真実はいつだって その光の中に

その闇の中に









B A M B I N A


Judas











車を走らせ城から遠ざかると、雪の粒は次第に大きく膨らんでさらに街を覆い尽くしていった。過ぎ去る景色を事も無げに見送り、暖かい車内で上着と軍服を脱ぎ捨てている三上はぼんやりと霞む意識に襲われていた。温かさと定期的な振動。それに加え元気でない体と連日の少ない睡眠時間で、今にも落ちていきそうだった。

ごつりと窓に頭をつけると体を支えていた力も精神も抜け落ちて、重みに耐えられず瞼は下がっていく。このまま寝落ちてしまえばどんなに幸せか。頭の中に詰まった全ての物事と事情を全部かなぐり捨てても構わないと思うほど強く、眠気が襲ってきていた。

ふと、意識を手放そうとした。けど、その瞬間にぐと胸の奥で何かが詰まり、それに肺が耐えられずに腹の底からむせ返った。押さえつけ力を込めても治まらないほど繰り返す咳が嗚咽も混ざって激しく繰り返される。息苦しさと気持ち悪さで一気に眠気は消えて失せ、止まらないそれで胸の中心の内臓と骨に痛みを感じた。


「っごほ、こほっ・・・」


ごくりと生暖かい唾液を飲み込み、喉触りの悪いそれが胃の中へ戻っていく。前から運転手がミラー越しに大丈夫ですかと問いかけるけど、三上は黙って膝に肘をつき深く頭をうつ伏せて静かに体内が治まっていくのを待った。

そのまま車は流れるように雪の道を走り、しばらくして止まった。顔を上げた三上はそれを屋敷の門前だと認識すると体を起こし、隣の軍服に手を伸ばす。
いつもなら車を見つけてから門番が門を開けるのだけど、そのときはすでにもう門が開いていた。門の前には門番が数人、外ではなく中の様子を伺うようにたむろっている。その門番たちが三上を乗せた車に気づくと、一人は中へ走っていき、残ったふたりは車に道を空け誘導した。

車が門をくぐると、すでに門の中で止まっている2台の車に気づいた。その車には、この三上の車と同じように、帝国の紋章が刻まれている。


運転手が開けるドアから下り歩き出すと、玄関の前で立ち止まる結人の姿が見えた。おそらく三上が帰ったことを英士にでも伝えにいったのだろうが、玄関の前で中には入らず立ち尽くし、三上に気づき振り返るとすぐに道を空けた。


「大佐、今、・・」
「仕事にもどれ」
「はい・・」


三上が目の前を通っていくと、結人は門のほうへと戻っていった。その結人の言わんとしたこと。そんなものわざわざ聞かずともあの止まっている2台の車と、玄関の光景を見ればすぐに判る。

玄関ホールにいた英士は歩いてくる三上に気づくとすぐに駆け寄りお帰りなさいませ声をかける。その英士の腕に持っていた上着と軍服を落とし、英士と相対していた男に目を流した。


「おかえりー。遅かったね、あれから何かあった?」


まるで久方振りの旧友に会うような笑顔を放ちながら歩み寄ってきた。
三上と同じ、濃紺の軍服と大佐の腕章。唯一三上と違う、「EAST」と刻まれた襟章。


「いや、椎名と話してただけだ」
「そ。僕さっさと出てっちゃったから君とも翼とも話す暇なかったな。どうもお城って嫌いでさ」
「何の用だ」
「うわ早。もっと久しぶりの会話を楽しもうよ」


人懐こいような笑顔を振りまく潤慶は初めて会ったときと何も違わない。といっても会話をしたことなどなく、大佐に昇進したばかりの頃に「がんばってねー」と軽く声をかけられたことしか記憶にない。そんな位置でしかない潤慶が、何の意味もなく屋敷にまで訪れるなど、絶対にあり得ない。


「いや僕はね、今日はただの付き添い。君に用がある人は中にいるから」


そう、潤慶は玄関から一番手前の大きなドアを指差した。
しかしそれも、止まっている車を見て予想はしていた。三上や潤慶の車とは明らかに違う大きさと様相で、帝国の紋章も刻印ではなく大きなオブジェが車の先についている。英士を始め使用人の誰もがここまで緊張した面持ちでいることも、潤慶だけではそうはない。

明るく見送る潤慶の前を通り過ぎ、三上はそのドアに近づいていった。
ふわりと玄関に残る香が鼻をつく。
覚えのある、甘く気高い安息香。


ガチャリとドアを開け中に視線を差し込むと、広い部屋の壁沿いに何人もの白い服を纏った男たちが立ち並んでいた。軍服とは違う、城の衣。その付き人たちに常に守られて、窓辺で外を見ている後ろ姿がこちらに振り返った。

白と水色を基調にした生地に、帝国の象徴であるクレマチスの花が金の生糸で綿密に色鮮やかに描かれている。一目で権威の高さを伺わせるそれを纏うのはまだ幼さ残る少年。だけどその少年は衣服にも権威にも飲み込まれず、彼自信が気高い雰囲気を放っていた。

生まれ持っての血。叩き込まれた気高さ。洗練された気品。
帝国の次期皇帝である、45代目皇太子。
その存在に、三上はすと頭を下げた。

外で待っていろと皇子に指示され部屋にいた付き人たちは三上の入ってきたドアから出て行った。三上はドアの前に立ったまま皇子に近づかずに無駄なく立っている。


「邪魔している」
「わざわざ、何の御用で?」
「僕も国事を取り仕切るようになった。今は潤慶と一緒に動いている」
「・・・そうですか」


今年15歳を迎え成人となった皇太子は、王位継承のために国事に取り掛かるようになる。でもその手始めが鍵探しを言い渡されている潤慶の同行とは、ご立派な国事だ、と三上は目に見えぬところで口端を上げた。


「といっても父上が言うような夢物語を信じているわけじゃない。僕が取りかかるのは賊の討伐だ」
「潤慶の部下の船を襲った賊、ですか」
「知ってるのか。そうだ。鍵探しなどよりずっと国のためになるからな」
「もっともです」


三上は視線を外すべく軽く頭を下げながら、奥深くに見え隠れする真意からもさらりと逃れていた。まさかそんなことを報告しに屋敷まで来るわけがない。さらりと口から出た「鍵」の言葉に、こちらの様子を伺うような深みある目を向けてきたからには、反応を見ているのだ。この幼くも気高い目は。


「しかし賊は全て捕らえたのでは?」
「ああ。でも納得しきれないところが多い。船の装備も進路も、金瞳を乗せていたことも熟知していたとしか思えない。首謀者らしい男もずっと口を閉ざしたままだった。処刑される人間が、あの世まで持っていく程のもの。もっと、別に繋がっていた人間がいたのではないかと思っている」
「死なれてしまってはもうどうとも。帝国の武力を知ってる者がいるのは脅威ですが、それは任務を失敗した潤慶の仕事のはず。皇子が就くほどの件ではないかと思いますが」
「敵が外にいるのであればな」
「・・・」


ひたりと柔らかいじゅうたんに歩を進め、皇子は三上に向かって歩き出す。まっすぐに見るその目は明らかに意味を含み、敵対している。足音すらたたない静かな歩みは三上の傍まで来てそのまま横を通り過ぎ、三上はまた小さく頭を下げた。


「安息香の匂いがするな」


少し行き過ぎたところで足を止め、ドアの手前で皇子はまた口を開く。
通り過ぎた残り香に、甘く気高い安息香。


「城のものだ。皇帝の真似事か?」
「・・・まさか」
「僕は罪を許さない。鍵などに頼らずとも、この国は僕が守る」


強く気高く志高く。
小さな体から溢れる決意は、未来を幾千にも想像させ光り輝かせるようだった。


「竜也皇子」


ドアを開けようとした直前、三上の小さな呟きに皇子は手を止め振り返る。


「国はでかいものですよ。人一人の身には重過ぎる」
「何が言いたい?」
「もう少し余裕を持たれたほうがいい。女でも覚えれば、もっと余裕が生まれますよ」


高い位置からかすかな笑みを注いだ三上に、皇子はカッと顔を赤らめ振り切るようにドアを開け出て行った。まだ何にも染まっていない、純真無垢なその身は穢れを知らず、付き人たちを引き連れて屋敷から出て行く音を聞きながら三上はまたふと笑みを零した。

そして、開きっぱなしのドアの向こうにいた英士と目が合った。英士は三上の軍服を持ったまま、戸惑っているような、信じられないような、でも判っているような、落ち着かない目で三上を見上げていた。


「まさか、帝国の船を・・・?」
「・・・」
は鍵の・・」


今まで全てのパーツが揃っていながらはまりきらなかった事柄が、次々と当てはまっていくようだった。英士は零すようにぽろぽろと言葉を落とし、その英士に向かって三上は静かに歩き出す。


「聞いてたのがお前で良かったぜ」
「・・・」


通りすがりにぽつりと残し、三上は赤じゅうたんの廊下をまっすぐと歩いていった。

玄関に強く残る安息香。皇子が残した城の匂い。
それとは別に微かに香る同じ匂いを、辿るように三上は一人歩いた。

廊下の果てに行き着きドアを引く。
軽く隆起する橋を渡り離れのドアを開ける。

たち込める安息香。
その中に小さく存在するは、窓辺で雪降る空を見上げていた。
どちらもあの日、あの船から奪い去ったもの。


三上はに歩み寄り、顔に手をつけ目を上げさせた。
薄暗い部屋の中では光らない、金色の瞳。
夜暗な部屋すら照らす力もないこの瞳に、まさか世界を変える力などあるはずもなく、ただ夢のように希望だけ架せられた金瞳。

三上を見上げては、高い位置から落とされる視線を見返していた。
深い深い、救いの光。


「哀れだな」


・・・まさか三上だって、そんな夢など信じているわけでも、追いかけていたわけでもない。自分は自力で底から這い出て権威を持ち力を得て今の立場を作り上げた。全ては己の力のみで、気高く咲き誇ってみせた。


生まれながらに幻想を架せられた女。


何も知らずに不幸を背負うこの細い体が、

哀れであり、滑稽であり、


「・・・」


しかし何故だか激しく、口唇を寄せたかった。














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