06. Confidence

俺の部屋は家の中でもけっこう上のほうにあって、窓から見える景色は街が見渡せるくらいだ。だけどこの街はどこまでいっても騒々しいばかりで、いい景観とは言えない。まぁ、悟天のうちみたくどこまで行っても山ばかりなのもどうかと思うけど。

「知るかよ、お前が寝てたのが悪いんだろ。俺だって余裕あるわけじゃないの、お前に勉強教えてる余裕なんてないの」

電話の子機を肩と耳に挟みながら、ポットからお茶を注ぐ。
電波の向こうでは、テスト前だというのに寝坊して授業をサボったアボが今日やったとこを教えてくれと泣きついてきてる。

に?・・・ああ、勝手にすれば。まぁがノートなんて貸してくれるとは思わないけど」

アボは、俺がノートを貸さないならに借りると言ってきた。
けどあのが、サボりのアボのためにノートを貸すとは到底思えない。

あれは、少し前のこと。仕事あがりのが母さんにお茶を付き合わされていて、そこに帰ってきた俺と顔を合わせたとき。もうすぐテストの期間に入るという話をしていた母さんは、毎回俺のテストの点がギリなのを笑いものにして、に勉強見てやってよと頼んだのだ。軽く冗談っぽく。・・・そしたらは、躊躇いも容赦もなくばっさり言ったのだ。

嫌です。授業中寝てる人に時間を割きたくありません。

・・・そんなだ。
どんなに泣きつかれたってアボに手を貸すわけがない。(俺にもだけど・・・)

「あ、キャッチ入った。切るからなアボ」

電話口でぎゃあぎゃあ騒ぐアボは無視して電話を切り、点滅してるボタンを押した。内線電話だ、おそらく母さんだろうけど。

「なに?今勉強中。なんで?」

電話はやっぱり母さんで、でも家の中からじゃなく隣の会社のほうからだった。勉強中だと言ってるのに今すぐ研究室に来いと言う。なんでと聞き返しても、いいから今すぐ来いとだけ言われて切られた。相変わらずの横暴さだ。

仕方なく、お茶を入れたカップを飲むことも出来ずに部屋を出て、研究所のほうへ向かった。いまだに会社内の配置は分からないけど、1階のリフレッシュルームと言っていたからとりあえず入口へ向かって、すると入口前にタクシーが停まってて、何かあったのかなと思いながら中へ入っていった。

普段あまり人が行きかわない会社の廊下だけど、その時はやけに人が目立った。白衣を着た人がたくさん行ったり来たりしてて、みんなどこかへ向かっていく。何となくみんなが行くほうについていくと、人だかりが出来てる部屋の入口にリフレッシュルームというプレートを見つけて、人の間を抜けて中を覗いた。

「トランクス、こっちよ」

中にはまた数人の白衣を着た社員らしき人たちがいて、その奥に母さんが見えた。手招きされ中に入っていくと、母さんは集まってる社員の人たちに持ち場に戻りなさいと指示して、俺を奥へ連れて行った。

「何なの?」
ちゃんがね、仕事中に倒れちゃったのよ。今お医者さん呼んで診てもらったんだけど」
「えっ、が!?」

母さんが、リフレッシュルームのさらに奥にある小部屋のドアを開ける。
妙に落ち着いてる母さんの背中を押して俺も部屋に入ると、その小部屋の奥に寝ていると白衣を着た誰かの背中が見えて、俺は急いでに駆け寄り寝てるその姿を見下ろした。

「母さん、なんでっ?何があったんだよ!?」
「シッ、静かにしなさい。ちゃん寝てるのよ」
「だって!・・・」
「なに、軽い栄養と睡眠不足じゃよ、大したことないわい」

焦る俺とは反対に、母さんと、寝てるの腕に注射する医者の先生が落ち着いた声で言った。その人はうちのかかりつけの医者だから見覚えがあった。俺はケガも病気も滅多にしないから診てもらうことないんだけど。

「ほんとに大丈夫なの?顔色悪くない?」
「大丈夫じゃよ、倒れた時に頭を打ったんじゃろ、軽い脳震とう起こしとるが、今はもう寝とるだけじゃ」
「しばらく安静にしとけばいいって言うし、うちで寝かせようと思って。だからうちまで運んでちょうだい」
「あ、そういうこと・・・」

話を聞いて俺はホッと胸を撫で下ろした。一時は何が起こったのかと心臓がひっくり返りそうだったが、先生はそのまま処置だけして帰っていったし、からは寝息も聞こえて、本当に大事はなさそうだった。

ちゃんの家に連絡しなきゃね。トランクス、ちゃんちの連絡先知ってる?」
「いや、知らない」
「なに、連絡先も知らないの?アンタヤル気あんのー?」
「・・・何のだよ」
「しょうがないわねぇ。ねぇ、ちゃんの連絡先見てきてくれない?」

そう母さんは、ドア口に立っていた社員に頼んだ。ずっとドア口で中を心配そうに見ていたその人はの上司だそうで、ここまでを運んだのもこの人らしい。

「でも社長、は一人暮らしですよ・・・?」
「えっ?」
「あらそうなの?知らなかったわぁ」

母さん共々、俺も驚いた。
が一人暮らしだったなんて聞いたことなかった。

「それでも緊急時の連絡先とか控えてるでしょ?」
「ああ、はい、見てきます」
「分かったらうちに連絡頂戴ね」
「はい」

母さんにそう言われると社員の人はリフレッシュルームから出ていき、俺もをそっと抱きあげて、注射されたの腕から伸びてる点滴を持つ母さんと一緒に家に戻った。

は、高めの身長の割りにとても細く、持ち上げた瞬間から軽かった。
頬は血色がなく、閉じた瞼の隙間をうめる黒いまつげが頬に影を落として余計に白さを強調している。

栄養不足って、なんだそれ・・・


を抱いて家まで戻ってくると、使ってない客室のベッドにふとんを整えてを寝かせた。ここまできても起きないとなると睡眠不足というのも頷ける。

ちゃんが一人暮らしだったなんてね、アンタ知ってた?」
「ううん・・・」
「ひょっとして生活費も全部自分で稼いでるのかしら。苦労してるわねー」
「うん・・・」

母さんが点滴の高さを調節したりカーテンを閉めたりしながら話すことを、俺は壁際のソファに座り、ベッドの中のよく見えないを見ながら何となく聞いていた。・・・俺の知ってることなんて、母さんとそう変わらない。のことなんて、何も知らなかった・・・。

「トランクス、ここにいるの?」
「うん・・・」
「そ、じゃあちゃんちに連絡してくるわ」
「うん・・・」

母さんは出口で俺に振り返り、照明の光度を少し下げると部屋を出ていった。
ドアが閉まり、静まり返った部屋はまるで誰もいないみたいだった。
時折が少し動く。けどすぐまた静かになって、寝息もあまり聞こえないから俺は不安になって、静かにベッドに歩み寄りの顔を見て、またそっとソファに戻った。

そんなことを数回繰り返すうちに、俺はだんだんベッド脇に居ついていった。
しゃがんで、ふとんに乗せた両腕に顔を下ろし、目の前を見つめる。
何を見てる、という感覚はない。見るというより、感じてた。
こんなに感覚を研ぎ澄ましてみても分かり辛い、小さな小さな気。

「・・・」

ほんのささやかな寝息が喉から入って循環し、体を浮き沈ませる。
そんな当たり前の、普段意識すらしない行動が、とても大事に思えた。
吊るされた袋に入った液体が一滴ずつ流れて、弱った体内へ染み込んでいく。
こんなたった一滴が肌の血色を取り戻させ、この体を癒しているというのに。

「・・・・・・」

ぽつり、口から毀れ出た。
充満していたものが小さな出口を見つけて転がり下りてきた感じ・・・。
だけどは反応しない。目を開けるどころか睫毛も動かない。
今は、それでいいのだけど。

だんだん、喉の奥が窮屈になる。ぎゅうぎゅうと締めつけられる感覚がした。
見つめながら、ぐっと顔を両腕に押し付ける。
吐き出したい息を飲み込んだ。

こんな傍で、見つめて、感じて。
初めてのことだった。
でもそれでやっと俺は分かった。・・・いや、確かになった。

「・・・・・・」


俺はこの子を、好きになってる。