すごく、すっごく嫌だったけど・・・。
まさか進路希望の紙を捨ててしまうわけにももらっておくわけにもいかず、私は湯舟君にあのラブレターを返さなくてはいけなかった。
私が湯舟君に何か渡したみたいに思われたくないから、出来れば直接会わずに渡したい・・・。でもヘタに人に頼んでもしこの裏面を見られたらまたヘンに勘ぐられそうだから、出来ればなにも聞かず裏も見ないで渡してくれる人に頼みたい・・・。
誰に渡すべきかと悩みながら、そっと湯舟君のクラスを覗き込んだ。
昼休みでたくさんの人がお昼ごはんを食べてて、奥のほうには今朝の桧山君と若菜君、他にも噂の野球部の人たちが何人かいるけど、湯舟君はいないみたいだった。いくら湯舟君の友だちとはいえ、あの人たちだけは絶対に頼めないし・・・。
「・・・あ」
八木さんがいる・・・。
たしか、あの野球部のマネージャーになったとか聞いたことがある。
怖がられてる野球部の人たちに取り入ってるとか陰で言ってる子いるけど、少し前まで同じコーラス部で見ていた八木さんはそんな雰囲気の子じゃなかったと思う。
八木さんなら、なにも言わずに渡してくれるかな・・・。
「湯舟君?えーと・・・、今いないみたいだけど」
「あ、いいの!これをね、渡してほしくて・・・」
私は八木さんを教室のドア口まで呼んでもらい、こっそりと湯舟君の進路希望の紙を手渡した。進路希望の欄が見えるように二つ折りした紙を八木さんは受け取り、開こうとする。
「あああ!待って、開かないで!」
「え?なんで?」
「その、開かずにそのまま、湯舟君に渡してほしいの、です・・・」
「ああ、そう。うん分かった」
にこりと笑って八木さんは快く引き受けてくれた。
よかった、やっぱりいい人だ・・・。
じゃあよろしく、と足早にその教室の前を去ろうとした、そのとき。
教室の中から出てきた人が八木さんの背中にぶつかって、八木さんが私に倒れかかってきた。
「ジャマくせぇな、入り口で立ち尽くしてんじゃねぇよ」
「いったぁ、なにもぶつかってくることないでしょ」
寄りかかってきた八木さんを支えながら八木さんの向こうに見たのは、安仁屋君だった。ぎろりと音がつきそうな力の入った目で見られると自然とびくっと怖くなる。
「そうだ、湯舟君どこ行ったか知らない?」
「湯舟?あいつなら3時間目からいねーよ」
「え?いなかったっけ」
「朝メシ食ってねーからハラ減ったっつって出てったきり帰ってこねーよ」
「もーダメだなぁ」
すごい、八木さんあの安仁屋君と対等にしゃべってる・・・。
やっぱりマネージャーやるくらいだからそのくらい強くなきゃ出来ないよね。
「湯舟がなに」
「湯舟君、まだ進路希望の紙出してないんだって。さんが届けてくれたの」
進路希望?と八木さんの言葉を復唱する安仁屋君は、八木さんの手からあの進路希望の紙を奪い取ると二つ折りの紙を開いてしまった。うわぁ!と私は心の中で慌てるのだけど、時すでに遅し、安仁屋君が開いた紙の裏を見た八木さんがそこに書かれた文字に気づいた。
「ちゃんへ・・・ともだちになってください」
「あ?」
「いや、ここに書いてあるから。これ湯舟君の字だね」
八木さんに言われ、安仁屋君までもが裏面を返してそれを見る。
あああああ、もうこの場から立ち去りたい・・・!
「ちゃんて、最近湯舟君がよく言ってる?・・・あれ?」
八木さんはそう言いながら、うしろの私に振り返った。
「あーそうか!さんて名前・・・、なんださんのことだったのかぁ」
「や、あの、」
「じゃあこれは湯舟じゃなくてアンタのだろ」
「進路希望の紙なんかに書いたから心配して返しにきたんじゃんねぇ。もー湯舟君も、なんでこんな紙に書くかな」
「なんも考えてねーだろあいつは。おら」
安仁屋君はそう言い捨てながら、その紙を、私に差しだした。
「え・・・」
「進路希望なんてまた紙もらえばいーだろ」
「・・・」
「そうだよ、私が川藤先生にもらってきてあげるから、これはさんが持ってたほうがいいよ」
「・・・いや、でも」
なんで、八木さんも安仁屋君も、こんなに普通なんだろう。
だって、おかしいよ、普通に考えて。
「湯舟君だって、こんなの冗談でやってるだけだろうし」
「え、どうして?」
「だって、どう見たって冗談だよ、そうじゃなきゃ嫌がらせとか、バツゲームとか」
「あ?なに言ってんだお前」
突然眉間にシワ寄せた安仁屋君がズイと私に一歩詰め寄ってきて、私も下がった。
その安仁屋君を八木さんは「恵ちゃん!」と止めて、安仁屋君の手からあの紙をまた取った。
「湯舟君は普段あんな風にチャラけてるけど、冗談でこういうことする人じゃないよ。これ書いたのもきっと本心だよ」
「・・・」
「まぁ、周りがとやかく言うことじゃないけどさ。でもこれは湯舟君の気持ちだから、さんが持ってたほうがいいと思うな」
ね、と八木さんは笑顔で、私の手にその紙を握らせた。
やっぱりおかしい。ヘンだもん、そんなの。
なんであんな人が、私なんか・・・
「おい」
うつむく私の頭の上から、低い安仁屋君の声が降りかかった。
「お前、明日の朝、早く学校来い」
「え・・・?」
「来いよ」
そう言って、安仁屋君は廊下を歩いていった。
なんなんだろうと八木さんを見てみるけど、八木さんも何のことかわからないみたいで首をかしげていた。
結局、湯舟君の大事な進路希望の紙は私のもとに帰ってきてしまった。
裏の、かわいいけどだだくさな大きい文字も一緒に。
「・・・」
まるで湯舟君みたいな文字にこめられた、湯船君の気持ち。
”ともだちになってください”。
「あ、さーん」
とぼとぼ教室に戻る私を、窓側から呼び寄せる声。
「どこ行ってたの?」
「え、と・・・、トイレ」
「あの紙どうしたのー?湯舟のやつ」
「え?あ、あるけど・・・」
「あたし湯舟に返してきてあげるよ。ついでにやめろって言ってきてあげる」
「あ、うん・・・」
もうずいぶんとくしゃくしゃになってしまった。
いろんな人が手に取ったせいで。
「・・・あ、やっぱり、自分で返すから」
「あ、そう」
「うん、ありがとう」
「んーん、いいよー」
断って、紙をポケットにしまった。
もしこれに本当に湯舟君の気持ちが入ってたら、人づてに返されたらきっと、嫌な感じだし、と思って・・・。
それからその子たちはトイレいこーと教室を出ていって、私は午後の授業の教科書を机の中から探した。湯舟君は、どこかにごはんを食べに行ってしまったらしいから(学校出ていくとか、ありえないな・・・)、また明日にでも返そうかな、と決めた。
それで・・・、もう少し、ちゃんと湯舟君の話を、聞いてみようかな・・・。
思えば私、最初から冗談か嫌がらせだって決めつけて、ちっとも話を聞いてなかったな。
私は、1年のときはクラスの子たちからあまりよく見られていなくて、うまく友だちが出来なかった。なにをしゃべっても、なにをしても笑われて、そんな中で私はとにかく人の気分を害さないように、みんなの意見から外れないようにするようになった。
男の子も苦手だった。話しかけてくる人はみんなからかってるかバツゲームさせられてるかどちらかだった。そんな扱いされることも、自分がそんな位置にいるんだと思い知らされることも悲しくて、毎日息がしづらかった。
特に、湯舟君みたいなグループは苦手で、絶対にかかわりたくない人だった。
喜んだり舞い上がったりするところをみんなで笑って見てるんだ、ぜったいそうだ、って。
”湯舟君は、冗談でこういうことする人じゃないよ”
どんな人かも、知らないで・・・。
「・・・」
ぽたり、机の上に涙が落ちた。
それに私がビックリして、急いで顔を拭った。
こんな教室のど真ん中で泣いてたら完ぺきおかしな人だ。私は誰にもバレないように涙を拭いて、けど涙は止まれどそれに連動して出てきた鼻水は止まらず流れ出て、ひとりあたふたする私は立ち上がって教室を出ていった。でも廊下も人であふれててどこにも逃げ場がなく、それとなく顔を隠しながらいそいでトイレに向かった。
トイレ前の水道で手を洗い、目の下の少し熱くなっているところも冷やした。
いったい何を泣くことがあったのか。自分で自分のツボが分からない。
ついでにトイレも行こうかなとトイレのドアに振り返った時、中から女の子の大きな笑い声が響いてきて入るのをやめた。女の子がいっぱいいるところは、なんとなく苦手で。
「・・・」
でもそのせいで、聞かなくてよかったようなことを、聞いてしまった。
「けっきょく自分で返しに行きたいんじゃねーかよっていうね!」
「アレ真に受けてんじゃない?冗談だよーとか言って、たりめーだっつーの」
「いつバラす気なんだろうね?あーその現場見たいなー!ぜったい泣くよね!」
「笑うんじゃない?あいついつもヘラヘラ笑ってんじゃん、キモーイ」
・・・自分たちの声がどんなに大きいか、きっとわかってないんだろうな。
いや、聞かれてたって構わないのか、本当のことだもんね。
私はそっと、なにも聞かなかったことにして、その場から歩き出した。
廊下にこんなに人がたくさんいて、でもあんまり、騒がしさを感じなくなった。
私ひとり、頭の中がモヤモヤって、お腹の底がチクチクって。
どこに向かって歩いてるのか分からないほど。
「ちゃん」
景色全部が灰色の見える、さなか。
ピョンと突然、となりに湯舟君が現れた。