ぴらり、一枚の紙を目の前にかざし、相澤は赤ペンで示された数字を凝視する。
「本試験ならこんな点数で雄英になんざかすりもしねーが、まぁ1年足らずじゃこんなもんか」
答案用紙がテーブル上に放られると他の数枚の答案の上に重なり落ちる。
マルが多かったりバツが多かったり、空欄だらけだったり。
「後学の為に教えといてやるが、こういう選択式の問題は分からねぇでもテキトーにどっちかマルふっとけ。あたりゃ儲けもんなんだから。埋めらんなかった所は調べて答え書いて持ってこい。分かったか」
「うるさい」
「あ?」
二人以外に誰もいないシンと静かな空き教室に、遠くからスピーカーを通したような声が響いている。
窓の外には広大な林と遠くにドームの屋根がみっつ、よっつ。
「ああ……今日は入試だからな、受験生が講堂に集められてるんだ。俺もそっちに行かなきゃならねーからもう行くぞ。お前は……、まぁ見たきゃ見てこい。手ぇ出すんじゃねーぞ、受験生にも関わんな。分かったか」
「うん」
「うんじゃねぇ、ハイだ」
相澤の長い髪の合間から見える気だるそうな目がギロッと強まる。
「ハイ」
そんな様相にも添わずに返ってくる淡泊な答え。顔は相変わらず窓の外を向いたまま。
相澤は「はーあ」と息を漏らし歩き出した。
「先が思いやられるよ。ほら、来い」
カラカラと教室のドアを開ける相澤のうしろで、カタンとイスを押し静かに立ち上がる。教室を出る時も廊下を歩く時も響かない足音。そのあまりに小さすぎる背後の存在に相澤は耳を澄ませながら、数ヵ月後から始まる新たな年度を憂いた。
事の始まりは中国、軽慶市。発光する赤子が生まれたというユニークなニュースだった。
以後、各地で「超常」は発見され、原因も判然としないまま時は流れる。
いつしか「超常」は「日常」に。「架空」は「現実」に。
世界総人口の約八割が何らかの”特異体質”である超人社会となった現在、混乱の渦巻く世の中で、かつて誰もが空想し憧れた一つの職業が脚光を浴びていた。
超常に伴い爆発的に増加した犯罪件数。
法の抜本的改正に国がもたつく間、勇気ある人々がコミックさながらにヒーロー活動を始めた。
”超常”への警備。悪意からの防衛。
たちまち市民権を得たヒーローは、世論に押される形で公的職務に定められた。
現代の”ヒーロー”誕生である。
絶対的パワーと不動の人気で名実ともに”平和の象徴”と言われる男、ナンバーワンヒーロー「オールマイト」。
事件解決数史上最多、燃焼系ヒーロー「エンデヴァー」。
ベストジーニスト8年連続受賞「ベストジーニスト」。
その名だたる偉大なヒーロー達を排出したトップヒーローの登竜門。
全国高校ヒーロー科の中でも最も人気で最も難関、その倍率は例年300を超え、プロに必須の資格取得を目的とする養成校。雄英高校ヒーロー科。
「」
広い廊下、大きな窓、扉。この学校で学ぶ誰の身体にも添うようバリアフリーとなっている廊下を歩く背中を呼び止めた声。
グレーのジャケットに黒いスカート、タイツと、この春晴れて雄英高校生となった生徒たちと同じ制服を身に纏ったは、後方から歩いてくるもう見慣れた男の姿を視界に入れた。
「予鈴前に教室に入っとけって言っただろ。なんでまだこんなとこ歩いてんだ」
「人が多かった」
「お前、ネクタイは」
「置いてきた」
「置いてくんな」
雄英のヒーロー科受験者数は毎年上昇の一途を辿るとしても、実際に合格するのは筆記・実技による入学試験を通過したわずか36名。それに4名の推薦入学者を含めた40名、2クラスが本年度の選び抜かれた雄英ヒーロー科生徒。予鈴はすでに鳴り終わり、5分後には本鈴が鳴り響く時間、新入生は皆教室に入っており広い廊下は整然と静かなもの。
「まぁどうせすぐ着替えるけどな。ほら行け、余計な騒ぎ起こすんじゃねーぞ」
「うん」
「うんじゃねぇ、ハイだ」
ハイ。まるで心のないそれは返事というよりも記号のよう。
静かな淀みない歩調でヒーロー科クラス、1年A組の教室へと近付いていくの背中にため息を吐きながら相澤は携帯する寝袋を取りだした。
カラカラと静かに教室のドアを開けると、もうほとんどの席が埋まっている中でいくつかの頭がに振り向いた。
男子生徒14名、女子生徒6名の、未来のトップヒーロー有望株たち。
大半はごく普通の15歳の少年少女だが、中には「異形型」の姿も見える。
「君、入学初日に遅刻ギリギリとは、緊張感が足りないのではないか?」
振り向いた頭のほとんどはを一瞥してすぐに前を向き直した。
もまた静かにドアを閉め窓際の席に向かう、ところを、ガタンと席から立ち上がり詰め寄ってきた長身の男子生徒がの前でビシッと指摘した。
「それにネクタイはどうしたんだ、我々は映えある雄英の生徒となったんだぞ、規律を重んじ制服はきちんと着るべきではないか!?」
「ハイ」
「は……、んん、分かってくれればいいのだが……」
意表を突かれ、言葉が続かず眼鏡をかけ直す少年の前を通り過ぎていく。
どこかから「ぷっ」と小さな笑い声が飛んだ。
「それと君も! 机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないか!?」
「思わねーよてめーどこ中だよ端役が!」
が窓際の席でカバンを下ろし静かな教室に戻ったかと思えば、今度はまた別の生徒への指摘が飛んでいる。
少なからず自分に向いていたいくつかの視線はその方に逸れ、はぐいと右頬を擦り着席した。
男子生徒二人の騒がしいやり取りと、新たに恐る恐る教室へ入ってきた別の生徒、それに続いて駆けこんできた女子生徒。その騒ぎを面白がっている生徒、傍観する生徒、我関せずと目もくれない生徒。
それぞれに強い個性を携えた20名のA組生徒たちだったが「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」という特に響きもしない一声にシンと静まった。教室前の廊下でミノムシの様に寝袋に収まり転がっていた男がのそりと起き上がり教室に入ってくる。
「担任の相澤消太だ、よろしくね」
肩下まで伸びた長い髪、合間から見える覇気のない眼と無精ヒゲ。真っ黒い服装と首元の白い巻き布。
屈指のヒーロー養成所である雄英の強みは、教壇に立つ教師が皆現役のプロヒーローというところにある。
しかし華やかな稼業であるヒーローにしてはあまりにくたびれた様相の男を生徒は誰も見覚えがない。
「早速だがコレを着てグラウンドに出ろ」
入学初日。てっきりこれから入学式やガイダンスなどが行われ、いよいよ雄英生としての現実味が増してくるんだろう……と期待していた生徒たちだったが、相澤から渡されたのは人数分の体操服。生徒たちは言われるがまま制服を着替えグラウンドに出た。
「個性把握……テストォ!?」
入学早々、グラウンドに用意された8種の体力テスト。
小・中学でもそれは経験しているが、何も入学初日に……と生徒は動揺が隠せなかった。
50メートル走、反復横飛び、ソフトボール投げ……それらは誰もが経験のある科目ではあったが、これは個性把握テスト。これまでの”個性”禁止の体力テストとは違う。全力で”個性”を使っての、自身の「最大限」を知るための体力テスト。
「爆豪、中学の時のソフトボール投げ、何メートルだった?」
相澤に指され「67メートル」と答える少年、爆豪勝己。
ヒーロー科一般入試を総合1位の成績で通過し、先程態度の悪さを指摘されていた男子生徒。
爆豪はグラウンドに描かれたソフトボール投げ用のサークルに入り、個性を使ってやってみろと相澤からボールを受け取る。利き手にボールを持ち肩を慣らす爆豪は大きく振りかぶり、投げる瞬間に手から大きな爆発を発生させ、爆風に乗ったボールは彼方遠くまで飛んでいった。
一昔前、中国で報告された超常な力を持った人間はその後全世界で発現した。最初は畏怖の対象となり迫害をも受けた力だったが、超常の力は広がり続け今や総人口の約八割が何らかの超常を持っており、いつからか人々はその力を”個性”と呼ぶようになった。
「なんだこれ、すげー面白そう!」
「705メートルってマジかよ!」
「”個性”思いっきり使えるんだ、さすがヒーロー科!」
人それぞれに違う個性。まだまだいけんなと腕を振る爆豪は自らの身体から「爆破」を起こす個性。
公の場での個性の使用は禁止とされている日本では、堂々と力を振るえるのはヒーローのみ。
そのヒーローを目指す強烈な個性を持った生徒たちは興奮し、早くやろうと競った。
「面白そう……か。ヒーローになるための3年間、そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?」
けれどもその生徒らの高揚と励みを、鎮火する相澤の声。重苦しい形相。
「よし……トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」
「はあああ!?」
「最下位除籍って……入学初日ですよ!? 理不尽すぎる!」
雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは”先生側”もまた然り。
生徒の如何は先生の”自由”。
「自然災害、大事故、身勝手なヴィランたち……、いつどこから来るか分からない厄災。日本は理不尽にまみれている。そういう理不尽を覆していくのがヒーロー。放課後マックで談笑したかったならお生憎。これから三年間、雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける」
通算除籍指導数、154回。
昨年もヒーロー科の一クラスを担任したプロヒーロー「イレイザーヘッド」こと相澤消太は、請け負ったクラスの20名全生徒を見込み無しとして除籍処分した。
「プルスウルトラ……、”更に向こうへ”さ。全力で乗り越えて来い」
束の間のお祭り気分を一瞬にして打ち消し挑発する相澤に、戸惑っていたはずの生徒達は、それでも「これぞ雄英」とさらなる興奮、高揚を心に宿し、誰もが顔を引き締めた。15歳の子どもたちといえど彼らはプロヒーローを目指し、この最難関の雄英高校ヒーロー科に合格した精鋭たち。
早速第1種目の50メートル走へとフィールドに向かう生徒たちの端で、は春色をした澄んだ空を見ていた。
水色をした吹き抜ける青空にどこからか飛んできた桜色の花びらがちらちら舞い散る。
ツンと頬に刺さった視線を感じその方を見ると、みんなが向かうスタート位置の奥に立つ相澤が鬱蒼とした髪の合間から睨み顔でこっちを見ていて、ハイハイと俯き掌で頬を撫でた。
出席番号1番、青山優雅。へそから出るビームで50メートルを繰り返し飛び個性未使用時から3秒近く短縮する。
出席番号4番、飯田天哉。ふくらはぎの筋力がエンジンのように噴射し脚力を上げ3秒04というクラス最速を叩きだす。
出席番号5番、麗日お茶子。引力無効化で衣服を軽くするも自重への効果はないため走力は伸びず。しかしボール投げは無限記録を叩きだす。
続々と個性を発揮しそれぞれの得意分野で記録を伸ばしていく生徒たち。
個性を最大限使い各記録の伸び代を見れば、何が出来て何が出来ないかが浮き彫りになる。
それは己を活かす創意工夫に繋がる。
「次、爆豪、」
呼ばれ、50メートル走のスタート位置につく爆豪。その隣に立つ。
Ready……と掛け声に合わせて姿勢を低くしやる気をみなぎらせる爆豪の隣で、スタートを待つ。
クラスの視線は開始当初から派手な個性を見せた爆豪に集まっている。ただ隣からはギラギラとした対抗意識が発されていて肌が熱い。誰かれ構わずねじ伏せたい気勢の強さ。
合図と共にスタートを切る爆豪が勢いそのままに駆け出していく。ただゴールだけを睨み据えて駆けていく爆豪。けどすぐ斜め後ろにきっちりついてくる影が見えた。チッと舌を撃つ爆豪は構えた両手を後方に振り爆破の衝撃をターボエンジンのように噴出させ50メートルを一気に駆け抜けた。レーンを中心にもくもくと砂埃が舞い上がり、生徒たちは口や鼻を押さえゲホゲホむせる。もともと平均以上の記録を持っていた爆豪だが個性を駆使し更に記録を縮めた。
「アイツ派手だなー」
「どんな種目にも応用利くよな」
ゴールを大幅に越えて駆け抜けた爆豪は爆破の威力に納得のいかない顔を浮かべながらも、次の走者を気にしてスタート位置に戻っていく。緊張した面持ちでスタートラインに立っているのは緑谷出久。二人は幼少時から家が近く交流があるいわゆる幼馴染だが、勝気で個性の強い爆豪に対し、気弱で無個性の緑谷は完全に自分より「下」の人間だった。
スタートの合図で必死に走る緑谷の遅さに、スタート位置に向かいながら爆豪は横目に笑い下す。
何の間違いか、優秀な自分とは違い「無個性」の緑谷がなぜこの雄英に入学できたのかいまだ分からないけど、これが実力だと嘲笑う。
……あれ?
スタート位置に戻ってくるなりクラスメートに「いい個性だなー」と声をかけられる爆豪。
けどとてつもない違和感を感じた。
ワイワイと戦況を見る生徒たちの一歩後方に、さっきスタートラインでチラッと隣に見た女がいる。
4秒13という記録を叩きだした爆豪がゴールを多少行き過ぎてしまったといえどすぐにスタート位置まで戻ってきたのに、突き放したはずのがもうここにいる。あれ? あいつどこ走ってた? 何秒だった? なんでもうここにいる? 緑谷の記録を気にしていたせいもあってまるで覚えていない。頭の中にいくつも疑問が浮かびを凝視する爆豪だけど、声をかけてくるクラスメートと一歩前にずれたが重なって見えなくなった。 あれ?
その後も個性を最大限発揮しての体力テストは続いた。
出席番号11番、障子目蔵。タコの擬態型個性。握力測定で540キロを記録。クラス最高。
出席番号19番、峰田実。頭から生えるクッション性の高い実を使い反復横とびを高速度で跳躍する。
いろんな”個性”があるな。
クラス全員の背中が見える位置では思った。しかしそれにしても、50メートル走を終えてから度々こちらに飛んでくる視線を感じるようになった。どの競技もその応用性の高い個性で高記録を叩きだしていく爆豪は全力で種目をこなしながら、自分の番を終えると次のを見た。他の生徒たちは爆豪が派手にこなすたびワッと爆豪に注目を浴びせるのに。
第3種立ち幅跳び、第4種反復横跳び。は各種目平均を上回る記録を出すも、それはあくまで個性未使用時での平均。今の個性溢れるこの場では驚くほどの数字ではない。第5種のボール投げに至っては自分の中学時代の記録といい勝負だ。雄英に受かるだけの身体能力ではあるが大した成績ではない。
なんだ、気にするほどのヤツじゃなかった。ハッと吐き出し、爆豪は次にボール投げのサークル内に入る緑谷を見た。緑谷は緑谷でどの種目も最低だった。もともと何もできない無個性。当然の結果だ。
「緑谷くんはこのままだとマズいぞ……?」
「ったりめーだ、無個性のザコだぞ!」
緑谷を案じる飯田の声に即座に反応する。
これが当然の結果だ。
「無個性? 彼が入試時に何を成したのか知らんのか!?」
「は?」
飯田が何を言いたいのかは知らないが、緑谷がボール投げ一投目で出した記録は46メートル。
ほらクソだ。あいつは変わらず「無個性」のクソナードだ。何も出来ない完全な「下」の人間。
しかし緑谷の二投目、力いっぱい振りかぶる緑谷はさっきとは違い、手中のボールを大空に突き刺すように吹き飛ばして見せた。
「は……?」
やっとヒーローらしい記録出したよー!
わーっと自分のことのように飛び跳ね喜ぶ麗日の隣で、ボールを投げた緑谷の手の人差し指が腫れ上がっていることに気付きおかしな個性だと感想を漏らす飯田。
爆豪は目を点にした。何が起きた? 何をした?
個性の発現は漏れなく4歳までが定説。幼馴染である爆豪は緑谷が「無個性」である事は十分知っていた。ありえない。けど実際に……
「どーいうことだこら! ワケを言えデクてめぇ!!」
沸々と込み上げる疑問と怒りを抑えられず突進していく爆豪に緑谷はヒッと身構える。
しかし右手に爆破を携えた爆豪はグンと動きを止められ爆破も消えた。
硬い布が頭と体を制止していて動けなかった。普通の布ならこんなもの、突き破れるのに。
爆豪の怒りは相澤の「捕縛武器」と「個性末梢」により無理やり鎮火され、緑谷を取り逃がしてしまう。
その後も持久走、上体起こし、長座体前屈と種目をこなし、指を負傷した緑谷はどの種目も痛みで集中出来ずに酷い有様だった。
全ての種目を終え結果発表。
開始前に相澤が呈した「トータル最下位は除籍」の言葉が緑谷に重く圧し掛かる。せっかくここまで来たのに。せっかく雄英に入ったのに。初日で……
「ちなみに除籍はウソな。君らの最大限を引き出す、合理的虚偽」
はーーーー!!!???
あっさりと覆されたルールに懸命に取り組んだ緑谷は内臓を吐き出す勢いで驚いた。
隅から隅まで焦り、急かされ、踊らされる。これが最高峰、雄英高校ヒーロー科。なのか?
「これにて終わりだ。教室にカリキュラム等の書類あるから、目ぇ通しとけ」
それだけを全員に言い残し、まるで教師らしからぬ相澤はさっさとグラウンドを去っていった。
負傷した緑谷は保健室へと向かい、他の生徒たちは「なんだかんだで面白かったなー」とぞろぞろ教室へ戻っていく。
グラウンドを出る一歩手前で相澤は生徒たちに振り返り、集団の端で引っ掛かるようにして一緒に歩いていくを見やる。
少し陰ると風が冷たい春先の空を見ている。
全種目を平均的に高記録を取り総合8位。上出来なのか叱咤すべきなのか。
困ったものだとボリボリ頭を掻きながら生徒たち同様、相澤もグラウンドを後にした。
出席番号・席順が爆豪と緑谷の間になります。