」
「わかるでしょ?見てあげて」


の親がしきりに声をかけて、何度も名を呼び泣きじゃくる。俺はろくに言葉が出ずに、あいつのたった僅かだけ動く睫を呆然と見下ろしてた。それはまるで元気とはかけ離れた、まるで風前の灯のようだったけど、あいつの睫は確かに揺れて、ほんの、ほんの少しだけ、俺のほうに目を傾けた。


「・・・・・・」


こいつは、どれだけ俺が好きなんだろうかと思った。
俺が離れていこうとするたび、俺を思いなおさせる。


・・・・・・っ」


俺のしつこさも、お前の底力も、もう人間の域を超えてるんじゃないかってくらい。奇跡なんて纏め方をされたらたまらない。俺たち、絶望としか思えないほどの果てしない海を泳ぎ続けてきたというのに。

溺れた視界で何も見えず、でももう見失いたくなんてないから、冷たい手を痛いくらい握った。でもその指はあまりに細く弱く、思い直してそっと包んだ。その指先が俺を確かめようと小さく動くから、俺はまたどうしようもなく泣けてきて、堪える術はなかった。

今日という日を、なんと呼べばいい。
今まで通り過ぎてきたこの日をどう表せばいい?

痛く悲しい記憶も、塗り替えることが出来るのはやっぱり新しい未来だった。
浮かれたこの日、でもツリーもケーキもプレゼントももう少しあずけて、

あの曲もまだカバンに詰めて

次のクリスマス、やっと約束は叶う。





あの曲をカバンに詰めて

X企画05の三上の続編でした

クリスマス企画2007作品