日が暮れかけた道を、傷ついた俺たちは家に向かって歩いた。
俺は荷物も置きっぱなしだったからどうしても部活に戻らないと帰れなくて、もしかしたら退部になるかなぁとか思ったんだけど、センパイたちは俺の傷を見て、事情話したら先生に見つかる前に帰れって言ってくれて、俺たち全員の手当てまでしてくれた。なんていいセンパイたちだろう。俺ぜったいサッカーがんばるって思った。
「大野君、やっぱり病院に行ったほうがいいよ・・・」
「いいって。病院なんて行ったら親んとこ連れ戻される」
「え?大野君、親と一緒に住んでないの?」
「俺いま親戚の家にいるから」
「家族でこっち戻ってきたんじゃなかったのか」
「うん、一人で戻ってきた」
一番傷を負ってる大野を、関口の自転車のうしろに乗せて、カラカラ。
親戚の家に居候してるという大野に俺は「なんで?」と聞いたけど、大野は口を開かない。
こいつホント無口になったよなぁ。女とはベラベラしゃべるクセに。
「あ!」
大野がしゃべらないからヘンな静寂が俺たちを包んでいた時、突然自転車を引いてた関口が大声を張り上げ俺はビビってなんだよと聞き返した。
「俺今日早く帰んなきゃいけないんだった!はまじ、お前もだよな!」
「へ?」
「そーだったブー!俺も早く帰って・・・、あの、トミ子の迎えに行かなきゃいけないんだったブー!」
「は?なんだよお前ら急に・・・」
「わりぃ杉山、つーことで、大野家まで送ってやれよ。コレ貸してやるから!」
「はあっ?」
関口は俺に自転車のハンドルを握らせると、はまじを連れブー太郎と一緒にそそくさと先へ走っていった。トミ子の迎えって・・・あいつもう中学生じゃねーか。遠ざかっていく3人は何度も俺たちに振り返りながら手を振って、あっという間にいなくなった。
「はは・・・」
「あ?」
「わざとらしいな」
何が?と聞き返すけど、大野はまた笑うばかりで答えなかった。
仕方なく、大野を乗せた自転車を引いて俺も歩き出す。
「家どっちだよ」
「お前の家と同じ方向だよ」
「ああ、そーいや昔、俺んちと同じ地区に親戚が住んでるとか言ってたっけ。親は?今どこにいんの?」
「東京」
「東京かー、いいな。遊びに行きたいよな。お前は行けるか、親いるんだし、ダチもいるんだろ?」
「わざわざ遊びに行きたいってほどの友達はべつにいない」
「お前・・・、ほんっと暗くなったよな」
「そうか?」
「ああ、昔のお前ならどこ行ったってすぐダチくらい出来ただろ」
「それはお前のほうだろ。お前は俺とじゃなくてもいつも誰かと一緒にいたよ」
「そーかぁ?」
大野は昔から頭が良くて、先生とか女子とかにもウケが良かった。
みんなに好かれて、慕われて、頼られてた。
俺は体育以外「△」ばっかだったし。
「そんなの何にも使えないよ。転校ばっかしてるとさ、友だちがどーやって出来てたのか、だんだん分かんなくなるんだ。歳上がるほど友達って出来にくくなるしさ、仲良くなったってまた転校するしさ」
「そんなに転校してたのか?」
「あれから、5回はしたかな」
「うわ、6年で5回かよ。俺は清水から出たことないからわかんねーけど。お前サッカーやってたんだろ?部活入ってりゃ友達くらいすぐ出来るだろ」
「いきなり来たヤツがいい腕してたって嫌味なだけだよ。レベル低いとこ入れば邪魔になるし、高いとこ入れば叩かれる。その上ヘタに女子に騒がれると男は余計にやっかむ」
「まぁそれは今も同じだよな。お前クラスのヤツらに謝れよ?絡むあいつらもバカだけど、お前の態度は火に油注ぐだけだって」
「ヤダね。俺悪くないし」
「お前・・・」
自転車引いてゆっくり歩くあまり、すっかり日は沈んで道は真っ暗になった。
田んぼと川しかないような道に少し寒い風が吹いて、遠くの町のほうにだけ電車や看板の光がチカチカ見えている、田舎道。
「でも、お前には謝るよ」
「何を」
「ともだちじゃないって言ったことも、ブー太郎のことも、お前が俺にキレた全部」
大野が懐かしいと言った畦道で自転車を止めて、河原沿いの坂になってる草の上に寝転がった。真っ暗なせいで星がいっぱい見えてて、そんなものさえ大野は懐かしいと、スゴイ事のように見上げてた。
「ああいうことするヤツはいくらでもいるし、歯向かったって余計に面白がられるだけなんだよ。ああいうのは周りがちょっと助けたってどうにかなるってものじゃない。ブー太郎だって、あいつは同じクラスなんだから、これからまだ何があるか分かんないしさ」
「そんなの何回だってまたやってやるよ。俺はあいつらもだけど、黙ってたブー太郎にだって腹立ってんだよ。お前だって知ってたなら言ってくれりゃいいだろーがよ」
「ブー太郎はお前には知られたくなかったんだよ。お前、中学の時もブー太郎助けてケンカしたんだってな。それでサッカーの推薦なくなったって」
「・・・あいつ、言うなよそーゆーこと・・・」
「だから杉山には言わないでくれって頼まれたよ。もう杉山の邪魔はしたくねーんだって」
「なに言ってんだよ、誰があいつにジャマされたよ。俺は元々行く気なかったの!後悔だってしてないし、またブー太郎があいつらになんかされたら俺は殴りに行くね」
「ケンカばっかしてたら今度こそ部活出来なくなるぞ」
「それがなんだよ。サッカーやるかケンカするかって言われたら俺はブー太郎助けるね」
「・・・」
隣で空見上げてた大野は、起き上がって髪からパラパラ草を落とした。
その目はもう星を映さず、うつむいて。
「俺も、今までいろいろやられたことあってさ。親の転勤がほとんどだけど、俺が駄目になって学校変わったこともあった。どこにでもいるんだ、ああいうことするヤツも、されるヤツも」
「・・・」
「あーゆーのはどこにでもいる。・・・でも、お前みたいなのは、そうそういない」
「俺みたいなの?」
だんだん大野の声が聞き取りにくくなって、俺も起き上がった。
風の音とか、虫の声とか、遠くの電車とか。
「どこ行っても、ここが忘れられなかった。だから、ここに帰ってきたくて、一人でも戻ってきた。けど、帰ってきてもまたお前らと友だちになれる保証もなかったし、期待しすぎないほうがいいって思って、連絡も出来なくて」
「・・・」
「お前らはみんな昔のままだったけど、俺はけっこう・・・変わったし、お前にも、俺らの知ってる大野じゃないって言われたし、もう昔みたいには、戻れないよなって・・・」
大野が一人でもこの町に戻ってきた理由を、明るい中では言えなかったことを、こんな真っ暗な中でやっとポツポツこぼす大野の背中は、たしかに昔とは違った。
・・・でも、それが何だっただろう。
俺はそんなに、何にこだわってたんだろう。
”変わる”ことが、悪いことでもあるまいし。
「お前、入試トップだったんだってな」
「え?」
「俺ドべだったんだよな。あの山田より下だぜ。補欠のはまじよりマシだけど」
「うん?」
「お前の話はなんか難しくてよく分かんねーけど、とりあえずそれって、今はいらねー話だろ?」
「・・・いらない、話?」
「俺もさ、お前があの頃のお前とは違うって思って、こんな大野認めねーって思ってたけど・・・、もういいや。俺もそーゆーの忘れるよ。だからお前も忘れろ。しょうがねーだろ、お前はずっとここにいなかったんだから、変わってんのは当たり前なんだよ。そんな当たり前のこと、分かんなかったんだよ、俺バカだからさぁ」
「・・・」
「もーやめやめ。昔のことは忘れた」
ドサッとまた寝転がると、真っ暗で表情の見えない大野も、隣で空を仰いだ。
こんな明かりも点々としかないようなイナカで、ぜんぜん変わらない町で、それでも人だけは着実に変わっていく。
たぶん大野は、俺たちより先にこの町を出たから、俺たちがいつかブチ当たるだろう世界に先にブチ当たってしまったんだろう。当たり前だと思ってたものが、そうじゃなくて、簡単だと思ってたものが、そうじゃなくて。何度も何度も否定されてくうちに、自分自身さえ見失いそうになった。
そんな時に思い出したのが、この町だった。
頼ったのが、俺たちだった。
それでいいじゃないか。
あの大野じゃなくたって、どんな大野になってたって。
友達になるのに理由なんていらないんだった。
こうして隣にいて、嫌じゃない。
それでいいじゃないか。
その後、俺たちのケガが学校にバレないように隠れるように毎日を送ってたけど、やっぱり先生に問い詰められて、その上1組のヤツらがあっさりしゃべりやがって・・・、俺たちは全員職員室に呼び出されて事情を聞かれた。俺はサッカー部の顧問にも呼ばれて話を聞かれたけど、そこはブー太郎がおののくほど事情を熱弁したおかげで部活に支障をきたす処分はなかった。
「処分なしって言ったって、今度やったらホントに部活も続けられないぞ。そうでなくても杉山は学年ドべ、はまじは補欠なんだしさ」
「そ、それは関係ないだろ!」
「あるさ。部活停止どころか停学、ひょっとしたら退学かもなぁ」
「そんなのダメだブー!」
「だったらそのブーをやめろ!誰のせーでこーなったんだよ!」
「ご、ごめんよぉ・・・」
職員室で教師たちの延々と続いた説教が終わった後、まだあの部屋から出てこない大野を待って俺たちは廊下でたむろっていた。みんな一緒に入ったのに、大野だけやけに時間がかかってる。なんかあったのか?
「お、出てきた。おーい、大野ー」
「ああ」
職員室のドアを開けて、なんだか不機嫌そうに眉をひそめていた大野は俺たちに気づいて歩み寄ってくる。
「どうしたんだよ。なに言われた?」
「お前らと付き合うなとか、友だちは選べとか」
「はー?なんっだそれ!誰とつるもうがかんけーねーだろ!」
「そう言ってやった」
「言ったのか?先生に?」
「ああ」
「・・・いや、それはどうかと思うなぁ。先生にケンカ売っちゃいけないよ」
「だって頭に来たんだもん」
「きたんだもんってお前・・・」
そりゃ教師だって、入学試験トップを取るようなヤツが学年ドンケツの俺らと付き合って内申や成績を落とされたくないだろう。こんなお世辞にも頭いいとは言えない学校で、大野みたいなヤツは貴重なんだから、大事にしたくもなるだろう。
「お前は?サッカー部やめなくてよかった?」
「ああ、まぁな」
「よかったじゃん」
「よかったよなぁー、杉山にはそれしかないんだから」
「うるせーな。お前には何があるんだよ補欠のはまじ!」
「俺には笑いの神がついてるんだ」
「だからなんなんだよ!」
「ていうか大野もサッカーうまいんだからサッカー部入れば?」
「うーん」
「それいーじゃん、今年の1年にそんないいヤツいないし、入れよ」
そう言うけど、大野はまたうーんとどっちつかずな返事をする。
「なんでだよ、嫌なの?」
「嫌っていうか、練習ほぼ毎日あるんだろ?大会中だけとかならいいけどさ」
「そんなの他の連中とうまくやってけないだろ、センパイだっているのに」
「もめるならいかねーよ。部活に明け暮れてるヒマはないんだ」
「ヒマないって、じゃあ何してんだよ」
「勉強。週4で塾」
「はー?お前塾なんて行ってたの?そんなべんきょーばっかして将来何になるつもりだよ学年トップが」
「何って、船乗りだけど?」
大野があまりにサラッというから、俺は一瞬、何の反応も出来なかった。
「船乗りって・・・、あの船乗り?」
「他のどの船乗りがあるんだよ」
「ああ!そういえば大野君と杉山君、昔ふたりで船乗りになるのが夢だって!」
「あーあー!そういえばまだ大野がいた時、お前ら二人で船乗りゴッコみたいなのやってたよなぁ!」
「やったやった!クラスみんなで!あれなんでやってたんだっけ?」
「俺の送別会でやったんだよ」
「あーそうそう!」
そりゃ、たしかに俺もちゃんとそれを覚えてはいる。
姉ちゃんに夏の制服を借りて船乗りに見立てて、大野と二人でやったんだ。
「ていうかお前、まだそんなこと・・・」
「お前はそんなにサッカー張りきって、プロにでもなんの?」
「え・・・?いや、プロなんてなれるわけないだろ」
「なんで?」
「なんでって、こんな学校からプロなんてなれるわけないって」
「こんな学校から船乗りになろうとしてる俺は何なんだよ」
「・・・お前、本気でなろうとしてんの?」
「ああ。ガキの頃からの夢だから」
「・・・」
夢・・・。
たしかに昔、俺たち二人でなろうと決めた、ささやかだけど強い、約束。
「でもその夢も叶わないみたいだな」
「は、なんで?」
「だって俺の夢は”ふたりで”船乗りになることだから」
「大野・・・」
「なのに、ダレカサンは学年ドべの上にケンカ常習犯だしさ。俺がどんなに張りきって勉強したって、俺の夢は絶望的だよ」
「バ、バカにすんじゃねーよ!俺だって本気出せばなぁ!」
「じゃあ出せよ、本気」
「・・・おお、やったろーじゃねーか!」
俺の口から飛び出た強がりに、大野はふと笑った。
はまじや関口は口だけ口だけとゲラゲラ笑ってきたけど、飛び出た言葉に曇りは一切なかった。
「じゃあ俺もサッカーやろっかな」
「なんで?」
「サッカーもできる船長のがカッコいいじゃん」
こんな頭で船乗り目指そうなんて、バカげた夢もいいとこだ。
けど、なんでかな。
大野が言うと、夢って言葉がやけに、今までよりずっと確かなものに聞こえたんだ。
あの頃・・・
たった小学3年生だった俺と大野が、これっぽっちも疑ってなかったように。
”大野と一緒だから大丈夫だ”って、何も怖くなかった頃のまま。
これから姿を変えていくいろんなものの中で、ただひとつ、変わらないもの。
あの頃の俺たちから、今の俺たちへ。
そして、いつかの俺たちへ、変わらず受け継いでいくもの。
夢。仲間。
大野。
そして、俺自身。
少年よ、大志を抱け! ご愛読ありがとうございました。