その赫に蝕まれ、指先から欠けて崩れてゆく。 そのまま灰になってくれればと、思った。 BAMBINA 「咳止めと化膿止めだな。随分減ってるな、誰か怪我でもしたのか?」 「ちょっとね」 「他は?ここんとこ暑くなったり寒くなったり気温差激しいから風邪が流行ってるし、大佐は大丈夫か?」 「少し咳してたかな」 「マジで?そりゃヤベーな。あ、じゃあこれも入れとくよ。サービス」 「ありがとう」 玄関先で大きな籠から薬を取り出して英士の持つ小さな薬箱へと移すのは、屋敷御用達の薬師、光宏。 薬師というのは医者と違って直接的に病や傷を治すことはなく、その薬を作るだけ。高能な薬師は病にかかった人の肉を食らい、体内で抗体を作り出し自らの血肉を薬にしたという。昔は多様な病に対応する薬が少なく、ひとつの村に欠かせない存在だったが、ここ数十年発達した文明と医療においてその存在は薄れてきていることだろう。 「今日は人が少ないな、英士だけなの?」 「最近また少し人が減ってね」 「またかよ、入れ替わり激しいなー。また何か大佐の逆鱗にでも触れたのか?」 「逆鱗に触れさせたくなかったら俺にそんなこと聞かないで」 「おっと、ゴメンゴメン。でも英士はやめさせられたりしないだろ、信頼されてるしさー」 「信頼?」 主人もいなければ使用人の姿もあまり見えないことをいいことに、玄関先に座り込む光宏は籠に腕を乗せてしゃべり始めた。こんなところを主人に見つかりでもすればそれこそ首が飛びそうだが、あれでも人一倍忙しい軍人大佐。一度仕事に行けば夜まで帰ることはない。だからといって気まぐれなあの人はいつひょこりと帰ってくるか判らないから、気は抜けないのだけど。 「信頼なんてされてないよ、誰も」 「そーかぁ?だって英士、もうここ何年目だ?」 「3年、・・・かな」 「それってここじゃめちゃくちゃ長くない?よくやるよー、あの人相手に」 あの人相手に。 とはいえ、あの人は口答えさえしなければそれほど殺気立った人格でもないのだ。あの人が求めているのは口答えせずになんでも言うことを聞く扱いやすい人間。まさにロボット。これといって口答えしない、逆らうこともない、意見も言わない英士はそれに上手くはまってもう3年、ここにいるだけだった。 それは信頼とは、少し違う。 「そうだ。さっきここに来る途中庭見たけど、少し雰囲気変わったな」 「うん。この間庭師が変わってね、やけに花が増えた」 「いーじゃん。奥のほうにあれあったな、彼岸花。あれちょっともらえないかなー」 「彼岸花?何するの?」 「彼岸花は薬になるんだよ」 「うそ、毒あるんでしょあれ」 「触るとな。でも洗えば大丈夫だしどこにでも咲く強い花だから手軽な薬には最適なんだよ」 「へぇ」 毒にもなって薬にもなるなんて、あの赤はどこまでも人を惑わすものだなと英士は関心の合間に小さく笑った。 持ってっていいよ。そのへんに庭師いない? そう英士が一緒に外に出ようとすると、光宏は「自分でもらいにいくからいーよ」と止めて籠を背負った。 「じゃーまた来るな。大佐の逆鱗に触れないよーにがんばれよ」 「光宏も、あまり大げさに営業こないほうがいいよ」 「はは、てか結人がまだいるくらいだから大丈夫だろー。俺結人なんて絶対3日もしないうちにクビんなるって思ってたし」 「俺も」 「さっきも門の前ででっかい欠伸してたしさ」 「あれで結構要領いいんだよ。口うまいしね」 「はは、ちゃっかりしてっからなー結人。じゃ、毎度ありー」 手を振り中庭のほうへ消えていく光宏を見送って、英士は玄関を閉めると薬箱を持って廊下を歩いていった。 確かに屋敷内は静かだった。レイがいなくなって、その後も少しずつ女の子が減っていってるから仕事も減りそれになぞらえて使用人も辞めさせられていってるのだ。それは、めずらしいことだった。あの人は気に入ったものを集め、一通り愛でるとすぐに売り払う厭き性なところはあるけど、次から次へと新しいものはやってきていた。でも以来新しい子は来ていないのに、どんどんここにいた女の子たちは外に出されていってるのだ。 そんなに気に入ってるのかな、あの子が。 他の女の子たちに比べて、見栄えや愛嬌があるわけでもない。 扱い方も酷い。三上は時間をかけて快楽を誘い手懐けるようなやり方を好んでいた。抗っておきながら快楽に溺れて身をほだす瞬間が好きなようだった。でもには、今にも壊しそうな勢いで無理を強いる。まるで鬱憤をぶつけるかのように傷つけ、深い恨みを感じるほどに痕を残し、憤りを晴らすように無理に抱く。今までとは何か違う気がする、と英士は僅かに感じていた。 薬箱を持ったまま離れへの渡り廊下に差し掛かる扉を開け、その先の離れのドアを見て英士は目を大きくした。 扉の鍵が開いている。しまった、掛け忘れたのか? 英士は急いでドアへ駆け寄り、ガタッとドアを開け部屋の中を見た。 「・・・」 勢いよく開いたドアの音を聞いて、窓辺の椅子に座っているが英士に振り向いた。 はまるで鍵が開いていたのも気づいていなかったかのように、そこにいた。 を逃がしたとなれば、おそらくクビが飛ぶどころの話でない。それこそ、どんな目に遭うか。まさか自分がこんなミスをするとは思いもしなかった英士だが、鍵が開いていながらこの部屋から出ようともしなかっただって、理解しがたいことだった。 「鍵開いてたの、知らなかった?」 「・・・」 椅子に座ったまま英士を見やるの目は、昼の光を吸い込んで綺麗に金色の光りを滲ませていた。 おそらくこれが三上を惹きつけている原因なんだろうけど、他のすべてをほったらかしてまで求めるほどのものかといわれれば、英士は首を傾げたくなった。少し目線を首元にずらせば、服の合間から黒ずんだ痕が見え隠れする。毎日見るその素肌には痛々しいまでの爪痕や内出血が日に日に新しいものとすり替わって消えずに残っている。それを一番身を持って知らされているのはだろうに、こんな狭い部屋に押し込められているのに、入り口が開いていても逃げようとしない。 は英士から目を離し、鉄格子の向こうにまた目を戻した。 青く晴れ渡った空に霞んだ白い雲が流れて、風が吹き草花が揺れる。木の葉のこすれる音が窓の隙間から忍び込み、ざぁっと風が強く窓を揺らす。そんな景色をは一枚隔てた場所から、じっと見ている。窓の外を羨望しているような目をしているは、外に出たい意思はあるようなのに。ずっとこの屋敷に閉じ込められ続けた子たちと違って、来て間もないならまだ外に出る気力があるはずだ。ここがどこか判らなくても、とりあえず外に出られさえすればいいと思うはずだ。 なのに・・・ ガチャンとしっかり鍵をかけ、英士はまた離れから出ていく。 まだどこか納得しきれてない表情を浮かべながら渡り廊下を歩いていくと、中庭の果てに光宏が見えた。 庭師と一緒に彼岸花の咲き乱れている袂で花の茎を数本切りながら話している。 「・・・」 英士は、あの花が嫌いだった。あの鮮やかで、妖艶で、毒々しい赤。あの色を見ていると、思い出したくも無いものを思い出すのだ。もう遠い忘れたはずの記憶が、蓋を押し開けて出てくる。苦い苦い思いが、頭から身体から侵略するように、滲んで襲ってくる。 英士はそんなものが見える中庭からふいと目を離し、本館への扉をくぐった。 かつかつと廊下を歩いていくと、玄関のほうが騒がしいのが判った。使用人たちが行ったりきたりを繰り返し静かだった屋敷内に慌しさを滲ませる。それはつまり、主人が帰ってくることを示していた。 「もう?」 「あ、はい。さっき運転手から連絡がありました」 まだ日暮れにもならない時間。また何か急な予定でも入ったのか。 そんなことを思案する間もなく屋敷の門が開き三上は姿を現した。 「早いですね」 「ああ、明日からしばらく遠征だ」 「どちらへ?」 「北海。ったく、俺のエリアじゃねーっつーの」 あーあ、と面倒臭そうにため息を漏らし廊下を歩いていく三上の後ろを、英士は仕度するものを聞きながら歩いた。 遠征はそう珍しいことではない。遠くの土地へ赴く仕事のほうが多いくらいだ。それが長くても短くてもその間主人はいないわけだから、屋敷で働く使用人たちは気を張った様子も無くのびのびとするのだが、三上がいないならいないで別の心配も出るのだ。 主人が留守になると泥棒やら強盗やらが格段に増える。一般家庭よりずっと豪華な構えをするこの屋敷に目をつけるのは判るが、よりによってこの三上の屋敷に踏み入ろうとするなんて命知らずな輩がいたものだと使用人の誰もが思う。過去この屋敷に踏み入って無事に仕事を終えた者などいない。それどころか、数年前にたった花瓶ひとつ盗もうとした小さな泥棒ですらまだ投獄生活なのだ。西の大佐を敵に回すのは代償が大きすぎる。そんな噂が流れるほど。 しかしそんな輩が絶えないところを見ると、帝国の貧富の差は年追うごとに広がっているのも事実。煌びやかで豪華な生活をしている貴族など一握り。明日食べるものもない、屋根の無いところで寝る子供だって大勢いる。 生まれついての格差。如何ともし難い運命。 それも帝国の実情。 英士も、も、運命の歯車に乗せられたさだめの子。 「英士、いつもより守り固めとけよ。俺がいない間もあいつは一歩も離れから出すな」 「・・・」 自分の人生なのに、自分のものではない、誰かのもの。 「いつもよりですか?を逃がさないために?」 「あ?」 ぽつりと言う英士の言葉に三上は歩きながら少し振り返った。 「それあいつの名前か?あいつ喋ったのか?」 「俺の前では少しだけ」 喋ることすら取り上げられた、人形同然の生き方を強いられた。 自分以上に、惨めな生涯とさだめ。 ・・・何故、そんな歯車から逃げようとしない 「をどうするつもりですか?」 「・・・」 「今までと違ってにはやけに・・」 「英士」 前を歩く三上が静かにその足を止め発したその低い声に、英士はハッと口を閉じた。 そして振り返る三上は英士に目を合わせる間もなく、身を硬くした英士にその右手を振り払うようにぶつけ、その衝撃に圧されると同時にガタンと廊下に並んでいた棚にぶつかった英士は、口端に痛みを覚えて押さえる。 「お前、いつからそんな口数増えた」 「・・・」 「次はねぇぞ」 また赤じゅうたんを歩き出す三上の背を見ながら、英士はふらりと立ち上がりまたその後ろを歩き出した。 口端を押さえていた手に血がついている。口の中にも鉄の味が広がる。 ジンジンと響く頬に熱を感じながら、口端を拭って英士は、言葉も足音すらも消してその後ろをついて歩いた。 判っていたはず。 この背中の後ろを歩くことを許されているのは、信頼などではないこと。 口答えしない、逆らわない、意見も言わないからこそ3年もここで生きてこられた。 ロボットだ。この男の都合よく動くよう回路を組み込まれた、従順な機械。 あの日、この男に引き取られるようになった時からそうさだめられたはずの歯車。 忘れていたわけじゃない。 あの花の毒々しさを。 |