Sister



西の空へと消えていく太陽が街から明るさを奪っていく。
灰色の世界を照らす人口の光の間を縫って、けたたましいサイレンが街に緊張を走らせた。


・・、っ・・・」


シャツも両手もべったりと赤く染まったまま、うわ言のように名前をくり返しても、返ってくる声はない。病院に運ばれながらも白いガーゼを染め続ける血液はどくどくと流れ続けて、その顔からは赤味が引いて真っ白い作りもののような肌になっていく。開く気配も感じない目に血の気が引いた。

を乗せたカートが処置室に入っていくけど、俺と神さんはその手前で足を止められた。扉の向こうでどうなってるかも分からないまま、静かな廊下に取り残されたようにただ立ちつくす。


「・・・清田、家に、連絡しよう」
「・・・」
「清田」


神さんの微弱に震える口が、それでも平静でいようと落ち着けた声が、俺の隣でそっと発される。俺はその言葉を聞きながら、でも何も出来なくて、カチカチ音を立てながらどこか一点だけを見つめていた。


「清田、大丈夫だから、しっかりしろ」
「お、俺のせいだ・・・、俺が、・・・」
「やめろ清田」


小さな震えは俺が自責を高めるほどブルブルと全身に回って、赤い手もじわじわと滲み歪んでいって、そのままどこかへ彷徨いこんでしまいそうな俺の意識を、ガシリと肩を掴んだ神さんの強い力が、現実に引き止めさせた。


「俺のせいで・・・、俺が、あんなこと・・・」
「今はそんなこと言ってる時じゃないよ」
「俺のせいなんだ、俺が・・・」
「清田っ」
「俺が、あいつのこと、いなくなればいいって思ったから・・・っ」


乾いた赤い手で頭を抱え込んで、声を殺してうずくまった。
意地で固めていた心が決壊して、涙がボタボタと溢れ出た。

俺がを、こんな目に遭わせた。
俺が、あいつのことを何も考えずに、自分の不安定さばかり押しつけて、を壊してしまった。

俺が。俺が。俺が。


「ああ、そうだよ・・・」


静かな空間にぽつり、神さんの声が降った。


「お前だからだよ。お前だからは戻ってきたんだ」
「・・・」
「お前だからかばったんだ。お前だから、助けたんだよ」
「・・・、うっ、うぐっ・・・」


もう押し殺すこともできない声が、体の中から這い出て這い出て散乱した。
頭の中でわんわんと反響して、涙で溺れそうで。
神さんが掴んでくれてる肩の力だけが、せめてもの救いだった。




しばらくしたころ、母さんが病院に駆け込んできた。
俺の話を電話口で聞いていた時からもうすでに冷静じゃなかったけど、俺に掴みかかるように母さんは青白い顔で駆け込んできて、の名前ばかりをくり返した。俺は母さんを目にしてまた自責の念に駆られるんだけど、母さんが俺の頭を抱えてだきとめるから、枯れない涙がこぼれるばかりだった。

そのとき、処置室から看護士が出てきて母さんはすぐに駆け寄り状態を問い詰めた。
わずかだけ聞こえた処置室の中の音は騒然としてて、余計に不安に駆られた。


「今はまだ危険な状態です。出血が多く、輸血をしたいんですが・・」
「俺の、俺の血使ってくださいっ!姉ちゃんと同じだからっ」
「それが、患者さんの血液型はRhマイナスという非常に少ない血液なんです。今急いで追加の血液をこちらに輸送している途中なんですが、ご兄弟ですか?」
「・・・」


看護士の話に割り入った俺の、震える口がピタリと止まった。


「では念のために血液検査を受けてください。兄弟の方が一番一致する可能性が高いので」
「・・・」
「いえ・・・、あの・・・」


それを聞いて、母さんは看護士を連れて俺から離れていき、廊下の奥で話しだした。


「・・・」
「清田・・・」


立ちつくす俺に、神さんが声をかけ、そっと背を支える。
けど俺は重みに耐えられず、膝を崩して、床にうなだれる。


「神さん・・・、俺、後悔してるんです・・・」
「え?」
に、姉弟じゃないなんて、言うつもりなかった・・・」


最初は信じられなくて、いつもいつも戸惑って、だんだん居心地悪くなって。
違和感だらけで、接し方が分からなくなって、気持ち悪さまで感じるようになって・・・。


「けど、じゃないっすか・・・。あいつにとって、俺は、弟じゃないっすか・・・」
「うん・・・」
「だったら俺は、ウソでも、ずっと姉弟でやってけますよ・・・。俺、神さんのことも好きだから・・・」
「・・・」
「弟・・・でいいって・・・思・・・」


ゴンッ・・・、硬い床に拳をつける。
何度も何度も、どんなに強く叩きつけても、硬くて強くて、微動だにしない。


「なんで、俺、弟じゃないんだよ・・・」
「清田、」
「なんでちゃんと、弟じゃないんだよっ・・・」


乾いた血がパラパラ落ちて、代わりに骨と皮膚の合間から新しい血が流れて、床に赤く跡を残す。
同じじゃない血。他人の血。混ぜてはいけない血。

ゴン、ゴンッ、ゴンッ・・・・


「同じじゃなきゃ、こんな血なんの意味もねぇよっ!」


バンッ・・・
力いっぱいなぐった手が、痛み以上に無力さを感じて、床に伏せる。
何もできない。何の役にも立たない。何の意味もない。無力さ。
隣で、同じように床に膝をつく神さんが、同じように涙を落とした。





数時間後、は無事に手術を終えて、その顔には赤味も戻っていた。
頭の骨にヒビが入って、頭中で血液が溢れていたらしいけど、しばらく入院して検査に異常がなければ退院できるだろうと聞いた。

まだベッドの上で目を覚まさないの部屋に、一人の女の人がやってきた。
その人は前に一度家の前で見かけた人で、その人の腕には注射の跡があって、おそらくこの人がの本当の母親なんだろうと思った。
母さんは俺に、その人のことをどう話そうか困っていたようだったけど、俺はただ「同じ血液の人がいてよかったね」とだけ言っておいた。親同士色々思うこともあったんだろうけど、俺がの隣から一切離れなかったから、もうそれ以上何も俺たちのそばで話されることはなかった。

神さんもが目を覚ますのを待ってくれていたが、荷物やら着替えやら全部を学校の置きっぱなしだったことを思い出し、俺の分も片づけておくと言って先に病院を出ていった。
神さんにもいっぱい迷惑かけて、なんといえばいいか分からなかったけど、神さんはやっぱり気にするなと笑って言った。


「やっぱお前にゃもったいないぞ、神さんは」


父さんと母さんが遅い食事を取りに行ったあと、まだ目覚めないに心底噛みしめながら言った。

もうそのときの俺の中に、悲愴とかもどかしさとか不安は何もなかった。
生きるか死ぬかを体験すれば、血がどうとか、まったく安いものに思えた。
だから大丈夫だ。俺たちこの先一生、姉弟で、大丈夫だ。


「・・・ノブ」


ピッピッと小さな音だけが鳴っているベッドわきで、それとは別に小さな声が聞こえ、目の前のを見ると、ずっと閉じていた目が開いていた。


っ・・・」


ガタンとイスを蹴って立ち上がりうっすらと開いてる目を見下ろすと、また一度その目は閉じるけど、またちゃんと開いて、俺を見た。意識が戻って、先生を呼んだほうがいいのかとあたりを見回したけど、誰も見えない。


「ノブ・・・」
「ああ、ちょっと待て、今誰か・・・」
「痛いとこ、ない・・・?」
「・・・」


呼吸器の中でこもった声だったけど、ちゃんと分かった。
の目尻からぽつり、たった一粒だけ、雫が落ちる。
もう何年も記憶にない、その涙。


「ノブ・・・」
「・・・、うん、なんともない・・・」


きっとも、意識のない中で、ずっとくり返していたのだ。
そばに寄る俺の頬に延びてくる、力ない手。
俺が熱出すたびに延びてきた、この手。


「なに、泣いてんの・・・」


の細い指が俺の頬をさらう。
その手。その声。その温度。


「姉ちゃん・・・」


本当なら、文句の一言も言ってやろうと思ってたんだけど。
が目を覚ましたら、そんなこと何も考えられなくて、俺は小さなころのまま。
昔、よく泣きついた、この手に誘われて。
情けないほどに、泣いた。