満ちてゆくのか 欠けてゆくのか









B A M B I N A


shadow










厳しく抑圧するようだった男の眼は、それを言った途端に形を変えてまるで意思を感じられなくなった。驚いたように丸みを帯びる目が自分を捉える。そして男は不意に立ち上がり見下ろしたまま近づいてきた。


『母親?』
『ああ・・』
『6年前?お前今いくつだ』
『・・10歳』
『・・・』


男は言葉無く立ち尽くした。それからしばらくして意識を取り戻したように目の色を戻し、座っている目線に合わせて床に膝をついた。


『お前、母親のことはどのくらい覚えてる』
『あんまり。声とか、手とか』
『思い出せることなんでも言ってみろ。母親とは二人だったのか?いつからそこにいた?その前の記憶は?』
『いつからいたかは覚えてないけど、小さいときにどこかからあの家に来て、ずっとふたりだった』
『・・・』


なんなんだ?何が知りたいんだこの男は。
金瞳を探してるのなら前のことより、それから先のことを聞くはずなのに。


『お前、名前は・・・?』


何故だかさっきからまともに目を合わせなくなった男が、動揺を押し殺した声で聞いた。


『亮』
『・・・』


男は目を閉じ、祈るように動きをなくした。


『なんなんだよ』


どこかに怖さを隠してそっと言うと、男はゆっくりと目を開けて力の篭らない目を合わせた。でもまた視線を外して立ち上がり、背を向けて、ひとつ深い呼吸をした。


『・・・お前の母親は生きてるぞ』
『え・・・』


生きてる・・・?


『なんで、何か知ってんのかよ』
『お前の母親は確かに金瞳だ。そして今は城にいる』
『城って、捕まってんのか?』
『いや、・・・でもそう言っても間違いじゃないかもしれないな。正確には皇后だ。皇帝の妃』
『こ、皇帝の妃・・・?』


男が言うには、金瞳の母はどこかから連れてこられ城に住んでいたという。帝国が財と権威をかけて探し出した伝説の金瞳。新世界の鍵。・・・しかしその後、城から逃げ出したという。金瞳がいなくなったことに浮き足立つ帝国は総力を挙げて探し回り、6年前に再び発見し金瞳を手中に入れた帝国はもう逃がさないようにと皇帝の正妃とし皇后の地位を与えたという。

なんだか、話が大きすぎてよく頭に入ってこなかった。どこから理解すればいいのか、どう理解すればいいのか。小さな頭では判りかねる現実に圧倒されていると、目の前に立っている男が振り返り言ったことが、全ての混乱から解き放ってくれた。


『金瞳に子供がいることは国には判っていない。判ればお前にも危険が及ぶと思ったんだろう、だからお前を置いていくしかなかった。お前は捨てられたんじゃない』
『・・・な、』


なんだよ、それ


『・・・』


ある日突然、母はいなくなった。


『・・・・・・』


すてられたんじゃない


『っ・・・・・・』


今日という日の太陽はもうすっかり昇りきって、夜の冷たさなんて嘘のように温度は増していた。繋がれていた手の色はかすれ、微笑んでいただろう顔は記憶の奥底へと沈んでいって、繰り返される毎日に飲み込まれていく。恨むことで、忘れることで慰めて、でも月を見上げればどうしても癒されて。

だって、その金は、遠い空にしかなかった。
夜にしか出会えなかった。

母親は生きている。
城にいる。


『お前、どう思う?』
『どうって・・・?』
『ひとりの人間が、勝手な夢や理想を架せられて犠牲になる。ただ目の色が金というだけで神のように扱われて、当の本人は自由も無く囚われ続けてる』
『・・・』


表情の見えない男は淡々と話し、でもその拳は少しずつ締まって感情の揺れを現した。


『あんたは、誰なんだ?』


帝国の象徴である軍服を纏いながら、でも国に対して批判的なことを言う。金瞳を探していると言いながら、でも金瞳は犠牲だと言う。その口ぶりは国と金瞳の現実を語っているというよりも、母親個人を指しているような、・・・


『お前の母親が城から逃げ出した時、かくまったのは俺だ』
『え・・・』


かくまった・・・?

国は金瞳に子供がいることを知らない。城にいた時に子供が出来たのではないということだ。


『・・・まさか、』
『・・・』


うそだろ・・・





二人が出会ったのは、金瞳の女が城から逃げ出した夜だった。
酔いを冷ますように夜道を歩いていた男は道端に倒れるように座り込んでる女を見つけ、声をかけた。女は酷く息切れて、何故か全身びしょ濡れで裸足のまま、最初はどこの家出娘かと思った。

事情を聞いても名前を聞いても何も答えない。仕方なく家に連れ帰ろうと手を伸ばせば怯えて拒絶してどうしようもない。自分は軍人だから心配するなと言うとそのボロボロな体で逃げ出そうとする。でもそのまま見過ごすわけにはいかなかったから、大丈夫だと言い続けて月も沈むほど時間をかけてようやく家に連れ帰った。

その夜は細い月が出てるだけで暗い夜だったからその女が金瞳だということには気づかなかった。城から逃げてきたことも。そもそも城に金瞳を捕らえていることさえ大尉の地位にある男にも伝わっていなかった。
傍にいて話しかければ少しずつ反応を見せるようになり、話すようにもなった。だけど事情は一切口にせず、でもその女から犯罪の匂いはまったくしなかったから何も言わなくてもいいかと思うようになった。

じきにその女が金瞳だと判り、次第に心を開いた女の口から城から逃げてきたことも判った。この国にとって金瞳がどれだけ希少とされ貴重とされてるかは軍人であれば十分に判っていた。その上城から逃げてきた金瞳をかくまったとなれば、自分の地位や立場はもちろん、犯罪者にだって成りかねない。

でも、そう判った時にはもう遅かった。
仕方なくじゃない。目的があってでもない。その女が何を持っていようと、何を背負っていようと、それがいずれ自分の命すら脅かすことになろうと、もう、手放すことは、出来なかった。

隠れるように密やかに慎ましく、それでも確かな絆はそこにあった。触れ合うことの意味、愛し合うことの喜びを分かち合い、守るべきものを授かった。女は子を産み、育んで、小さな小さな世界の中でだけでも十分に尊く生きた。その瞳は眩いまでの金で満ち溢れていた。

だけど幸せはいつだって不幸と隣り合わせだった。
ある日突然、女は子共々いなくなった。女が使っていたもの、子供のもの、思い出すら全て燃やして、一緒にいた時間すら消し去って、いなくなった。

その後すぐだ。どこから漏れたか判らない情報を手に軍が家へと押しかけてきて家中を捜索されたのは。でも何も見つからず、金瞳も見つからず、何の処罰もなかった。

金瞳を知っているかと尋問されても口にはしなかった。どこへ行ったかも判らない二人のためにもこんなところで死ぬわけにはいかなかった。自分の存在がいかにちっぽけで小さなものかを思い知った。


『なぁ、お前、母親に会いたいか?』
『・・・』
『容易なことじゃないぜ、国を敵に回すのは。いくら命懸けたってこんなちっぽけな命じゃてんで足りやしない』
『だから諦めたのか?』
『・・・』


二人の眼が混じる。
同じ眼の色。


『金瞳はいいように使われるのがこの国の現状だ。この国にいる限り希望も未来もあったもんじゃない。何が救いだ、たった一人の人間に何が出来る。何万回祈ったって平和なんて訪れやしない』


・・・それでも、たった一人にとっては祈りより確かな幸せだった。

たった一人にとっては、果てしない救いだった。


『お前は俺を越えろよ』
『・・・』





・・・その後、城で小さな事件が起きた。
西の大尉の地位にいた男が反逆を起こし、処刑された。
その内容も経緯も明かされず事は静かに治められ真相は闇へと消えた。速やかに別の人間が大尉の地位に就き、城の外には一切口外されない小さな小さな事件だった。

ただひとつ帝国にとっての痛手は、金瞳を失ったこと。
また新たな金瞳探しが始まった。

月の無い夜だった。










NEXT