高い高い汽笛が鳴った。
世界が割れる、音のようだった。










B A M B I N A


STARTING OVER











運ばれてる間も麻の袋に包まれて薄暗く、それ以前に外はもう夜が更けているようで、どちらにしろ真っ暗だった。
外気がひやりと肌を摩る。潮騒が隣でさんざめき、その香りを充満させていた。


「下ろして、離してっ・・・」
「あー、暴れるな!」


じたばたと暴れるに手を焼いて、肩に担ぐ男が落としそうになりながらもよたよたと歩く。
真っ暗な鉄のコンテナの中はその重厚な作りに、どれだけ叫んだところで声が外に漏れることはないように思えた。それよりも、何よりも、手に残るザラッとした血の跡が、動かなくなった母の姿があまりのショックで、言葉を失っていた。でもこうして僅かでも光を見て外の空気に触れ匂いを感じた今、は襲ってくる恐怖を払拭したくて力をこめて抵抗した。

どさっとどこかに落とされて、でも足を少し伸ばしただけで何かに当たった。
起き上がろうとすると頭をぐいと押さえつけられ、バンッと上から扉が閉まり、今までよりももっと狭い場所に押し込められた。
暗闇の上に、この狭さ。ただでさえ緊張し強張った心臓はもう、限界を感じ、張り切れんばかりに鼓動を打ちつける。
狂いそうな闇と狭さの中、目前の天井を叩く手は赤く腫れ、喉の奥から漏れる嗚咽も狭い中でただ響いた。

体のすぐ下からエンジン音がして、ゆっくりと動き出すと船よりもずっと滑らかにその箱は動いていく。
綺麗に舗装されたコンクリートの道の上を走っているようで、は狭い中でじっと涙をかみ締めた。










また数時間が経った頃、ようやく車は止まり人の声が聞こえだした。
閉められていたドアが開いたようで風を感じるけど、頭から被っている麻の袋は外されない。
そのまままたぐいと担ぎ上げられ、どこかへと運ばれていく。


「おかえりなさいませ」
「英士は?」
「いらっしゃいます。呼びますか?」
「ああ」


どさりと体を床に下ろされると、そんな話し声が聞こえてきた。
そしてその声には聞き覚えがあった。
船の中で聞いた、あの、低い抑揚の無い声。
はまだ視界を閉ざされた状態で呼吸の漏れる口を押さえながら周りの音を聞いた。


「おかえりなさいませ。それは?」
「これの世話、お前やれ」
「・・・人ですか?」


また新しい別の声がした。
今度は低いとも高いともいえない、落ち着いた声だった。
そうしてようやく、ばさりと頭の上から麻の袋を取り外される。
毛羽立った袋の表面が頬や肩をなぞってひりっと痛み、萎縮した体の下から覗くようにして見たのは、二人の男。
一人はやはり、船の中で見た男。
そしての正面に立ち袋を取っただろうもう一人は静かな瞳をした、まだどこかに幼さ残る少年。


「とりあえず風呂にでもぶちこめ。泥と血で汚ねぇ」
「はい」
「終わったらつれて来い」


それだけ言い残して、男は芝ほどにふわりと浮きそうな上等な赤じゅうたんの上を歩いていった。
残された少年はの腕を掴んで立たせ、「こっちへ」と促し歩く。
それでも足を動かせないに振り返る少年は静かにを待ち、その深い闇色した瞳に促されては一歩を踏み出した。


「ここは、どこ?貴方たちは・・・」
「あまり喋らない方がいい。特にあの人の前じゃあね」
「あの人って・・・、あの人、帝国の人?なんで私を、私の村を襲ったの?」
「俺は何も知らない、ただの使用人だから。帝国の人間ではある。軍人、大佐」
「軍人・・・」
「俺の名前は英士。ここでの君の世話は俺が全部する」
「・・・・・・」


帝国の軍人・・・。

あの人が、村を襲ってみんな殺した・・・?


その「英士」と名乗った少年に連れられて歩く廊下は、照明も飾られた絵画も格式高い調度品で溢れていた。一国の、それ相応の地位についている佇まい。大佐というからには当然のことのようだけど、村育ちのには城のように見えた。 そんな廊下を歩いていくと、ひとつの部屋のドアが開いて中から長い金色の髪をさらりと流す少女が出てきた。


「誰よそれ?」
「きっと新しい人」
「何それ、聞いてない」
「俺も今知ったよ」
「なによそれ、アキラは?どこ?」
「部屋にいるけど、行かないほうがいいよ」
「だって聞いてないもの!ちゃんと話聞いてくるわ」


目の前で二人の会話が終わると、少女はキッとを睨むように視線を寄越して廊下をパタパタと駆けていった。その動向を見送る英士はやれやれといったため息をつくけど、それでも無関心に「こっちだよ」と歩きだす。


「あの子は感情の起伏が激しいからすぐああやって突っかかるけど、あれは見習わないほうがいい」
「新しい人って・・・?」


そうが小さく問うと、少し前を歩いていた英士はピタリと足を止めて振り返った。も足を止め、静かに送ってくる英士の目線を見返す。


「君の村を襲ったのがあの人でも何もおかしいことはない。君も殺されてたかもしれない」
「え・・・?」
「判ってないようだけど、君の人生は終わったんだ。ここにいるということは、そういうことだよ」
「終わったって・・・」
「君が生きる方法は、すべてを受け入れるか、心を殺すか、どちらかだ」
「・・・」


くるりとまた歩き出す英士の背を見ながら、は少し足を止めて、弱弱しくまた一歩を踏み出した。
ここがどこかも判らず、これから何が起こるのかも判らず、ただ自分を待つ目の前の人についていくしかなかった。
心を殺せといった英士の瞳は、まるでどこにも逃げ場はない、希望はないと諭しているようで、閉じ込められていたコンテナの中と同じ、深い深い闇色だった。


ここには無数の光があった。

点々と照らす照明。
ガラスのシャンデリア。
反射する陶石器。
金色に輝く装飾品。

なのに、そのどれもが暗く、霞んで見えた。
それほどまでに深い深い闇が、この屋敷中に待ち伏せているようだった。


英士の後ろについて行き着いた先は、湯気の立ち込める浴場。
大きな鏡に映った自分を見ると本当に汚く、服と髪には泥がついて、足は煤まみれ、掌にはまだ血の欠片がこびりついていた。また脳裏にふと、母が浮かぶ。


「脱いで」
「え・・」
「全部脱いで」


何の臆面も無く英士はそう言って籠を差し出した。
どうやらそこに服を入れろということらしいけど、だからといって素直に服を脱げるほど、無知でも幼くも無かった。
が躊躇う目で英士を見ていると、英士は籠を床に置きの服に手を伸ばす。


「待っ、どうして・・・」
「手間取らせないで。腕どけて」


ぐいとの手を体から離させると、英士は手際よくばさりと服を脱がせていった。
英士はの生身の肩に手を滑らせて、次々に服を脱がせていく。
そうしてすべて取り払われると、湯気の立ち込める浴室の中へ連れていかれ英士は肩から湯をかけごしごしと全身を洗い始めた。
まるでただの石ころを宝石に磨き仕上げるように、丁寧にの体に泡のついた布を這わせ、顔に首に腕の先まで、胸回りから腹へ背中へ、躊躇いもなく脚の内側から足先まで、身体のラインに沿って丁寧に滑るように汚れを落としていった。

布越しに当てられる手の感触を胸に感じると、自然に身体はピクリと反応する。
人に身体を洗われるどころか、触れられるのも、初めてだった。
混乱に包まれた頭は何をどう捉えていいのか判らず、されるがままにただ身を任すばかり。
それでも目の前でただ手中の身体を磨く英士の瞳には、何の意思も感じない。

ざっと湯をかけられ泡が体から流れていくと、英士は湯が張られた湯船の中に袖から取り出した小さなビンの中身を数滴落とし、その中に入るよう促した。
湯船の中からふわりと何かの匂いがする。それは花の匂いのような気もするけど、嗅いだことのない匂いだった。湯から香りが肌へと移り、体内に染み込んでいくようにほんのりと指先から赤く染まっていく。


「しばらく浸かってて」


手際よく片付ける英士はそれだけ言い残して、浴室のドアを閉めた。
温度と匂いと突然の出来事でうまく動作しない脳内が呆然と漂う。身体に染み込んでいく強い匂いで頭の中はゆらゆらと揺れて収集がつかず、意識が飛びそうだ。
身体に残る触られた感触。まだその手が肌に沿っているようで、ぎゅと肌をこすり付けてみるけどいつまでもなくならなかった。











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