Over the rainbow
梅雨が明ければあっという間に気温は上がって、真っ青な空が広がった。
高校に入って初めての夏。全国が始まる、夏。
「私、知ってたの。なんとなくだけど。2歳より前の写真って、見たことないし」
夏の緑は、空の青に映える入道雲みたいに光って見える。
開け放たれた窓から飛び出るカーテンも、芝生に散布される水も、白いセーラー服も。
「中学の時にね、家の前で女の人に声かけられたことあって、そのときは何とも思わなかったんだけど、それからその人とお母さんが言いあってるのとか、電話で話してるのとか聞いたことあって。はうちの娘ですからとか言ってて」
「中学の時?」
「うん。あの時が、一番悩んだかなぁ。この家の子じゃないのかもって思ったら、お母さんの顔見れなくなって、家にも居場所ない気がして、家に帰りたくなくなった。特に親には、なに言われてもウソつかれてたって思いが大きかったし」
あの頃のは、家に寄りつかなくなって、母さんともケンカばかりしてた。
大人とも子どもともいえない心の中に、不安と疑心が共存して、ひとりでずっと、寂しさと孤独と疎外感に襲われて・・・。
手を離せば、どこか遠くに行ってしまいそうだった、あの頃の。
「・・・でも、ノブはね、何にも知らなかったんだ。最初は、何も知らないでお姉ちゃんって呼んでくるのもムカついたりしてたんだけど・・・、だんだん、それがすごく、救いっていうか・・・。私にウソつかないのは、ノブだけだなぁって思えてきて」
「なにも知らないことが、助けになってたんだね」
「うん・・・。ノブが、お姉ちゃんって呼んでくれるうちは、私の家はここでいいのかなって思えた。ノブが私のこと、ちゃんと家族だと思ってくれるうちは、私、この家の子でいいのかなって・・・」
耳のイヤホンからガンガン聞こえる音楽に乗って、シャカシャカペダルをこぎまくる。
周りの景色がぐんぐん過ぎ去っていく中、時々トラックを見るとビクッとして踏み込む足が鈍った。
ちくしょう、一生トラウマだ、トラックは。
「ノブにはバレたくないって隠してると、親の気持ちもちょっと、分かった。壊したくないものとか、ウソついてる罪悪感とか・・・」
「でもそれは、ウソとは言わないよ」
「・・・そうかな。でもやっぱりノブには、いっぱい悩ませちゃったみたいだし、悪いことしたな。もっと怒ったり責めたりしたかったかもしれないのに、あんなことになっちゃったから、それも出来なくなっちゃったしさ」
「それも、のせいじゃないよ。清田だっていきなりで混乱しただけで、責めたかったわけじゃないだろうし、ちゃんと分かってくれるよ」
「・・・そうかなぁ」
「そうだよ」
「・・・、うん・・・」
本当はずっと怖かったとか。本当は誰よりも気にかけてくれていたとか。
きっと、いや絶対に、俺には見せないだろうの心の内を、そっと吐き出させる。
そして拾って、受け止めてくれる人。
そんな人がの隣にいてくれて、俺は、ありがとうと思う。
しかし当の俺は、のそんな胸の内など露知らず、何度も腕時計を見ながらガムシャラにペダルをこいで、見えてきた体育館に向かってゼェゼェ息を弾ませていた。やべぇやべぇ、集合時間ギリギリだ。大会初日に遅刻したとあっちゃ、せっかくもらった10番のユニフォームも取り上げられかねない。
それもこれものせいなのだ。あいつは今日の午後に退院する予定だったのに、今朝病院からうちに「お嬢さんがもう退院してしまいました」と連絡が来たのだ。驚いた母さんがのケータイに電話してみれば、あいつは家ではなく市民体育館に向かっていると言うではないか。あいつは、いくら退院したとは言え、この炎天下にさっそくフラフラ遊び歩きやがって・・・。(まぁ、それと俺が遅刻しそうな理由は、まったくそぐわないのだけど。)
「あー!いやがった!」
市民体育館の敷地内に滑りこむと、日陰になってるベンチに並んで座ってると神さんを見つけた。近くまで寄っていってのすぐ目の前でチャリを止め、暑さと動悸でゼェゼェ言いながらこっちを見上げてる落ち着いた目を見下ろす。
「勝手に退院すんじゃねーよバカ!んでもって何いきなり出歩いてんだバカ!」
「バカバカうるさいのよバカ」
「まぁったく、死にかけたクセにちっとも変わんねーなお前は!もっかい入院してその身勝手なワガママも直してもらってこい!」
「つい今まで寝てたクセに元気だこと」
「なっ、なんでそれを・・・!」
明日はきっちり勝ってそのまま病院に行ってに自慢してやろうと算段立ててニヤニヤしてたら、気がつけば朝方まで寝そびれてうっかり寝坊してしまった、なんて事実を、なぜ知っているのだ。おそらく情報源は母さんだろうが、は入院しても退院してもなんだかひっくいテンションで、俺のデカイ声に鬱陶しそうに耳をふさぐ。
「見ろ!宣言通りちゃんとユニフォームもらっただろーが!」
「あんたそれ着てきたの?はずかし・・・」
「恥ずかしいもんか。天下の海南で1年にしてユニフォームをもらいベンチスタートなんだぞ!高校生ナンバー1ルーキーの弟を誇りに思うがいい!フハハ!」
「・・・」
シャツの下のユニフォームを見せつける俺を、てっきりまたサックリ否定すると思ったら、はなんだか静かな目でジッと俺を見上げた。
”弟”・・・
「きっと牧さんだって1年の時からレギュラーだよね」
「知らないけど、昔から有名人だったからそうかもね」
「ほら。あんまりデカイ顔してはしゃがないでよ恥ずかしい」
「お前は・・・ほんっと俺をホメねぇな!」
かと思えばやっぱりサラッと俺をバカにして、実はちょっとテンション上がってる俺との温度差が目立って仕方ない。
そうこうしてると体育館の中から呼ばれ、俺たちは中へ入っていった。
大会初戦といえど観客席にはいっぱい海南の生徒が見に来ていて、いよいよ試合っぽさを感じてくる。
「あっ、ヤッベ、ゴム忘れた」
「ゴム?」
「髪結ぶやつ。ヘアバンは忘れないようにってカバン入れたのに」
「バカ。だから髪切れって言ったのに、うっとうしいなぁ」
「これは俺のポリシーだ。お前の貸せよ」
「”貸してくださいお姉さま”」
「いーから貸せよバカッ」
すかさずドカッとの蹴りが俺の左太腿に入る。
「お前っ・・・、これからデビュー戦って選手に向かってなにするか・・・!」
「調子乗り過ぎだっつの」
「神さんだって苦笑いだぞ!いつかアイソ尽かされるからな!」
「そんな予定はないよ」
「っかー!甘やかさないでよ神さん!すぐつけ上がんだからこの女は!」
「いーから早く行きなさいよ」
久しぶりのの蹴りを大げさに痛がっていると、は耳の後ろで束ねてた髪をバサりと解いて、取ったゴムを俺のデコにベシッと押しつけて2階席へと上がっていった。薄い紫色の、どう見ても女物な髪ゴム。
「神さん、ほんっとーにやめるなら今のうちッスよ。アイツそのうち絶対神さんにも暴力振るうようになりますから」
「それが愛情表現ならあながち嫌じゃないかもな」
「神さん・・・実はMッスか?」
「お前と同じでな」
「はあっ!?俺Mじゃないッスから!」
「そうか?」
「ぜぇったい違うッスよ!じゃなかったら確実にやり返してるよ俺!」
「だからそれがそういうことなんじゃないの?」
「ぜーったい違う!俺はMじゃなーい!」
体育館のフロアに入っていきながらそんなことを叫んでいると、他の部員やそばにいた別の学校の人なんかの注目を集めてしまった。牧さんにゴンと頭を殴られ(騒々しさと遅刻ギリギリの意味をこめて)、2階席にびっしりといるギャラリーにもクスクス笑われ、隣にいたはずの神さんはいつの間にか離れたところにいて(ヒドイ)。
「集合!」
「ウェーッス!」
急いでシャツを脱ぎ、髪をうしろで束ねて薄紫のゴムで縛る。
首に下げてたヘアバンドをきちっとはめて、海南のユニフォームで10番を背に、ベンチを飛び越えコートに躍り出た。
「なんだ清田、それ女モンか?」
「うっ・・・、やっぱ目立ちます?」
「ああ、ナメた感じするな」
「するする。生意気な、誰のだ?」
「姉ちゃんのッス。ゴム持ってくんの忘れちゃって」
「出た、シスコン清田」
「もーやめてくださいよそれ!」
チームの円に入るなり髪ゴムをイジられ、なじられる。
どーもあの”ミス海南”の一件以来、そんなキャラに仕立てられてしまった。
けどそんな和やかな空気も、牧さんの一声でピシッと引き締められる。
応援幕に掲げられた「常勝」の文字。
県下最強、王者・海南。
「清田、緊張してるか?」
「いーえ。武者ぶるいならしてますけどね。早くやりたいッスよ」
「そうか。その感じ、最後まで切らすなよ」
「ウス!」
そしてこの瞬間、俺様の鮮烈な高校バスケ界デビューの幕が切られた。
これから始まる全国制覇への道のり。
どんな強豪・古豪・新参が来ようと、海南に敗北の二文字はない。
スーパールーキー・清田信長伝説の始まりだ!