愛したいのか、愛されたいのか










11.クレナイ










赤茶けた、水分をからきし奪われてしまったはっぱがパラパラと降ってくる。それを空と一緒に見上げて、ただぼうっとしていた。
病院は静かな雰囲気だと思っていたけど実際めちゃくちゃ静かで、病院なんて嫌いだと思ってたけどまさか、こんなに落ち着いてる自分がいようとは、思いもせず。ただ中庭のベンチに座って、ほんとにもう抜け殻のように、ぼうっとできた。





そんな静けさを蹴破ることも無く、落ち着いた声で私を呼ぶ声が聞こえて、そっちに顔を向けるとシノがいた。


「わ、シノ」
「ちょっとー、大丈夫?穏やかじゃないわねー」
「え、なに、なんで?」
「郭に聞いた。1週間も休むから絶対風邪じゃないだろーと思ってさー、問い詰めた。詳しくは聞いてないけど」
「あー、そっか、ごめん」
「なにがよ」


がさっと落ち葉を踏みつけて隣に座るシノは、私の病院服の下の包帯を見てまたはぁとため息を吐いた。
あ、重い。ため息重い。


「で?どうなの、傷は」
「うん、10針縫った」
「10針ぃ!?」


ノンキにクルックーと鳴いていたハトたちが、シノの声に驚いてばさばさっと飛んでいった。私も久々にそんな大きな声を聞いて、今更ながらに「そうか、10針は酷いのか」と当たり前の思考を取り戻す。どうもあいつと一緒にいると、何が当たり前かとか普通かとかがわかんなくなる。

ベンチのすぐ後ろに立ってる樹からはらはら乾いた葉っぱが落ちてくる中、何から話せばいいのか判らなかったけど、シノがあったことをそのまま言えばいいとゆっくり聞いてくれたから、頭の中を一週間戻してひとつずつ、口に出してみた。聞けば聞くほどシノの顔が曇っていって、なんだかこっちが、申し訳なくなる。


「それってさぁ、結構ヤバイんじゃないの?」
「そう?そうかな、ヤバイ?」
「そりゃそーでしょーよ!大体ナイフとか・・・、てかアンタ何言ってんの?その子もその子ならアンタも・・・、あーもぉ!バカだねこの子はっ」
「う、バカときましたか」
「アンタ自分が何されたか判ってる?アンタは人形じゃないんだよ?判ってんのこの頭は!」


ううっ、久々のシノのお説教は心臓と腕の傷に響くよ・・。
でも、イヤじゃない。シノの言葉は。私を思ってくれてる。


「ねぇシノ、聞いてくれる?」
「なによ、全部いいなよ」
「あたしさ、英士君がすきなのね」
「え?郭?」
「うん。でもね、なんか、潤慶の手が気持ちよくて、とろんてなっちゃってさ」
「・・・愛されてるっていうよりそれってただの束縛でしょ、かなり歪んださ。病気。アンタもその人も」
「うん、でも、気持ちいいって思っちゃったよ、シノ」


私、またおかしくなっちゃったのかな。
それとも、呪われてるのかな。

歪んでても、病んでても、愛されてるって思っちゃったんだ。
私は。









「ユン、ユンいるんでしょ」


潤慶の部屋のドアをノックして開けると潤慶がいて、振り向きながら「おなかすいた」と呟いた。そんな姿にため息が出る。


「何そのため息」
「何でもいいよ。俺今から病院行くけど、一緒に行く?」
「行かない。何か作って」
「自分でやれ」


またはぁと重い息をついて、部屋から出て行くと潤慶もついてきて、仕方なく冷蔵庫をあさって卵を取り出した。鍋の中で水がぐつぐつと煮立つのを見つめて、潤慶は何を思ってるのか卵をじっと見つめる。


「ねぇ、そろそろ言ってよ。何があったの?」
「・・・」


両手に持った卵を目に当てて潤慶は、「ウルトラマン」なんてふざけるものだから、卵をその額にごちっとあててやると割れてしまった。また、深く深くため息を吐く。


「ほんとに、どうするのさ、あんなことして。ったく・・・」
「俺さぁ」
「なに」
「最近普通だったと思う」
「は?普通って?」
「ヨンサとここ住んで、普通だったよね、俺。でもヨンサはここだけにいなくて、ここに来るヤツもヨンサをつれてくヤツも全部邪魔だったんだ。ヨンサ以外、要らなかったんだ」
「・・・」


落とせば簡単に割れる卵を指先で弄んで、落とす真似をしては、受け止める。


「でも今は、ちゃんが欲しい」
「・・・ユン、人はものじゃないんだよ」
「絶対、欲しいよ・・・」




・・・誰か、普通というものを、教えて欲しい。
当たり前というものを、与えて欲しい。

なんでこんなに、苦労しなきゃいけないんだろう。
私たちは、当たり前が欲しかっただけだよ。

ただ、落ち着ける場所が欲しかっただけ・・・




シノが帰っていったあともずっと外にいたら看護婦さんに中に入れと言われてしまって、仕方なく庭の見えるロビーでぼっとしてたら英士君がやってきた。おみやげにプリンを買ってきてくれて、一緒に食べた。


「海、見たいなぁ」
さん海好きだよね」
「うん、好き。広いし、おっきーし。なんか歌のまんまだけど」
「でもわかる」
「見てるだけで頭の中すっきりするしさ、わーって叫びたい気になってすっきりして、素直になれる感じで気持ちいい。波が荒れると興奮するし」
「ああ、最初に海行ったときもいきなり飛び込んでたしね」
「あはは、うん、なんかね、野生の血が騒ぐって感じ?たまんない」
「今度別のとこの海行こうか。遠くのほうの」
「え、ほんと?いきたーい!」


海行こうか。
いつか聞いた英士君のその言葉。
あの時も今も、英士君の声って、かわんない。

いやったぁと騒いでると英士君は「じゃ早く治さなきゃね」と言って、もう帰るというので外まで見送った。いらないと英士君は言ったけど、行きたかった。英士君の隣を歩きたかった。だって貴方の隣は本当に心地いいの。


「痛かった、よね」


外に出ると英士君は、少し真剣な顔をして言った。


「ごめん、って俺が言うのもアレだけど、潤慶のやつどっか行っちゃってさ。理由とかも何もいわないからわかんないんだけど、二人の問題なら二人で話したほうがいいのかとも、思うし。でもユンはやっぱ、あんなだしさ」
「・・・」
「だから、あんまり気にしないで・・って言っても無理だとは思うんだけど、忘れたほうがいい・・・っていうのも、アレだね。えーと」


らしくもなく言葉が纏まってないけど、とりあえず慰めたいらしい。この人は。


「大丈夫だよ、私。熱で寝ちゃってたから運ばれてるのもわかんなかったし。それに、恨むとかないし、むしろしあわせだとか思っちゃってたし。シノにおかしいって言われたんだけど」
「・・・。さん、ユンのことどう思ってる?」
「どうって・・・。くっつけばいいと思ってる?」
「あ、いや、そーゆーわけじゃ」


私は英士君の隣でこんなにも心地いいのに。
今の英士君はなんだか、居心地悪いみたい。


「どうってべつに、嫌いじゃないし・・・普通」
「・・・うん、ごめん」
「英士君は結局誰がすきなの?」
「え?」
「あの夜ミチルさんのところに行った?」
「・・・」
「行ったんだ?」


やだ、あたし・・・。
こんな問い詰めるようなこと言って、押し付けるような言い方して、ほら、英士君困ってる。英士君困ってるよ、困ってる。やめなきゃ、やめなきゃ・・・


「行ったんだっ?」
「うん、行った」


うわ、・・・


「そ、か!あ、もうごはんの時間だから戻らなきゃ、じゃあねっ」
さん」
「面会時間すぎてるし、なんか寒くなってきたし」
「ねぇ、」
「来てくれてありがと、シノにも、教えてくれてありがと!大丈夫って言っといて、あとユンにも、」


心地いい貴方の隣から、抜け出そうとしてる私は、心底おびえていて、いつまでも変わらない英士君の「さん」が、ただでさえ寒くて痛くなってきた耳にもっと痛く刺さって、

なのに、英士君は、静かな目でじっと私を見つめて
何もくれないくせに、こうやって会いに来て、やさしさをかけて


さ、」
「英士君のバカ!」


せめてもの、抵抗だった。それでも私はもっと、もっと英士君に、痛みを押し付けたくて堪らなくて、英士君の胸にどんっと頭を押し付けた。

ううん、ほんとは、涙を堪えられなかっただけ


「・・・っ」


なのに、なのに、こんなときでも貴方の胸の中は、
なんて、深い、あたたかさで、・・


「なんでっ、なんで、好きになってくれないのっ・・・、なんで、ミチルさんなの?なんで私じゃないのおっ・・・?」
「・・・」
「なんで、私じゃだめなの、・・・ミチルさんにも、誰にも取られたくないのに・・・」


ぱらぱら、ぱらぱら、

枯れた葉が崩れるように、舞い散って、堕ちて、


「なんで、私を好きになってくれないのおっ・・・・・・」


はらはら、はらはら、熱い涙と想いが不躾に、流れていった。
すごくみじめだった。


泣きついたって、すがりついたって、この人の心はほだされてなんかくれない。私と違ってこの人は、ちゃんとした人だから、絶対にその腕を私に回してなんかくれない。そこでじっと、私の思いを聞いて、それだけ。

それでも私は求めずにはいられなくて、
何もかも受け止めて欲しい、離れていかないで、私を見て、って、・・・


私、英士君の隣にいたかったの。

それだけだったの。












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