18. Understand
家に着くと、テラスにはテーブルが残ってるだけでもう誰もいなかった。
俺はゆっくり自分の部屋のバルコニーに降り、窓から部屋に入ってをソファに座らせる。その前にしゃがみこんで、の手についたままだった手錠の輪をふたつとも壊して取り外す。の指先はまだ細かく震えていた。
「母さん、救急箱」
「トランクス、なんなのよ、説明しなさいよ」
「後でね」
下の部屋にいって母さんにの手当てを頼むと、母さんは俺の部屋に来てを見るなり大きな口を開けて叫び出した。あまりの大声にもびっくりしたに違いない。
「なんなのよこのケガ!この傷!説明しなさいよトランクス!」
「だから、後で」
「もーゆるせない、女の子の顔に!」
母さんは憤慨しながら救急箱から消毒液を取り、の頬にガーゼをあてる。暗い中で気付かなかったけど、目立つ頬の切り傷の他にも腕や足にひどいあざや擦り傷がいくつもあった。服も着替えたほうがいいわねと母さんは俺に出てくように言い、俺は窓から庭に飛び降りた。
・・・俺が今日一日部屋にこもってる間、に何があったのか。
考えるのも嫌だったけど、なによりそんな自分に腹が立った。
勝手に舞い上がって、想いを伝えて、落ち込んで・・・、なのに肝心な時には何もできなかった。ちょっと考えればが学校にも来ていないことが異変だったと分かったはずなのに。事情を知ればひとりにしておくことのほうが危ないって分かってたはずなのに。
何も見えてない。
何も思いやれていない。
「っ・・・」
何への憤りか・・・、握った拳の震えが止まらない。
口の中に鉄の味がした。
「トランクスくん」
暗がりの芝生を踏みしめてる俺の背から悟天の声がした。
少しだけ振り返ると、悟天は両手を重ねた掌を俺に向けていた。
「・・・なんだよ」
「殴りたいかなーと思って」
さっこーい、と悟天は足を踏ん張り腰を入れる。
「・・・」
体中に巡る気を拳に集中させて、悟天が構える的めがけ全力で拳を叩きつけた。
バチィッ!・・・と大きな音が響き、衝撃が周囲に風を巻き上げた。
「おいおい、あいつらこんなときにケンカか?止めたほうがいいかな」
「ヤムチャさん、あのふたりのケンカ止められるんスか?」
気を感じてが音を聞きつけてか、みんながこっちを覗いてる。
悟天はしっかり足を踏みしめて堪え、痺れた手をブンブン振った。
「イッテー!トランクスくんのパンチ受けるのなんて久しぶりだから・・・」
「・・・」
「昔は対決ゴッコとかよくやったけどさー」
・・・あの頃はまだ無垢で、自分たちが世界の中心だった。
何も知らないでいたあの頃と、何もかも知った気でいた今と。
何色でもない明日を生きるのは変わりないことなのに、あの頃のほうが今よりずっと明日が楽しみだった気がする。
力を押さえて生活するうちに、必然的に抑えてた、全力の気持ち。
俺はまだ何も知らない、あの時と同じだ。
何も手に着かない空虚さ、堪え切れない憤り、それでも溢れる想い。
知らなかったものが日々襲い来る。
君と出会ってから。
しばらくして母さんが終わったわよーとバルコニーから俺を呼ぶ。
部屋に戻ると、が腕の包帯の上から上着に袖を通した。
「大丈夫?」
「うん」
手当ての跡は痛々しく、だけどそう答えが返ってくるのは分かってた。
「ごはん用意するから後で取りに来なさい」
「うん」
「それとちゃん、今日は泊まっていきなさいね」
うちの防衛システムは宇宙一よ、と母さんは俺の背中をバンと叩く。
そのまま救急箱を持って出てくと、ドアがしまる音を最後に部屋は静かになった。
「、ごめん・・・」
「なにが?」
「俺きのう教会であいつらに会って、手出しちゃったんだ。そいつらが俺のこと知ってたみたいで、だから俺伝いにのことが・・・」
「・・・」
そう。・・・はただそれだけ。
「あのさ・・・、教会のこと、母さんに相談しない?」
顔を上げないにそう持ちかけると、は少しだけ俺を見た。
「母さんに話せば解決してくれるかも。それで、しばらくうちに住んで・・」
「いい、そんなことできない」
「このままじゃまたいつあいつらが来るかわからないよ。ここにいてくれたら俺が守れるし、もうぜったいこんな目に遭わせないから」
「いいの、私は・・・」
「なんでだよ、だけが全部背負わなくても・・・、母さんに言ったらきっと」
「あなたにはわからないの!・・・」
声を荒げるは、だけどぐっと気持ちを抑え込むように両手で顔を覆った。
「・・・違う、あなたは悪くないの、ごめんなさい・・・」
「・・・」
はこんなにつらくても、さいなまれても、何も、誰も恨まない。
誰かれ構わず責め立てたり、当たり散らしたっていいのに、自分の心を憎しみや恨みでいっぱいにしたくなくて、力いっぱい耐えてる。・・・俺にさえ、耐えてみせる。
「あなたには頼れない、あなたの家にも・・・」
「なんで・・・?」
「あなたには感謝してるの、助けてくれたことも、教会のことも」
はぎゅっと握りしめてた手の力を、少しずつほどいて
「だけど、あなたのことは、考えられない・・・」
「・・・」
やっとつかまえたと思ったものが、ずっと遠くに感じた。
俺の中に生まれて、居ついた鮮やかなものが、突然夜の闇に溶けていった。
ずっと羨望してた閃光に、映りたくて、近づきたくて、触れたくて・・・。
けど近づいたと思ったらいつもいつの間にか遠くて、届かない。
それでも俺は、怖さも抑え込んで、何度でも手を伸ばしたかった。
どうしたって届かないものだったとしても・・・
「わかった・・・、悩ませてごめん・・・」
「・・・」
俺はの前から歩きだし、窓辺に立って、そこに座った。
「でも俺がを守るのは変わらないから」
「・・・どうして・・・」
「たとえここにあいつらが来たってぜったい大丈夫だから。銃持ってこようが大砲持ってこようが俺ぜったい勝てるから。俺、普通の人間じゃないし」
「あなたはずっとそれを隠してきたんでしょ?誰にも知られたくないんでしょ?」
の声が揺らいで、振り返ると、は立ち上がって俺を見てた。
「いいよ、バレたって。黙ってたほうがラクだからそうしてるだけでぜったい隠してるわけじゃないし、いざとなったらこんな都会じゃなくたって、どこでだって生きていけるよ。仲間もみんなそうしてる」
「そんなの・・・、あなただけの問題じゃないでしょ?家族だって、カプセルコーポレーションだって・・」
「父さんも母さんもそんなこと気にしないよ」
「・・・やめて、迷惑よ、私はあなたに何も望んでない、あなたには関係ないのっ・・・」
「・・・」
この口ぶり・・・。俺のことを気にしてか、それともあいつらに何か言われたか。
俺はまた立ちあがって、まっすぐを見つめ返した。
「になくても俺にはあるよ」
「・・・」
「助けたいし、守りたいし、分かりたいんだよ、のこと」
俺がを分かろうとするのは、分かり合おうとするのは、難しいって・・・
そういうもの全部、俺は吹き飛ばしたいんだ。
は俺にひるむように、一歩うしろにさがる。
だけど揺るがないの瞳は何度でも俺を拒絶して、背を向けドアから出ていこうとして、・・・その手がドアの開閉ボタンを押す手前で掴み止めた。
「離して」
「いやだ」
「離して!」
「の事情が俺には関係ないっていうなら、俺の事情だってには関係ない!」
冷たい指先が、細かな振動が、掌に伝わる。
振り払おうとする力など無いに等しかった。
「何があっても俺が守る」
「・・・」
「だから、ここにいてよ・・・」
・・・うつむくはとても苦しそうだった。
悲しそうで、こぼれおちそうだった。
けど俺は見ないふりした。
だって俺が今つかんでいるものは、光でも花でも、幻でも奇跡でもなくて、確かな形だったから。
確かに感じ取れる、温度だったから。
だったら俺は守れる。
何があろうと、ぜったいに守れるんだ。