冬が過ぎ、春が来て、無数の花が芽吹けども

あの花だけは、胸が痛い。









B A M B I N A


Error











きのうまでの温暖はどこへ行ったのか、今朝は霜が降り霧が立ち込める冷え込んだ朝だった。それでも早くに目が覚めた一馬は、まだ誰もが眠ってる時間に家を出て仕事に向かった。こんなに冷え込んでしまってはあの桜の花が散ってしまわないかと心配だった。


「うお一馬、いつもに増しして早いな、どーしたんだ?」
「や、べつに。今朝はやけに寒かったからさ、桜散っちゃわないかと思って」
「それでこんな早く来たのかよ、もの好きだなー」


冬の朝は遅い。まだ空は暗いままで霧が出ているものだから、昨夜からずっと門番をしている結人も近づいてくる人影が目の前まできてやっと一馬だと気づいたくらいだ。目深に帽子を被る一馬は寒さに震えているけど、頬には赤みが差してなんだか嬉しそうで、結人はニヤリと笑みを浮かべると門をくぐろうとする一馬に寄り添った。


「気になんのは桜だけかなー」
「は?」
「俺見ちゃったんだよねー。きのーお前が中庭で女の子としゃべってるとこー」
「はっ、どこからっ?」
「玄関から。仕事一徹みたいな顔しちゃって、ちゃっかりお屋敷の人と仲良くなってんだもんなぁー」
「そ、んなんじゃねーよっ。ただ、ちょっと話しただけで・・」


フーン?と意味ありげに笑ってくる結人の腕を肩から下ろし、一馬は振り切って門をくぐっていった。・・・確かに、初めて会ったあの日から何度か声をかけたり出来るようになったけど、べつにそういう意味じゃ・・・。一馬は心の中で聞かれてもいない言い訳を繰り返し、それでも跳ねるような歩調で屋敷の中を突き進んでいった。玄関まで来て中庭を見てみると確かに中庭の奥に離れが見えて、あの窓の前で話している自分の姿も容易に想像出来た。

ヤ、ヤバイよな。英士に怒られるよな。

あまりにはっきりと想像出来てしまった自分の姿が急に現実的に襲ってきて、仕事中に近づくのはやめようと心の中で堅く思った。でもあの中庭にある離れ、直面する窓に必ずいるを思うと、とても仕事に集中することが出来ない。見られていると思うと照れてしょうがないし、かといっていないと寂しいし。


「だから、仕事!俺はここに仕事に来てんだっての!」


突然声を上げた一馬に、食堂にいた他の使用人たちは視線を集めた。それに気づいてすぐ口を閉ざすが後の祭りで、こんなこと今までなら絶対になかったのに、変わっていく自分が恥ずかしいような痒いようなもどかしさに見舞われていた。

いつもより早めの時間から水巻きと掃除に取り掛かり、屋敷を回って行き着いた中庭で離れの窓を見た。もうこれは癖になってしまってる。こんなに朝早くては窓は愚かカーテンすら閉じたままだろうと判っているのに。


「・・・あ、」


窓を見て思わずホースを握っている手を緩めてしまい、どぼどぼと落ちる水が水溜りを作ってしまった。閉まっているだろうと思っていた離れの窓がカーテンも窓も開いていて、その隅にの姿を見たのだ。こんな時間から顔を出しているは初めてで、そしてどうやらこっちを見ているようなで、一馬はホースの水を止め窓に駆け寄った。

いつもおはようというと、はそっと笑みを返すようになった。未だおはようと言葉を返してくれたことはないけど、その笑顔が見たくて必ず朝一でおはようと言いに行くようなものだ。今日もふわりと柔らかく笑うんだろう、一馬は傍まで行くとおはようと声をかけた。でもその日のは、笑うどころか深く沈んで見えた。


「え、どうしたっ?」


の曇った表情は自分の心の中までも曇らせるようで、一馬は焦りを隠せずに問いた。するとは持っていた透明のグラスを前に出す。水が入ったその中には枯れた桜の花が浮いていた。


「ああ、枯れちゃったな。まぁしょうがないよ、生きてる花ってそういうもんだし」


元は薄紅色した綺麗な花弁が茶色く変色してしまっていた。自然から離れた花の命は短い。の部屋に飾られている薔薇だってもう変える頃合いだ。それは人の命と同じで、どうしようもないこと。それを当たり前と受け止めていた一馬は平然とそう言ったのだけど、の沈んだ気持ちは戻ってこなかった。

また取ってくるよ。まだ咲いてるだろうし。
一馬はなんとかの目線も気持ちも浮き上がらせたかった。でもは静かに首を振る。新しい花を取ってきても、また枯れてしまう。自然と散っていくより、手中で枯れ果てていくほうが悲しい。そう、俯いたの顔が言っているようだった。


「・・・花はさ、土の中で待ってる時間のほうが長くて、咲いてる時間なんて短いものでさ。やっと咲いても、どんなに大事にしたって絶対枯れるんだよ」
「・・・」
「でも俺はだからって摘んじゃいけないとは思わないんだ。そりゃ意味なくむしりとられると頭にくるけど、でも花って、摘まれてもまだ生きてるんだ。土の中に長い根を張ってさ」


枯れた桜の花を見下ろすが、一馬に目を上げる。
日が昇り白んでいく空がその背にあった。


「大丈夫、来年もきっとまた咲くから」
「・・・」
「俺が言うんだから、間違いない」


差し込む朝日が眩しい光を放出し、草木は影を作り花は朝露に濡れ中庭に香りが溢れた。日の光が屋敷も庭も、この狭い部屋の中までも照らし出し、の白い頬に色をもたらせる。

ふわり、今までのいつよりもずっと確かには微笑んだ。朝日を吸い込むの目は金色に光っていた。を傍で見るようになって、変わった瞳の色だと思うことは何度もあったけど、それが今、朝日に照らされることで、金色だったんだとはっきり判った。金色の瞳の少女。まるでいつか聞いた御伽噺のような幻想の瞳を、一馬は吸い込まれるように見つめた。

世界に初めて色が生まれたようだった。全てのものが光によって形を成し、色を生み、夢のような世界が広がる。ささやかな祈りのような微笑。それがいつまでもそこにあればいい。ずっと見ていたい。そう思った。


「・・・」


でも、突然に、の笑みが閉じた。夢が醒めるより、花が散るより早い。瞳の金だけが居座っているけど、その表情は色を失ったように褪めていった。

の表情に気づき一馬もの目線が向いている方へ振り返る。それは屋敷の玄関口。門が開かれ、その手前に黒塗りの大きな車が停まっていて、車から玄関に向かう間に濃紺の軍服を着たこの屋敷の主を見た。

足を止め、静かにこちらに向けられている目線。
遠くてもには背筋にゾッと走るほどの冷たさを感じた。


「おかえりなさいませ。明日の予定のはずでは・・」


出迎えた英士が声をかける。けど三上は黙って中庭から目を離し屋敷の中へ入っていった。


「大佐帰ってきたんだ。久しぶりに見たな」
「・・・」


この屋敷で働いているといっても通いの人間は一般市民と変わらず、三上は市民の前に姿を出すことはさほどないから一馬も見るのは数える程。だからその程度の感想が当たり前だった。
仕事しなきゃ、怒られるな。そうに向きなおした一馬だったけど、の顔はもう微笑みどころか平穏ですらなく、頬も口唇も薄く色を落とし目も暗く翳っている。


「どうした?」


さっきまでの沈んだ表情とも、また違う。あまりの異変に一馬は問いかけるけど、は目も合わさずに二人の間の窓を閉め、カーテンを引き部屋の中へ隠れてしまった。

突然、どうしてしまったのか。大佐に喋っているところを見られたのがそんなに大変なことだったのか。まるで状況が理解出来ない一馬だけど、この窓を閉じられてはどうとも出来ず、引かれながらもその場から離れていった。









それから夕暮れまで、窓が開くことはなかった。カーテンすら開くことはなく、何度か英士が廊下を渡っていくのを見たからそこに絶対いるんだろうけど、姿を見せることはなかった。それだけで気分はすっかり消沈する。あの窓を閉じられたことだけで心は冬の雪雲より重くなった。明日も閉まったままかなぁと不安を抱えながら仕事を終え、身支度をして帰ろうとすると、英士に呼び止められた。

ちょっと来てくれる?と淡白に言う英士の表情は堅かった。主人が帰っているんだ、これが英士の仕事中の顔なのかもしれない。思えば話せるようになった数日より前は英士はずっとこんな堅い顔だったような気もする。朝のこともあり、やっぱ怒られんのかなぁとぼんやり思った。

屋敷を玄関より奥に入るのは初めてで、高い天井のシャンデリアと廊下に並ぶ調度品を見送りながらその中を歩く自分は場違いだと思った。自分の家じゃあり得ないほど廊下を歩き、行き着いた先のドアを開けると橋のような廊下が現れる。それには見覚えがあった。いつも英士が渡っているところを見る廊下で、またその先に現れるドアは、あの離れのドアだ。

え?なんで?
突然体の熱が上がり、動揺した顔で一馬は英士に向いた。でも英士は静かに視線を下げたまま「行って」と質素に呟いた。まるで別人みたいな英士の態度。桜の花を見にいくよといったあの軽い表情はもう微塵も見られない。

廊下に出ると、後ろで英士がそっとドアを閉めた。もう行くしかなく、少し開いている離れのドアに向かって進んだ。この中には、あの子がいるはずだ。少し緊張し躊躇いながら、少しだけ開いているドアに手をかけ、そっと引いた。

もわ、と、強烈な匂いがした。視界は一瞬曇って、きつい花のような香の匂いが鼻を刺した。この部屋からこんな匂いしたか?思わず鼻を覆って一馬はむせ返りそうな匂いを閉ざした。


「・・・」


鼻を覆った腕の向こうに見た部屋の中は香の煙が充満して視界は冴えず、カーテンは変わらず閉まっていてでも明かりはついていなくて、夕暮れの赤だけが窓の外から滲んでいた。その、赤と白が混ざり合わずに居合わせる暗い部屋の真ん中に影を見た。始めは何の光景か判らなかった。だってこの中にいるのは、あの少女だと、信じ込んでいたから。

部屋の真ん中に大きくあるベッド。それは窓から部屋の中を見て知っていた。そのベッドの上に乗り上がっている後姿はおそらく、背格好からしてこの屋敷の主である大佐。その大佐の真下でずっと小さくなりベッドにうつ伏せている、赤い着物に包まれた白い肩。

ベッドは規則的にギシギシと揺れ、スプリングの音に混ざってきつく苦しそうな高い声も聞こえた。着物が剥がれて肌の背中を露にし、髪は握りこまれてベッドに押さえつけられている。うつ伏せる小さな体を押さえ込む腕とベッドの上で揺れる大きな背中。その背が、揺れ動く合間にふと振り返った。黒髪の下から射るように覗き見た、黒い瞳。


「お前か」


音のない部屋に低い声が生まれた。その後また前を向きなおし定期的な揺れを止める程強く押し付け静かにベッドの揺れは止まった。大きな背中は小さな背中から離れ、めくれた着物の下から引き抜かれたものを見た。白い糸がつとふたつの体に渡り、一馬はすぐにそれから目を逸らした。服を整えベッドから下りる三上は窓辺のテーブルに置かれている酒のビンを煽りながらソファに座る。ベッドの上に置き去りにされた小さな背中は、呼吸を抑えようと大きく隆起する。そしてその背もまた、そっと振り返った。


「・・・」


判っていたけど、認めなかった。頭が。全身が。
拒否していた。それが、あの子であることを。

知らなかった。少女がこの部屋にいる理由を考えはしたけど、そこまで行き着かなかった。目が合った瞬間少女は驚いた様子で少し目を丸め、それでも全てを受け入れたかのようにそっと目線を外した。一馬もまた、目を伏せた。


「・・・すいません、俺、呼ばれて・・・」
「ああ、俺が呼んだんだ」
「え・・」


カチ、と三上の手の中で火がつくと、この充満した香の中でまた別の煙が上がった。すぅと深く息を吸い込むと、長く細く口端から煙を吐き出す。


「別に構わねぇよ。こいつが俺の留守中に何を漁ろうが」
「・・・漁るって、そんな」
「じゃあお前がホレたか?この女に?」
「・・・」


あんなところを見て、そんなことを聞かれても何が答えられるわけもなく、一馬はどこにも置けない視線をただ床に這わせて喉を詰まらせた。目を上げれば嫌でも見えてしまう。向き合ってるだけで蹴倒されそうな威圧を放つ男と、ベッドの上の少女。


「抱きたきゃ抱いてもいーぜ」
「そんなこと、」
「お前童貞か?最初の女が売女なんて、ハクがつくじゃねーか」
「・・・・・・」


一馬は思わず目を上げた。赤い陽光を背負い細く笑う顔を視界に入れてしまった。
一瞬耳を疑った。目の前の現実を疑った。
「大佐の女」ならまだ良かった。

静かに頭に血が上って、細かく手が震えだす。口の中で噛み締める思いが抑えきれずに噴き出してしまいそうで、必死で歯を食いしばって自分を押さえつけた。


「おい」


自分に向けられた低い声が愉快気に揺れていて、また一馬はそっと目を上げた。


「やれよ。今、ここで」
「・・・何、言って・・」
「いーじゃねーか、好きな女抱けるならどんな場面でも。俺が許してんだぜ?」
「・・・っ」


言いたいことは多分にあった。ふざけるな、出来るわけがない、おかしいんじゃないか、最低だ。喉まで出掛かっている言葉は今にも漏れそうだった。・・・でもそれが、どうしたって出てこない。目の前に存在するもの全てが、自分の何を取っても敵う気がしない。くつくつと笑みを浮かべるその顔も、目は微塵も笑っていない。


「出来ないなら、こいつ殺すか」
「!」


今までずっと自分に向いていた声が、別の場所へ向かった。その視線の先はベッドの、小さな存在。体を起き上がらせるは落ち着いた息を静かに繰り返し、そっと三上を見た。


「男一人その気にさせられないようじゃ女の価値ねぇからな」
「・・・ふざけるな」
「・・・」
「あんたほんとに大佐かよ・・・、人のことなんだと思ってるんだよ、あんたそれでも人間かよっ」


窓から滲む茜が目の中に入ってしまったのか、視界がやけに赤かった。目に集まる熱が全身に響き渡り熱く燃え上がるようで、もう抑えきれなかった。


「ああ。お前はそんな人間に仕切られたとこに住んで、雇われて金貰ってメシ食ってんだよ。それとも俺とケンカしてみるか?一家揃って路頭に迷う覚悟はあんだろうな」
「っ・・・!!」


カッと血が昇り頭の中で何かが切れた。その瞬間燃え上がっていた視界が消えて、窓辺で悠々と構え座る男目掛けてつかつかと足を進めた。自分でも何をするか判らないくらいに頭の中が煮えたぎって、でも、その男に掴みかかる前に、通り過ぎようとしたベッドからが腕を伸ばし一馬を掴み止めた。


「なん・・」
「・・・」


細く白い腕に掴まれ一馬はその小さな頭を見下ろすけど、は俯いたままただぐっと一馬の体を止めていた。


「っは、そいつはお前とやりたいんだと。抱いてやれよ」


声を上げて笑う三上を睨みつけるけど、自分を掴んで放さないに心も体も止められていた。はそっと顔を上げ、口を堅く閉じたまま一馬に目を合わせる。その目が何を思っているかはまるで判らず、でも次第に一馬を掴む手に力がこもり、その手に抵抗できずに一馬はに引き寄せられた。・・・まさか本当に、この男の言いなりになると・・・?

ぎゅと服を握っている白い手首は赤く腫れ、力が篭らずに震えていた。強い力で握りこまれ壊れてしまったよう。白い首から乱れた着物の合間にかけて紫色した痕が酷い有様で蔓延っている。流れ落ちる髪の下に平行に走る線上の引っかき傷がまだ生々しく皮膚を裂いていた。


「なんで・・・」
「・・・」
「なんでだよ、何してんだよ、なんでこんな目に遭ってんだよ・・・・・」
「・・・」


目の前で細く声を出す一馬に、は顔を近づけ首筋に口を寄せた。その柔らかい感触が首に当たった瞬間ざわりと、体が感じたことのない過剰な反応を見せる。首に腕を回されるともう引き離すことも出来ず、寄り添う体の柔らかさを全身で感じた。

そうして耳に添う口唇がそっと動き、息を感じた。


おねがいだから・・・


小さな小さな声だった。こんな耳元でなければ絶対に聞こえないほどささやかな声は、初めて聞いたの声だった。回された腕は小さく震え怯えているようでも、何かを必死で押さえつけるようでもあった。その細い腕に、一馬はまたどうしようもないやるせなさを噛み締めた。


「中で出していいぞ。ガキなんて出来ねーように作ってあるからな」


低い笑い声が響く狭い部屋の、冬に似つかわしくない温度は上昇の一途を辿る。不安定な心と裏腹に息は上がる一方で、赤い部屋が次第に暗く闇を彷徨う中、目の前の小さな花を精一杯優しく抱きしめた。

ごめん・・・ごめん・・・・・・

荒れる息の合間に、壊れたスピーカーのようにただそれだけを繰り返した。その目の前の光景を遊戯だと嘲笑いながら、見据える冷たい黒い眼は深い怒りを淀ませるきつい力に満ちていた。


・・・恋は、まだしていなかった。
近づきたいと思う程の想い、触れたいと思うほどの欲情はまだなかった。

ただ、明日も会いたい。声が聞きたい。笑顔が見たい。笑わせてやりたい。
君に似合う花をあげたい。

そう思う程度に、想っていた。












「なぁ、一馬のヤツやめたんだって?」
「うん」
「なんでまた急に?やめるならやめるでさ、一声くらいかけてけっつーのな」
「やめたというか、クビになったというかね」


食堂で結人が机に寝そべってグダグダと唸る。
その前で箸を動かす英士は静かに味噌汁をすすった。


「は?俺より先にクビになるなんて、何したんだアイツ」
「さぁね」
「さぁねだと?知ってるだろお前なら!吐け!さぁ吐け!」
「もう休憩終りじゃないの結人」
「あーあー、行くよ行きますよーだ」


そうは言ってもヤル気なさ気に、結人はまたグダグダと食堂を出て行った。


「・・・本当に首切られるよりマシでしょ」


小さく呟いた英士の声は誰の耳にも届かず、英士はまた味噌汁を口にした。


中庭の桜はただの枝に戻っていた。
その乾いた木を見て、・・・閉ざされた鉄格子の窓も見て、全てから目を離し一馬はそっと門を出ていった。見上げた空からは冷気が渦巻き降りてくる。そうして世界はまた一段と色を落とし、本格的な厳しい冬に入っていく。


・・・守ったつもりで、本当に守られたのは自分のほうだったかもしれない。
思い返したくもない時間を頭で体で嫌でも思い出しては、そう思えて仕方ない。

ほんの些細な想いと、深く痛い思いを知ったこの数ヶ月は、いつか大輪を咲かすための肥やしとなるのだろうか。例えそうだとしても、今はまだ、それを理解して飲み込むことなんて出来やしない。


長い冬が終わり春がくれば、この世はまた花に包まれるだろう。
何度でも繰り返される自然の力。桜もまた、今度は間違えずにちゃんと咲くだろう。


だからきっとこの先何年も、暖かい春を迎えささやかに壮大なあの花を見上げては、

薄紅色に、胸が泣く。














NEXT