目指した光の、その先にあったもの。









B A M B I N A


Judas










はらはらと降り始めた細かな白。城へと続く石畳も並列する屋根も木々もうっすらとその白を纏い、そこに生まれたあらゆる音を吸い取ってこの世を浄化していく。街が生む蒸気が手伝って、帝国は薄く白い幕に包まれるかのよう。乾いたコンクリートがカツンカツンと靴音を鈍く響かせ、色褪せた街を見下ろしながらふたつの影は階段を下りていった。


「何だって今頃突然召集する必要があったんだ?渋沢だってまだ帰ってないのに」
「さぁな」
「しかも何てことないいつもの報告だけだったじゃないか。どこも今の時期は大した動きもないだろ、ほんとに何がしたかったやらだ」


黒いコートの両ポケットに手を突っ込みゆっくりと下りていく三上の隣で、小刻みな足音は白い石段を速いテンポで下りていく。つい先刻この階段を上っていったばかりなのにもう下りている自分たちは何なのだ、とその足音には苛立ちが含まれているよう。前を歩いている揺れる長めの髪の後ろ姿は三上より先を歩いてるせいだけでなく実際に三上よりずっと背丈は低く軍服も小さな丈だが、吐き出す心持ちはそんな容姿に治まりきらないほどの気位の高さを滲み出していた。


東西南北、各区域の軍人たちが一堂に顔を揃え現状を報告する定例会議が年に数回、定期的にあるのだが、今回それとは別に、突然城に召集された。なのに特別大きな報告があったわけでもなくすぐに解散となった。
長期遠征中の北の大佐は未だ帰らずもちろん今日の会議にも出席していない。不可思議な時期に集められ、西ブロックの最前の椅子に座った三上と、それよりひとつ左のブロックで三上と同じ位置に座っていた南を統括する大佐、椎名は同じように解せない思いで城を後にした。

ふわりと波打つ髪が小さく縛られ背中で尻尾のように揺れている。白い肌とやけに色の映えた口唇は、まるで真っ白な雪の中で一際その赤を際立たせるヤブコウジの実のよう。それに加えてそう高くない背丈と身の細さはその地位とも男とも少々似つかわしくない容姿で、彼を表す全てが彼を実年齢よりはるかに若く見せていた。

その椎名に対し三上は、そんな容姿じゃ周りからも下からも甘く見られるだろうと同情の念すら抱いていた。でもそれは同じ大佐の地位につきこうして話をするようになるまでの話で、今じゃ椎名に対し自分が抱いていたような思いを持っている人間のほうに哀れみを感じる。
この男は相対すれば見た目からはまったく想像できない性格と性分と口数を持ち合わせていて、半端な権威や度胸しか持っていない人間など口頭だけで痛快に蹴倒してしまうのだ。もちろんそれは口だけでなく実績も度胸もプライドも素質も気位も圧倒的に他とはレベルが違うから成せること。

同じ地位なだけあって、互いに会議やこんな緊急の召集でもなければ滅多と顔を合わさない多忙な身だが、久方振りのその態度と口調は変わらないなと三上は返事もなく聞いていた。


「渋沢はそろそろ帰ってくる頃だろ。さっきの報告じゃ協定もうまくいったようだしな」
「らしいな」
「長くかかったが、これでまたヤツも株を上げるな。お前はどうなんだよ、小さな仕事ばかりやってるそうじゃん」
「あいつがいないせいだ。やたら雑用が回ってくる」
「お前はまだ駆け出しだからな、甘く見られてんだよ。もうしばらくは辛抱強く使われてやるんだな。数こなしてりゃいいんだからラクなもんだろ」
「その数が半端ねぇよ」


先刻の会議には不在の渋沢の代わりに少佐の笠井が出席していた。ピンと姿勢をただし引き締めた顔つきで責務を果たそうと始終気を張り詰めていたようだったが、会議を終えると足早にこの階段を下りていった。彼がこの椎名のように見た目に添わない度量を持ち合わせるにはまだまだ時間がかかるようだ。


「まぁ今は俺も似たような立場だ。潤慶のヤツが出払ってるからな、東の分まで俺のとこに回ってくる」
「出払ってる?」


三上ですら数回しか会ったことのない、東の大佐。
見た目ではまるで分からないが異国の出らしく、それは長い帝国の歴史の中でも例のないことだった。家系や血筋が長年城に殉じてきた訳でもなく、特別な功績を残した訳でもないのに、何かと特別視されるその男を、三上も少なからず気にしていた。


「あいつは今特別任務中なんだ」
「特別任務?」
「夢探しさ」


振り返って妙な笑みを向ける椎名に、三上は訝しげな顔を返した。

夢探し?


「お前も知ってるだろ、四十五時節の予言」
「・・・ああ」
「45回目の代替わりの時、この国は災いに見舞われる。世紀の大予言者様が残した主文だ。何の不幸か、じきに王位を継ぐ皇太子がその45代目ときたもんだ。皇帝はああいう人だからな、災いが起こるに違いないって自分が王位を受け継いだときからそりゃあ気に病んでたそうだ」
「どうりで、会議にも顔ださねぇはずだ。国事どころじゃねぇってか」
「ああ。今の皇帝は”災い”と”救い”で頭がいっぱいだ」
「救い?」
「新世界の鍵、さ」
「・・・」


新世界の鍵。

帝国に古くから伝わり、親から子へと語り継がれる神話。広い領域を持つ帝国には幾数もの民族や言語があり、それぞれ土地に伝わる民話や神話は幾つもあるが、それのどれにも総じて現れるのがその”新世界の鍵”とされる金目の存在だった。

金色の瞳を持つもの。それは話によって鳥だったり狼だったり人だったり、神そのものだったりする。物語の最後には必ず金色の目を持つものに救われることから、その存在と希望は言い伝えだけに止まらずに人々の胸に宿り、極稀に存在する金瞳の人間は崇め奉られ、一国の王以上の力を持つこともあったという。

今では民たちにとって御伽噺程度にしか扱われないその言い伝えも、富と名誉、色と欲に溢れる貴族や皇族の間では廃れない永遠の夢とされていた。求めれば止まらない貴族たちはこぞっての情報を集め金瞳を探し出すためには財を惜しまない。伝えられている災いの予言ですら、金瞳を手に入れれば自分だけは助かると信じていた。


「「馬鹿馬鹿しい」」


嘲りを吐き出し、乾いたふたつの声が重なった。


「災いの予言に新世界の鍵だ?夢物語もいいとこだ」
「まったくだ。でも皇帝は今それに夢中だからな、皇帝が夢中ってことはこの国全部が全勢力で御伽噺に必死にならざるを得ないってことさ」
「それでその鍵探しにアイツが借り出されてるって?大佐ともあろう人間に責務ほったらかしてでも夢探しをさせてるってのかよ。何考えてやがる」
「不憫だろ」
「同情するぜ」


馬鹿馬鹿し過ぎて笑う気にもならない。三上は手を入れていたポケットから煙草を取り出し白い息を生む口先に咥えた。

貧富の差は広がり、帝国の外れでは飢餓や病で退廃する村や町が後を絶たないというのに、城の周りで権威を振るう人間は財を投じて伝説の鍵探しに躍起になっている。普通の人間ならそれがどんなに馬鹿げたことか判るものを、当の皇族貴族、果ては皇帝までもがありもしない御伽噺に夢中。


「で、鍵は見つかりそうなのかよ」
「ああそれが、一度は見つけたそうだ。かなり確かな筋の情報を掴んで、半年くらい前だったかな、潤慶が長く留守にしてる時期があった」
「へぇ?」


三上は火をつけた煙草を手に取り、毀れる笑みを隠すことなく椎名を見た。国の実情や自分の立場、情けなさなどを捨て去って聞けば実に夢のある話だ。


「でも城に帰還する途中で船ごと賊に襲われたらしい。本当に金瞳を乗せていたのか知らないけど、船に乗ってた兵ごと金品も食料も何もかも失くなってて、見つかった船は蛻の空だったそうだ」
「そりゃ本当に賊の仕業か?ただの災害じゃねーの」
「船に戦った痕跡があったし何人か死体も上がってる。無線で潤慶に連絡もあったらしいし、とにかくそれ以来だな。遊び気分だった潤慶が鍵探しにむきになりだしたのは。まぁ仲間と部下を殺されたわけだから、あいつはそういうのにはやたら敏感なヤツだし」
「・・・」


何度報告会議を重ねたところで、そんな事件があったことは聞かされていなかった。大佐の立場にある自分にすらそんな話は届いてこなかった。情報を得ると同時に他には情報が流れないようにする、夢を見ているようでその方法は確実に意図を得て綿密に操作されている。その徹底振りと、結局は何も信用していない国が鼻についた。


「でももう賊は捕らえたらしいし、その件については落着しそうだな。だからまた鍵探しに躍起になるんだろ、さっきも顔だけ見せてさっさと帰って行ったしな」
「なんだ、もう捕まえてんのか。じゃあ話は早いじゃねーか」
「それがそうも行かないんだよ」
「なんで」


カツン、と階段を下まで下りてくると、さっきまでは見下ろせていた城の周りの街が真正面に広がった。まだ時間的には昼下がりなのに、空を覆っている厚い雲のおかげで世界は薄暗く湿気臭かった。多く水分を含んだ霙のような雪が地面に刺さるようにぶつかっては跳ね返る。


「捕らえた賊は全部、獄中で自害したんだ。帝国の船を襲ったんだ、吊るされた挙句処刑されることは火を見るより明らかだからな。全部振り出しに戻ったのさ。あいつは逃がした鍵をまた探してる」
「・・・」
「何にせよ、ただの夢物語にしちゃ代償がでか過ぎたな」


じゃあな、と後ろ髪を揺らし、椎名は目前の車に向かって歩いていった。それに乗り込み熱を生む車は滑るように街の奥へと消えていく。


「・・・」


三上も同じように道路沿いに待っている車に向かって歩いた。
指先でただ燃えていた煙草を思い出し、少し短くなったそれを見下ろす。



くしゅんっ、



「・・・」



あー、埃っぽいなここ。



三上は振り返り、壮大に聳え立つ、空まで続いていそうな城を見上げた。


「・・・いい死に様じゃねぇか」


水分を多く含んだ雪が地面に跳ね返るより静かに、三上は呟いた。
小さく小さく、白い息が生まれて消えるほど些細な、手向けだった。

三上はすと城に向かって手を突き出し、指先の煙草をピンと弾き飛ばした。白い煙を引きずる煙草は小さな弧を描いてぽとり、レンガ敷きの白い地面に落ち、じゅ、と煙草の火は消え雪も溶けた。


熱を消す雪。

雪を溶かす熱。


相殺されて何もなくなり殻だけが残るその場から、三上はフイと目を離し車に乗り込んで街の外れへと消えていった。


霙の雪がコンコンと街を、地面を、車を、屋根を、城を叩く。

そうして生まれる小さなメロディは、雪の代わりに空へと上っていく熱を、見送るかのようだった。














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