例えば、誰もが認める美男美女のカップルというもの。悔しいけど似合いすぎて誰も否定出来ないような、二人寄り添い一緒に居る姿はまるでひとつの絵画のように世界を創ってしまうような、そんな、ドラマのような二人に憧れる。
「さっむー!この寒いのに雨まで降ってるとか最悪じゃない?」
「どうかーん」
冷たい廊下を歩いて風が吹きぬける下駄箱まで来ると外からしとしと小さな雨音が聞こえてきた。12月も末日に近づいて、もうすぐ冬休みというこの時期の雨は殺傷能力があると思う。一つ一つは細かいのにそれが集まれば痛く刺さる刃物のような凶器。これが雪ならテンションは上がって少しは楽しめるのに、中途半端に寒いから気温もテンションも下がる一方だ。
「今日はさすがのサッカー部も誰も練習してないね」
「室内なんじゃない?」
「や、藤代が今日は久々に休みだーって言ってた」
藤代君。彼もうちの学校じゃ1・2を争う人気者。先輩にも後輩にもファンは多くて、見た感じもカッコいいし背も高いし明るいし面白いし、なんといってもサッカー部のエースだし。でも美男というにはちょっと、違う。同じ年なせいか、憧れる、という対象じゃない。
「あ、見て。あれ渋沢先輩とさんじゃない?」
「うん」
・・・だからやっぱり、憧れるというなら年上で、背が高くて優しそうでスポーツも勉強も出来て、カッコいい人。周りの誰より少し高い位置に濃紺の傘を咲かせるあの後ろ姿。まさにあの人こそ”憧れる”というに相応しい、人。
そしてそのすぐ傍で渋沢先輩よりずっと低い位置で赤い傘を咲かせる、人。
「あの二人ってやっぱ付き合ってんの?あんたさんと仲良かったでしょ?」
「うん。でも付き合ってはないみたい」
「ないんだ、一緒にいることけっこー見かけるのにね」
「うん、でも付き合ってないんだって」
さんは小学校の時から知っている。学校は違ったけどまぁまぁ近いところに住んでいて、なのに近所にとても綺麗で勉強も出来てピアノのコンクールで何度も賞を取っている人がいると有名だった。この武蔵森に入って吹奏楽部に入ったら、いつもピアノを弾きに来てる人がいて、その人の名前を聞いてすぐにあの人だと結びついた。
その時からさんは、もう別次元の人のようだった。ひとつしか違わないのにあの大人っぽさ。背が高くて髪が長くてすらっとスマートで肌が白くて、いつもふんわり笑っててなのに気取ってなくて気軽に話してくれて、ピアノが上手でテストの成績発表でもいつも上位に名前を置いていて。なんかもう、完璧すぎて、ほんとにこんな人が現実にいるんだとため息しか出ない。
「でももう時間の問題って感じ?この雨の中話し込んじゃってさ」
「だね」
そのさんとサッカー部のキャプテン(今は元、か)の渋沢先輩は、この突き刺さる冬の雨の中、少しの距離を保って何か話している。時折傘の向こうから見えるさんの笑顔と、高い位置からずっとさんを見下ろしてる渋沢先輩。私たちの歩いていくすぐ先に居るのにもうそこは別世界のようだ。この冷たい現実から切り取られたあたたかい別の世界。
「でもなんであの二人がわざわざくっつくんだって感じしない?渋沢先輩もさんも人気あって他にいくらでも相手なんて探せるのにさ、わざわざあの二人がくっつくなんて一体何人の人が泣くんだって感じだよね」
「だねー」
しとしと、ぱしゃぱしゃ、私たちの周りには冷たい雨が落ちてくる。
だんだん近づいてくるあの先にはどんな音がしているのだろう。
ふたりは少しの距離を空けたまま話している。こんな寒い中話し込むなら食堂とか多目的ルームとかに行けばいいのに、二人はこの、サッカー部寮と一般寮との別れ道にぽつんと置き去りにされたようなベンチの前で、傘を差して立っている。
少しずつ近づいて、赤い傘の向こうの微笑がよりはっきり見えるようになると、その合間にふとこちらに気づいたさんが私に向かって笑いかけた。
「こんにちは」
「こんにちは。奈々ちゃん、今日は部活じゃないの?」
「今からです」
私も後で行こうかな。かわいく笑って手を振るさんに私も手を振り返して、視線を上げて目を合わせた渋沢先輩にも頭を下げ歩いていった。渋沢さんも笑って小さく返してくれて、なんだか似た雰囲気を持った二人だなと思った。
「あの子見たことあるな」
「この間職員室行ったときに会ったじゃない。吹奏楽の子」
「ああ、あの時の」
「そうそう」
私は、雨の中立ち尽くす二人の新しい話題となっているようだった。そうして二人はまた話し続ける。こんな寒い中、さんなんてスカートで、カゼひいちゃうよ。
「やっぱ絵になるねあの二人は。なんかドキドキしちゃったし。もう誰も太刀打ちできませんて感じ?もうさっさとくっついちゃえばいいのにね」
「うん」
寮の玄関について、傘をたたみ雨の雫を払って靴を履き替える。でもまた部活のために学校に行かなきゃいけない。濡れたスカートをハンガーにかけて寒くない服に着替えてベッドにぼすんと倒れこんだ。
しとしと、雨の音がする。空は灰色で雨の雫が窓を叩いて、どんどん気温が下がっているのか、窓に当たる雨の雫に氷のようなものが混ざっていた。
彼氏がいるって、どんな感じだろう。
きっとこんな風にひとりで部屋にいても、今何してるんだろうとか会いに行こうかなとか思って幸せなのかな。私はまだ誰かと付き合ったことが無いからその気分が分からない。ああでもそれは、好きな人がいるだけで抱ける思いだ。私にだって好きな人くらいいるから、今何してるんだろうとか会えないかなとか思う。でもやっぱり、付き合ってるのとそうじゃないのとは違う。付き合ってなけりゃ、会いたくても会えない。会うには理由がいる。
「・・・あ、そうか」
だから、渋沢先輩とさんもあの場所にいるんだ。どんなに外が寒くても、二人の別れ道であるあの場所は、理由なくしては一緒にいることが出来ない二人の最後の居場所で、そこじゃないところで一緒にいるには、一緒にいる理由がいるんだ。
お互いもっと話していたくて、一緒にいたくて、必死に話題を探して、時間を延ばして。
それってなんて純真で愛しいことだろう。
あんな、何でも叶ってしまうような完璧に見える二人なのに、そこだけはどうとも動けなくて、必死に繋ぎとめたくて、でも踏み出せなくて。
寒い中、震えながら雨の中。
なんだか、遠かった世界が急に隣に来たような気持ちになった。
なんだ、同じだ。
私と同じだ。
がばっと起き上がって、上着を着て楽器のケースを持って部屋を出た。
途中廊下の窓から見たあのサッカー部寮と一般寮の別れ道にあるベンチはやっぱりぽつんと置き去りにされたように雨に濡れていて、もう二人の姿はなかった。一緒にいる理由の無い二人の時間がとうとう終わってしまったんだとなんだか寂しくもあり、付き合ってるなんて事実が無くてもあんなに想いが滲み出てる二人をもう見なくて済んで、ホッとする気持ちもあり。
また雨の中ぱしゃぱしゃと学校に向かう。
下駄箱で靴を履き替え廊下に足を踏み出すと、廊下の先から渋沢先輩が歩いてくるのが見えた。
「あれっ」
思わず声を出してしまって、すると渋沢先輩も私に気づき「ああ」と微笑んだ。
さっき見た微笑とは少し、違う。
「部活?がんばってね」
「はい、あれ、先輩は・・」
「なら寮に帰ったよ、何か用だった?」
「いえ、あの、なんだかとってもお似合いだったので、二人でどこか行ったのかなーと・・・」
渋沢先輩はきょとんとした目で私を見下ろして、その後ではっと笑った。
その顔はさっき見た微笑に少し似てる。
「や、俺が話し込んじゃって引き止めてただけだから。寒いのに悪かったな、カゼでもひかせたら俺のせいだな」
「あ、そうなんですか。渋沢先輩は学校に行くとこだったんですか」
「いや、職員室に用があったんだけど、と話してたらそのまま帰っちゃって」
さんのことを話す渋沢先輩は、普段通り過ぎるときに見かけたり部活の練習の時に見せてる顔とは全然違う。こんな寒い廊下でもぽっと光がさすような、冬を飛び越えて春を連れてきたみたいなあたたかい色。きっと頭の中に、さんがいるからだ。
この人はわかっているのかな。
放つ言葉の端から端までが、さんがすきと言ってるようなものなこと。
「渋沢先輩って、さんが好きなんですよね」
「・・・え?なんで?」
「や、だってもう、ひしひしと伝わってきます」
「ええ?いやいや、そんなことは、」
「いいじゃないですか、みんなお似合いだって言ってますもん。それにさんが誰かと付き合うなら絶対渋沢先輩がいい。だって他の人じゃさんはもったいないもん」
「はは、すきなんだねのこと」
「はい、だいすきです」
綺麗で、優しくて、憧れの人。悔しいけど、私もあの人がだいすき。
だから、渋沢先輩が誰かと付き合うなら、さんがいい。
「そうだ!これあげます。ここのケーキさん大好きなんですよ」
「え?」
「もうすぐクリスマスだし、お二人でどうぞ!」
私はカバンの中から近所のケーキ屋さんの割引券を取り出し押し付けるように渡した。
きっとこの二人には何か大きなきっかけがいるんだ。どうもいまいち踏み出せない二人らしいから。
「はは、ありがとう。なんかサンタクロースみたいだな」
「え?」
「クリスマスにプレゼントを持ってきてくれるサンタクロース」
ぽっと灯る光のような笑顔の向こうに、春が見える。
「違うと思います。サンタクロースは幸せを運んでくる人だから、先輩のサンタクロースはさんです」
「はは」
この冷たい季節に、幸せの詰まった夢を運んできてくれる。
しあわせになれ。しあわせになれ。
唄いながら。
「少し早いけど、メリークリスマスです」
「メリークリスマス」
あたたかい春から抜け出して、冷たい階段を駆け上がった。
冬の匂いは鼻をついて、きゅっと痛みを覚える。
誰かのトランペットの音がする。
この時期に相応しく、クリスマスの曲を吹いている。
ドアを開ける前に足を止めて、息を吐き出した。
一緒に毀れたものを一度噛み締めて、でもすぐに飲み込んで、すぅと息を吸った。
私にはまだまだ寒いクリスマスだけど、幸せはどこにでもある。
それを私はきちんと見つけられる。
サンタクロースになって、唄える。
大好きな人よ、しあわせであれ。
しあわせであれ。
クリスマス企画2007作品