暗闇海に花が散る





6.コトダマ










きのうは初めて寝るこのベッドでなかなか寝付けなかったせいか、今日はあっさりと寝入ってしまった。


「おはようさん、テキトーに食べてね」
「おはよう、って、もう行くの?」
「うん、俺出るの早いよ」
「ええー」
「じゃ先行くね。あ、隣のヤツ叩き起こしといて」
「ええ!」


朝から爽やかな英士君は、そのまま颯爽と玄関に向かいながら無茶を言い残していった。なんだかんだでここに住むことになって、でもまだ色々気まずいこともあるんだろうとか思っていたのだけど、英士君は意外なほど緊張感なく接してくれて私としてはそれが、助かっている。


「ぐがっ・・・」


隣で上がったヘンな寝言に小さく驚くと、コンフレークに流し込んでいた牛乳を少しこぼしてしまった。隣の椅子では、きっと英士君がここまで引きずってきたんだろう潤慶がテーブルに頭を伏せて寝入っている。この二日で一番判ったことといえば、この人の異常なまでの低血圧のことだろう。(起こせといわれてもかなり怖い)

とりあえずまだ時間には余裕があるし、起こさなくても大丈夫かなと放っておいてざくざくスプーンを皿の中に突き刺すと、潤慶は寝返ってそのまま机の上をゴリゴリと引きずって態勢を崩していった。痛そうだなぁと思っているとその頭はだんだん私のほうに近づいてきて、私のスプーンを持つ手を弾き飛ばして私の膝の上に、落ちた。


「ええー、ちょっと・・・」


変な体勢で、それでもしつこく寝続けている。(どんな睡眠欲だ・・・)たまにうんとかすんとか寝息を立てる。暑いのか、少し汗ばんだ顔をしかめて、寝苦しそうだ。
苦しそうに寝る人だな、と思って、そんな潤慶を起こすのはなんだか気が引けて、潤慶の頭を膝の上に置いたまま私はもぐもぐと朝食を食べ続けた。


食べ終わっても、朝日がだんだんと昇ってきても潤慶はそのヘンな体勢のまま起きなかった。そのまま学校が始まる時間が通り過ぎて、時計の針が二本とも真上に揃いそうな直前になってやっと、潤慶はそっと目を開けた。

むくりと起き上がった潤慶はしっかりと開かない両の目で後ろの壁に振り返り、かかっている時計を見上げる。しばらくその時計を見つめてだんだん目を覚まして、その行動を隣で見ていた私と目を合わすと潤慶はへらっと笑った。なんで笑うのかよく判らなかったけど、その笑顔は無害に見えてなんとなく笑い返してしまって、二人でヘンな笑いを交わした。




「うっわー、空気ぬるーい」


着替えて、二人で表に出た。今日の海は穏やかで、空の青と海の青は綺麗に混ざり合って水平線が溶けて、遠くで魚だか鳥だかが光った。潮風はベタベタするけど、でもそれが海なのだから許せる。


「潤慶って学校行ってるの?」
「んー?行ってるよー。だから毎朝ヨンサが叩き起こすんじゃん」
「どこの?」
「学習院」
「うえっ!」
「うそ。外語スクール。たまに生徒、たまに先生。アルバイト」
「へぇ・・・。日本語うまいもんね、いつから日本にいるの?」
「小学校の時に少しと、高校上がる時にまたこっちきた」


砂を蹴りながら前を歩く潤慶はまた大きな欠伸をする。(まだ寝たりないか)しかしほんと、英士君と似てる。背格好もほぼ同じだし、性格は違うのに二人とも同じ空気を持ってるような感じ。だから私、この人にあんまり、最初から警戒心薄かったのかも。会って間もない他人とここまで馴れ合うなんて、早々ない。


ちゃんはヨンサが好きなのー?」
「はー!?」


くるりと前で身体を向ける潤慶が潮風に髪をさらわれながら言った。ドッキンドッキンいう心臓をひた隠して「なにそれ、なんでー?」と何とか笑顔で返すと潤慶はフーンと軽く受け止めた。


「がっこーサボっちゃったねー」
「潤慶だって学校あるんでしょ?いーの?」
「んー、なんかねー、新しく来たアメリカ人がすごい色目使ってくる」
「・・・へぇ」
「美人でも可愛くもないし、無駄にテンション高いし。だから行く気しない」
「え、そんな理由ですか。恐れ入るなぁ」
「すっごい胸開いた服着てきてそれ見せながら寄って来んのー、そーゆーのって引かない?」
「いや、私は女なのでどうとも・・・」
「駄目駄目、あーゆーのってすごい萎える。気持ち悪いって言っちゃったもん」
「え!言っちゃったの?本人に?」
「いや本人には言わないけどー」


ほ・・・。そんなこと面と向かって言われたらちょっと、立ち直れない。


「俺って口に出して言っちゃうんだよね、なんでも。そのほうがいいじゃん」
「んー、内容と状況による」
「まーね。でも口に出せばあやふやなものがハッキリして楽になるし。俺本心言わないとこのへん気持ち悪くて」
「へぇ・・・」
「あ!でも今日の午後はデーバナーガリの勉強だ!行こうかなー」
「で、でーばなー・・・?」


潤慶は、まだよく掴めない人だ。(言葉に理解不能なとこ多いし・・・)あたしは、今から学校行くのも、なぁ・・・。英士君心配するかなぁ。どうしようかと空を見上げていると、綺麗な青が目に広がって、唐突に花火がしたくなってきた。でもスイカも食べたい。夏だし。でもどっちも買えないお金ない。

花火か・・・
スイカか・・・









その日、結局学校には行かずに持ってきた荷物を整理したり片付けたり、貰った部屋で自分の居場所を作っていたら、気がつけば空が赤くなってて、暮れていた。


「あ、さんいた」
「あ、英士君おかえりー」
「おかえりじゃないよ、なんで今日来なかったの」


喉の渇きを潤してると玄関が開いて、英士君がそういいながらずいっと詰め寄ってきた。き、きまぐれ・・・?と答えたら、英士君は「こら」と叱り付けた後で、ちょっと真剣な顔をした。うわわ、なんかマジだ・・・。


「おっじゃまー。おお!ほんとにがいるー」
「うそ、マジだったんだあれ」


そんな、どこかピシッと張り詰めたような空気を悟らずに、玄関からどやどやっと人が押し寄せてきた。その中には若菜もいたけど、他はみんな知らない人ばっかり。


「英士が居候が増えたっていうもんだからまた猫でも拾ってきたのかと思ったよ」
「そーそー。そしたら女の子でした。まさか英士が女の子拾ってくるとはね!」


ガヤガヤと仲よさげなその人たちは、英士君が通ってるフットサルの仲間なんだそうだ。女の子も何人かいて、最近は女の子でもサッカーをする人が増えてるんだと英士君が教えてくれた。確かにその中に一人、やたらカッコいい女の人がいた。美人だけど女くさくなくて、爽やかって言うか、とにかくカッコいい感じ。学校じゃ英士君を名前で呼ぶのなんて若菜くらいで、女の人の声で「英士」と呼ぶのは聞きなれなくて、変な感じがした。


「英士君」
「ん?」
「スイカ食べる?買ってきたんだ、みんなで食べちゃっていいよ」
「ほんと?みんなスイカ食べる?」
「いえーい食べるー!!」


みんなの手が上がって、私は切り分けて冷やしているスイカを取りに行った。英士君が笑ってありがと、と言ってくれて、もう怒ってない感じでホッとした。


「でもさぁ、同じ学校でしかも同じクラスなんだろ?学校にバレたらヤバイんじゃないの?」
「そうかな。ヤバイの?」
「英士ってなんでかこー、妙なとこで考えなしなのな」
「英士のクセにな」
「でさでさ、結局のとこふたりは付き合ってんの?」


スイカを運ぶとなんてナイスタイミング、というかバッドタイミングというか、そんな本題に入っていた。結局のところ、それが一番聞きたいところだったようだ。そんなみんなの期待するような目に囲まれて私と英士君が目を合わせると、英士君はサラッと、違うよねと言ってよこした。うン・・・。としか言いようがない。そうだよ違うんだよ。違うんだけど、違うんだけどもさ・・・。(もっとこう・・・)


「じゃあもうすっかり家族な感じ?」


そう、あのやたらカッコいい女の人が英士君に聞いた。


「んー、家族っていうか、感覚的にいうと・・・」


少し天井を見上げて考え込む英士君の、言いそうなことがなんとなく、判った。


「猫?」


そう呟いた私の声に英士君ははたっと目を留めて、その後でそのたとえが妙に英士君の中でハマってしまったらしく「そう、それだ」と笑いを堪えながら言った。



やっぱりだ!!



ボフ!!とベッドにクッションを投げつけた。外はもうどっぷり日が暮れて、さっきまでガヤガヤ騒がしかったリビングはもう静かになってて、私は一人部屋に篭って半泣きで。
英士君のバカ!オカチメンコ!!
絶対少なからず、私が好意持ってることは判ってるのに、あんなサラッと笑顔で、ヒドイ!


さーん」


コンコン、とドアをノックして、英士君の声がした。そしてドアを開けて顔を覗かせた英士君に私は持ってたクッションを投げつけて、英士君はかなり驚いてたけどギリギリ避けた。


「な、なにごと?」
「入ってこないで」
「どうしたの、何怒ってんの?」
「いーから入ってこないで」
さん」
さんさん呼ばないで!」


自分は「英士でいい」なんて言っておいて、なのに英士君はいつまでも「さん」で。そのくせ人を猫呼ばわり!


ちゃん」
「・・・」
「ちょっと外で遊びませんかちゃん」
「・・・なんか気持ち悪い。英士君じゃない」
「じゃあどう呼べっていうのさ」


私の意味不明な行動に、英士君が少しずつ困り果てて、ふと息を吐いた。
そのため息は、痛かった。


「あたし、猫じゃないよ!」
「え?うん。猫じゃない、よ?」
「・・・」


・・・このヘンなトコ超ニブちんが!!


「ねぇちょっとさ、外行こうよ」
「行かない」
「俺なんかしたかな」
「もうほっといて」
「ねー何やってんのー?待ってんだけどー」
「ちょっと待ってよ潤慶」
ちゃん早くー、月がとっても綺麗だよー?月がとってもあおいからーとーまわりしてかーえーろー」
「うるさい潤慶。さん、泣いてるの?」
「・・・もう、いいからほっといて、一人でいたいのっ」


背を向けてクッションに顔をうずめて、泣き声をひたすら押さえつけて、もうほんとに、出てって欲しい。見られたくない、こんな醜態。


「ねーちゃん、そりゃないんじゃないのー?言いたいことあるならはっきり言えば?」
「潤慶、いいよ、いこ」
ちゃんなんも言わないしさー、せっかくヨンサがさぁ」
「潤慶」
「ねーちゃん、いいの?ヨンサはこー見えてすぐ食べ物腐らすしタオルとパンツなんて一緒に洗濯しちゃう人だよ?それでもキミはこの部屋から出ないでいるっていうのかい?そのタオルを使う勇気がキミにあるのかい?」
「ユン!一緒に月でも見ようか!もっと話し合うべきだよ俺たち!」
「ねーちゃん!」


二人の騒ぐ声と足音が遠くにフェードアウトしていった。

もうなんでもいいからとりあえず出てってください!(ひたるにひたれやしない!)


・・・もう、なんだかあたしただのガキだ。潤慶が怒るのだって無理ないよ。猫以下だ。手間がかかるどころの面倒くささじゃない。恥ずかしい、自己嫌悪・・・。

だってもう、悔しくて、すごい悔しくて、あたしだけこんな気持ちで、めちゃくちゃ揺れてて、あたしもっと、もっと、英士君の近くにいれば、落ち着いていられるって思ってたのに・・・


そう、毀れる涙に溺れそうになっていると、暗闇のはずの窓の外がビカッと光って、その後でパン!と弾ける音がした。波の音は聞こえていたけど、一瞬でかき消されて、光のほうに顔を上げるとまた暗い空に花が咲いた。


パァン!・・・


「・・・」


ふらりと火の玉が上がるほうへ、砂浜を歩いていくと、波の手前に影が二つ、見えた。


「駄目だよヨンサ、でっかいのは最後にやるんだから」
「そうなの?」
「そうそう、それが世間のジョーシキ」


その影に近づいていくと、ひとつ、英士君の影が私に気づいて振り返って、手を上げた。


「見えたでしょ?あの部屋からだと結構見えるんだよね」


花火・・・


「スイカ買おうか悩んだんだけど、さん花火したいかなと思って」
「・・・」
「そしたらさんスイカ買ってたし、よかった」
「ヨンサー、火つけたー」
「えっ」


これ、と手に持った花火を見せると、本当に火がついてて英士君は「早く放しなよ」と潤慶を遠ざけた。潤慶の手からねずみ花火が火を噴いて、手を放すと砂の中で回りもせずにパンと弾けた。


「うーわー、ちょーコワーイ、でもおもしろーい」
「あぶないなー」
「ねー次これこれ」
「はいはい」


二人で無邪気に、楽しんで、いろんな色した火花が夜の海辺に散った。


「じゃーつけるよー」


私たちから少し離れたところで英士君が一番大きな花火に火をつける。


ちゃん」


それを見ながら隣で潤慶が、海の音に負けそうなくらい小さい声で、喋りかけてきた。


「ヨンサが好き?」
「・・・」


心の中に気持ちを押し隠すのは、気持ち悪い。
どこかで息継ぎしないと、窒息しそうだ。


「・・・うん」


声に出せば、あやふやなものがハッキリして、楽になる。


「好き」


遠くでしゃがんでいた英士君がこっちにかけてくる。傍に来るより先に火がついた筒から火花が飛び散って、ただの闇色した海を鮮やかに染めた。


「好き・・・」


口に出せば、誰かの耳に届く。
形になる。現実になる。


自分にも、聞こえる。













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