知らないあなた様




卓球っていったら、カコンカコンってかわいげのある音が響いて、白い空っぽの球が行ったり来たり、スポーツには珍しく小さなテーブル範囲だけで行われる、あまりカッコいいとは形容しがたい地味ぃな競技ってイメージ。

「うわ・・・」

球は目で追えないくらいハイスピードで右へ左へ駆け巡り、音は単音ではなくすべてが連なっているように聞こえ、たった2・3歩動くだけなのに選手は汗を飛び散らせて、一打一打に渾身の力と緻密な計算と魂が込められている、これは・・・ほんとに卓球?

「ッシャーラァ!」
「クッソォオ!裏使うんじゃねーよペコぉ!」

テーブルを弾いた白球は向かい側から振られたラケットの遥か先をすり抜けてそのまま床に直面し、壁に跳ね返ってコロコロンとかわいい音をたてた。ぜぇぜぇ熱い息と汗を吹き出す佐久間の前で、拳を握った星野がカッカと高笑いしている。

「使わなきゃ練習にならないよ」
「そーだぞアクマァ、オイラの練習なんだかんよ」
「じゃースマイルが相手すりゃいーだろーがよ!」
「僕が出来ないからアクマ呼んだんじゃない」
「なんで出来ねーんだよ!」
「はい次、ペコサーブ」
「ホラ球取れよアクマ!」

クソっと吐き捨てる佐久間が小さな球を拾い所定の位置に戻っていく。
あの3人は中学の時から関係性がまるで変わってないな。
ああ、でも佐久間は見た目が変わったな。その辺ですれ違っても気づかないだろう。

カッ!また卓球らしからぬ音を立ててゲームが始まる。
板間のフロアにテーブルが5台、一列に並ぶ卓球道場「タムラ」は、外の通りから見たことはあるものの中に入ったのは初めてだ。ここに星野をはじめこの卓球おバカたちがいつもたむろっているのは知っていたけど、まさかそれを追いかけて中に入るまでの勇気は、あの頃の私にはなかったし。

「あ」

受付横に出してもらったパイプイスに座る私は、壁の高いところにかけられているいくつもの額入り写真に気づいた。この「タムラ」で卓球の腕を磨いた子供たちが残した功績が讃えられている。
その中のひとつ、表彰状とメダルを掲げる3人の子どもたちは、今まさにそこで卓球に熱を上げているあの3人だ。まるで背中に羽根でも生えてるんじゃないかというほど生き生きと飛びまわる星野、鬼の形相で小さな球を睨みつけてる佐久間、冷静沈着な深い瞳でゲームを見つめている、誠。

だけどその写真の中の誠は、私が知っている彼ではなかった。
大きなトロフィーを抱えて無邪気に笑っている子供の頃の彼。
2位の台に笑顔で立つ今年の日付が入った彼。
今も昔も、彼のこんな笑顔、私は知らない。

「アクマー、ちっとも相手なんねーな、練習なんねーだろー」
「だったらおとなしく部活動に精出してろよ」
「だって今日休みなんだもんなースマイル」
「次、サーブアクマ」

大の男どもがあんな小さな球を追いかけ1点1点に苦楽を体現する。
怒り沸騰して荒々しく床を踏みしめる佐久間だってあの小さな白い球だけは指先でそっと優しく拾うのだ。
中学時代はスポーツとも言い難いほどこの上なく地味な競技に見えていたのに。
不思議なスポーツだな、卓球って。

「21−8、ゲーム、ペコ」
「ヒャハハハー!3世紀早まったなアクマァ!」
「うっせぇな、俺ぁ3世紀後でまで卓球やらねーんだよお前やスマイルと違ってよ」
「僕も3世紀後でまではやってないと思うな」
「いーからお前は今やれ、ペコの相手なんてお前にしか出来ねーんだからよ」
「だから僕はやらないってば」
「だからなんでだっつーんだよ!」

白熱して湯気さえ目に見えてしまうゲームが終わり、テーブルの横で得点を数えていたスマイルこと誠は立ち上がり上着に袖を通した。季節はだんだんと冬に向かっていく頃だといえど気温はまだまだ高いのに、ずいぶんと暑そうな上着だな。

「お待たせ」
「あ、いえいえ」

曇ったらしいメガネのレンズを拭きながら、そのまま真っすぐ受付横のパイプイスに座る私の元まで寄ってきた。写真を見上げていた私は目の前にいた誠に振り向き「行こう」という静かな彼の言葉に立ち上がりついていく。

「チッ、スマイルが女連れなんて世も末だな」
「あいつデートだから汗かきたくないっつったんだ、どー思うよアクマ」
「あいつの口からデートなんて言葉が出ることが天変地異だな」
「じゃあねペコ、アクマ」
「おー、おみやげヨロシクー」

台の前でやいのやいのと言葉をかけてくる二人を素通りして、誠はタムラを出ていった。
まだ蝉の声がする夏の気配を残した外を涼しそうに歩いていく。
青が高くなったように感じる空を仰ぎ、夏の名残りを一掃する風を感じているようだ。
ひとりさっさと秋を過ごしている。彼は。

「いいの?卓球しなくて」
「休みは休むためにあるんだよ」
「星野はちっとも休んでないみたいだけど」
「ちゃんと遊びの卓球やってるよ」
「遊び?あれで?」
「一度試合見に来るといいよ。すごいから、ペコ」
「ふーん」

アレよりすごい星野、は確かに見たいけど。
どちらかといえば私は、あなたの卓球してるところが見たいですよ。
卓球をしている誠はあんな笑顔を見せるらしいから。

「佐久間も同じ学校なんだっけ?」
「アクマは海王に行ってたけど今は辞めたよ」
「え?辞めちゃったの?」
「暴力事件起こして退学」
「えっ!?なんでまた・・・」

それから誠は電車に乗り込みながら、去年の出来ごとを淡々と話し出した。
去年のインハイ。それから佐久間が卓球を辞めたこと。その引導は自分が渡したこと。
ひとつひとつ狂いなく、年表でも開いてるかのように淀みなく。

「今年のインハイはほんとにすごかったんだよ。も見に来ればよかったのに」
「そんなの出てるってことも知らなかったから」
「風間さんって人が海王にいてね、アクマの先輩だった人なんだけど」

やっぱりインハイの話になると誠の表情がふと和らぎ口調も軽くなる。
開いていた年表がいつの間にかアルバムに代わったかのように。
私はこの、今年のインハイに、何か彼の中で大きな変化があったのだと思っている。
ほのかに笑ってる誠はやっぱり知らない。

「楽しそうだね、卓球」
「やりたくなった?」
「いや、そうじゃないけど」
「タムラ来ればいつでも出来るよ」
「いいのかなぁ、私があそこに入れてもらって」
「なんで?」
「だってやっぱりあそこは君たちだけの神聖な場所って感じじゃない?」

並んでシートに座る誠はうつむけていた顔を天井に変えて、何か考え込んでるよう。
私の言ったことの意味が分かってないみたい。

だってやっぱり男の子って何か特別なものを持ってる気がするんだ。
ペコ、スマイル、アクマ。
いつまでもそんな名前で呼び合う彼らだけの、何か、神聖で特別な。
そんな中に別の誰かが入るなんて。しかも女の私が。

だからいいんじゃない?」
「・・・」

何を持って、私だからなのか。
どういう経緯を辿ってそんな答えに行き着いたのかは分からないけど。
私があの場所にいることを、この人に許されて、私の心はこっそりと喜んだ。
休日に私を呼び出して、私の隣に座って、それを「デート」と呼んだ彼。
気軽に私の名前を呼ぶ。分かりにくいほのかな笑みを携えて。
本当に、誰ですか、この人は。
知らない。

「ところでどこ行くの?」
「遊園地」
「・・・遊園地?」
「嫌?」
「イヤって言うか・・・似合わない。好きなの?」
「好きではない」
「ぜんっぜん分かんないね」

それから誠は、半年くらい前に遊園地に行ったときのことをまた淡々と話した。
去年の冬のこと。卓球を辞めてた星野のこと。コーチのこと。
多弁な彼もまた、知らない。

「前はコーチと行ったんだ」
「コーチと?ふたりで?」
「うん。なんでだか分からないけど急に連れてかれて」
「ふーん・・・。誠の周りはヘンな人ばっかりだね。まぁ負けじと誠もヘンだけどね」
「うん。自覚してる」
「自覚してるんだ」
「うん。でもそんなヘンな俺を好きなも十分ヘンだと思う」
「・・・」

たしかに・・・。
何も反論できず言葉に詰まっていると、隣でふと誠はまた笑った。

「よく笑うようになったね。昔は鉄仮面だったのに」
「なんだろうね。疲れなくなったんだ、笑うの」
「大人になったんだね」
「そうなの?」
「そうだよ、きっと」
「大人か」

だけどきっと彼らは変わらないんだろう。いくつになっても。
ペコ。スマイル。アクマ。
その呼び名だけは。


「ん?」

降りる駅に行き着いて、隣で誠が立ち上がる。
開く扉に近付いていく。私の手を取って。

「おとなって、緊張するなぁ」

流れてきた彼の手の温度と、伝わってきた緊張と、彼のこぼした声と。
ほのかに笑う、メガネの奥の彼。





知らないあなた様