Happy merry X'mas - 2008 オレンジ色のランプに照らされる喫茶カイロス。すっかり暗くなった窓の外だけど、今晩は大きな雲が空を覆って星のひとつも見えない聖夜。 そんな少しさえない窓辺のテーブルで温かいスープをすくって口に運んでいるのは、夕方にも一度訪れた二人の男。今度は夜食を食べに来たようで、相変わらず客足の乏しいカイロスで二人は堂々と大きな窓辺のテーブルを陣取っていた。 「スープんめぇ〜、カレーしかないって聞いた日にゃどーしようかと思ったけど!なんでスープはこんなうまいのにカレーがうまく作れないわけ?」 ケラケラ大口を開けながらしゃべる誠二はスープをテーブルにぽたぽた零しながら笑う。その視線の先、カウンターの向こう側で皿を拭いているマスターの英士は、平然とした顔をしていながらも自分が作ったカレーの不評に納得がいかないのか強くキュキュッと皿をこすった。 そんな英士の、目の前のカウンターが続く先の奥できゃははと笑い声が起こった。 「そんなに言ってあげないで。英士のカレーを食べにくるお客さんだっているんだから」 夕方に来た時には気付かなかったけど、カウンターの隅の店の奥には茶色いニットの帽子をかぶった女の子がいた。手には赤や緑や黄色の毛糸が転がっていて、糸の先は彼女の小さな手まで伸びている。 「うっそぉー、これをー?どんな珍味好きだよ!」 「ほんとよ。交番のおまわりさんなんてしょっちゅう来るよ」 「げ、交番のおまわりがしょっちゅうくるの?この店」 「来るよ。おまわりさんが来るとダメなことでもあるの?」 「だっておまわりなんてきたらさぁ、」 心底嫌そうな顔をしながら話す誠二の声は、ダン!と響いた音でピタリと止まった。その音とほぼ同じくして誠二がいってぇ!と叫ぶ。どうやら目の前に座って睨みをきかしている亮にテーブルの下で足を思い切り踏まれたようだ。 「そう言えば今日はごはん食べにこないなぁ、クリスマスだから別のところに行っちゃったのかなぁ、ねぇ英士?」 「まだ仕事中なんじゃない?」 涙目の誠二はごくりと言葉を飲み込んで、おかわりーとカラになった皿をカウンターに向かって差し出した。それに英士はカウンターから出て、皿を受け取りまた戻って行く。 エプロンをしているあたり、彼女もこの店の店員のようだけど、客がくれば注文を聞くのはマスターの英士だし、お皿を運んでくるのも英士。水はセルフだし、彼女が店員らしく動いているところを見たことはなかった。 彼女は店に流れるクリスマスソングを鼻で奏でながら手中のカギ棒をくるくると巧みに扱い毛糸を編み込んで小さなぬいぐるみを作っている。見渡せばこのクリスマスっぽく彩られた店の中には至る所にサンタとトナカイのぬいぐるみが添えられていて、どうやらそれらが彼女の仕事らしかった。 「マスター、カレー以外にメニューないのー?」 「何がいいの?」 「チキンは?チキン!」 「買いに行かないとないな」 「なんでクリスマスにチキン用意しとかないかなぁ。クリスマスっていったらでっかいチキンじゃん!まるごとのさぁ、俺一度でいーからあれ丸かじりしてみたいんだよねー」 ぽわんと夢見心地で涎を垂らす誠二の前で、亮は静かに窓の外の遠くを見ていた。窓から伝わってくる風は冷たく外の寒さを想像させる。クリスマスの熱気もこんな街外れまでは届かないのか、真っ暗な闇夜。 その闇夜の中にひそりと見えている大きな屋敷の影。 屋敷の屋根から伸びて、もくもく煙を吐き出している煙突。 「じゃ買い出し行ってくる。沙樹、留守番よろしく」 「はーい」 いってらっしゃーいと誠二と沙樹の手に見送られ、英士はマフラーを巻くとカランと鐘が鳴るドアから出て行った。 ひやりと一瞬にして体を凍てつかせる冷たい風。 曇った空から明かりは消えうせて真っ暗な夜道。 英士は白い息を生みながら明るい街のほうへ歩き出した。 街が賑やかな明かりを見せ始めると、人も多く見えだした。 寒い中でもコートを着込んで暖かそうに寄り添い歩く。 軽快な音楽が聞こえてきて、チカチカとランプが踊るように灯って、赤や緑が街をいつもとは別世界のように彩る。 誰もがほほ笑みながら歩いて行く中で、ひときわ賑やかなセントデパート前は大勢の人で夜を忘れさせるようだった。そんな賑やかなデパートの前を傍観するように遠巻きに見ながら、英士はデパートを通り過ぎて行く。 すると、そんな賑やかなデパートを同じように遠くから眺めている男を目前に見つけた。あの顔は知っている。この街の人間ならみんな知っているだろう。だってこの大きなデパートの社長なんだから。 「・・・よお」 「どうも」 寒い中で腕を組み立ち尽くしていたセントデパートの社長、天城もまた英士に気づき声をかけた。ふたりは顔見知りだった。これほどまでに大きなデパートも昔は小さなオモチャ屋だったのだ。それも街外れの、ちょうどカイロスの目の前に小さな店を構えていた。 「盛況だね、毎年のことながら」 「お前はまだあそこで流行らない店をしているのか」 凍てつく空気と同じくらい冷たい言葉に英士は小さく笑いながら「まぁね」とつぶやいた。同じくらい小さな店だったのに、今じゃこんなに大きなデパートになって、街を代表するまでの人物となってしまった旧友の、変わらない態度が懐かしかった。 「イリオンは元気?」 「ああ、今頃食事でもしているだろう」 「せっかくのクリスマスに君がいなきゃ寂しいだろうね」 「そんなこともないだろ。毎年クリスマスを楽しみにしているし、プレゼントは何でも揃ってる」 人の出入りが止まないデパートは今年も大盛況。誰の目から見ても成功者の証のようなきっちりとしたスーツと靴、傍に停まっている黒塗りの大きな高級車。・・・だけど、そんな天城の顔はなぜだか浮かない表情だった。何か、目の前の光景全部が人事のような。 「・・・なぁ、子供はどんなプレゼントが欲しいと思う?」 「さぁ、デパートでは何が一番売れてるの?」 「デパートで一番売れてるものが欲しいとは限らんだろ」 白い息とともに吐き出した言葉。だけど英士は返事もせずにジッと天城を見つめていて、天城はなんだと聞き返した。 「いや、いいこと言うなと思って」 「実際にそうだろう。だからイリオンにはなかなか手に入らない高価なものを与えてきた。普通の庶民じゃ手に入れることのできないような物をな」 「・・・あ、そういう意味」 「なのに喜ばない」 「じゃあ高価な物はいらないんじゃないの?」 「安物がいいというのか?それじゃ俺のプライドがない」 「君のプライドにプレゼントしてるんじゃないでしょ」 はたと、天城は英士に目を止める。 傍らに停まっている車から秘書が降りてきて天城を呼び掛ける。まだまだ忙しくスケジュールが詰まっている。だけど天城は秘書の言葉を止め英士の言葉を聞き続けた。 「・・俺の父親も世界中を飛び回ってた人でね、クリスマスは毎年いなかった。だから何をしてくれたこともないんだけど、世界中の話を聞かせてくれたよ」 「・・・」 「何か君にしか出来ないことってないの?」 社長、お時間が。 急かす秘書の声が繰り返される。天城は車のほうに足を向けて、だけどまた英士に振り向いた。 「あいつ、・・・イリオンは、まだサンタを信じているんだ。それどう思う」 「いいんじゃないかな」 「・・・そうか」 コツ、冷えたコンクリートに靴音を響かせて天城は車に乗り込み、動き出す車は人ごみを分けて道の果てへ消えていった。 ざわざわと活気の絶えないデパート前。 サンタの衣装に身を包む売り子と、行きかう人々。 「・・・信じられたサンタはプレッシャーだけどね」 賑わうクリスマスの街。 白い息のように些細な声は響かずに溶けた。 見渡せば、目映い光と色で寒さも忘れる賑やかさ。 こんなに寒いのに、見上げても雲がはびこるだけの夜空。 北風すらも鐘の音にかき消される夜だった。 -- NEXT --
凛華(沙樹)さんありがとうございました! |