LESSON40 - Rainbow

 二次試験を待つ控え室で再び目良が登壇した頃、はA組が集まる場所から歩き出し、気づいた葉隠が追いかけた。

ちゃんどこ行くの」
「ついてこなくて良い」
ちゃん、ちょっとすっきりした顔してるね」

 ずっと無気力で話しかけても反応のないを心配しきりの葉隠だったけど、今は多少表情が現れて、問いかけにも反応することに安堵した。自分がどんなに話しかけてもの傷を癒やすことは叶わなかったけど、にとってはやはり戦闘……身体を動かすことが気を晴らす手段であり、それにはの力について行ける轟や爆豪のような男子の方が力になれるんだろうと葉隠は思った。

 が轟と行動を共にするようになって、自分が話しかけていた時以上にらしさを見られるようになった。轟と訓練するようになって、他のクラスメイトたちとも交流するようになって、ただ話すだけの自分よりずっとその表情は活きて、これがなんだと分かった。

ちゃん、轟君がいてさ……、良かったよね」

 トイレ表示の手前では葉隠に振り返った。

「いやさ、やっぱり轟君くらい強いとさ、ちゃんとも釣り合うっていうか」
「……」
「轟君もちゃんと組んですっごく充実してるみたいだし、どんどん強くなってくし、やっぱ仲間ってそうやって相乗効果っていうかさ、お互いがお互いのためになってこそっていうかさ!」

 ちょっとでも元気になって良かった。
 それを伝えたかった葉隠だけど、伝え方がおかしかったのかがジッと見返してきて葉隠はあせあせと言葉を足した。

「轟とはもう組まない」
「へッ?」
「二次試験、また轟が一緒に行動しようとしたら無理矢理にでも連れてってくれ」
「え、なんで……どゆこと?」

 頼むよ。言い置いては葉隠から離れていった。
 轟達との関わりこそが立ち直る道筋なのだと思ったばかりの葉隠には、その意図が分からなかった。ただ、離れていくの背中に何かは分からない不安が過ぎった。



 救助演習。
 災害、事故、事件などで人命が脅かされた状況を想定し、迅速に、且つ的確に救助活動を行う、ヒーローにはなくてはならない基礎能力であり最大の存在意義。

「いくら演習とはいえ、酷い状況ね」
「みんな、落ちてくる瓦礫に気をつけて!」

 一次試験で使われていたフィールドは「敵によるテロ」により広範囲に被害を受け、ビルや家々が崩れ地面が見えないほど瓦礫が降りかかっていた。
 二次試験に挑む受験者達は想像以上の被害をそれでも冷静に観察し、それぞれが己の力を駆使して対応に当たる。要救助者を瓦礫の中から救い出す者、ケガの具合を見定め処置の優先順位を決める者、瓦礫を除去し避難路、救助隊の着陸地点を作る者、救護所を設営する者。
 一次試験では敵対させられていた受験者達が今度は今いるメンバーで出来ることを考え、チームを組み、被害者救済に懸命した。

「さすがに人命救助だと経験不足で劣っちまうな」

 観客席から演習場を見下ろす相澤がわさわさと髪をかきながらこぼした。
 救助活動には何といっても経験の差が大きい。多くが2年生の他校受験者の迅速な行動、対応能力に比べ、緑谷達1年生はクラスで徒党を組むも処置の覚束なさ、判断の鈍さが目立った。

 そしてふと相澤は気がついた。
 救助者と要救助者が入り乱れる騒がしい被災の中心部から外れた、今では静かなスタート地点にがいる。他の受験者は試験開始のブザーと共に駆け出ていったが、はひとりだけその場から動き出さずにただ立っていた。

「何してんだ、あいつ……」

 中には情報収集や指示のため中継役として被災地からは離れた場所に位置取りをする者、検知に特化した”個性”を駆使し全体を視る者もいる。も以前なら同化の力でこの広すぎる被災地の細部まで把握することが出来ただろう。

 ジョーを失って以来、は相澤にも目を向けることがなくなった。これまで以上に避けているようにも感じていた。
 雄英に居座ってはいるが、クラスの中に引っかかるように、ただいるだけ。
 一次試験では衝動とも発散とも言える闘い方で何人もの受験者を倒し、相澤は肝を冷やし席を立ちかけた。試験内容がただターゲットを先に奪うだけだったから通ったようなものの、もしあの中の誰かの命を奪ってしまっていたらもうの居場所はない。そして今のならそれを意図としてやりかねないと感じた。

 今は寮内でもが一人になることはなく、訓練に懸命しながらも誰かが必ずの傍にいたし、行きのバス内では葉隠が、先ほどまでは轟が常にと共にいた。けど今、クラスから離れ泪が一人でいる。意図してか、偶発的に離れてしまったのか、相澤からは見てとれない。

 騒然とする災害地現場では生徒達が経験不足ながらも周囲を見て学び行動に移している。一次試験のように全員がまとまって行動するだけでなく、機動力のある飯田、知識を発揮する八百万、水害に強い蛙吹らは離散しそれぞれが自分の利を活かそうとしている。

 葉隠は視認できないが轟は被災者救済に走っている。
 だけがスタート地点から動かず立ち尽くしたまま。
 何故。何を考えている。

 そのの様子は相澤だけでなく、試験を審査しているHUCのメンバーも確認していた。
 災害現場で何も行動を取らないなど減点対象でしかないが、何か意図があってのことかと子どもの姿をしたHUCの一人がに近づいていき大きく泣き声を上げた。

「うぁああん、痛いよぉー! おかあさーんッ!!」

 被災し家族と離ればなれになり一人危険な災害現場に取り残された子どもが手や顔に擦り傷を負い目いっぱいに泣きじゃくり、涙を溜めた横目での様子を盗み見ていた。は泣き声の方に振り向き、子どもに近づていった。

「痛いよぉ、痛いよぉー!」

 泣きじゃくるばかりで子どもは的確に自分の状態や痛みを説明出来ない。
 そんな子どもを相手にさぁどうする、と審査を始めた小さな頭には左手を置いた。

「痛くない」

 左手から伝ってくる感情は泣きじゃくる子どもの見た目とは裏腹に至って冷静。
 当然伝わっているとは知らず、一言漏らすに「そんな対応の仕方があるかぁ!」と子どもは手を振り払った。

「オマエほんとにヒーロー志望か!? 動き方が分からないなら分からないなりの行動を見せろよ! 家失って家族と離ればなれになった子どもにそんなこと言えんのかぁ!?」
「……」

 災害に遭うと子どもは泣きじゃくるんだろうか。
 突然体が宙に浮き、知らない大人に抵抗できない力で抱きかかえられ、連れ去られたあの時……、自分は泣き叫んだだろうか。
 連れ去られた後で大勢の子どもと共に不安の海の中で泣きじゃくっていた記憶はある。帰りたい、お父さんお母さんと声を枯らし泣いていた子どもは大勢いた。けど……連れ去られた瞬間は、ただ呆然としていた気がする。
 何が起きているのか理解出来なかった。何をすべきか分からなかった。
 救けの求め方を知らなかった。救けてという言葉を知らなかった。
 6歳の身体には。

「……」
「日本が平和だからっていつまでもそうだと思ったら勘違いもいいとこなんだぞ! 災害だけじゃない、戦争も核兵器も今に余所の国の出来事じゃなくなる! いつでも本番だと思って本気でやるんだよ、ヒーローになりたいんだろ!?」

 春の頃……、初めてのヒーローコスチュームに身を包み、初めてのヒーローを学ぶ授業で、敵が核を保有していると想定した訓練が行われた。体育祭ではどこに埋まっているかも分からない地雷の上を走った。

 ハリボテの核兵器。音を出すだけの地雷。
 それらを祭り上げて楽しそうに。
 なんて平和に溺れた国かとはらわたが煮えくりかえる思いだった。
 ただ生まれた地が違うだけ。所属する国が違うだけで、こんなに。

 だけど……自分だってそうだったはずだ。
 親がいることなんて当たり前。屋根も壁もあるなんて当たり前。水が出るなんて当たり前。毎日違う服を着るなんて当たり前。欲しいと言えばもらえるなんて当たり前。

 体が宙に浮き、強い力に抱えられ……、舞台はゆっくりと反転していった。
 あの時、世界は変わったんだ。
 あの日、私は終わった。

 それから新しく書き換えられていった。
 連れ去る側に。


 ―必ず救けてやるからなッ!!


「……」


 ―大丈夫、絶対に救けるから、だから……!!


 ―待ってろ


「おい……?」
「……」

 ああ……、ああ……

 救けてと、言った。あの時、自分は確かに涙を落とした。
 勝手に変わっていく世界に、何も分からなかったけど、怖いという感情は胸を圧迫していて、何も出来ない自分に、追いかけてくる人がいたから、救けてと言えない自分に救けてやると叫んでいた人がいたから。

 私は知った。学んだんだ。

 いやだ……救けて……救けて……!!

 怖い時は叫ぶんだ。痛いときは泣くんだ。救けて欲しいときは救けてと言うんだ。
 手を伸ばし、歯を食いしばって、倒れても倒れても追いかけ、走り、救おうと懸命に血を流すあの人が……、大丈夫、待ってろ、必ず救けると笑って見せたあの人が、救けの求め方を教えてくれた。

 ぽとぽと……、涙を降らしているとも知らずには光の中にいた。
 また暗闇だ。やっぱり自分は暗い中にいたんだ。いや、連れ戻された。
 そう思っていた私は、まだ、光の中にいた。

 今でもジョーの声が聞こえる。
 そして、救けたい、護りたい、誰かの力になりたい、誰かのヒーローになりたいと懸命に学び、動くこの国のヒーローたちが、ここに。

「……その爪は治療しろよ」
「え?」

 遠くで大きな破壊音が鳴り響き受験者達に新たな緊張と加重が降りかかると、目を拭いは砂埃舞うその方へ歩いていった。
 血糊をつけた額を押さえるこのHUCのメンバーは試験準備中に瓦礫の下に潜ろうとして爪を割っていたが、この程度のケガならなおのこと結構と握り潰した。
 ああ、あいつは、本物の痛みが分かるやつなんだ。


 ケガ人の篩い分けに応急処置。救急隊が来るまでの僅かな時間にその代わりをヒーローが務め、そして円滑な橋渡しを出来るようにしておく。初動は至らない者も多かったが、それでもHUCが下す減点判断は想定していたよりも少なかった。

 そんな折、外壁が大きく爆発しさらに大きな瓦礫が飛び散った。
 受験者達が何事かと見渡す間にも至る所で爆破が重なり起こり、次々立ち上る炎や黒煙に動揺が走った。
 この救助活動は自然災害ではなく、敵による大規模テロが想定されている。
 敵の脅威は去ったと安堵できることはなく何度でも起こりうる。そして最も厄介なタイミングに降りかかるのが意図して罪を成す者。人々を救済しながら敵と闘う……、すべてを並行処理しなければならないプロでも高難度の試験内容に受験者達はさらなる難関へと叩き落とされた。

『ヴィランが追撃を開始。現場のヒーロー候補生はヴィランを制圧しつつ救助を続行してください』

 敵として現れたのはギャング・オルカ。
 神野区の掃討作戦に於いてエンデヴァーやベストジーニストと並び指名を受けたヒーロー。
 シャチの”個性”を備え多くのサイドキックと共に現れた彼はヒーロー番付ナンバー10の武闘派ヒーロー。
 救護所として設けた施設近くに大量の敵が現れ、受験者達に焦りの色が見え始める。

「ここの救助もまだまだだけど、あっちを見て見ぬ振りは出来ないわね」
「ああ」

 川辺で水難救助を行っていた蛙吹と轟、葉隠は黒い煙の方を見やりながらもまだ水に濡れ寒さの中で救助を待っている人達との間で揺れていた。どの程度の敵がどこにいて、ヒーローがどこに何人いて、どこに手が足りていてどこが困窮しているのか。

「おまえは行け、轟」

 轟が担ぐ救助者に手を伸ばし、が引き受けた。

! 今までどこに」
「いいからさっさと行け。おまえは、あっちだろ」
「……ああ」

 背負っていた救助者を下ろし、轟はより大きく蠢く敵の気配の方へ走った。

ちゃん、やっぱ来てくれたんだ」
ちゃん」

 葉隠も蛙吹も、試験に集中しながらも不穏なを心の隅で心配していた。

「今の気温なら濡れても危険なほどじゃない。歩けるやつは自分で歩かせて体温上げろ。蛙吹をいちいち水上に上げるな。葉隠はうかつに水に入るな」
「う、うん……」
「じゃあ私は向こうを見てくるわ」
「うん、お願い!」

 ざぷんと蛙吹は川に潜り、溺れたり対岸に取り残された救助者がいないか確認して回った。

ちゃんは、轟くんと行かなくて、いいの? 心配なら行っても……」
「おまえもだぞ葉隠」
「え?」
「見えないことは救助の場で有利じゃない。救助者にはおまえが自分を助けようとしてるのか危害を加えようとしているのか、見た目の判断材料がないんだ」
「え……」

 葉隠は改めて救助者を見やるが、救助者には自分がどこを向いているのか伝わっていない。
 ここにいるのはヒーローの卵達。それが分かっているHUCのメンバーには葉隠は審査対象でしかないが、何も分からない、何も確かなことなどない災害時という不安定な環境、状況に於いて、見えない体は。

「おまえには資格がいるんだ。伝わるとか感じるとか不確かなものじゃない、確かな”免許”が必要なんだ。人のことばっか心配してないで声張り上げろ。いつもみたいに声をかけ続けろ。ずっと私にそうして来ただろ」

 の素性が知れた時からずっと傍にいた。
 黙っていては伝わらないからたくさん話した。
 向き合ってくれないは分かり難いからずっと目を見続けた。合わなくても。

「うん」

 分かりたい。分かり合いたい。一緒に笑いたい。

「うん!」

 救けることだけじゃない。
 人を愛するすべてのことはそこから始まる。

「みなさーん! 今から安全な場所へ案内します、歩ける人は自分で体温を上げるために歩いてくださーい! 歩けない方は手を上げてください! あ、砂藤くん、こっち手伝ってー!」
「おお!」
「あれ、! おまえこっちにいたんか!」

 救護所近くに敵が現れたと知り駆けつけようとしていた砂藤と瀬呂だったが、葉隠の声を聞きグローブが揺れている方へ行き先を変えた。

「うわ、なんだ、地震!?」

 ギャング・オルカ率いる仮想敵の出没位置が設置した救護所の近くだった為、受験者達は市民の避難と同時に敵の侵攻を食い止めにかかった。地震の”個性”を持つ真堂揺の力によりフィールドは揺れ地面が割れたがギャング・オルカには敵わずカウンターを食らい倒れた。
 そこに轟が駆けつけ、氷結を放ち侵攻の足を止めた。敵の多くは地面に沿って襲い来る氷結に飲まれ動きを封じられたが、ギャング・オルカの能力”超音波アタック”で氷は撃破された。
 さすがはヒーローランキング10位の実力、と思ったのもつかの間、不自然に流れる風に髪先が揺れた。轟が周囲を見渡すと空に浮く夜嵐イナサの姿があり、敵の登場に胸を熱くする夜嵐は意気揚々と突風で敵を吹き飛ばした。

 戦闘に長けた力を持つ二人が敵を食い止めている間、救護所は二次被害を避けるべく避難を始め、救護所に居合わせた緑谷や尾白、常闇や芦戸は動けないケガ人や子どもの手を取り人々を安全な場所へ誘導した。

「瀬呂くん、砂藤くん!」
「緑谷!」

 緑谷たちが次の避難場所へと定めた場所にはすでに新たな簡易救護所が設置され始めており、そこに水辺からの避難者を運んできた瀬呂と砂藤らと合流し、クラスが離散する時にはいなかったの姿も確認した。

さん、今轟くんがヴィランを食い止めてる。士傑校の人もいるけど、ヴィラン役はギャング・オルカだし、サイドキックの数が多すぎるから僕らも加勢しに行こう」

 逃げてきた方向から流れて来る風は氷で冷やされ冷たく、夏休みが終わったばかりの季節にはないものだった。
 夜嵐。一次試験後に声をかけてきた威勢の良い大男。
 だが妙に轟に対し強い嫌悪感を持っており、且つそれを本人に隠さず当てつけるようでもあった。二次試験が始まる前、夜嵐の自分を敵対する態度に疑問を持った轟は素直に「自分が何かしたか」と聞いたが、夜嵐から帰ってきた言葉は「おまえら親子が嫌いだ」という臆面もない言葉だった。

「ねぇ、なんかヘンじゃない?」
「ああ、轟の炎が空に飛び散ってるぜ……」

 戦闘が始まっているだろう方向の空に轟が放っただろう炎が舞い上がっている。闘いの中ならおかしくもない光景だが、救護所を背に闘っているはずの轟の炎の熱波が避難先に流れて来るのはおかしい。空には浮いている夜嵐の姿が見え、何やら大声で怒鳴っているようにも見える。

「何かおかしい、さん、僕らも行こう」

 制圧能力の高い轟と夜嵐。
 とはいえギャング・オルカの部隊を相手に二人きりでは荷が重い。
 緑谷はと共に轟の元へ駆けつけようとした。

「おまえが行け」
「え?」

 けどは緑谷について走り出しはしなかった。
 この数日見てきた泪は塞ぎ込み言葉もなく全く心を閉じてしまった様に見えていたが、今は違う。
 まっすぐ緑谷の目を見ては言う。

 このクラスには轟を否定する人間が誰もいない。雑に扱いもしない。だから我を通しても居場所を失いはしなかった。だから分からないんだ。自分が人を嫌う立場だと思ってる。嫌われる立場だとは微塵も思っていない。

「あいつにはおまえが必要だ」

 空に熱波が渦巻き、それはまるで轟の心中を表すかのように荒々しく刺々しかった。
 轟が炎を発すれば夜嵐の風が重なり吹き飛ばされ、夜嵐が突風を起こせば轟の発する炎で風が浮き、強烈なはずの互いの”個性”がぶつかり合いかき消し合い、勝手な怒りをぶつけ合い幼稚な因縁から抜け出せず。

 迫る強敵の脅威の中、能力の高さを踏みにじる個人的感情。
 高校生の彼らにそれは若さと飲み込める現象ではあるが、彼らはそんな次元で生きていてはいけない、ヒーロー志願者。幼稚な行為は人命を脅かす。
 吹き飛ばされた轟の炎が、ギャング・オルカの超音波で動けなくなっていた真堂へ向かい脅かした。

 その真堂に手を伸ばし炎を回避した緑谷が、叫ぶ。

「何をしてんだよ!!」

 緑谷。緑谷の訴え叫ぶ声。
 轟の頭は水をかけられたように冷えていった。
 自分でも気づかないうちに頭の中が父の様な業火で充満していた。

 以前の轟は実力主義で他と馴れ合わない己の主義だけを突き通すような目をしていた。そんな頃に行われた雄英高校の推薦入学試験。そこに夜嵐がいたことを思い出した。そうだ、あの時、こんな騒がしい声と強靱な”個性”で群を抜いて存在感を放っていたヤツがいた。実技試験では共に同じコースを走り、最速のタイムをたたき出した自分よりも僅かに先にゴールした、隣を走っていた、あいつ。

 覚えがなかったはずの轟の頭に急速にいろんなことが蘇っていった。
 同時に如何に自分が父への因縁に視界を曇らせ、周囲の人が目に入っていなかったかを自覚させられた。
 おまえもそうだっただろ。
 試験で泪と組んだ時、が全く自分の意見を聞かず、相談する間も持たないことを指摘した時にそう返されたはずだった。
 父親へ歩み寄ったことで因縁は解消したつもりになって、戦闘でも炎を使うようにしたことでわだかまりは捨てたつもりになって、本当は何も解決なんてしていないのに、母との時間を取り戻して、友だちが出来て、クラスと関わるようになって、前向きにヒーローを目指せるようになって……

 周りが言うように、自分は強いんだと思い込んでいた。
 自分はまだ、蹲って痛む腹を押さえていた5歳の頃と何も変わりなかった。
 根底に居着く恨みの炎が本当は消えることなくくすぶっていたことにも気づかずに。

 ……
 轟は真堂を抱える緑谷の背後を見渡した。
 ……、どこだ、……
 母がいなくなった広い家で一人蹲り泣いていた頃のように、を探した。

「……!」

 殺気を感じ轟は咄嗟に振り向き構えた。
 すぐ背後まで迫っていたギャング・オルカは自分より先に空にいる夜嵐に攻撃を向け、超音波で打ちのめされた夜嵐はコントロールを失い地上へ落下した。

「おい……!」

 夜嵐を心配したのもつかの間、ギャング・オルカの牙はすぐに轟を襲い、夜嵐同様に轟も地に倒れた。
 無駄に張り合って、相性最悪、連携ゼロ……。こんな体たらくでトップヒーローに適うはずもない……。
 轟を仕留めギャング・オルカは効きの甘かった夜嵐のとどめを刺そうと夜嵐に近づいていく。
 轟の炎。夜嵐の風。
 本当に相性が悪いのか……?
 二人バラバラに攻撃をした時、轟の炎は夜嵐の風に吹き飛ばされた。夜嵐の風は轟の炎で浮き上がった。だったら……

 脳みそが揺れる苦しさと気持ち悪さの中、轟は再び炎を滾らせた。
 何をしてるんだよ。
 本当にそうだ。己の失態を、失態と捉えられる余裕が、今の自分にはある。
 どうか、あいつも。

 完全に動けない轟から立ち上る炎が、夜嵐の風によりギャング・オルカを取り囲み、炎の渦の中に閉じ込めた。夜嵐もまた失意と恨みに心を取られていたことを思い知っていた。試験を無視して敵対していた大きな力が混ざり合い、強大な敵を境地に追い込んだ。他の敵も戦闘に加勢する受験者達の力で次々と圧されていった。

 そして猛々しくブザーが鳴り響いた。

『只今をもちまして、設置されていたすべてのHUCが危険区域より救助されました。誠に勝手ではございますが、これにて仮免試験全工程は終了となります』

 二次試験は救助隊が来るまでの間、現場に居合わせたヒーロー達が被災者を救助するという設定で行われていた。試験が唐突に終わり、戦火に駆け付けた受験者達は呆気なさを感じながらも、試験は終了した。
 先ほどまで立ち込めていた熱気や熱意が風に吹き流されるように冷めていき、フィールド内には安堵の息が漏れた。しかし地に伏せたままの轟には上げる顔がなかった。

「泣いてんのか」

 誰の声も届かないくらい失意の底にいた轟に、降った声。
 轟は目を開き顔を上げた。まだ頭の中はガンガンと痛いくらい揺れるけど、眩んだ視界にの足を見た。

……」

 探してもどこにもいなかったがいた。
 この数日、話しかけてもそばにいても一切目の合わなかったが、そこに。
 そのが伏せる自分の前に手を伸ばした。
 俺と組まねぇか。あの時はそう、自分から伸ばした手。
 轟はその手を取れなかった。動けないからじゃない。

「おまえに、見限られた途端……このザマだ」

 見限られた。その意味がにはすぐにわからなかったが、轟の頭には泪から言われた「もうお前とは組まない」という言葉が試験中何度も頭の中で鳴っていた。

「私も、ジョーに見限られたと思ったよ」

 の小さな言葉を聞いて、轟はまた伏せていた目を上げた。
 まぶしかった。
 見下ろすが笑んでいた。

「ガキだな、私ら」
「……」

 轟大丈夫かー? 駆け付けた瀬呂が手を貸し尾白と共に轟を起こした。
 試験という枷が外れ、受験者達は一高校生の顔へと戻っていき、荒廃したフィールドと清々しいまでの青空の元、まだ合格発表が残っているけど、みんな互いにねぎらい、見合わせ笑った。

 離れていったは安堵する女子達と共にいる。
 轟はもうあんな笑みは二度と見られないんじゃないかと思った。
 雨雲が流れて青空が覗き光が差して晴れた空に虹を見つけた、みたいな。
 これから目の当たりにするどんな結果も、受け入れられるような。

 痛いことも、苦しいことも、悲しいことも、惨めなことも、子どもの自分達にはこれから何度も何度も起こるんだろう。
 けど、だからって、笑っちゃいけないことなんて、ないんだって。
 見下ろす空が言っていた。










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