安らぎと偽りの抒情詩




外を歩くのは、専ら夜だった。
夏といえば太陽が眩しかったり、雲が異様に白く映えたりしてた記憶がある。でも夏だろうと冬だろうと夜空は暗いものだから、気温だけがそういったものを知らせるばかりだ。
施設を出てから人と話すこと・・・いや、関わること自体格段に減った。増えたことは、バイクや車の運転の仕方と、銃の重さと冷たさとその威力。変わったことは、話す相手。自分より年下なんてそうそういない。まだ「ガキ」の部類に入る自分を見下ろす相手ばかりだ。そして、拠点をアメリカにして2年が経ったということ。

「疲れた。メロ、俺もう限界。寝る」
「ああ」

大きな口を開けて欠伸をするマットが部屋を出ていく。どれだけ仕事を言いつけても暇あればゲーム機を握ってるマットに疲れたなんて言われたくない。でも自分に比べればずっと若者らしいかとメロは自嘲する。
隣の部屋からマットがわざとらしくため息をついて、寝転がったんだろう、ベッドのきしむ音がした。疲れたといいつつテレビの音も聞こえてくる。元気じゃねぇか。ごそっとポケットの中から半分に減ったチョコレートを取り出しながらメロはつぶやいた。

「なー腹へらない?」
「勝手に食え」

ここに食べ物らしい食べ物なんてない。転がっているのはメロのチョコレートとマットの煙草と若干の飲み物だけ。まさか誰も作らないから外に出た時に済ます。買ってくるときは必ずジャンケンで、8割がたメロが勝つ。メロは非常食とも言えるものをストックしているし、強引に言い出せば8割がた買いに行く羽目になるのだ。外に出るのは嫌なマットはおとなしく口を閉ざしてベッドに頭を落とした。

パソコンをカシャカシャ打ちながら暗がりの部屋でぼぉっと明るい画面を見つめていると、時々視界がくもる。背中からテレビの音が聞こえ続けているけど、マットの軽い鼾も聞こえている。疲れているのは自分のほうだ。メロはふと画面から離れて目を閉じ、ぶるっと一度首を振った。
しばらく目を閉じていると、今にも寝落ちてしまいそうだった。寝る時間も長さもバラバラで前に寝た時間も覚えていない。少し寝るかな、そう瞬間的に思うと、スーッと意識が遠のいていく感じがした。

―メロ

「・・・」

メロ、寝るならちゃんと寝なよ、風邪ひくよ。
もう、メロってば、ほら。

背中にふわりと何かが当たった気がして、ハッと目を開けた。
なんだ?と周りを見回してみたけど、別段変わりないいつもの薄暗いだけの静かな部屋だった。
深く息を吐くメロは手にしっとりと汗をかいているのに気づいた。
時計を見ると、ほんの小一時間ほどしか経っていなかった。隣の部屋からはまだテレビの音が聞こえている。部屋を覗くと、すっかり深い寝息をたてるマットがテレビに背を向けてだらしなく寝転がっている。テレビをつけたまま寝るのはマットの癖だ。メロはベッドの下に落ちているリモコンを拾い上げた。

テレビではマットが見なさそうな堅苦しいニュースが流れていた。もう世間も動き出そうかという早朝。眠気を感じさせないアンカーが清清しい顔つきで文章を読み上げる。画面下に出ている字幕は、古代史の解明に成功したアメリカの科学教育団体が新説を発表したというもの。古くから信じられてきた制約聖書の一文の新説。それが確定されれば歴史を覆す大きな変化となる。

あいつ古代史とか神話とか好きだったからな。こんなニュース飛びつくだろうな。
思わずふと笑ってしまったことに気づいたメロはすぐに顔を戻して、テレビを消そうとリモコンを向けた。
でもメロは、ボタンに指を当てたままその動きを止めた。ニュースは一通り目を通すメロにとって、僅かながら興味ある話題ではあったが、食い入るほどではない。メロがリモコンを持つ手の力を抜いてしまうほど意識を奪われたのは・・・

・・・」

歴史的新説を発表した、若干17歳の天才少女とカメラに映るの姿だった。

次々に読み上げられるニュースの、その大半が犯罪報道。キラの名が世界中に広がったといってもアメリカの犯罪がなくなることなんてない。絶えない事件。それらに比べてあまりに小さな聖書の新説。はあっという間に画面から消えた。
アメリカに来ていたのか・・・。
もう別の話題に変わったテレビをまだ見つめて、後ろでマットの寝息を聞きながらメロはずっと立ち尽くした。

施設は15歳で出なければならない。
同じ年のが施設を出てどこかで暮らしているのは当然のことだ。
あの、施設を出た雨の日。最低限の荷物だけで誰にも言わずに出て行くつもりだったのにどうしても踏ん切りがつかなくて。何故か自分の荷物を預けて、最後の会話をして、最初のキスをした。雨の中で小さく振り返ってみた窓に、の姿が見えた気がしたけど、本当はどうだったかわからない。


夏の夜はいつもより短くて、窓の外の世界はもうその日一日を動き始めていた。
窓から差し込む眩しさと暑さで起きたマットは、消えたテレビとその前に置かれたリモコンを眠気眼で見る。大きく欠伸をしながらごそっと起き上がって隣の部屋を覗くと、パソコンがついたままだった。どこにもメロの姿はなかった。

葉が生い茂る樹の緑の隙間から眩しい太陽光が漏れる。こんな夏日の、しかも真昼に外に出るなんてどのくらいぶりだろう。目も体も溶けてしまいそうだ。黒い皮は無駄なほどに熱を吸収する。サングラス越しの夏の世界は、それでも十分すぎる日差しの勢いで弱まることはない。まだ開けていない板チョコレートを指に挟んで、樹の陰で強い太陽を睨み上げた。
コンクリートの地面を陽炎が漂い、古びた白い建物はくすんで光っていた。
そこは、テレビに出ていた科学教育団体の敷地内。

に会って、どうすると言うのだろう。
そう何度も自分の頭に問いながら、でも来てしまった。
ここに来たからといって必ず会えるわけじゃない。
まさか何度も足を向けるほど未練たらしくなんてない。
見つけることが出来なかったのなら、そういう運命だったのだと潔く帰れる。

「・・・」

それでも、偶然でも必然でも、出会ってしまうのは、運命と言ってもいいだろうか。
建物の中から数人と一緒に出てきたは、テレビで見たとおりあの頃よりずっと大人びていた。たかが2年でも十代の女なら一番成長する時期。だからといってあの笑った顔まで変わってしまったわけじゃない。はあの頃、メロにかけていた笑顔となんら変わらない笑顔のまま。

眩しすぎて目を閉じたくなるほど。
自分は、外を歩くのは専ら夜だったから。
建物から門まで続く道を歩いてくるを見ていると、メロはとても声をかけようとは思わなかった。施設を出て立派に世間で生きて、成功まで収めているに、あんなにも笑っているに、これからもっと暗闇しか歩けなくなる自分が、何を言おうというのか。

あの時、唯一別れを惜しんだ人を、この目でまた見れたのだ。
過去の時間にも、殺した想いにも、蓋をしたはずだ。
近づいてきて、そうして今一番近くなった距離からまた離れていくを、暗い樹の陰で、闇のサングラスの下で見て、送った。
これでいい。そう、目を伏せた。
でも、もう通り過ぎていこうとしたが突然足を止めて振り返った。
眩しく光る何かを目の端に捕らえたは、頭の中身をすべて落としてメロに振り返った。

夏の風が世界を止めた。

・・・にはそういう癖があった。眩しい金色を見ると、他の何を犠牲にしてでも必ず振り返る癖があった。ここ数年、何度も目の端に眩しい金を捉えては振り返り、あの雨の音を思い出すだけで意気消沈していた。
でも、今日は違った。

、どうした」

視線の先以外のものなんてもう、無いに等しかった。でも、ふらりと足を動かすに、近づきつつもまだ確信があったわけではなかった。だって、顔が見えない。記憶の中の彼と重なるようで重ならない。

少しずつ近づいてくるを目の前にして、メロは息が詰まった。
出会うべきか、出会わないべきか。

「・・・メロ?」

もう、その小さな声が聞こえるほどの距離に、がいた。

「・・・ああ」

また、にだけ聞こえるような声で呟くメロは、サングラスを取って伏目がちにを見た。
去っていくを見送ることは出来ても、近づいてくるを拒否することは出来なかった。
答えながらもまだどこか、不安を押し隠したような目をするメロ。
でもはやっと、ようやく思い出の中と目の前が重なり、走りだした。

「メロ・・・!」

あと少しだった距離を飛び越えて、メロの躊躇う空気など押しのけて、はメロに抱きついた。
ぎゅと胸に寄り添ったの、弱く強い力がぎゅっとメロを抱き締め、やっと実感した。

「・・・・・・」

同じ高さだった頭が胸元にある。記憶の中よりも広がった身長差で、それでもの腕は必死に、確かに、抱き締める。
そっと触れたの髪は、記憶の中と同じ柔らかさだった。
細いのにしっかりと強くて、一本一本が真っ黒なの髪は、あの頃は分からなかった女の匂いがする。
でもこの喉から通されるメロを呼ぶ声は同じ。

何かが変わって、何かが残って。
あの雨の夜から、2年の月日が経っていた。





安らぎと偽りの抒情詩02