雪が恋した花がある

遥か昔の物語









B A M B I N A


Judas










どうとも思いを変えようとしない三上を残し、部屋を出た渋沢は廊下に佇んでいた英士と目を合わせた。英士もまた、静かな目で渋沢を見ていた。主人の野心の深さと意思の強さは人より判っているつもりでいる。そんな主人の思いを覆すことが出来るとしたら、この人だけだと思っていたけど、それもまた無理なことだったと、目を伏せた。


「君も知らなかったのか」
「はい。の目の色も伝説も聞いたことがあったのに、思いも寄らなかった。おかしいとは思ったんです。一人に執着して、これまでに無いほど手酷く扱って。まるで恨みでもあるのかというくらい」
「・・・」


渋沢はまた赤じゅうたんの上を歩き出し、離れに向かって廊下を歩き出した。三上の思念と行動を止められずとも、このまま一人の少女の存在を鵜呑みにすることは、自分の立場にも信念にもそぐわない。


「何故あいつがあそこまで国に叛こうとするのか判らない。何がそこまであいつに国に対する恨みを持たせているのか」
「・・・あの人は、傍若無人だけど人を見るのが上手い。俺たち中で働く人間は皆家も身寄りもない人間ばかりで、大佐は、帰る場所のない人間のほうが余計なことも考えずに働くからって言うんですけど、正直みんなここ以外居場所なんてないし、今頃どこで野たれ死んでるかもしれない奴ばかりです」
「孤児か。今この国の一番の問題だな」
「でもここ数日、みんなに幾らか金を持たせて解雇しています。今屋敷に残ってるのは数える程しかいない」
「・・・。おそらく、行く先を見据えているのだろうな」
「・・・」


足音もたたないじゅうたんの上を歩き続け、廊下は尽きる。一つのドアが現れ、そのドアを開ければ離れに繋がる橋が現れる。

でも英士はその手前で、ドアに手を差し伸べながら動きを止めた。


「大佐は、半年ほど前から妙な咳をしています。医者に診てもらうように言っても聞かなくて、最近はその咳も普通じゃない感じで」
「半年前から?ずっと?」
「はい。重い病気なのかも判りませんけど、俺には、それが全ての切欠な気がしてならない」
「・・・」


ガラリとドアを開ければ冷気が足早に身を包み、橋の高さまで降り積もった白にまだ天から新たな雪は降り注いでいた。短い橋を渡って離れのドアを開けると、そんな外を見続けているが、窓辺に静かに座っている。

窓を少しだけ開けて、手に冷たい雪を晒している。雪の白さに反射して細い腕が透けるほど白く見える。冷たさを身体に染みこませながら、でもその温度を楽しむように、は目を光らせていた。


「風邪ひくよ」


英士は窓の外に伸びているの腕を引かせ、体温に当たって解けた雪の雫を拭った。窓の外を見ていた目をそのままに英士に向けるの、瞳が金色に輝いて滲む。淀みのない、眩い金。

はその英士の後ろにいる渋沢にも気づき、目を向けた。軍服には過剰に反応してしまうようで、少し目が曇る。英士は窓を閉めるとその場を渋沢に譲り、渋沢は静かにに歩み寄っていった。


「雪が好きなのか?」
「・・・」
「随分と薄着だな、寒くないか?」
「・・・」


高い位置から穏やかな目と声で降り注ぐ渋沢の言葉に、は目を向けたまま、でも声は発さなかった。暖房だけが機械音を立てるだけの静かな部屋で、は少し警戒を混ぜた瞳で渋沢を見上げるばかり。

何も喋るな

いつかの呪縛は、まだその口を捕らえているのか。


「外に出ないか?」
「・・・」


優しく笑みを注ぐ渋沢が一度外を見て、を見た。
目を丸くするを立たせ連れ出し、渡り廊下からを抱きかかえて降り立ち、冷たい地面の上にを下ろした。

足の裏から冷たさがツンと染みこむ。鼻にも冷気が通りぬけ奥に痛みを感じ、冬は痛いものなのだと思った。足を動かせばざくりと雪が押し込まれる音がして、柔らかく見えていた白が硬く氷のようになっていく。
ざくり、ざくり、その音を楽しんでは一歩また一歩と歩いた。歩くたびに冷たさと音が生まれる。それが楽しくて、雪の上を足跡をつけながらくるくる歩く。優しく見守っているような後ろの渋沢にくるりと振り返り、ふわりと笑みを見せた。その姿を、遠い玄関近くの廊下の窓から三上は見ていた。


「すまなかった。早く、家に帰りたいだろう。あいつの犯した罪は決して許されるものではないし、必ず償わせる。君はすぐにでもここから出そう」


中庭にぐるりと足跡の円をつけ、元の場所まで戻ってきたはしゃがみこんで雪を握ったり丸めたり溶かしたり、冷え切った手に息を吹きかけながら、それでもずっと雪に触れていた。こんなにたくさんの雪を触るのも初めてだった。

その傍らに立つ渋沢は、小さなの身体を見下げながらコートを脱ぎ、の背中から被せる。まだぼたりぼたりと降り続く雪を払いながら、そっと話しかけた。


「君の家は、どこにあるか判るか?」
「判らない。お母さんも殺された」
「・・・」


殺された。

三上は、輸送中の船を襲ったといっていた。
だからおそらく、少女の村を襲ったのは・・・。


・・・すまない


渋沢は断腸の思いで搾り出すように呟いた。


「今この国は病んでいる。君にとって、安全に暮らせる土地ではないだろう。君が安心して暮らせる場所を探そう。それまでもうしばらく待っていてくれ」
「・・・」


パラパラと雪をすくっては手放しながら、すぐ隣から降ってくるような渋沢の言葉を聞いていた。

そして、小さく小さく、口を開く。


「私は、ここでいい」
「・・・、何故だ。何か気に留めることでもあるのか?心配しなくてももうあいつには君に関与させないし、他の誰にも君の自由を奪うことはさせない」
「・・・」


思いも寄らぬ言葉を聞いて、渋沢はに少し近づいた。
でもは俯いたまま、冷たい指先をそっと握りこむ。


「私は、外に出たことがなくて、ずっと窓も無い家の中にいた」
「え?」
「外から人の声が聞こえて、みんな外にいるのに、私だけ出られなくて、出ようとすると怒られて、ずっと、隠れるみたいに毎日閉じ込められてた」
「何故?」
「ずっと判らなかった。聞いても誰も教えてくれなくて、なんでだろうって思いながら毎日過ごしてた。ずっとそうやって生きていて、そして、突然村の人たちと、お母さんが、殺されて」


身を引き裂く銃声と人の怒号と、波のように押し寄せる足音と死に行く悲鳴と。服に染み渡っていく赤。冷えていく体温。動かない身体。まだ頭の片隅に残っている。

手にこびりついた、乾いた血。
まだ覚えてる。


「連れて行かれて、また暗い中に押し込められて、どこかについて、そのとき、初めて見たのが・・・あの人だった・・・」
「・・・三上?」


濃紺の軍服に帝国の紋章。
黒い髪の合間から見え隠れする、光らない赤い眼。


「最初は、あの人がみんな殺したんだって思ってた。そう言っても、あの人は否定しなかったし、その服を着てる人は、みんな同じだと思っていたし」
「・・・」
「でも、それは違って、ずっと判らなかったことを、教えてくれたのはあの人で、」
「判らなかったこと?」
「金色の目の話」
「・・・知らなかったのか」
「誰も、私を隠すばかりで教えてくれなかったから」


ただ、毎日、毎日、狭い部屋の中で生きていた。
言葉を交わす人もいなく、見るものもなく、毎日を過ごしてた。

それはここの生活と同じようで、でも確実に違うところがある。


「ここには花があって、空があって、風があって、英士もいて・・・。あの人は、怖いばかりだったけど、今は、そうでもなくて・・・」
「・・・」
「私はあの人を・・・恨んでない」


自分の中に残った傷跡よりも、意味の判らぬ不安のほうが、怖かった。どんなに辛いことでも悲しいことでも、はっきりと理解した現実であるなら、それを、乗り越える術もある。

あの人は、全てを教えた。隠さず、誤魔化さず、ありのまま。
そうして全てを、受け入れろと。

それを、酷い、とは思わなかった。


「私は、おかしいかな・・・」
「・・・」


深々と降り積もる真白い雪。
全てを覆い尽くし、花々の色すらも飲み込んでしまう。


「・・・スノードロップという花を、知ってるか?」


降ってくる雪を目に入れてしまうような大きな瞳で、は高い位置にいる渋沢を見上げ首を振った。


「冬でも咲く花だ。その昔、雪には何色もついていなくて、雪は神様に色が欲しいと願い出た。すると神様は、様々な色を持つ花に色を分けてもらうといいと勧めたんだ。でも花たちは冷たい雪に色を分けてはくれなかった。でもたったひとつだけ、スノードロップという花だけが雪に自分の白を分けてくれた。だから雪はいつも、スノードロップを大切にしている。だからスノードロップは冬でも咲いていられるんだ」


鮮やかでなくとも、その純白には何色も勝らない。
全てを覆い尽くす雪。全てを浄化する白。

その中で咲く、白く小さな、花。


「君は美しいな」
「・・・」


しんしん、しんしん、降り続け、あらゆる色を飲み込んで、

そうして世界は、幻想的に浄化されてゆく。


悔いも恨みも全てを溶かし、ただ壮大に、

白くあれ。














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