今から100年以上前―、人類はある天敵により絶滅の危機を迎えた。
 人間を食らう巨人の出現である。

 残された人類は巨人にも越えられない強固な「壁」を築いた。
 城を中心に据え富裕層の住まう王都を囲む壁、ウォール・シーナ。その壁の外側の領域をさらに囲む壁、ウォール・ローゼ。さらにその外側を囲う先端の壁、ウォール・マリア。高さ50メートルを誇る三重の巨大な「壁」を築くことによって、祖先たちは巨人の存在しない安全な領域を確保することに成功した。

 三つの壁にはそれぞれ、東西南北に突出した小さな町が作られている。15メートルが最大といわれる巨人に対し50メートルの壁を超えることは不可能とされているが、万が一を懸念しても限られた人類に広大な壁の全域を監視・警備することは困難であるため、その解決策として作られたのが各壁の東西南北4か所に突出した町である。つまりは巨人に最初に狙われるように作られたエサの町。その町に巨人の「エサ」となる人間を住まわせることで的を絞り警備を集中させた。町には兵士を駐屯させ安全と経済効果は約束されているが、常に巨人に食われる恐怖と隣り合わせの暮らしであることを覚悟しなければならなかった。

 そうして人類は100年の平和を実現させた。
 人類は限られた領土で人々の生活を保守する「生産者」と、巨人の脅威に立ち向かう「兵士」とに分かれる。
 兵士を目指すものは12歳で訓練兵となり、その後3年間で力と戦術を身につけ、自らの命を賭してでも巨人に立ち向かう兵士となる。
 訓練兵を卒業した後は三つの選択肢がある。王の元で民を統制し秩序を守る憲兵団。壁の強化に努め各街を守る駐屯兵団。そして、犠牲を覚悟して壁外の巨人領域に挑む調査兵団。

 巨人の足音に怯えながらも壁により姿すら目にしなくなった世界は次第に安寧していった。それにより過酷な兵士よりも生産者を選ぶ者が増大した。100年に渡る平和は人々にも兵士にも安心をもたらせ、巨人と隣り合わせの町に駐屯する兵士たちですら脅威を忘れ訓練を疎かにし怠慢な職務をする者も少なくなかった。

 しかし845年……その平和も終わりを告げる。
 約100年の沈黙を破り、巨人は再び人類に襲いかかった。

 その日も世界は安寧な時間を繰り返すのだろうと誰もが思っていた。その地響きをも引きつれた重く大きな破壊音がウォール・マリア南の最前線の街、シガンシナ区を襲ったのはまだ日も明るい午後のこと。一体何事かと町の人々が外へ出てあたりを見渡すと、ウォール・マリアから外へと繋がる唯一の門があるほうから黒い砂埃と灰色の蒸気のような煙がもくもくと空へ昇っているのが見えた。そしてその煙の中から、それは現れた。

「そんな……」
「あ……あの壁は……ご……50メートルだぞ……」

 もう今では誰も見たことのない。
 けれども誰も忘れたわけではない、その存在。

「あ……ヤツだ……巨人だ……」

 その日、人類は思い出した。
 ヤツらに支配されていた恐怖を……。鳥籠の中に囚われていた屈辱を……。

 50メートルの壁をも超える超大型巨人が出現し開閉扉が破壊され大きな穴が空き、分け隔てられていたふたつの領域は繋がり100年の空腹から解き放たれた巨人たちが侵入、人類は再び蹂躙された。響く足音、屋根の上から現れる目、指先でつままれる体、目の前で開かれる口……。シガンシナ区の住民たちは内地へと逃げ惑うもその大半が捕食され、さらにはシガンシナ区から内地へと繋がる門も突破、巨人の侵入を許し、住民は次々に食い殺された。

「逃げるぞ! 早くしないと次々と巨人が入ってくる!!」
「壁の破片が飛んでった先に家が! 母さんが!!」
「エレン! ミカサ!!……」

 壊れた門から入り込んだ巨人は足元に散らばる人間にゆっくりと手を伸ばし掴みとる。
 子を抱えて走る母。うずくまり泣きじゃくる幼子。瓦礫にあたり走れないケガ人。
 手近なものから順に拾い上げ、人間の身体など優に超える大きさの口の中へポイと投げ入れる。

「やめろおおお!!」

 軽くぐと掴むだけで人間の体は軽く折れ曲がり、内臓は潰れ血が噴き出し、口の中に落とされればパキパキと骨を砕いて飲みこまれた。それはまさに、樹になったリンゴにかぶりつくような。川魚を骨ごと噛み砕くような。
 人々は戦った。万が一巨人が入りこんだ時のために戦えるように組織された兵士たちが、シガンシナ区の駐屯兵団も最も実戦経験に富んでいる調査兵団も立ち向かった。けれどもそのうちの何人が本当に立ち向かえただろう。巨人を目の前にして、その圧倒的な大きさと力強さと無残さを前にして闘志を失わない兵士が一体何人いただろう。

 ……そうして100年の平和の代償は惨劇によって支払われた。
 緩んだ当時の危機意識では突然の超大型巨人の出現に対応できるはずもなかった。
 その結果シガンシナ区は陥落。さらには内地へと続く門まで突破され巨人はウォール・マリア内地にまで入りこみやっとの思いで逃げ込んだ人々も、内地に住む人々も、外れにある小さな村ひとつも残さず食べ尽くした。人類はウォール・マリアを放棄。2割の人口と3分の1の領土を失い、活動領域はウォール・ローゼまで後退した。僅かに内地へと逃げ込んだ人々に表情などない。誰もが絶望し、起きた出来事を疑い、可能なら目を閉じ夢にしたかった。人類はまた巨人に食い尽くされる恐怖に毎夜うなされることになった。

 だが……それと同時に人類は目を覚ます。

「よくも、母さんを……」

 迫害され、親や兄弟、愛する者を失い、圧倒的な力と捕食される恐怖を目の当たりにして、それでも生き残った僅かな希望と激しい憎悪で奮い立つ。

「駆逐してやる! 巨人をこの世から……一匹残らず!!」

 絶望に打ちひしがれ、地面にうつ伏し涙を流し、それでも歯を食いしばる。
 業火のような気迫を目に宿し立ち上がる。
 巨人をこの世から消し去り、誰もが持って生まれたはずの自由を奪回し、高く大きな壁の向こうの果てのない大地を夢見て。

 最前線の砦の街、シガンシナ区で生まれ育ったエレン・イェーガーは故郷と母を失い、2年の開拓地勤めの後、第104期訓練兵となる。

 

未知らぬ夜に

Unknown nocturne