海の音で、目が覚めた






05.ストレイキャット










すっと目を開けると白い天井が広がった。
うちの濁った天井とは違って、綺麗なオフホワイト。寝かせてもらったベッドも私のベッドより大きい。むくっと起き上がって天井や壁をぐるりと見渡すけど、この部屋時計がない。どこだよ時計、とぐるぐる部屋中を見渡していると、突然壁の向こうから爆発的な音量の音楽が聞こえてきた。おおお、なんだか判らないが寝ざましにこの爆音は頭に響く・・・。

よたよたと部屋を出ると、音楽はさらに大音量で聞こえる。(かかってる部屋の中はどんな大音量なんだ)どうやら音源らしい廊下の一番奥の部屋はドアが開いていて、ピタリと音楽がやんだ。開いたドアから中へ顔を覗かせると中には郭君がいて、ベッドの上に乗りあがっている。


「あ、ゴメンさん、起こしたね」
「ううん」
「ゴメンついでにちょっと手貸して」


ベッドの向こうのステレオを止めたのはどうやら郭君のようだ。その郭君は真っ白いベッドの上でふとんをばさっとめくり、その中から猫のように包まった従兄さんが現れた。


「ユン、起きろ」
「んー・・・止めないでよヨンサ・・・」
「じゃあ起きな」
「ぐー・・・」
さん、こいつ起こすの手伝って。ていうか引きずり出して!」
「・・・」


引っ張ろうが叩こうが起きようとしない。(あんな近くであれほどの爆音が流れてても寝るか・・・)そんな従兄さんを無理やりベッドから引きずり出す郭君に手を貸して、ずるずるとリビングまで引きずっていった。

・・・そうだ。きのうはここに連れてこられてそのまま部屋のひとつを借りて寝かせてもらったから忘れてたけど、この人もいたんだった。ていうかあたし、郭君ちに泊まっちゃったんだなぁ。


さん、シリアルでいい?あんま食べるものなくてさ」


なんとか従兄さんをリビングのテーブルに座らせるけど、まだしつこく寝てる。(名前、なんだったっけ・・・)その奥で郭君は朝食を用意してくれていて、出しっぱなしになっていたいつかのおかずの異様な匂いに鼻を曲げていた。


「あ、あたしいいよ。一回家に帰るし」
「間に合うかな、学校行くでしょ?」
「どのくらいかかるっけ」
「バスで15分と歩いて20分くらいだったかな」
「うわ!じゃあ急がなきゃ」


もう7時半だし、今から家に帰って着替えて学校行くとしてもギリギリ。バタバタと急いで家を出て行こうとする私を、郭君が「待って」と呼び止めた。


「その格好で行く気?」
「あ・・・」


私はきのう家にいためちゃくちゃ部屋着のままで、下着に近いワンピース一枚きりだった。改めて見れば郭君の前にこんな格好でいるのもどうかと思うのに、外なんて、歩けない、か。


「着ていきな」


ばさっと投げよこされた服が頭からかかって、それに袖を通すといってらっしゃい、と郭君に見送られた。









玄関をそっと開けると、廊下の突き当たりのドアの向こうでテレビの音がしてた。ドアを開けてそっと顔を覗かせると、中にいた兄貴とバッチリ目が合った。なんかかなり気まずくて、どんな顔で帰ればいいのかとビクビクしてたから変な顔をしてたと思う。


「どちらさん?」
「・・・」
「うちの手のかかる猫は身勝手に昼寝してつまみ食いしてマーキングして帰ってこない野良になりましたけど」


ぐっはぁムカつく・・・。でも、出て行きたいと言ってもそうさせてくれなかったここから、本当に勝手に出て行ったのだから。


「もっと怒ってるかと思った」
「わかってんなら面倒かけんなよ」
「面倒って?」
「・・・。お前のそのヘンなとこ世間知らずなバカがムカつく」
「ハイハイ、私はバカですよ」


投げやりに言うと、兄貴がべしっと私の顔に向かって何かを突きつけた。その手が離れて目の前を見ると、それは何かが入った白い封筒。


「何これ」
「言っとくけどな、不用意にガキなんか作んじゃねーぞ。俺ぁ責任とらねぇからな」
「またそれー?」
「バカお前、冗談じゃねーんだぞアレ」
「何か身に覚えでも」
「じゃー俺はもう仕事に行く」


無視しやがった。(あるなこいつ)


「あ、兄貴、帰りにまた荷物取りにくるからね」
「きのうのヤツとか?」
「・・・一人でくるよ」
「ふぅん?」


そう、兄貴は何かを含むような言い方をして、私をジッと見つめた。なんだろうと思ったけど、私が思いっきりきのう郭君が着ていた男物のシャツを着てるからだ。兄貴はそんな私の頭をがしっと掴んで横にどかせ、玄関に出ていった。兄貴が渡した白い封筒の中身は、私名義の貯金通帳だった。


兄貴にとって私はほんと、手のかかる可愛げのない身勝手な猫みたいなものだったのかもしれない。優しくなんてなく、包容力なんてものもなく、でも大きな兄貴の手が私の頭をガシッと掴むように置かれる時、本当にそう思う。

あの手は、嫌いじゃない。
兄貴だけだった。触られて嫌じゃない人は。


「・・・」


そういえば、郭君の手もあんな感じだったかな。
(まさか、捨て猫拾う気分で私を・・・)









チャイムを聞きながら学校に駆け込んだ私は、結局遅刻してしまった。廊下で会ったシノが「こないから休みかと思ったよ」と寄ってくる。


「どうしたの?」
「うんー、寝坊しちゃった」
「ふーん、ごはん食べてきた?」
「食べてない。冷蔵庫漁ったんだけどなんもなくてさー、バナナ一本食った」
「バナナかよ」


二人で話しながら歩いて、教室に入ろうとするとちょうど出てきた人とぶつかりそうになってひやっと後ずさった。ごめん、と咄嗟に言ってくれた人は郭君で、二人で「あ」と同調して声を出した。


「やっぱ間に合わなかったね、ていうか鍵とか持ってたの?」
「え!えー、あー」


何の疑問もなくサラリと話し出す郭君に、隣のシノが不思議そうな顔をしてる。うわわ、お待ちになって!まだシノにさえ話してないのに!(きのうの今日で誰に話せるはずもない)


「何で来ないんだろうと思って、まさかお兄さんと何か」
「あー!あたしお花に水あげなきゃー!って教室に花なんてないしー!わはは!」
「え?」
「今日の日直だれかな!」
「えーと、林」
「っへー!今日はいい日だからね!きっといい一日になるネ!!」


郭君!
なんとなくなんとなく、このことはナイショに!!

笑顔で訴える私の気持ちを察してくれたのか、郭君はポカンとした笑顔で一緒に笑ってくれて、シノだけがヘンな顔を浮かべてた。教室の中に戻っていった郭君が日直の林くんを捕まえて「今日はいい日らしいよ」とかなんとか言ってる後ろで、私も教室に入って1時間目にあった現国のノートを見せてもらうようシノに満面の笑顔で頼む。


「げげ、こんなにあんの?」
「うんなんか今日多かったのよネ」
「うわーん」
「なんか親しげに喋ってたね、郭と」


そのままノリと流れでやり過ごそうとしたのだけど、やっぱそうはいかなかった。真正面に座ってるシノは机に頬杖ついていつもの静かな目で聞いてくる。


「うん、こないだちょっと、喋ってね」
「フーン。そこ、字違うよ」
「おっとぉ!」
「郭のこと好き?」
「!」
「顔赤い」


あまりに自然な会話の流れにあってるようなあってないようなな言い方でシノが問うから、思わず赤面してしまった。他の子みたくぎゃーぎゃー騒がれればノリと勢いでやり過ごせるけど、シノの雰囲気はなんか、やり過ごせないんだ。静かに見透かすような目で見てくるから嘘つけないし、そもそもシノには、嘘つく気ないし・・・。

いつかは、言うよ、ちゃんと。
お、落ち着いたら・・・・・・。



その日の学校が終わり、私はまた荷物を取りに家に戻らなきゃいけなかった。なるべく多くないようにしようとは思うけど、着替えとか学校のものとかだけでも結構ありそう。そう、窓の外の太陽の威力にも若干の汗を感じている私に「さん」とあの、郭君の声が届いた。


「一緒に・・・、あ、べつべつに帰る?」
「あ、あたし今から家に荷物取りに行くから」
「そのまま持ってくるの?送ればいいのに、重くない?」
「大丈夫、そんなに持ってこないから。(そんなお金ないし)」
「じゃあ俺も一緒に行くよ」
「えっ」
「ひとりじゃ無理でしょ」
「いーよいーよ!大丈夫だよ!全然平気です万事おっけー!」


確かに朝軽く集めてみただけでかなりの量で正直辛いけど、でも私の我侭で住まわせてもらうのにそこまで迷惑かけられない。本当かなり辛いだろうけど、辛いんだろうケド・・。


さん」


しきりに平気だと言いはる私に向かって、郭君が綺麗に笑いかけた。


「一緒に行くよ」
「・・・」


なんか、見透かされてるなぁ・・・。

結局一緒に来てくれて、アパートの前で待っててくれる郭君は「ゆっくりでいいよ」なんて言ってくれて、つくづくいい人だった。かき集めた荷物はどうやってもてんこ盛りになってしまって、カバン3つを担いで郭君の待つ場所まで引きずるように持って行くと、やっぱりけっこうあるじゃん、と郭君は一番大きいカバンを持ってくれた。


「あ、鍵閉めてくるの忘れた。ゴメンもうちょっと待ってて」


そんなことを思い出してまた家に駆け戻って、ガチャっと鍵をかけた。
兄貴の名前の書かれた表札。ここに住むようになって、私は救われた。

キーホルダーも何もついてない質素な鍵を、ポストの口に差し込んで、落とした。チャリーン・・・と鍵がドアの向こうの地面に落ちた音が、やけに大きく響いて聞こえてビクッとした。

大きい、音・・・


「郭君」


また走って郭君のところへ戻って、急いで駆け寄った。


「ん?」
「あたし、本当にいてもいいの?郭君のとこに」


さっきの鍵がコンクリートに響く音が胸の中で何回もこだましていて、心臓が痛かった。


「英士でいいよ」


夏の残り香が暑かった。
でも、この人の周りは、心地良さそうだった。


「おいで」


郭君が、綺麗に笑う。

足元においていたカバンをひょいと持ち上げ歩き出す郭君についていくように、私も隣を歩いた。私の持っていたカバンの取っ手をひとつ持ってくれて、二人で一個ずつと、半分のカバンを持った。


朝目覚めた時に聞いた海の音が、今も耳に残っていた。















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