また、この手を、離せない





12.オータムウインター









英士君が来てくれた日の夜、看護婦さんに退院の日にちを言い渡された。ちゃんと包帯替えていれば通院だけでいいんだそうだ。

・・・退院。
うれしいんだかうれしくないんだか。


「・・・」


玄関の前で私は立ち尽くしていた。入院してた間の荷物はそう多くなかったのに片手で持たなきゃいけないとなると思いのほか腕は疲れて、どさりと玄関の前で下ろしてもまだドアは開けれなかった。

だって、どんな顔して入ればいい。英士君にあんな醜態を晒しちゃったあとだよ。・・・入りづらー。

なんてことを思ってドアの前でうんうん考えてると、急に中から玄関のドアが開いた。そのドアの向こうから英士君が顔を出して、ドアのすぐ向こうにいた私を見てうわっと大きく驚いてのけぞる。


さん、びっくりした、急にいるから・・・。退院今日だったの?何で言わないの」
「・・・」
「一人で帰ってきたの?迎えにいったのに」
「大丈夫っぽかったから」


私のカバンを掴んでドアを開け迎え入れてくれる英士君は、私が思っていたような気まずさなんて微塵も思わせなかった。まるで他人の家に入るように(いや他人の家なんだけど)すごすごと入っていくと、玄関に潤慶の靴がなかった。


「潤慶は?」
「ああ、いない。帰ってこないんだ」
「・・・」
「女の子の家泊まり歩いてるらしいけど」


ずかん!と段差で躓いて前倒れそうになったところを英士君に掴みとめられた。さすが英士君。傷ついた腕とは別のほうをナイスキャッチしてくれた。

気を取り直して中に入っていくけど、”潤慶がいない家イコール静か”なので、会話がないとこれまた、静か。会話が続かないあたり、やっぱり微妙な空気の流れが、あった。

とにかくお風呂に入りたい私はそのまま洗面所に向かっていくと英士君が「ちょっと待って!」と焦った様子で私を止めたけど、それはもう遅く、私はばっちり目に収めてしまった。その、洗濯物の山を。


「やる」
「いいよ、俺やる」
「いいよ、自分のもあるし」
「無理でしょ」


できるってば!そう洗面所のドアをバタンと閉めて洗濯機の中に服を詰めて洗剤をかけいれて回す。そのたびにやっぱり腕は痛む。片手でもたもたと服を脱いでお風呂にお湯入れて、そのたびやっぱりうぎゃあと悲鳴をかみ殺して。

そうしてるとお風呂場のドアがバタンと開いて、あろうことか、英士君がお風呂場に入ってきた。


「ぎゃ!なに!なんなの!」
「頭下げて」
「いい!いいよやめてよ!!」


ひぃっと全身に鳥肌たった身体を隠し叫ぶけど、英士君はお構いなしにシャワーを私にかけてシャンプーを手にわしゃわしゃと私の頭を洗い出した。

あああもううわああああ!!

お風呂から上がると髪まで乾かしてもらって、恥ずかしさのあまり半泣きの私とこれまた恥ずかしさを隠してるのか目を合わずなぜか怒ってる英士君との間におかしな空気が流れる。


「おやすみ!」
「おやすみっ」


部屋に駆け込んで、ひたすら朝を待った。
もう、なんで二人きりなの。なんで潤慶いないの!
ああもう嫌だ嫌だ、早く朝になってよー!!









さん早く、遅刻するよ」
「んー、先に行ってー」


待ちに待った翌朝。早速学校に行くことにした私はもうすっかり学校の日常を忘れていて、教科書を揃えることすら困難を極めた。しかも片手だからすぐに落とすし上手く入れられないし。四苦八苦して時間割を合わすと「持ってくからね」と英士君が私のカバンを持ってってくれた。

その英士君を追いかけて急いで玄関に走り靴を履いてると、ふと、黒い靴を見つけた。

うわ、潤慶帰ってる。
・・・しかもすごいいびき聞こえる。(寝てやがんのかあいつ・・!!)いいやもう、顔合わせると長いし、さっさと行こう。どんな顔すればいいかわかんないし。


学校に行くと案の定、通り過ぎる人みんなに「ひさしぶりじゃーん」と声をかけられた。そりゃそうだ、学校も10日ぶりくらいだから。机の上には私のカバンが置いてあって、英士君も窓際の机で、いつものみんなと一緒にいる。そうだ。これが学校での日常だった。教室の匂いも黒板の色も先生の挨拶もみんな今までと一緒だ。(朝一の数学も、な・・・)


それにしても、潤慶が帰ってるとは。あれだけ爆睡してるなんて、まさか朝帰りじゃなかろうな・・・。
時計を見ると、潤慶がいつもなら学校に行く時間になってた。
もう、起きたかな。今頃何してるかな。
今頃・・・


「・・・」


・・・あれ?


「何この声」
「え?何が?」
「誰か叫んでない?」
「こら授業中だぞ、静かに!」


クラス中がざわざわしだして、みんながどこかから聞こえる叫び声に耳を澄ましだした。私はその声を誰よりもいち早くキャッチしてて、しかも、なんだか聞き覚えがあって・・・、いや、聞き覚えも何も・・・


ちゃーーーああんっ!・・」

「・・・なっ、」

「おかえりぃぃいーー!ちゃーーんっっ!!」


窓辺の英士君が頭を抱えてた。私は血の気が引いてみんなの視線中で窓の外を見下ろし立ち尽くした。太陽のようにきらきら笑う潤慶が、校舎前のグラウンドのど真ん中にいた。




にっこにっこにっこにっこにっこ。
寝起きの格好のまま寝癖つけたまま、潤慶は異常なくらい笑顔だった。みんなの前から駆け出して潤慶と学校の裏庭まで走り続けたから汗だくだく息ぜぇぜぇなだけに、余計疲れる!


「なにを、しにきたのかなぁあ?」
「会いたかったよハニー。あんまり離れてると僕たちのハートのタイムリミットが切れて爆発しちゃうんだよ」
「・・・」


あ あ つ か れ る!


「ヒドイじゃんちゃん、俺がいない時に帰ってきて寝てる間に学校行っちゃってさ」
「アンタがいなかったんでしょ。お見舞いにも来なかったくせに」
「だって俺病院の匂い嫌いなんだもん」
「・・・さようですか」


英士君とは大違いだ。まったくこいつは。何考えてんのか全然わかんないし、私のことを何も気にかけてない感じもするし。なのにニコニコ笑って「おかえり」って、「ちゃん」って、愛しげに言うし。(だからなんで手つなぐのっ)

・・・ああ、ダメ。こんな潤慶にだまされちゃ。


「さ!教室戻ろっかな」
ちゃんまだヨンサがすきなの?」
「は、・・・」


きゅと、潤慶が繋いでた私の手に力を入れる。


「ミチルと寝たのに?」
「!」


カッと頭にきて、その手を振り払った。
この人、そんな優しく笑った顔で、何でそんなことを平気で言うの。


ちゃんが怒った」


笑って言う潤慶の言葉にまたムカッときて、でも潤慶がぐいっと私の手を引っ張って、地面に引っ張り込まれ落ち葉の海に倒れされた。校庭に並ぶ木から舞い落ちた枯葉が私たちの身体を受け止めて、でも私の腕にはビキッと痛みが走る。


「いった・・・」
「葬式ゴッコしよ、ちゃん」
「はあ?」


私の身体に覆いかぶさる潤慶が上から笑顔を降らす。また意味の判らないことを言う潤慶は、今度はごろんと隣に仰向けに寝転がって身体の上で両手を組み合わせた。


「なんなの、意味わかんないよ」
「僕は死人です。埋葬してください」
「・・・」


茶色い枯葉のベッドで寝転がる潤慶が、目を閉じて、口も閉じる。
・・・おもしろくない。
起きない潤慶の上で呟くけど、潤慶は目を開けなくて。動かなくて。

仕方ないから地面を埋め尽くす枯葉をがさりと手に集めて、潤慶の身体の上からはらはらと降らせてあげた。ぱらぱらぱらぱら、乾いた音が潤慶に降り注ぐ。


「・・・私が殺したの?」


かさりと堕ちる葉の音の合間にそう、呟くと、潤慶は一度目を開けて私を見上げ、少しじっと見つめた後で、また閉じた。

潤慶の顔から色が、引いていくような気がした。潤慶の心臓が次第に、その音を小さくしていく気がした。潤慶の身体がだんだんと、冷たくなっていく気がした。


ほんとに死んでるみたい


ふと、潤慶に手を伸ばし頬に触れようとした瞬間、突然潤慶が起き上がって私の身体を押し倒した。がさっとまた枯葉の上に身体を倒して、上から押し付ける潤慶がぎゅっと口唇も押し付けた。

枯葉が待って、冷たい空気が空から落ちてきて、潤慶の身体はまさか、冷たくなんかなくて、その力任せの口唇を口から首筋に落としてぎゅっと手に力を込めてくる。


「ユン、ちょっとっ・・」
「・・・」
「やっ、めてよっ!」


ぐいと潤慶の身体を押し離して起き上がろうとすると、地面についた左ひじからズキンと痛みが突き抜けた。

もう、意味がわからない。
潤慶は、わからなさすぎるっ・・・


「ユンはっ、いつも勝手ばっかりじゃんっ。押し付けるばっかりで全然私のことわかろうとしないじゃんっ!」
「でも俺、ちゃんが欲しい」
「私はユンのものにはならない!」
「欲しい」
「・・・」
「絶対、欲しい」


冷たく乾いた空気に舞い降りたその言葉は、逃げ場が無いほどに突き刺さる。まっすぐ見つめる目も刺さる。


ちゃん、俺のこと好きになって」
「あ、あたしは・・・」
「俺はちゃんが好きだよ。俺のこと好きになって。ね?」
「・・・」
「ねぇ、ちゃん・・」


私は何も言えなくて、何も言い返せなくて、
何か言わなきゃ、突き放さなきゃ、立ち上がらなきゃ、って、わかってるんだけど・・・


「俺、どうしたらいい・・・?」


ふわっと、潤慶の頭が私の肩に落ちて、その香りが、秋と冬の合間と、私を包む。


「どうすればいいのか、わかんないよ・・・」
「・・・」




腕が痛い。

ううん、いろんなとこが痛くて、・・・いや、痛くないかもしれない。
なんか、麻痺してる感じで、痛みなのかなんなのか、もう、わかんない。


でもどうしてもこの、すがるようにもたれてくる身体を、押し離す力が沸かない。














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