Happy merry X'mas - 2008
10:透明手袋






夜まで騒々しかった喫茶・カイロス。
テーブルの上にはいくつものお皿やカップ、クリスマスの飾り付けが散らばって、チキンのホネも転がって、散々な状況。だけど、これだけ店内を散らかした当事者たちは、今では騒ぎ疲れお腹いっぱいでグースカと眠ってしまっている。

食欲だけは旺盛だけどどこの誰かも分からない大きな兄弟。
客といえど食い逃げしようとした小さな兄弟。
ふたつの兄弟はもう明かりが落ちた店内のテーブルの上でぐーぐー寝息を立てていた。

そのカイロスの店の前、看板の下で望遠鏡を構え遠くの何かを見やるのは、大きな兄弟の兄のほう、亮。丸い筒の奥に見えているのは、カイロスからは程遠いがひと際目立ってそびえ立っている大きな屋敷の、煙突。
きっとあの屋敷でも、立派なディナーが揃った暖炉の前、プレゼントとツリーに囲まれて、あたたかいクリスマスが行われているのだろう。暖炉の煙を吐き出す大きな煙突がもくもくと夜空に白い煙を放っていた。

その煙が、ぶすぶすと音をたてて薄れていく。
夜が更けて、暖炉の火が消されたのだろう。立ち上っていた煙は少しずつ消えていって、次第にひそりと煙突が今日の役目を終えた。

その夜空に突き刺さった煙突を見て、望遠鏡を下げる亮はニヤリと口端を上げる。
待ちに待ったこの時がきた。亮はカイロスの中へ戻っていき、奥のテーブルの上で仰向けに寝転がってむにゃむにゃ腹をかいている誠二の体をぐいと引き起こした。


「おい、起きろ誠二」
「んーん、もうたべれないぃ・・」


ガコンッ!
亮が手に持っていた硬い望遠鏡で誠二の目を覚まさせると、誠二はシャキッと立ち上がって「起きました!」と敬礼のポーズを取った。


「ほらこれ着ろよ」
「ええー、だから俺サンタがいいのにぃ!」
「うるせー早くしろ」


亮は誠二にトナカイの衣装を押し付けると、自分も隠れ蓑に袖を通す。
まだブツブツと文句を言う誠二を押しながら、二人は寝静まった店内から出て行った。


「・・・行った?」
「ああ、やっぱりあのバカ兄弟、シイナの屋敷の明かりが消えるのをここで待ってたんだ」

暗い中でむくりと起き上がる二つの小さな影。
窓から外を見ると二つの大きな影が遠ざかっていくのが見える。
頭の上に2本の角を揺らした二つの影。


「俺たちも行くぞ」
「うん!を取り返しに!」
「ああ、あのヘンタイヤローからを取り戻すんだ」
「あれ?」
「どうした結人?」
「ほらこれ、サンタの服・・・。あいつら置いてっちゃったよ」
「・・・。どうだっていいだろ、行くぞ」
「着てく?」
「バカ」


早く!と急かされて、結人はカウンターの上に残されていたサンタの服から手を離し一馬を追いかけ、二人はドアの鐘がならないようにそっと店を出て行った。

クリスマスの余韻を引きずりながら、次第に寝静まっていく街。
ぽつぽつと明かりも消えていく、聖なる夜。




それから時をさかのぼること、数時間。
街の片隅にある、赤い格子の電話ボックス。


「あの、夜分にすみません。私、真壁祐希といいますが・・・」


受話器を分厚い手袋で支え、白い息を吐きながらひとつコインを入れる。
外はまだ雪が降るほどではないにしろ、コートの上からでも容赦なく冷気を忍ばせてくる極寒の冬の夜。「お待ちください」と受話器から聞こえた機械的な声に祐希は鼻水を押さえながら寒さに震えながら、受話器を持ち直して冷たいそれを右の耳にあてた。星の明かりも見えない雲に覆われた真っ黒な夜空。電話ボックスの中でさえこんなにも凍えそうな夜に、まさか外になんていられないだろう。


「あ、シイナさんですか?私、真壁祐希です、お久しぶりです」


無愛想な声で「はい」とだけ聞こえてきた声に、祐希はパッと顔を上げた。


「夜分にすみません。あの、は元気ですか?・・・そうですか、よかったです。まぁ、そうですか、そんなに喜んで・・・。あの、それでですね、今日お電話したのはですね・・・」


カチン、カチンと音を立てる公衆電話。
手袋で掴みづらいコインをひとつずつ入れていくと、だんだん残りが少なくなってきた。そのコインの隣に置かれた、一枚の写真。


「はい、散々探したんですが見つからなくて。それで、もしかしたらそちらにお邪魔してるんじゃないかと・・」


最後の頼みの綱のつもりで受話器を握る祐希だけど、電話は「知りません」と無愛想な声とともにガチャンと音をたてて切られてしまった。ツーツーと電波の途絶えた受話器を見下ろして、祐希はしゅんと受話器を電話に下ろす。

中から残ったコインがカランと取り出し口に落ちてきて、電話の上に積んでいた残りのコインと写真と一緒に手に取って祐希は電話ボックスのドアを開けた。ギィと音をたてて開くドアはこの寒さに震えているように鳴き、夜が更けるにつれどんどん下がってくる冷気に祐希は真黒な空を見上げた。


「もう、どこに行っちゃったのよー・・・」


この寒さの中、一日中歩き回って、もう靴の中の感覚がないくらい。
とめどなく流れてくる鼻水を何度も何度もすすって、ずれ落ちてくるメガネを上げて、渦巻く寒さの中、霜が立つ道の上を祐希はまた歩きだした。

あてもなく街中を歩きまわって、もう心細さで泣き出してしまいそうだ。
だけど足を止めるわけにはいかないのだ。
祐希はもうくたくたになってしまった写真を見下ろしながらパキパキと霜を踏みつけ歩いていった。

すると、次第にクリスマスの空気を解いて灯りを消していく街中で、ぼんやりと変わらぬ明かりを灯し続けるひとつの四角い建物を見つけた。入口の上には暗くて見えづらいけど「KOUBAN」と書いてある。そうだ、と表情を明るくする祐希は走り出しその建物の中へと駆けて行った。


「すみません!」
「はいはーい。クリスマス特別勤務中でくたくたの交番に何の用ですかー」
「あの、実は私・・」
「チキンもツリーもプレゼントもなく、こんな夜更けまでクリスマスに騒ぐ市民の皆さんのために働いてるおまわりさんに、何の用ですかー」
「え、あの・・・、すみません・・・」


交番のドアを開けたすぐそこにいたおまわりさんに声をかけた祐希だけど、その反応はあまりに胸を突いて、祐希は思わず謝った。

すると、そのまた奥にいた同じ制服を纏った女のおまわりさんがポカーンと丸めた書類で手前のおまわりさんの頭をはたいた。


「いったぁい!もー今日いっぱい働いたんだからいーじゃないかー!」
「泣くな!警察官がみっともない!」
「あーあー仕事仕事。ナオは警官の鑑だね、へっ」
「やさぐれるな!」


また一度ナオが腕を振り上げると、潤慶はハイハイと口を尖らせながら回る椅子をくるりと祐希に向け不機嫌満面な顔でどうしましたかと問いた。


「あの、実は私人を探してまして、この子たちなんですけど・・・」
「・・・あら」


ナオに椅子をすすめられ腰掛ける祐希は、ずっと手にしていた一枚の写真を潤慶に見せた。


「私、隣町の孤児院の教員で、真壁祐希といいます。この子たちはうちの孤児院の子で、みなしごなんです、二人とも。今日のお昼から院を抜け出していなくなってしまって、必死に探したんですけどどこにもいなくて・・・」
「フーン、孤児院。あながちウソばかりでもなかったんだ」
「え?」
「いや。結構複雑な兄弟なんだなと思って」
「・・・」


祐希の手の中でくたくたになる写真。
その小さな写真に写っているのは、3人の子供たち。

右にしっかりと顔を引き締める一馬、左に大きな笑顔の結人。
そしてそのまん中で、ふたりに守られるようにして笑顔で写っている、花のような女の子。


「このまん中の子はっていって、少し前にこの街の椎名さんっていうのお屋敷の養女になったんです」
「え、椎名ってあの天才画家の?」
「・・・おまわりさん、本当はこの子たちのこと、知ってるんじゃないですか?」
「ん?」
「さっきこの子たちのこと、兄弟って言ったから・・・。この子たちのことを”兄弟”っていうのは、この子たちだけなんです」


写真の中で、寄り添い笑う3人。
だけど、3人はみんなそれぞれ別々の場所に捨てられていた。
兄弟どころか、まだ出会って数年も経ってない、まったくの別の人間。


「だからってわけじゃないですけど、この子たちは本当に仲が良くて。本当に、兄妹みたいで。・・・だけどが椎名さんの家の養女になって、この二人は椎名さんのことを、を無理やり連れて行った悪者だと思ってるんです」
「ふぅん」
「おまわりさん、何か知ってたら教えてください。早くこの子たちを見つけないと・・・」
「さぁ、知らないなー」
「・・・そうですか・・・」


しゅん、と俯く祐希は、落ちかけたメガネを押し上げて立ち上がり、ぺこりと頭を下げて交番のドアを開けた。冷たい風がぴゅうと入り込む。


「君さ」
「はい?」
「この先にある、カイロスっていう喫茶店に行ってみな」
「え?」
「あったかいコーヒーが飲めるから」
「・・・」


祐希はまた一度ペコっと頭を下げ、ドアを閉めパタパタと走っていった。
風が吹きこんで少し温度の差がった室内で、潤慶はカップを手に取り口をつける。


「めずらしいね」
「ん?」
「食い逃げの子供たちをあっさり帰したり。かばってみたり。手ぶくろ片方だけの貧乏だから?」


もう冷たくなってしまってるコーヒーをずずずと吸い込む潤慶からカップを取るナオは、また一度あたたかいコーヒーを注いだ。それを受け取る潤慶はふーふーと息を吹きかけて、こくりと喉を鳴らす。


「べつに、新しい手ぶくろが欲しかったわけでもなかったんじゃん」
「・・・」


いろんなことに流されて、いろんなものにつまづいて。
いつの間にか忘れていた、大事なもの。


「もう片方の手にはちゃんと、見えない手ぶくろがあったんだし」


本当は誰よりも優しくなりたくて。
大切な人を、大切にしたかっただけ。

夜は更けこんで、静かにクリスマスは去ろうとしていた。


・・・サンタクロースなんて、本当はいない。
それが大人になるということなら、僕らは生まれたときから大人だった。
僕らの前にはサンタクロースなんて現れなかったし、プレゼントだって貰ったことなかった。

僕らは、みなしごだった。







-- NEXT --

ようやくお名前出せました祐希さん、ありがとうございました。