moment - Levi:attack on titan




脛に巻きついた赤く染まった包帯がゆっくりと剥がされていく。
それはまるで皮膚が剥がされるようで、オルオは痛みより感触の悪さに顔を歪めた。

「傷口が開いてしまっていますね。塞がるまでは過度な運動は控えた方がよろしいですよ」
「過度じゃなきゃ訓練になんねーじゃねぇかよ」
「ムキになり過ぎよ、リヴァイ兵長に敵うわけないのに」
「そんなの分かって挑んでんだよ!」

腕を組んで見下ろしてくるペトラに唾を吐きかけるオルオは、
思わず踏みしめた左足に痛みを走らせ「いでぇ!」と叫び声を上げた。
その足元で、兵の治療の手伝いに調査兵団本部を訪れていた医者の彼女が傷口を診る。
先日の壁外調査の際に負ったこの裂傷を手当てしたのも彼女だった。

「ちくしょう、どうやっても勝てねぇ。次元が違い過ぎるぜ」
「リヴァイ兵長と闘って、巨人を倒す訓練になるんですか?」
「兵士は全員、訓練兵時代から対人格闘は学ぶもんだ。相手が巨人だからって
 飛び方と斬撃だけじゃ勝てねぇ。相手が巨人だろうと人だろうと、戦いの勘ってのが必要なんだよ」
「まったく相手になってないけどね」
「うっせぇ!」

ペトラの口車に乗ってすぐに動いてしまうオルオを制止させ、彼女は傷口を治療していく。
久々に調査兵団の治療に戻ってきた彼女だったが、この二人は2年前となんら変わりなく、
相変わらず仲がよろしいですねとマスクの中で笑むと「よくない!」と同調した声が返ってきた。

「そういえばいつだったか・・・ハンジ分隊長が言ってたわよね。
 リヴァイ兵長が本気で殺そうとしてきたら、どう戦えばいいかって」
「ああ、あったな、そんなこと。あん時は兵長より分隊長に殺されるって思ったけどな」

突然ペトラが口にした話に彼女は思わず手を止め顔を上げた。
リヴァイが、部下を殺す?

「とてつもない強大な敵を倒すにはどうすればいいかって話よ。
 あの頃分隊長は巨人の生態調査にもっと力を注ぐべきだと強く主張していてね、
 でもあの頃の兵団は行路作りが第一だったから、ハンジ分隊長の意思は通らなかったの」
「巨人なんて殺すだけでも何人も犠牲になるのに、生け捕りなんて無理だと思ってたからな」
「それがハンジ分隊長の逆鱗に触れちゃって。その時に、分隊長が言ったのよ。
 例えばリヴァイ兵長がお前を殺そうとしてるとしたら、どう戦う?って。
 分隊長は標的を徹底的に調べ上げることだって。嫌いな食べ物から女の好みまで」

あれは1年くらい前だったかな・・・。
ペトラとオルオが話す昔話に、彼女はマスクの中でホッとした。
いくら兵士同士の話といえど、殺すだなんて、穏やかじゃない。

「けど、嫌いな食べ物はともかく、兵長の女の好みなんて絶対に分からないよね」
「そうですね」

あははと笑い声を上げるペトラに同調して彼女も目を細めて笑う。
オルオは治療しながら自分の足元で笑っている彼女に眉をひそめた。

「あ、兵長がもう戻ってる。オルオ、行くよ」
「まだ包帯巻いてねぇよ」
「もう、先に行ってるからね!」
「おお」

窓の外の訓練場にリヴァイを見つけたペトラは、すぐさま治療室を出ていった。

「すみませんオルオさん、すぐに包帯巻きますね」

消毒液を塗り終えた彼女は白い包帯を取り、傷口を覆って巻き上げていく。
その慣れた手はいつも通り丁寧で淀みなく、もう痛みもさほど感じない。

「アンタのソレはすっとぼけてんのか? それとも余裕か?」
「え?」
「アンタが兵長の女の好みを知らねぇわけねぇだろ」

台に乗せている左足にしっかりと包帯を巻きつける彼女の手がふと止まる。
治療の手を見下ろしていたオルオは、黒く大きな瞳を向けてきた彼女から目を背けた。
触れるほど近くで向き合っているオルオと彼女の間に一縷の静寂が走る。
けれどもすぐにその境界を解いたのは、柔らかく弧を描きふと笑んだ彼女の空気だった。

「オルオさんは、どんな女性がお好みなんですか?」
「オレ? そりゃあ女らしくしとやかで、メシがうまくて気が利いて美人でよ。
 顔が良くてもかわいげがなけりゃダメだ。 髪も短いより長い方がいいに決まってる!」

それで胸がデカけりゃ文句ねぇな!
堂々と言い放つオルオの前で、包帯の先をきゅと縛った彼女はクスクスと笑う。

「オルオさんの想い人は素敵な方ですね」
「・・・」

マスクの隙間を縫って届いた彼女の言葉に、オルオは口を開けたまま息を通せなくなった。
想い人ってなんだ。何の話をしてる。好みの話をしてるんであって、想い人なんて。
頭の中に飛び交う言葉はいくらもあったのに、それらはひとつも口をつきはしなかった。

「はい、出来ました。お待たせしました」
「ああ・・・」

脚から彼女の手が離れていってオルオはようやく言葉を思い出す。
立ちあがって床に足をついてみても痛みはない。

「・・・」

彼女に言われ、オルオはようやく、少しわかった。
浅はかで漠然とした「好み」なんて・・・無意味なものだったんだ。
だって、実際目に見えているものなんて。

「なぁ、例えば、リヴァイ兵長を殺すために・・・アンタを人質に取ったとして」

汚れた包帯を片付ける彼女がオルオの言葉に振り返る。

「オレは兵長を、殺せるか?」

マスクで顔の大半を覆い隠す彼女は、その瞳でいつも柔らかく微笑んでいる。
弧を描いていないまっすぐな目を見るのは・・・初めてかもしれない。

「私よりオルオさんの方がリヴァイ兵長のお力は良くご存じでしょう」
「そりゃあ・・・。だが、アンタが人質になったとなれば、」
「変わりありませんよ。相手が誰であろうと、どんな状況だろうと」

だけどそれも一時の間。今はもうふわり揺れる、溢れる光のような笑み。

「リヴァイ兵長は、人類最強、なんでしょう?」

それはまるで壁の向こうから差し込む朝日のような。夜空を照らす月明かりのような。
至極当然で、揺るぎない。

(疑ってもねぇってか・・・)

いつもマスクの中に隠れてる、誰よりも何よりも密やかな存在であるのに。
どうやっても閉ざすことのできない、朝日のような。月明かりのような。

ペトラのヤツ・・・失恋決定だな。
ベルトを直しブーツに左足を突っ込みながら、オルオは心の隅の隅の方で呟いた。



moment 2 - Levi:attack on titan



夕餉の煙も沈下した夜。
代わりに柔らかな紅茶の香りが部屋を満たしていた。

「女の好み? なんだそりゃあ」

カップを掴んだ手を口元に寄せながら、リヴァイは彼女の言葉を反復する。
もうひとつ紅茶を入れた彼女はカップを持って斜め前のソファに腰を下ろした。

「今日たまたまそういう話になって、リヴァイさんに女性の好みってあるのかしらって」
「何がどうなったらそんな話になるんだ」

香りを愉しみながらこっちを見てくる彼女の前でリヴァイは紅茶を口に含む。
入れたばかりの紅茶は舌にはまだ熱く、彼女はカップを置くとリヴァイの隣へ場所を変えた。

「教えてください、どんな方がお好みなんですか?」
「ねぇよそんなもの」
「何かありますでしょ? お顔が綺麗とか、おしとやかな方がいいとか」
「ガキか俺は」

すぐ隣からまるい目を差し向けてくる彼女は、返事を期待して爛々と光っている。
時折彼女はこんな風に、まるで無垢な顔をしてよく分からないことを聞いてくる。
こんな夜更けに、家に二人きり、ひとつのソファに隣り合って腰掛ける位置にいる彼女が。

「今さらお前がそんなこと知ってどうする」
「リヴァイさんのお好みに近づけるように努力します」

カチャンとカップを皿に戻したリヴァイは、彼女の返答にほう・・・と感嘆をこぼした。
いまだ答えを待って、まっすぐ黒い瞳で覗きこんでくる彼女。
その彼女の腰に手を回し、ぐいと引き寄せ膝の上に乗せると小さな悲鳴が飛んだ。

「強いて言うなら・・・膝の上に乗ってキスをせがんでくるような女だな」

先程までと逆転して、見下ろす彼女が鼻先にくる。
なんの疑問もなく、まっすぐ透き通るようだった彼女の目が今さらじわり濁った。

「もう、そういうことじゃなくて」
「そういうことだ。ほら、せがめよ」

ぷ、と彼女は不満げに口唇を尖らせる。
その柔らかな口唇に親指を押しあてて、リヴァイはまた一度「ホラ」と誘導した。

「キス・・・してください」
「もっと」
「キスして」
「もっと」

嘲笑うようなリヴァイにさらに口唇を尖らせた彼女はがぶりリヴァイの指に噛みつく。
ふと吹き出しリヴァイは彼女の口を引き寄せると、その柔な口唇に口付けた。
噛みつくように重なって、混ぜ合うように絡み合って。
欲望のまま、欲情のまま。密接しては隙間を生んで、吸いついては舐めて。
上唇から下唇、舌から歯まで。上手にかみ合って、下手くそにぶつかって。

「は・・・」

毀れる彼女の髪を絡みとり、頬を染め熱を帯びた瞳で見下ろす彼女の吐息を吸い込む。
息つく間も、離れることも許さない我儘な手。頑固な腕。
この力が好き。この指が好き。この眼も、この肌も、この髪も、この口唇も、この喉も、この声も。

「あと、いい声であえぐ女がいいな」
「もう!」

ようやく離れたかと思えば吐かれる言葉に、彼女はドンとリヴァイの胸を叩いた。



sulky - Levi:attack on titan




嬉しい時は笑い、悲しい時は沈み、穏やかな時は気を抜く。
その表情は感情に揺さぶられ素直にくるくると変化する。
そんな彼女の心と表情を最も間近で見つめるようになって、気付いたことがある。

「だから、忘れてたわけじゃねぇよ」

彼女の表情が、すべての感情を忘れてしまったかのように。
まるで無になってしまう瞬間がある。

「急に決まっちまったんだ、明日しかねぇし」
「・・・」
「アレはまた別の日でもいいだろ」

人の感情を大別すれば喜・怒・哀・楽に分かれるという。
喜ぶことも哀しむことも、普段の穏やかな表情も彼女は素直にしてみせる。
ただひとつ、それだけは苦手なのだ。怒るという感情だけは。
決して睨みつけたりなどしない。眉をひそめたり、口を荒げたりもしない。
だから・・・こんな風になってしまうのだろう。

「仕方ねぇだろ、決まっちまったんだ」

それがどんなに正しかろうと、どんなに仕方のないことだろうと。
言っていること、自分の行い、すべてが言い訳にしかならない。
そう思わせるほど、彼女はひたとまっすぐ、ただまっすぐ、見つめてくる。

「文句があるならアイツにいえ」
「・・・」
「またすぐに連れてってやる。それで我慢しろ」

自分の発言、行動、真実、虚構。
すべてを自分自身で見つめ直させるかのように。
そもそも・・・自分だってそう言い訳などが巧い性質でもない。
言い訳なんて行為自体、考えたこともなかった。人の機嫌を取ろうとすることも。
こちらの行動に文句でもあればコテンパンに言い返してきた。
言い分も反論も怒りもねじ伏せて我を通してきた。それでまかり通ってきた。

「・・・だから、」
「分かっています」
「あ?」
「仕方のないこと。明日の予定はなし。分かりました」
「・・・」

まるで機械的。頭の中の言葉をそのまま口に伝達しただけのような。
その過程で入り混じるべき感情も本能も洗い流したかのよう。
想いのままを口にすることなどない。怒りの切っ先すら滲まない。

「そうじゃねぇよ」
「・・・」
「理解しろってんじゃ・・・、いや、そうは言ったが、そうじゃなくてだな」
「・・・」
「飲みこむんじゃねぇよ。文句のひとつやふたつあるだろ」

普遍的に、何も感じていないような無表情で、ひたと見つめてくる。
その顔を、感情ごと崩したくて、リヴァイは彼女の柔な頬をぎゅっとつまんでみた。
いた、とようやく目を細める。

「黙るな。思ってること全部言え」
「・・・」
「文句でも愚痴でも罵声でもなんでもいい。なんなら殴るか?」
「そんな」

だんだん、少しずつ、彼女の目に不平が混じってくる。
困惑するような表情の中に不満が覗きだす。

「ほら、言え」
「リヴァイさんのバカ」
「おお、俺が悪かった」

文句を言われればそれを倍にして返してきた。
不満を向けられてもねじ伏せてきた。

「あ・・・?」

それが・・・なにフツーに謝ってんだ。




sulky 2 - Levi:attack on titan




暑い季節だろうと、昼間では見かけることのないノースリーブの肩に
丁寧に梳かれた長い黒髪がさらりと流れ落ち、リヴァイはその髪を彼女の耳にかけ直す。
一日の疲れを洗い流し、もうあとはふとんへ入るだけだった彼女は
足先がちょこんと覗く白いナイトウエアで、ベッドの上で膝を抱えていた。

「仕方ねぇだろ」
「・・・」

うずくまるように膝を抱え、その眼はまっすぐ目の前のリヴァイにひたと向いている。
だけどその眼は以前とは違い、わずかに不満を垣間見せている。
そんな彼女の手に指先を絡めながら、リヴァイは言葉をかけ続けた。

「また今度でいいだろ」
「前もそう言いました」
「今度は忘れてたんじゃねぇよ」
「分かってます」
「しょうがねぇだろ、仕事だ」
「分かっています」

以前と違い、無表情ながらも返答があるあたり、彼女も理解している。
ろくに休日もない多忙な身であることも、自由の利かない立場であることも。
何より、わざわざこんな時間に家まで弁解をしにやってきた。
そんなリヴァイを責めることなど出来ない。
責めたいんでも、困らせたいんでもない。
だけどどうしたって、納得いかないのが女ごころ。

「次は絶対に連れてってやるよ」
「ぜったいですよ」
「ああ」

膝を抱える彼女の前で胡坐に座るリヴァイは、彼女の髪を撫ぜ腕を撫ぜ足の指先を撫ぜる。
一縷も逸らさず覗きこんでいる目も、指先から伝う温度も少しずつ彼女の心を穏やかにさせた。
ふと視線をリヴァイから足先へ外す彼女は、怒っているというよりただただ残念がっている。
楽しみにしていたのだ。ずっとずっとずっと。

「機嫌治ったか?」
「・・・」
「なんだ、キスするか?」

膝に口唇を押し付ける彼女の不満はまだ晴れないけど。
小さく頷く彼女は膝から口を離し、リヴァイに腕を伸ばした。
その腕を掴み、身体を引き寄せるリヴァイは膝の上に彼女を乗せると
曇った顔のままの彼女の頬にちゅと口唇を付けた。
ずっと無表情だった彼女の頬が、口唇が、目じりが、ゆるりと解ける。
不満げだった尖った口唇を指先で撫ぜ、まぶたに額に鼻筋にとキスを繰り返すと
彼女の目がようやくリヴァイの目に戻ってきたから、つんと尖った口唇を優しく食んだ。

ちゅ、ちゅ、と繰り返すごとに彼女の目を見る。
ひとつ、またひとつ合わさるごとに、だんだんとその眼に熱が映りだす。
腕を撫ぜ、肩を撫ぜ、ナイトウェアの細い背中を一層強く抱き寄せると
彼女の身体はキュンと鳴くように硬くなって、リヴァイに抱きついた。
ぎゅと強く抱く彼女の腕に、肩に、耳に、あやすように口付けていく。
するとすっかり機嫌が治ったのか、耳元で抱きつく彼女の笑った吐息が聞こえた。

「機嫌治ったか?」
「ううん」
「しょうがねぇな」

腕の中で首を振る彼女の身体を支えながらベッドへと倒す。
仰向けに見上げてくる彼女の目にもう不平も不満も微塵もない。
見つめ、鼻先をつけながら、彼女の脚を覆い隠すナイトウェアを捲し上げていく。
何枚も着重ねている普段と違い、夜はラクだとリヴァイは思った。

「もうダメです。下に先生たちいるから」
「テメェな・・・」

ぎゅっと抱きついておきながら。甘い目で見つめておきながら。誘っておきながら。
またキスをしようと近づいたリヴァイの口先を彼女の細い指先が止めた。
一体いつの間にこんな魔物になってしまったのかと、リヴァイは一人ごちた。