人であることを、おぞましく思った。
女であることを、汚らわしく思った。









B A M B I N A


FIGURE












恐怖とか不安とか、そんなものもうどこかへ消えてしまっていた。
ただ自分が酷い仕打ちを受けたこと。
今まで判っていながら理解していなかった、自分が女であったという事実を知らしめられたことの、醜い現実。

脱ぎ捨ててしまいたいと思った。この身体ごと、すべて、捨て去りたい。
いまだ襲う低い痛みを根底に、思い返すだけで吐き気すら覚えそうな感触を、心底憎んだ。

ドアの前のじゅうたんに伏せて小さくなっているなど気にする様子もなく、先の男はカチリとライターの火をつける。口先に咥えた煙草を一度ふかし、煙を吐き出すと机の上の電話を手に取り、その電話を切るとそのまま椅子に座り、机に山積みされた資料に目を通し始める。
その後すぐにドアがノックされ開くと英士が姿を見せ、すぐそこでうずくまるように小さくなっているに目を落とした。


「そいつ連れてけ」
「レイと同じ部屋へ?」
「いや、離れだ」
「・・・離れ、ですか」


視線すら寄越さない男の言葉を一度反復した英士だけど、すぐにまた判りましたと返事をして前にしゃがんだ。
目の前に下がってきた英士の目も「立って」と促す声も、今ここで起こったすべてを理解しているように静かで、落ちている着物を拾い集め乱れを正し、簡単に帯を結びなおす。
服を着る、ということに深い安心を覚えた。

は「立って」と言う英士の言葉をようやく頭に聞き入れた。重い身体を力を込めて立たせ、響く痛みで一度ふと腕の力が抜けて倒れそうになるけど、英士は手を貸さなかった。今のが男に触られることに激しい嫌悪を覚えることも、誰も信用できてないことも、判っているようだった。


ふらりと立ち上がるを連れて、英士は静かに部屋から出ていく。そのまままた赤じゅうたんの上をひたひたと歩き、でもその速度は一度前よりもずっとゆっくりだった。一歩歩くたびに身体がまだ軋むように響くの歩幅に合わせているように見えた。

そうしてまたやってきた浴場で、英士はドアを開けるだけで今度はそのまま出て行った。
広い浴場で一人、はまだ小刻みに震える自分の手と唇に気づく。
力の篭らない震えた手をぼんやりと見ていると、さっきまでここにいた自分とは可笑しいほど別人に見えた。

着物の内側についた血液も、足に纏わりつくように残っている精液も、首に赤く残った手の跡も、すべてが現実だったことを理解させようとリアルにの目に飛び込んでくる。そうするとまた、どうしようもなく、吐き気と涙は込み上げるのだった。

屈辱、というものを、初めて理解した。
恐怖と圧迫に抗うことすら出来ない、ひ弱で無意味なこの身体。
ただ酷く扱われるしかない性。

服を脱ぐことも出来ないは、着物を握り締め口に押し当てて、涙を染み込ませた。しゃがんだ身体の中からまた、どろりと残っていた液体が流れ出てくるのを、感じた。


君の人生は終わったんだ。


つい先ほど聞いたばかりの言葉が脳を突く。
人生は終わった。世界は果てた。
すべてを受け入れて、心を殺して生きていくしかないと言った英士の言葉を、今身をもってようやく理解した。


浴室の中では、あの男が触れた箇所を一つ一つ赤くこすれるほどに拭った。
首も腕も、胸も脚も、触れたくないけど、身体の中まで、男が触れた場所、あの男の空気を感じた場所すべてを嫌悪するようにごしごしとこすりつけた。そんなことをしても身体に残った感触は何一つ拭えないけど、そうせずにはいられなかった。ただの慰めだった。

洗っている最中も、湯船に浸かっている間も、ぎゅと身体を小さく抱きとめていた。そうすることで自分の世界を狭めて、狭めて、少しでも自分の存在を小さくしようと。世界のたった一欠けらであろうと。

苦しみも悲しみも、卑しさも嫌悪も、憎悪も不幸も、自分の存在と同じようにちっぽけなものになってくれれば良かった。
でも、どんなに自分をちっぽけな欠けらにしようとも、自分の中の世界すべてを埋め尽くすあの手の感触は払拭されず、小さな世界で充満する悲壮が破裂しそうなほど膨らんで、心を痛めるばかりだった。


何より悲しかったのは、こんな時、思い浮かべて名を呼ぶ人の存在すらない、自分。

そんな自分がこの世に存在している意味が、判らなかった。

誰もいない。
何もない。

あるのはただ、ただ、軋む心臓。

そして、暗闇より黒い、明日だけ。


顔を上げればきっと、夜は明けていた。













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