入学初日だというのに入学式もガイダンスもなく、体力テストを終えたA組生徒たちは教室に戻ってくると教卓に置かれたカリキュラムをそれぞれ手に取った。本来ならここに書かれた校長のあいさつや大まかな年間行事などの説明があるようなものの、早速の個性把握テスト。さすがは雄英高校ヒーロー科。
「なぁ、自己紹介がてらどっか行かね? あと明日っからのヒーロー基礎学の予想!」
「お、いーね。女子も来いよ」
「どこでやる?」
初日早々のテストを終え体力と個性を酷使した生徒たちだが、時間はまだ真昼間。教室の真ん中で反省会を発案した切島に、その前の席の上鳴が乗り、他にも何名かの生徒が集まった。
「なぁ爆豪、お前も」
「行かねーよクソ暇人どもが!」
苛立ち任せの荒々しい手で爆豪はカリキュラムをカバンに投げ込むと、キッとうしろの緑谷を睨んだ。こんな顔の時の爆豪には何を言っても無駄だし何をされるか分からない。人差し指に包帯を巻いた緑谷はカバンを抱き後ずさりながらそそくさと教室を出ていった。ケッと吐き捨て、爆豪も荒れた足取りで出ていく。
「なんかめっちゃキレてんなあいつ」
「体力テストの途中からキレてたよね」
「まーいいじゃん、他に一緒行くヤツー」
そう切島が教室を見渡すと、扉口から「皆!」と威勢のいい声が飛んだ。
「我々はまっすぐ帰宅ししっかりと明日の予習に専念すべきじゃないだろうか! そもそも雄英の生徒としてこの制服を着用している以上、放課後に買い食いなど」
「分かった分かった! まっすぐ帰るよ!」
分かってくれれば良し。
ピンと背筋を伸ばす飯田はくるっと身を翻し扉を抜けていった。
「あいつ熱血だなー」
「熱血ってゆーか堅物だろ、俺苦手だわー。あ、麗日は一緒に行かねー?」
「え、あ、ごめん、私も今日は!」
ごめんね! 両手を合わせて麗日もパタパタ教室を出ていってしまう。
「なんだ、みんな付き合い悪ーなー」
「まぁ今日のところはまっすぐ帰ろうぜ。相澤先生も言ってたしな」
「でもせっかく高校生になったんだし、放課後マックで談笑くらいしてもよくね?」
「それ相澤先生に言ってみなよ」
「はは、上鳴除籍決定〜」
シャレになんねー!
ケラケラ響く笑い声はやはり彼らも世の多くの学生と何ら変わらない。
「あれ、あの子も帰っちゃったか」
「だれ?」
「もうひとり女子いたじゃん、あの爆豪ってヤツのうしろの席のさ」
「ああ、朝飯田にネクタイどーのって目ぇつけられてた」
「俺あん時ちょっと笑っちゃったわ。飯田に聞こえなくて良かった」
反省会の提案に乗らずに帰ってしまった生徒は他にも何人かいたが、もまた誰も気を留めないうちに教室を出ていた。ヒーロー科は各学年二クラスのみだが、他の「サポート科」「経営科」「普通科」は三クラスあり放課後の下駄箱は人でごった返す。人通りの多い廊下を避け更衣室まで来たはジャケットとワイシャツ、スカートを脱ぎはぁと息を抜いた。実技の度に着替えるなら体操服が基本でいいのにとは思う。あの派手な配色もどうかとは思うけど。
ロッカーに制服と体操服をしまい、人の少なくなった廊下を歩きだす。新入生の大半は午前中で帰宅したが、2・3年生の部活動に勤しむ生徒はまだ多くが残っていて、が扉を開いた先の大食堂もまた昼食を取る生徒で溢れていた。
一面に並ぶテーブルは三分の一程が埋まっているが、明日になればここに全校生徒が押し寄せ席はほぼ埋まり配膳コーナーには長蛇の列を成す。「カレーライス」「牛丼」「ラーメン」……とメニューが掲げられたコーナーに立つ食堂職員たちも今日はまだ穏やかな様子。
「やぁ、初日はどうだった?」
メニューを見上げていると調理場からクックヒーロー「ランチラッシュ」が手を振った。
「牛丼食べなよ、うまいよ」
高いコック帽に顔の大半が隠れ、見えている鼻下から首も機械で覆われていて表情はない。しかしいつも話しかけてくる陽気さと料理に対する熱意に溢れているランチラッシュはこの雄英で一流の料理を提供しているヒーローらしからぬヒーローだった。
「じゃあそれ」
「今日は何したの?」
「体力テスト」
「ああ、個性使ってのだろ? ボクの時もやったな。どうだった?」
「疲れた」
「そんなにハードか?」
「なんか、ゆっくりしてて」
「はは、それ相澤君が聞いたら怒りそう」
くつくつと煮込まれ味の染みた肉と玉ねぎが、たっぷりのツユと共にドンブリの白ごはんの上に注がれる。ほかほかごはんの隙間を底までツユが染み渡り、まん中に紅ショウガを乗せて香りが立つ。トレイに乗せられた牛丼とミニサラダを受け取るとは近くのテーブルに向かう。スプーンで肉を掬い口に入れる。豊潤な出汁にほんのり甘みが染みて、旨い。
「いただきますは言ったかな」
のトレイに水の入ったカップを置き向かいの席に座るランチラッシュ。
もぐもぐと口の中に残っていた肉を飲みこみ、はスプーンを一度置いて「いただきます」と呟きまたスプーンを牛丼に突き刺した。
「味噌汁とコーンスープがあるよ、どっちがいい?」
「要らない。あんまり食べると動きづらくなる」
「授業は終わったんだろ? 何を動くのさ」
はぐ、はぐ、スプーンに乗せた牛丼を次々口に入れる。
口の中は常にいっぱいで何も答えられない。
「、手」
スプーンを上から握るの手を指差すと、は持ち替えてきちんと手の上に柄を乗せる。もっとよく噛んで食べたらとランチラッシュが言うので、は口の中のものをゆっくり租借した。
「はどのメニューが一番好きなの?」
「これおいしいよ」
「だよね、白米に落ちつくよね最終的に! 他には?」
僅か5分足らずで全てを食べ終えるは「全部おいしいよ」と口の中を水で流し込んだ。飲み干したコップをトレイに置き、イスを押して立ち上がる。
「明日はクラスの子とおいで」
は受け入れたことには頷くが、その質問には肩をすくめ首を傾げた。
そうして食器返却コーナーへ向かうを、ランチラッシュはまた一度呼び止めた。表情のないランチラッシュは静かにの方を向いている。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
がんばってねと手を振るランチラッシュに背を向けトレイを戻す。
仲間同士楽しく食事を囲む大勢の生徒で賑やかな大食堂はランチラッシュにとってとても幸福な場所。
その中で、まるで小さくささやかな存在。
いつかあの子が、他の大勢の子どもたちのように、明るく笑ってごはんを食べる時が来ることを願わずにはいられなかった。
翌日。続々と登校してくる大勢の雄英生徒たちは明るく挨拶を交わし合いながらそれぞれのクラスに収まっていく。予鈴の鳴り響く更衣室でシャツのボタンを留めジャケットに袖を通すは最後に赤いネクタイを手に取り、見つめた。
「君! 相変わらず君は遅刻ギリギリだな! そしてまたネクタイをしていないじゃないか!」
もうすぐ本鈴の教室の後方扉口。
朝から発声の良い飯田の声はワンワンと耳に響き思わず顔を背けた。
「持ってるよ」
「ネクタイは持つ物ではない、締めるものだぞ!」
全国方々からもプロヒーローからも注目を集める雄英だからこそきちんとした身なりは……
両手をピッピッと振りながら力説する飯田の前から逃れられない。
またやってるよ、と囁くクラスメイトたちが視線を寄せてきて、は頬をボリボリと掻いた。
「ねぇさん、もしかしてネクタイ結ぶの苦手?」
飯田のすぐ後ろで麗日がひょこりと顔を覗かせる。
私も毎朝苦戦だよぉ、長さがうまく調整出来ないんだよねぇ。
照れ臭そうに赤い頬をポリポリなぞりながら麗日は朗らかに笑った。
「そうか、苦手だったとは気付かなかった、済まない……! ボ……俺は中学時代からブレザーの学校だったから慣れているものでつい」
「そっか、聡明ってブレザーだよね〜」
そう言うことなら任せてくれ!
飯田はの手からネクタイを取ると「失礼!」とのシャツの襟を立て、ネクタイはこうやってこうしてこう結ぶんだ! としっかりと締めてみせた。
「分かったか? 明日からは是非自分で挑戦してみてくれ、分からなければいつでも教えよう!」
どうも。ようやく解放されては席に向かう。
「終わったか? ホームルーム始めるぞ」
「ハッ、相澤先生、いらしていたのですか! 失礼いたしました!」
いつの間にか鳴り終わっていた本鈴にも相澤がすでに教卓に立っていたことにも気付かず、飯田はガバッ! と直角に頭を下げ席に着く。俺としたことが……! とわなわな震える飯田の背中を麗日がドンマイとなだめた。
今日から通常授業だ、と話を始める相澤はさり気に窓際のに視線を流す。クラス全員が相澤に注目する中、席に座っているの目は窓の外を向いていた。膝の間で右手の上に被せた左手で手の甲を掻く。
危な……反応するとこだった。
ホームルーム後、早速授業が始まったヒーロー科は、午前中は必修科目や英語等の通常授業を行う。厳しい入試、入学早々の個性把握テストで驚かされてきた生徒たちにとって机に座って普通の授業が行われていることが逆に不自然に感じた。
午前中の座学が終わると待ちに待った昼休憩、ランチタイムとなる。生徒たちは一流の料理を安価で頂ける大食堂に我先にと駆けこんでいく。急がなければ、他の科の生徒、それが2年生、3年生も集まる大食堂はこの時間最も混雑する戦場となり昼食にありつくのが遅くなってしまう。クックヒーロー、ランチラッシュのスピーディーな指示の元、次々生徒たちに配膳される料理はどれも美味しく生徒たちの腹を満たし笑顔を咲かせた。大行列の生徒たちをようやくさばききった頃、ランチラッシュは楽しく大勢で食事をする生徒たちに「ヒーロー科の1年生だな」と思うけど、そのどこにもの姿はなかった。
午後からはヒーロー科の真骨頂であるヒーロー基礎学のカリキュラムをこなしていくことになる。午前中の座学も教鞭を取るのはプロヒーロー。そしてもちろん、午後のヒーロー基礎学を教えるのも。
「わーたーしーがー!」
普通にドアから来た!!!
アメコミヒーローさながら余裕の笑い声を響かせ、オールマイトが教室に入ってくる。
ナンバーワンヒーロー、平和の象徴。日本だけにとどまらず世界的知名度を持ち、全ての子どもたちの憧れであるオールマイトは、今年度から雄英高校の教員となり世間を騒がせた。もちろんA組生徒たちにとってもオールマイトはまさに神のような存在であり、興奮し飛び跳ねたい気持ちではあったが、それ以上に今から行われる授業内容に高揚した。
「戦闘訓練!!」
ヒーロー基礎学とはヒーローの素地を作るため様々な訓練を行う科目。
そしてヒーローにとっての基礎であり、最大の素養。戦闘力。
今日の授業は個性と、その個性に伴ってあつらえられた戦闘服・ヒーローコスチュームを装備しての本格的な対人戦闘訓練。
「さあ! 始めようか有精卵共!!」
憧れのヒーローの指導を受け、A組生徒たちの本格的なヒーロー訓練が始まる。
1話でぷっと吹き出したのは上鳴君です。会話劇ではいると助かる上鳴君。