安らぎと偽りの抒情詩




その日は、細かな雨が降る夜だった。
ついこの間まで眩しい夏だったのに、季節の移り変わりを知らせるようにそれは降り続いていた。・・・日が落ちると共に振り出した雨は、時間が経つにつれてどんどん勢いを増す雨は、いつもより一層、夜に暗闇をもたらした。夏が終わったばかりだとしても、日が沈んで雨が降れば気温はぐっと低くなる。よく降るなぁ、と視線を落としていた本から目を離して、は暗い窓の向こう側、重い雨雲を見上げた。

「入るぞ」

そんな時、ガチャっとドアが開く音がしたかと思えばそんな声と同時にメロがドアを押し開けて入ってきた。入ってから声をかけても意味ないでしょ、なんていつものメロにいつもの文句を言うと、メロはガチャガチャと何が入っているのか、両手にダンボールの箱を抱えて「気にするな」と言った。背中でドアを押さえて箱を置き、また廊下に体を向けると、部屋の中に幾つものダンボールを次々と運び入れる。

「なんなの?」
「これ預かれ」
「はい?」

本をパタンと閉じてソファから立ち上がり、メロが部屋にせっせと運ぶダンボールの中身を覗き見た。箱の中は、メロの大事な本やテキストや、好きなCDや集めていたコレクションや、とにかく膨大な量。

「なんで?どうかしたの?」
「いーから持っててくれればいーんだよ。まだあるから手伝え」
「はいい?」

訳も分からずメロの部屋まで連れて行かれたは、メロのうしろからその部屋の中を見た。メロの部屋の中は、まるでこれから引越しでもしようかというほど、すべての物が全部ダンボールに収められている。本棚も勉強机もクローゼットもすべて開け放たれて、それのどれもが空っぽ。メロの部屋らしくもなく、殺風景なものだった。

「メロ、部屋移動するの?」
「いーから持ってけ」
「移動するならなんで私の部屋に持ってくるのよ」
「いーからほら!」

ドンっとダンボールを押し付けられたがその箱の中を見ると、メロの好きなメーカーのチョコレートの山。そしてメロはまた重たそうなダンボールを持ち上げて部屋を出た。

「メロ好きだね、このチョコ。これしか食べないもんね」
「ああ、それが今まで食った中で一番だったな」
「これ匂いが独特だよね。何か入ってるの?」
「あんまり売ってないんだぞ?丁重に扱え」
「手伝わせておいて何その言い方」

メロの耳を引っ張ってやると、軽いモンしか持たせてねーだろ、と両手のふさがっているメロは蹴りを入れてきた。クセの悪いメロの足。体も力もメロのほうが大きいし強いのだけど、両手がふさがっているなら負けはしないだろうと廊下のじゅうたんの上で押し合うように歩きながらの部屋まで戻ってきた。

「どうするのよこれ。まさかあたしの部屋に来るとか言わないでよね」
「そのつもりだけど?」
「はあ?冗談でしょ、なんで?」
「なんだよその顔、嫌なのかよ」

顔を歪めるに文句を言うメロは箱の中からひとつチョコレートを取り、包みを開けながらのベッドに寝転がった。ただでさえ部屋を二つに分けた二人部屋。メロの荷物がごっそりと移動してきてなおさら狭く感じる。なのに当の本人はの文句など気にする様子もなく飄々とチョコを砕き割る。

「なんで一人部屋のクセにわざわざあたしの部屋に来るのよ」
「お前だって俺かニアがいなくなれば一人部屋が回ってくるだろ」
「あたしは二人部屋でいいもん」
「なんでだよ、一人の方が楽だし部屋広いのに。ああ、怖いのか」
「違うわよ!」

確かに今日みたく、ザーザーと地鳴りのように雨が降り続ける日に一人では、ちょっと怖い。同じ部屋の子はいつも他の部屋に遊びにいってしまうから、本を読んでいるのが好きなはよく一人で取り残されてしまう。そんなの心中を読み取るように鼻で笑うメロに、何を言ってもまともな返事は聞けそうになかった。

諦めたはふぅとため息をついて、ベッドから離れていこうとする。
と、すぐにメロに手を掴まれ足を止めた。

「なに?」
「どこ行くんだよ」
「そこ座るだけよ」
「ここでいいだろ」

そう言ってメロは、ソファを指差すを引っ張ってベッドに座らせた。

こんなことを言うメロは初めてだった。
たとえそうしたくとも、メロはしなかった。
まず最初に手に入れなければならないものがあったから、すべてを二の次にしてきた。

「どうかしたの?メロ」
「何が」
「何がって、全部おかしいじゃない」

突然自分の部屋を片付け始めてその荷物を全部運んできて、部屋に居座って手を離さなくて。なのにそのすべてに訳を持たせず、ただほのかに笑うばかりで目すら合わさなくて。いつもと同じこと、といえば、この音だけ。

「ねぇメロ、今日どこで寝るの?」

パキ

「そういえば、夕食の時間もいなかったね。どこ行ってたの?」

パキン

「ねぇ、メロってば」
「あのチョコさぁ」
「え?」

あれ。 そうメロが顎でダンボールに入ったチョコレートを指すのを、も見た。
まったく。自分の言いたいことばかりで、ちっとも質問に答えてくれない。
話はちゃんと聞いているくせに。

「お前に全部やる」
「え?なんで?」
「お前よく言ってただろ。おいしいの?って」
「だってメロ絶対くれなかったから」
「だからやる」
「・・・」

なんか、嫌だった。
穏やかに笑ってるメロも、ずっと手首を離さないメロも、今まで一度も欠片だってくれなかったチョコレートをあげると言うメロも、優しすぎて、嫌だった。

「・・・今日、ロジャーに呼ばれたとき、何の話したの?」

天井を仰いだまま口を動かしていたメロが、ゴクンと喉を鳴らした。
何をしている途中でも必ず持っていたチョコレート。
その音も香りも、メロの目印みたいなものだった。

「どこか、行くの?」

メロがチョコレートを砕き割る音がしなくなった部屋は、外の雨の音がよく聞こえた。
暗くて、重くて、強くて、でも静かで、 まるでメロのよう。


「ん・・・?」

メロは体を起こしてそのまま、の手首をぐっと握って顔を近づけて、キスをした。
メロの口から苦くて甘い、味がした。
・・・やっぱり変だ。 こんなメロ、変だ。
こんな優しいキスをするメロは、知らない。

「うまいだろ」

しばらくして離れたメロは、目の前で聞こえるか聞こえないかくらいの大きさでつぶやいて、我慢するように笑った。でもには、今のメロの顔があまりに近すぎて見えなかった。ただ口にふ、とチョコレート風味の息がかかったのを感じただけ。


・・・その日は、細かな雨が降る夜だった。
時間が経つにつれてどんどん勢いを増す雨は一層夜に暗闇をもたらした。
暗くて、重くて、強くて、でも静かで、

そんな夜に、メロは出ていった。

何故か、は、教えてくれなかった。
翌日になってロジャーから事情を聞いて、なんてメロらしいんだろうと思った。

メロがずっと欲しかったもの
メロがずっと待っていたもの
メロがずっと好きだったもの
メロがずっと大事にしていたもの

すべてをここに置いて、メロはもう二度とハウスに戻ってくることはなかった。
雨の中へ消えていくメロを窓からそっと見ていたけど、雨の闇はただの闇よりずっと深くて、すぐに見失った。メロが一度、振り向いたような気もしたけれど、すべてはメロにしか分からないことだった。

もうメロはいないのに、メロの匂いだけが口唇に残った。





安らぎと偽りの抒情詩01