やっぱり地球は、青かった







02.リメイク










空が青いとか、雲が白いとか、夏が暑いとか。
ただそれだけで嬉しいんだってことを思い出した気分だった。


みんな半袖の制服なのに、私一人長袖ジャージで、しかもそれが男子色で目立ちまくってたけど、私はそれよりも、ブラジャー一枚の上にジャージを着てることのほうが妙にドキドキした。

太陽の匂いと、土の匂いと、郭君の匂いがした。


学校帰り。ずぶ濡れの制服を構わずカバンに突っ込んで、鼻歌奏でてスキップまでする自分は一体何者かと思うほど。でもそんな自分が懐かしかった。昔は私だって、こうして普通にスキップしながら帰り道を歩いてた。一つ年を重ねるたびに心も身体も大人に近づいている気でいるけど、まだスキップできる自分も残ってたんだ。


「ただいまー」


ガチャっと鍵を開けて靴を脱ごうとすると、玄関に並んでたのは兄貴のきったない靴と、真っ赤なヒール。
ああ、まただよ。


「妹帰ってきた」
「もーまたぁ?ねぇ、いつになったら決めてくれるの?」
「まーぼちぼちな。ほら帰れって」
「んー」


この真っ赤なヒールから部屋の奥まで、甘い匂いで道が出来ている。玄関から中に足を進めることもできずにその場で待っていると、中から足音が近づいてきて、綺麗な女の人が顔を出した。


「おかえりー」
「・・・ども」


じろーっと私を見つめるその目は、とてもおかえりなんて顔色には見えない。きっとこの人からしたら私は、・・・目の上のたんこぶ?ちょっと違うな。

甘い匂いの元凶と共に赤いハイヒールが玄関を出て行くと、ようやく部屋の中に一歩を踏み出せた。しかし部屋に入れば、甘い匂いの代わりに現れるのはかすみ目かと間違うほどの煙のジャングル。煙草の匂いなんて、もう慣れたものだけど。


「兄貴」
「俺今から仕事だから、鍵閉めろよ」
「ねぇ」
「なんだよ」


お世辞にも綺麗と言えない部屋の、隅に山積みされた服の中から兄貴がシャツを引っ張り抜く。この部屋は、兄貴の部屋だ。表の表札も兄貴の名前。置いてあるものの大半も兄貴のもの。(その癖家事をするのは私)
しょうがないと判ってる。私はまだセーラー服を着てて、兄貴は毎日仕事に出る人。


「あたし、ここ出たいんだけど」


一度も私を見なかった兄貴が振り返る。


「なんだそのカッコ。このクソ暑いのに」
「・・・。ずっと思ってたんだけどさ」
「頭濡れてんな、ホテル帰りか?」
「出てきたい。兄貴だってその方がいいでしょ」


どっちも合わそうとしない会話に、兄貴はふーっと細長い煙を吐いた。

だって、さっきの人だって兄貴と一緒に住みたがってるみたいだし。いつもいつも痛い目で見られるのも、聞いてない振りするのも疲れるし。兄貴は兄貴であって、別に保護者じゃないし。


「がっこーだってさぁ、べつにやめても」
「高校くらい出とけ。おまえバカなんだから高校くらい出とかねーとお先まっ暗だ」
「・・・。んー、でもサ、そのほーがお互いの幸せのためってゆーかー、」
「何がお互いの幸せだよ、バカじゃねーの」
「・・・ソウデスネ」


バカが本当か冗談かはさておいて、今の時代それくらいないとマトモな職にもつけないらしい。別に私はマトモな職じゃなくてもいいんだけど、兄貴はそれだけはずっと言う。まるでこっちの言い分を聞いてくれない兄貴は、煙草を押し消して「はぁーあ」とわざとらしいため息を漏らして話を切った。


「でもさ、」
「テメーの責任も取れないクセにナマイキ言ってんじゃねぇよ。寝言は寝て言えバカ」


見下したような顔をして、兄貴が部屋を出て行く。

あの背中がどうにもこうにも、ムカつく。
なによ保護者ヅラして、親でもないクセに、ちっきしょ・・・


「だからさっさと見放してくれていいって言ってんの!高校はねたって死にゃしないよ、面倒見てなんて誰も頼んでないっつーの!親だってあんなあっさり見放してくれたんだから・・」


バシッ・・・

突っかかった私を、兄貴はひっぱたいた。


「そーゆーとこがガキだっつってんだよ」
「・・・」
「殴り返したけりゃ返してみろよ」


ほれ。兄貴が顔を突き出してくる。
ムカつく。ムカつく。誰に殴られても泣かない自信はある。のに。

でも殴り返すどころか何も喉を通らず、結局私は家から飛び出ることしか出来なかった。それがまた、自分でもガキくさいと、思い知らされるばかりで。


「・・・ふぅ」


って、違うよな。
嫌なことは、我慢するか、自分で変えるか、しなきゃダメなんだ。それを決めるのも自分で、だからガキだのバカだのいわれるのかな。セーラー服が憎い。(って、今はジャージだけど)(いや、ジャージも憎い)(あ、これは郭君のだった)


「なんか濡れた人がいる」
「・・・」


まるで背中を氷で撫ぜられたような感覚に素でひやっとした。声も出せずに驚いていると、隣で郭君が「や」と手を上げてる。


「な、な、」
「今までサッカーしてて。学校帰り。そしたらさんが見えて」
「あ、ああ、」
「とっくに帰ってったのに、こんなとこで何してんの?」
「や、」


咄嗟に家から飛び出て、気がつけば学校の近くにいたなんて、自分の行動範囲の狭さが切なくなる。なんとかうまい言い訳をと必死にない頭を動かすけど、郭君はあっさりと「べつにいいけど」と言って、何も答える必要がなくなった。


「・・・あ、ゴメン。ジャージ借りたまま」
「ん?まぁ今は使わないし。てゆーか暑くないの?長袖」
「暑い」
「うん、見ててもなんか暑いし」


いくら夏本番は去ったとはいえ、長袖で、無駄に感情を高ぶらせてしまって、その上全力疾走してしまってジャージの中はひそかに汗でだくだく。洗わなきゃ返すに返せない。


「・・・」


特に続ける会話が思いつかずに郭君の様子を伺ってると、どうやら郭君も私の何かを待ってるようで、結局何も言葉が交わされなかった。私はまた頭の中で「えーとえーと」と話題を探して、そしてふと、あるものを思い出す。


「あの、さ」
「ん?」
「・・・・・・海、連れてってくれるって、いった?」
「うん、いった。こんだけ暑いと行きたくない?」


かなり勇気を振り絞って言い出してみると郭君はあっさり返して、私はパッと表情を明るくした。いやいや、そんな単純に喜んでどーする。すぐさま顔を元に戻して、落ち着いてる様相を保って、内心思いっきりワクワクしてるのを押さえ込んで「いつ?」と聞き返してみた。


「いつでもいいよ」
「・・・いつでも?」
「うん」
「いつでもって言ったね?」
「うん?」








波が砂浜沿いの岩を叩きつけて、弾け飛ぶ。


「うわ、すごい荒れてる」


潮の匂いが世界全体を包んでいるようで、とぉーくのほうに見えている対岸の島はいつになく見えてるのに青い海は怖いくらいに逆立ってる。でもその力強さがまた、活気と生命力に溢れててこっちまで気分を駆り立てられるのだ。


「スゴイ!」
「でもちょっと危ないかも」
「スゴイスゴイ!カッコイイ!」
「・・・カッコイイ?」


きゃー!っと盛り上がってしまった私は、靴下も靴も脱ぎ捨てて砂浜を海へ向かって駆けていった。後ろで郭君が止めるような声がしたけど、今の私を止められるものはもう何もないと思う。ざっぱんざっぱん襲ってくる波に逆らって海へ入って、スカートと下着が濡れるのも気にせずに海水の中を駆け巡ったのだ。

ものすごく気持ちよかった。暑い中、海水も微妙にぬるかったけど進むほどにやっぱり海は冷たくて、足の先から熱を下げる。郭君もこればいいのに。そう思って後ろを振り返って手を振ると、その隙を突かれて後ろからざっぱーんと波にさらわれてしまった。


「・・・さん?」


波が荒かった。近くに船が見えたし、ぬるいながらに風も強かったし。


さん」


郭君は、波以外何も見えなくなった波打ち際を見つめて、走り出した。靴のまま波を踏みつけて、ざぶざぶと水の中へ入っていく。


さん!さ・・」
「ハーイ!」
「!」


郭君の足元からざぶーんと手を上げながら登場すると、郭君はビクッと驚いてこけそうになった。


「も、溺れたかと思ったよ、あービックリした」
「ひく〜く泳いでたー。かなりマヌケな格好で」
「泳いでたーって・・・」


額を押さえる郭君は呆れたような安堵したような顔をして、また、私の頭をがしがしっと撫ぜた。


「ビックリさせないでよね」
「・・・」


ほ、と小さく息を吐いた郭君の顔はやけに真面目に見えて、ああ、私がずっと見てた顔は、この顔だと、思った。


「頭、痛いんですけど」
「わざとだよ」


はは、と笑って、郭君は水をたっぷり吸い込んだ制服のズボンを引きずって浜へ上がっていく。

ざざん・・・ざざん・・・

波は、さっきまでよりもずっと落ち着いて見えた。


「・・・」


それ以上に騒ぐ胸の内がここにあって、青い空も、青い海も、暑い太陽も、激しい夏も、どれも適わないんじゃないかと思った。


















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