光と影の連鎖

生と死の理









B A M B I N A


shadow










まだ空はぼんやり白いだけでうす暗く、立ち込める霧と混ざって数メートル先の視界も冴えないような早朝。夜に底まで冷え込んだ空気は身震いで目を覚まさせるほどに突き刺さり、大きなくしゃみが飛び出ると同時に鼻水も噴出してずずっと吸い込んだ。


『・・・あれ、あきちゃん?』


川の水がさらさら流れる。風が草木を撫でて、近くのオレンジ色した花の甘い香りを乗せて届く。でも隣にあるはずの姿はどこにも見えなくて、どこ行ったのかなぁと呟きながら、でも目は覚めずに服を被り直してまたごろりと草の上に寝転がった。


朝焼けと共に次第に世間が目を覚ましていくその頃、視界の悪い霧の中でコンクリートの壁を飛び越え朝露に濡れる芝生に静かに降り立った。この町はそう大きな町ではないけど大層に構えた屋敷はいくつかある。この屋敷もまた立派な門構えで、それ故に目を付けられることも少なくなくて、少し前に他のグループがこの屋敷に盗みに入ったばかりだった。でもその連中は失敗したらしい。失敗はつまり軍に捕まったということ。

孤児の多いこの土地は集団窃盗が一番の問題となっていて、特にこんな大きな屋敷はその警戒も並みじゃない。でもそれを掻い潜って金や食べ物にありつくのが楽しみであり生きる術なのだ。生きるためにしてはいけないことなんて何もない。大人たちの作ったルールを守ってたって腹は膨れない。


『やっぱな、警戒ザルだぜ。ラクショー』


庭に並ぶ木を登り屋敷に飛び移り、一番上の小さな窓まで壁を伝っていく。先日盗みに入られその犯人グループを捕まえたこの屋敷は油断しているのか、2度は無いと高を括っているのか、屋敷の警備はいつに無く緩かった。窓を割って屋敷に入り込み、調べのついている部屋へ静かに向かっていく。

廊下をたったと走っていくと、角を曲がる直前で人の足音と話し声がして咄嗟に身を隠した。近づいてくる人の気配に小さく舌打ちをして、音を立てずに息を潜める。


『じゃあ掴んだネタはガセだったんですか』
『ええ、まんまと報酬だけ取られましてね。最近その手の情報が高く売れると踏んでホラを吹く連中が増えてるんですよ。真偽を見極めにくい話ですしな』


話しながら歩いてくる二人の男はそのまま通り過ぎて、玄関へと繋がる階段へ向かっていった。こちらに目を向けられていたら見つかっていたかもしれず、ふぅと小さく息を吐いた。


『まぁ、今後は巧い話にも窃盗にも警戒することですね。巧い話には裏があるといいますし』
『はっは、まったくです。でも金瞳といわれると目が無くてね』


またその言葉にピクリと耳を立てる。どうやら本当にあんな夢物語が世間では広く流通し、その上金持ち連中は信じて探し回っているようだ。


『では我々は失礼します。今後も警備は慎重にお願いしますよ』
『ええもう。わざわざご足労くださり有難う御座います』
『あれ、そういえば、あいつはどこへ行ったかな』


玄関へと向かっていく二人はこちらに気づくことなくそのまま階段を降りていった。警備を慎重にと言ってる傍から盗みに入られるんじゃ今後の厳戒さも見込めやしないなと鼻で笑う。


『でけぇ鼠がいるなぁ』
『!』


警戒していた目先とはまったく反対方向の後ろから静かな声を投げかけられてバッと勢いよく振り返った。そこには濃紺の軍服に帝国の紋章と位を示すピンをつけた男が立っていて、高い場所から愉快気に見下ろしていた。

ち、と舌を打ちすぐに走り出すけどその長い腕で背を捕まれてしまった。すぐに後ろの相手に向かって蹴りを繰り出すけど簡単に止められ、そのまま足を掴まれてしまう。捕まったら終わりだと思うと同時に背中に手をやり取り出したものをそのまま掴まれている腕を目がけて振り払うと掴んでいる腕はさっと離れた。
細い道筋を作る鋭利なナイフは男の軍服を僅かに切り裂き男の目が少しだけ細くなる。それでもその愉快そうな口元は消えなくて、ナイフをしっかりと持ち替えるとそのまま何度も男に向かって切りつけた。細かな線が縦へ横へと振り払われて、それでも男は飄々と紙一重で避けてしまう。


『筋が荒いな。最初の蹴りのほうが良かったぜ』
『っ、』


余裕を絶やさない男に苛立つけど、こんなところで時間を取られてる場合じゃない。今は一刻も早く逃げないと。
また一度ナイフを払うと強く床を蹴り、廊下の窓に向かって身を投げた。体当たりしてガラスは大きな音を立てて割れ砕け、そのまま落下していこうとするけど体は何かに引き止められて、体は落下せずに外壁に叩きつけられる。


『ってぇ・・・!』
『ひゅー、度胸だけはあんな。ここ3階だぜ?』


ガラスはパラパラと落ちていき屋敷の中に警戒のアラームが鳴り響く。痛みに堪えて空を見ると窓の中にいる男が足を掴んでいた。屋敷の中で何事だと騒々しくなっていく。このままじゃ捕まってしまう。


『離せっ』
『離してもいーけどこの角度じゃ死ぬよ坊や』
『るせぇっ、離せっ!』


掴んでる腕を蹴ろうが体を揺さぶろうがその手は離れない。軍人に助けられるくらいなら死んだほうがマシだ。体に反動をつけて起こし、手にしていたナイフで足を掴んでる手を切りつけた。

落ちる覚悟をして身を硬くする、けど、体は一向に落ちていかない。目を開けると上から雨に似た何かが落ちてきて、ポタッと頬に当たった。


『・・威勢がいいのはいいことだけどな、ガキ、食べ物と命は粗末にするんじゃねーよ』
『・・・』


男の手からは血が流れ出てその手に掴まれている自分の足も赤く染まる。それでもその手の力は衰えることは無く、離されることも無く、血はぽたりぽたりと雨のように降って、青い空にやたらと映えていた。


結局そのまま引き上げられて、屋敷の主人は怒り狂っていたけどその軍人にどこかへ連れて行かれた。初めて乗る車の中で目が追いつかないほどに過ぎ去っていく景色を見ながら、終わったなと思う。もう空腹の苦しみも寒い夜の心配もしなくていいんだ。死ぬ時くらいはラクなのがいいなとぼんやり思った。


『食えよ』
『・・・』
『ヘタな意地張るな。辛いだけだろ、そんな生き方』


湯気の立つ皿といい匂いを漂わせるパンが目の前に置かれて、目の前の男は包帯を巻いた手で煙草を口にした。あのまま牢屋に入れられて殺されるかと思っていたのに、何故か着いた先はさっきの家よりでかい屋敷で、どうやらこの男の家のようだった。


『まー男はそんくらいの根性とプライドが無きゃいけないけどな。ちょっとはその野良犬根性をうちの連中にも見習ってもらいたいぜ。お前軍人になるか?』
『・・・』
『お前あれか、孤児か。あの辺りは多いらしいな』
『俺をどうするんだよ。早く殺すなら殺せよ』
『お前俺をなんだと思ってんの?そんな怖いことする人に見える?』


煙草をふかすその男にチラリと目をやると男はジッと見返してきてすぐに目を逸らした。その男が何を思っているのかなんて判らないけど、どうしたってそのにやけた口はガキだと馬鹿にしている雰囲気が漂っている。


『そんな年で死に急いじゃいけねーよ。仲間とかいるんだろ?』
『いねぇよ』
『親は』
『いない』
『捨てられたか』


何も答えなかった。足元にはふわふわと浮き上がりそうなじゅうたんが敷き詰められて、天井には太陽より眩しいガラスの明かりが光を放って、椅子は柔らかくテーブルは高級そうで、男は立派な軍服と相当の位を纏っている。まるで別世界の人間。そんなヤツに何が判る。


『親が子を捨てるなんて考えらんねー話だけどな、何も恨むなよ。そんな親の元に生まれたこともこんな時代に生まれたことも。何かのせいにしてりゃ楽だけどな、何も生まねーぞその感情は』
『べつに何も恨んでない』


そんな時期は、とうに通り過ぎた。
恨みも怒りも、ただ腹が減るだけだ。期待も、夢見ることも。


『どうだっていい、親なんて。生きてようが死んでようが。そんなものなくても生きていける』
『盗み繰り返してか』
『いーじゃねーか、無駄に溢れてる金盗んだって。夢探しなんかよりよっぽど役に立ってるぜ』
『夢探し?』
『なにが金瞳だ、馬鹿馬鹿しい』
『・・・』


ふと男を見ると、男は突然言葉を発さなくなった。
そしてしばらくして、笑みと同時に煙草の煙を零し「確かにな」と呟く。


『金瞳が世界を救う鍵になるなんて夢物語だ。皇帝も他の連中もどうかしてる。でもこの国にとってそれはもう夢物語なんてレベルじゃないんだよ。国全体が動いてる。国が動くってのは、そう簡単な話じゃない』
『・・・詳しいんだな。アンタも軍人だもんな。金瞳を探してるんだ』
『・・・。ああ、まぁな』


・・・やっぱり、大人はみんな馬鹿だ。


『もし俺を逃がしてくれるなら、いいこと教えてやってもいーぜ』


そう言うと、男は短くなった煙草を灰皿に押し付けながら笑い混じりに「どんな?」と聞き返した。


『金瞳がいるかもしれない』
『ふぅん、どこに?』
『場所は知らない。でも見たことがある』
『嘘くせぇな』
『嘘じゃない。確かに金瞳だった。6年くらい前までさっきの町に住んでた』
『・・・』


男はいつも口元に携えていた余裕を消して、まっすぐと視線を寄こした。その強くて深い眼は脅かすようで、冗談じゃ済まされないと訴えるようで、一部の隙も無くまっすぐ目につき刺さってくる。


『お前はどこで金瞳の話を聞いた?』
『・・・金瞳の話を聞いたのは、きのうだけど、』
『話にならねぇな。逃げたくて必死か?情けねーな』
『でも確かに金瞳だった。絶対に』
『6年も前の話なんだろ、なんでそう言いきれるんだ』
『・・・』


それは、・・・


『・・・俺の、母親だから・・・』


それが一番記憶に残っている。
手を繋がれていた時も、胸に抱かれていた時も、優しく降り注ぐ視線の源にある、眩い金。月の光のように神々しく、じんわりと滲んで浸透していく光のような色。

奇跡だった。
夢だった。

その色は、その瞳の母は、この手に掴むことの出来ないはずの救いだった。


遠い月にいつも羨望していた。

失くしたはずの、色。








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