駅に入るまでもなく向かっている時点でなんとなく感じていたが、さすがは12月25日の夜、駅はホームに入りきらないほどの人でごった返していた。
「おいおい何だこの人の山は。電車乗れんのか?」
「ひぇー、帰宅ラッシュプラスクリスマスラッシュね」
「そーか、今日クリスマスか。すっかり忘れてた」
仕事上がりのサラリーマンや着飾ったカップル、家族連れなんかで揉み合いになってる駅は、数分単位で到着しては発車する電車をもってしても削減することができずにちっとも前に進まない。そんな中でデカいスポーツバッグを持つ集団は普通の人間以上に迷惑な存在で、さっきからホームに立っているだけで行き交う人の痛い視線が突き刺さっていた。新しくマネージャーとなった赤木の妹は無理やり間を抜けていこうとするヤツにぶつかられ謝って、それにキレる桜木が怒鳴り暴れ周りの1年が総出で止めて。
「三井センパイ、止めてくださいよ桜木を!」
「あ?なんで俺が」
「赤木センパイも木暮センパイもいない今、桜木を止められるのは三井センパイしかいないですよ!」
「ヤダね。そんなもん新キャプテンの仕事だろ」
桜木の巨体を止められない1年ボウズたちの訴えを無視すると、うしろで宮城が「コラ花道ぃ!」と公衆の面前で堂々とオニキャプテンぶりを発揮していた。あいつはどうも”キャプテン”というものを勘違いしている節があるから俺もたまにイラッとしてやり合ってしまう。
とはいえ冬の選抜が終わった今、本格的に俺の高校でのバスケは終わりを迎えた。この大会での成績で大学からスカウトでも来ればいいが、なければ俺はまたバスケをする機会も居場所もなくしてしまう。それが駄目なら赤木たちみたく受験して大学へとも思うが、そうするとまた時間をくってバスケができなくなる。
「ちきしょう……、やっぱあの2年が無駄だった……」
「なんスか?三井センパイ」
「なんでもねぇよ。ちょっと電話してくらぁ」
思わず口に出てしまったボヤキを、ちょうど俺の口元に耳がある身長の桑田が拾って聞き返してきた。バスケを取り戻してから何百回とくり返し後悔したことだが、そんなことを他の部員……ましてや後輩になんかこぼせない。俺は電車を待ってる集団から抜け出てホームの中ほどにある公衆電話に向かっていった。
自動販売機の隣にある黄緑色の公衆電話に近付いていくと、電車を待つ列と重なってその電話にも長い列が出来ていた。さっきからホームに流れるアナウンスも混雑による電車の遅延を叫んでいて、電光掲示板にもそれぞれ遅れている時間が赤文字で光っている。神奈川向いて出発するはずの電車もすでに15分遅れていて、これじゃ帰りつくのも何時になるか分からない。また「ヤベェな」とぼやいて冷えた頭を掻くと、背負ったバッグについた赤いお守りの鈴がチリンと小さな音を鳴らした。
”選抜?出るの?”
……あれはまだ季節が冬っぽくなる前、受験一色で休み時間でもどこか張りつめた空気を出してる教室の真ん中で、シャーペンを滑らせる手を止めたが俺に振り向きそう聞き返した。そりゃそうだ、普通3年は夏で引退するもんだから。周りだってもう部活なんてやってるヒマもなく受験に向けて教科書と睨みあい、も休み時間までノートとにらめっこ。
『おおよ、悪いか』
『悪くはないけど……、三井くんは進路、どうするの?』
『……だから、その選抜で成績出しといて、推薦もらえればもうけモン』
『あ、なるほど。インターハイも行ってるもんね、きっともらえるよ』
『いや、きびしーだろ。3年でしか成績ねぇからな』
『しょうがないじゃん、三井くん不良だったんだから』
『……』
まったくもってその通りで、そうサラッと言われると腹立つことも忘れる。
『お前はどーなんだよ、受験べんきょー』
『もうヤダよぉ勉強ばっかり塾ばっかり。早く春になってほしいよぅ』
『塾行ってんのか、本格受験生だな』
『私には三井くんみたいに推薦してもらえるようなものないもんね』
『だから俺だってもらえるかどーかもわかんねぇって言ってんだろ』
『だってなんか三井くんてずるいもん!2年も不良だったのになんかポンって推薦もらえちゃいそーだもん!春にはフツーに大学生やってそーだもん!』
『なんでそーなんだよ!』
『ずるい!くやしい!私が内申書にでっかく不良って書いてやりたいっ!』
『不良不良いうなっつーのテメェは!』
『不良!ヤンキー!うわん!』
3年の教室のほとんどの人間がそうなように、受験一色で娯楽もなく毎日毎日教科書と睨み合うはそうとうストレスが溜まっているようで、勉強の話になるとだいたいこんな風に俺に悪態ついてくる。俺がバスケやり始める前は俺にも徳男たちにもビクビクして敬語まじりにしゃべってたくせに、今じゃもうその影も形もない。毎日をちゃんと生きてるに比べたら俺なんて底辺からの出発なんだから悔しがられる道理なんてひとつもないのに。
『いまチームどうなの?』
『赤木が抜けた穴はでけぇからな。まぁそれは他んとこも条件は同じだけど』
『でもあの1年生の子、戻ってきてるよね。赤い髪の』
『あーでもあいつも本調子じゃねーからな』
『なんか駄目そうなことばっかりいうなぁ』
『……。悪かったな、染み付いてんだよそういうのが』
『そういうのって?』
たしかに昔は、やけにきれいな風景しか見えていなかったから言うこともやることもバカみたいにキラキラしてた。自分にもバスケにも自信しかなかったし、俺にはてっぺんに向かっていく道しかないんだと信じて疑わなかったし。
でもその先がいつの間にか見えなくなって、別の道どころか道すらなくなって、前に進むことも嫌になって背を向けて、でもうしろ向いたら向いたで過去の道ばっかり見えて、前よりうしろに行きたくて、行けなくて。堂々と歩くことすら怖くなったから、いつまた崩れてもいいように予防線張って、たぶん駄目だから、どーせ駄目だからって。
『あ、じゃあ私、三井くんにお守り買ってこよ』
『は?お守り?』
『選抜に勝つお守り』
『なんでそーなんだよ』
『お守りの力バカにしちゃいけないよ、持ってるだけで元気出るんだから。私もお母さんに受験に勝つお守りもらったの、ホラ』
そう言ってはカバンにつけた赤いお守りを見せる。
そういや他のヤツにもチラホラ見える。いろんな色、大きさのお守り。
『神頼みかよ』
『私も今までお守りってべつに意味感じてなかったけど、最近分かったの。これって人にもらうからいいんだね。なんか、誰かに守られてるって感じがいいの。信じてもらってる感じがいいの』
『……へぇ』
『選抜っていつから?』
『本戦は24から』
『わ、クリスマスイブだね』
『予選勝ち抜けばな』
『じゃあクリスマスプレゼントは選抜優勝だね』
『あー……』
またそうやって言葉を濁すと、が機嫌を損ねた顔をするから、ハイハイとテキトーな返事をした。
それから季節がさらに冬めいて、そんな中にシャツ一枚でもぜんぜん平気なくらい体育館を走りたくって、ひとつひとつ県予選を突破して、学校は日に日に受験のシビアさが広がって、期末テストで誰もが浮かない顔を残したまま、2学期が終わった。
が頑張ってねと力を込めて託した赤いお守りは、選抜優勝を導くことにはならなかったが、県予選を勝ち抜くことには一役買って無事選抜には出場出来て、推薦が取れるほどの活躍ができたかは定かじゃないが、何故か妙な安心感があって、たしかに守られてる気がした。誰かが守ってくれてる、誰かが信じてくれてる。それが力になる。その意味が分かった気がした。
がんばってね、絶対勝てるよ。
そうお守りを渡された日、俺はとひとつ約束をした。
『お前んちの番号教えろ』
『え?電話番号?』
『24日の夜、お前ん家に電話するから、お前が出ろよ』
選抜初日の24日、初戦の結果を電話するからって。
俺の言い訳じみた理由には笑って頷いて「楽しみにしてる」って。
初戦は勝ったから緊張しながらもかけた電話は会話ができた。けどその翌日にかけた電話はいい知らせじゃなかったから、電話の向こうでが明らかに沈んだような気配が感じ取れた。でもは「お疲れ様」って、とうとう終わった俺のバスケをねぎらったから、なんだか体が軽くなったような気がした。なぜか救われたような気がした。
けど俺はもうひとつ、腹に決めたことがあったから。
『今から神奈川帰るから、出てこいよ』
外に出れば乾いた冷たさが身にしみて、ただの道も建物もギラギラした光で飾られてるこんな日に、あつらえたような。去年もおととしも霞んでしか見えなかったこの日の景色が、妙に眩く見えた。
なのに。そんな時に限って。
「三井センパイ、電車来ますよ!」
「おお」
遅れそうだとに伝えようとしたが、電話の順番が回ってくる前に乗る電車が流れ込んできて電話は出来なかった。詰め込まれるようにして乗った電車は居心地悪く進みも悪く、時間ばかりが気になって時計ばかりを睨み上げていた。
「どうしたんスか三井さん、そわそわして」
「あ?なんでもねーよ」
「三井センパイ、まさかデートの約束でも?」
「ああっ?でーとだぁ!?」
「コラ、静かにしなさい桜木花道」
「そっか、クリスマスですもんね」
「あ、アヤちゃん、俺らもこの後どっかでメシでも……」
すし詰めの車内で迷惑極まりない桜木の騒ぎ声と、ドアにもたれ眠ってる流川。オニキャプテンの面をあっさり剥がされだらしない顔の宮城と、混雑で聞こえないフリをするマネージャー。のろい電車はこれからクリスマスを楽しむ人間、まったく関係ない人間を乗せて混雑したまま走っていった。
デート……ではない。俺とはべつに付き合ってるわけじゃないし、学校以外で会うこともない。同じクラスでなけりゃ、あいつが俺に寄ってこなきゃ、今みたく軽く話すこともないだろう存在でしかなかった。
俺はたぶん、きっと……が好きなんだろうけど、俺から何かを発することはどうしてもできなかった。バスケを取り戻し自分を取り戻したって、まだ俺には明るい道なんて見えてなかったし、自信なんてあるわけがないし、過ぎたことをいつまでも後悔してる始末だし。だから、あいつを好きだとしても、だからって付き合いたいとか思えない。だってあいつはいいヤツだ。誰にでも好かれるヤツだ。そんなヤツがなんで俺みたいなヤツと?そんないいヤツならもっと他に似合ういいヤツがいるだろ。……そんな想いが巡って、何かを起こそうって気にならなかった。なろうとしても出来なかった。がむしゃらに前を走ろうと決めたのに、蓋したはずの黒い、弱いものが滲み出て、振り払えなかった。汚れでしかないそれはもう俺の一部として染み付いてしまっていた。
でも今は、今なら少し、何か起こせる気がした。
大嫌いで見たくもなかった自分をあいつにあつらえることは出来なかったけど、色とりどりの電飾がちゃんと光り輝いて見える今なら、あいつに見せられる気がした。何か言える気がした。
「お疲れっした!」
「おう、練習始まるまでちゃんと走っとけよ」
ひとり、またひとりと減っていく電車はだんだん身軽になって、ごちゃごちゃ騒がしい都会から見覚えのある景色へと変わるころには重いカバンを置いて座れるほどになった。部員も駅に着くたび誰かが降りていって、俺もやっと降りる駅がアナウンスされてカバンを背負って立ちあがり。
「急いでるッスねーセンパイ、まだ駅じゃないっすよ」
「三井センパイの彼女ってどんな人なんスか?」
「あら知らないのやっちゃん。バレー部の人ですよねぇー?」
「うっせぇ!」
浮ついた目を寄こす部員たちに怒鳴り返し、降りた駅のホームで見た時計は約束した時間より1時間半も過ぎていた。その上真っ暗になった空はどんどん温度を下げて、遠くにチラチラと細かな雪までちらついてる。ヤベェ、あいつ帰っちまったか。そうでなくてもヤベェだろ、受験控えた人間にこんなとこで待ちぼうけくらわせるなんて。せめてどっかの店で待ち合わせりゃよかったか。
狭いホームを走り改札を抜け出て、あいつがいるだろう方を見た。まだいるなら、踏切を渡ったところのでかい時計とベンチがあるとこにいるはずだ。自分が乗ってた電車が発車し踏切が開くのをイライラ待って、真っ暗な外とは裏腹に明るくあったかそうな車内からあいつらがまだ浮ついた目でこっちを見下ろし過ぎ去っていくのを見て、警報の止んだ踏切のバーを押し開ける勢いで反対側へ渡り見えてきた時計のほうに走った。
暗い中でポツンと電灯があるだけのそこは、クリスマスらしい気配もなく殺風景で人通りも少なかった。同じく駅から出てきた人間が身を固くして足早に通り抜けていって、その中に動かず居残っていた、人影。
「……ばかやろ」
いた。がいた。
ベンチにも座らず、冷えた体が固まってしまわないよう同じ場所をくるくる歩いて、寒そうに手を口元であっためて、マフラーをぎゅっと握って駅のホームを覗きこんで。
あ、
ピタリと動きを止めて俺を見つけたが、そう言ったのが分かった。
あいつ、笑ってる。震えた体で。冷たい頬で。それでも。
いつも隣でそうしてる時と同じ。
……けど、小走りで近づいてくるあいつに駆け寄ってくと、笑ってたはマフラーの中で泣きだした。
「」
近寄って見えた顔は変わらず笑ってるのに、涙だけボロボロ、乾いた頬に。
そんな顔をするから、そんな顔なのに笑って「おかえり」なんて言うから、もう距離なんて分からなくなって、手の届く位置にきたの頭を力任せに引き寄せ抱きしめた。
「悪い」
「……ううん、大丈夫」
「んな泣いて、大丈夫とか言うなよ」
「うん……なんだろ、ぜんぜん、泣く気なかったんだけどな」
「ずっと待ってたのかよ、どっか入ってりゃいーだろ」
「だって、いつ来るか分かんないし、行き違いになっちゃいやだし」
「……いや、悪い、ごめん」
「ううん……」
なんで泣いてんのか、自分でも分かってないみたいなの涙を止めたくて謝ってんのに、俺が謝るとはもっと泣いてしまって、いつまでも俺の腕の中でぐずぐずと泣き続けた。いろいろ、あれ言おう、これ言おうって電車の中で思ってたのに、その全部が吹き飛んで、口から出るのは白い息とたまの謝罪だけだった。
それでもは笑ってた。泣いてたけど、笑ってた。
寒くて震えてるくせに、あったかいって笑ってた。
こいつが好きだと心底思った。
お前に好きだって言うために、もっと強く、いい人間になろうと。
「三井くん……すきー……」
「……」
先に言うなよ、ばかやろ。
クリスマス企画2011